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  • 責任を受けることにより自分自身を吟味しつづけなさい
    ものみの塔 1962 | 7月1日
    • 愛において,『群れの模範になりなさい』。―ペテロ前 5:3。ペテロ後 1:5-8。

      責任を効果的に果たす

      21,22 (イ)なぜ監督の仕事は,やさしいものではありませんか。(ロ)監督は,どんな危険と責任に対して注意を払いますか。

      21 神の羊の群れを牧する羊飼の責任を果たすことは,簡単な仕事ではありません。それには多くの忍耐,力および技術が必要です。熱心な研究,正しい原則の理解および経験がみな必要です。羊飼は注意深く,羊の福祉を心がけねばなりません。彼は外部と内部の両方の敵に対して警戒しなければなりません。外部の敵とは,偽りの教えとか物質主義のようなもので,内部の敵とは群れの中にしのびこみ,内側から群れを攻撃するものです。

      22 自分の責任に目ざめている監督は,霊的に病気な羊に気をつけていて,状態が悪化しない前にやさしく保護します。彼はまた重大な問題になやむ者や,むずかしい決定を下さねばならぬ者たちをも援助します。正しい道を知っていながら,未熟のためにこの世的な関心事や学校の仲間に引っぱられてしまう子供たちが学校にいることがあります。監督よ,彼らの問題に注意を払いなさい。彼らが間違いをする前に,助言を与えなさい。「いのちの言葉をかたく持つ」ように彼らを励ましつづけなさい。それに対して,彼らは永久に感謝するでしょう。―ピリピ 2:15,16。新口。

      23 (イ)会衆に対する彼の道徳的な責任は何ですか。(ロ)彼はどんな方法を用いどんな精神をもって決定を下しますか。

      23 監督の別の責任は,会衆が清い状態を保つように気をつけることです。もし,原則に従って行動しない人が会衆の中に来て,エホバの羊をうばいとろうとするなら,あるいは不道徳な行いをする人がいるなら,監督と会衆の委員の他の僕たちは,会衆からその悪い影響を取りのぞき有罪な非行者を排斥して会衆を清く保つための手段を講じなければなりません。しかし監督は事を急いで行なうべきでなく,怒りの気持ちあるいは動揺した気持ちから大急ぎで決定を下すべきではありません。公正な聖書的な決定を下す前に,ぜったいたしかな事実をかならず知るようにしなさい。監督は公正であると共に偏見を持ってはならず,正しい裁定を下すときに,めぐみ,理解および愛を多く働かせなさい。―ガラテヤ 6:1。

      24 ロマ書 15章1-3節で,パウロはどんな助言を監督に与えますか。

      24 これらのいくつかの例からも分かる通り,巧みに牧するためには円熟が必要です。監督を助けてこのもっとも大切な責任を果たさせるために,イエスと彼の使徒たちおよび他の忠実な人たちの例が記録されています。監督は,イエスのように,愛さねばなりません。監督は霊的に病気な者をよろこんで助け,弱い者を援助してはげまさなければなりません。パウロはこう述べています,「わたしたち強い者は,強くない者たちの弱さをになうべきであって,自分だけを喜ばせることをしてはならない。キリストさえ,ご自身を喜ばせることはなさらなかった」。これによって,会衆は愛と生命の面で成長し,エホバはあがめられました。今日の監督は,これらの良い模範に従うべきであります。―ロマ 15:1-3,新口。

      すべての者は責任を負わねばならぬ

      25 クリスチャン会衆内で,責任を持つ者はなぜ監督だけではありませんか。

      25 神の制度内では,すべての者が責任を負わねばなりません。あなたには,神のすばらしい助言を学んで適用するという責任があります。あなたがどこで奉仕しようと,ベテルの家で奉仕しようと,宣教者であろうと,あるいは開拓者であろうと,あるいはあなたが会衆の監督であろうと僕の補佐であろうと,あるいは奉仕中心地の書籍研究の司会者であろうと,あなたは自分の責任を受け入れて,それを果たさなければなりません。しかし,神のさとしは,監督や特別の役割を持つ者だけに限定されていません。それは神の民のひとりびとりにひとしく適用します。生命に対する要求は,すべての者に対して同じです。あなたに仕えている者たちは,生命を得るために異なった競争をしているわけではありません。彼らは同じ競争をしているのです。したがって,神の羊を見出し,彼らを愛をもって養い世話をする責任は,すべての者が同じようにもっています。―ヨハネ 21:15-17。

      26 献身した奉仕者全部には,どんないましめが与えられていますか。

      26 もしあなたが神の献身した僕なら,自分の役割を良く果たしなさい! あなたの責任を負いなさい! 心をこめて働きなさい。「人にではなく,エホバに仕えるように心をこめて働きなさい」。(コロサイ 3:23,新世)清い崇拝を拡大することをよろこびなさい。神の言葉と神の制度にしっかりつき従いなさい。使徒パウロのとった道と同じ道をとるようにしなさい。彼は兄弟たちに,「わたしがキリストにならう者であるように,あなたがたもわたしにならう者になりなさい」と告げました。―コリント前 11:1,新口。

      27 責任を受け入れて,それをになう時の報いは何ですか。

      27 各人が自分の責任を受け入れると,一致した崇拝者たちの制度は強い効果的なものになり,善意者をそのみちびきにより生命の道を正しく歩くことができます。自分の責任を受け入れて,その責任を負う者は,自分が神の御心を行なっていること,「神の同労者」であることを知る特別なよろこびを持ちます。また,わざを良く行なったことに対するむくいが永続的なものであることに満足感とよろこび,確信と信仰を得ます。それはパウロの次の言葉からも良く示されます,「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき,走るべき行程を走りつくし,信仰を守りとおした。今や,義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には,公平な審判者である主が,それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく,主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう」。―コリント前 3:6-9。テモテ後 4:7,8,新口。

      28 すべての人は,どんな質問に答えるべきですか。責任を受け入れたことに対して,どんな幸福な結論が得られますか。

      28 あなたは大きな奉仕に答え応じますか。あなたは責任を受け入れますか。あなたは神からゆだねられた奉仕を第一とする生活をしますか。あなただけがそれらの質問に答えることができます。仕事はたくさんありますが,働き人はいまでもごくわずかです。自分に与えられている機会からまたあなたの責任から引き下がって,「別の人にさせよう」と言ってはなりません。もしあなたに責任を受け入れる資格があるなら,真心こめて答え応じなさい。もし自分が不適任と感ずるなら,神の御言葉,神の御霊および神の制度の助けを受けて,霊的に自らを建ておこしなさい。責任を受け入れることによって,あなたがどんな者であるかを証明しなさい。そして,エホバに誉を帰すると共にあなた自身の永遠の福祉をはかりなさい。そのとき,あなたには神の新しい正義の世における生命という報いが与えられるでしょう。

  • なぜ牧師が不足するか
    ものみの塔 1962 | 7月1日
    • なぜ牧師が不足するか

      第二世界大戦の直後,アメリカにおける宗教の復興は目ざましいものでした。新しい教会がどんどん建てられ,牧師の俸給もあがって行きました。ところが今ではこの楽観的な空気が無くなって,事態を再検討することが真剣に望まれています。

      「宗教の復興」が大きく叫ばれても,実質がそれに伴わなかったことは,牧師も認めているほどで,そのすべては数字の上の話であり,霊的なものの裏づけには欠けていたのです。教会員の数はたしかにふえましたが,霊的な働き人はいません。

      この証拠としてあげられているのは,現代宗教の大きな矛盾すなわち教会員の数の増加にもかかわらず,神学校に入学する人の数が減少していることです。教会にくる人の数は今までにないほど増加しているのに,宗教の第一線に立つ人は欠乏していることが強調されています。次の報告は問題の深刻さを示すものでしょう。「イタリアにおいて聖職につく人の数は,驚くほど減少してきた」と,1961年4月28日号のタイム

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