-
『再び生まれる』ことが流行ものみの塔 1982 | 2月1日
-
-
『再び生まれる』ことが流行
「再生が大流行」。1980年5月19日付のニューヨーク・ポスト紙に載ったロサンゼルス発の特報は,この見出しを掲げ,次のように報じました。「最近のギャラップ世論調査の報告によると,米国の成人全体の半数以上が,『再び生まれた』クリスチャンとしての永続的な宗教体験をしていた。このデータは……米国の成人8,400万人がイエス・キリストに個人的な誓いをし,今なおそれを適切と考えていることを示している」。これより少し前の一調査の報告では,米国の十代のプロテスタント信者のうち約半数までが,「『再び生まれる』という経験をして」います。1980年7月6日号の週刊誌パレードには,当時の米国の大統領候補者,つまりカーターとレーガンとアンダーソンの3人がいずれも『再び生まれた』クリスチャンであると公言していることが記されています。
『再び生まれた』クリスチャンは,実業界で成功したのは自分が再び生まれたからだと言うことがあります。ニューヨーク市に住む大成功を収めたある事業経営者はこう述べたと言われています。「主に心を開きなさい。そうすれば主は助けてくださいます。ボンウィット・テラー・デパートを買わなければならなかった時などは,250万㌦不足していたのですが,工面する方法が分かりませんでした。それはまさしく奇跡でした。ティファニー社購入の際にも100万㌦足りなかったのですが,同じことが生じました」。サンフランシスコ発の特報は,「『再び生まれた』プロ野球選手が増加」という見出しを掲げ,再び生まれたと主張するプロ野球選手が次第に増加していると述べ,成功の要因として再び生まれたことを挙げている数人のプロ野球選手の話を引用していました。そのうちの一人はこう語っています。「あまりインタビューを受けることはないので,この機会にイエス・キリストに誉れを帰したいと思う。イエスこそ私の人生における最も大切な人物だ」。さらに別の人は,「神をパートナーに持てば,人生の試合と同じように,野球の試合もしやすくなる」と述べています。
さらにまた,“電波教会”の経済上の成功に関するある報告はこう述べています。「宗教放送は大事業となり米国中に広がっている。再び生まれたクリスチャンたちがその番組の経費の大部分を賄っている。ジェリー・フォールウェルの大ヒットである。そのねらいは“心と財布”だ」― ウォールストリート・ジャーナル紙。
とはいえ,キリスト教世界の宗教家すべてがこの傾向を好ましく思っているわけではありません。例えばニューヨーク・タイムズ紙によると,『長老派教会は,福音主義的な役割に関して分裂しており,「再び生まれた」人々の集団の影響力がその宗派の中で論議の的になっている』ということです。中にはこうした傾向の考え方を,感情論にすぎないとして非難する人もおり,神学枚の一教授は『再び生まれた』という考え方のせいで「非常に教えにくくなっていく学生たちが跡を絶たない」と嘆いています。ある神学校では学生の約半数までが,再び生まれたと主張しています。
一般に,『再び生まれる』ということは,人が神とキリストに仕えるための“誓い”をするということと同義にみなされています。著名な伝道師たちはそのように説くのです。このことから幾つかの疑問が生じます。イエスは,命に至る道が狭くて通りにくく,その道を見いだしている人々は少ないと言われました。(マタイ 7:13,14)そして,ご自分の追随者たちはこの世の者ではないとも繰り返し述べられました。(ヨハネ 15:19; 17:16)イエスのこれらの言葉は米国内の成人の半数以上が,『再び生まれる』経験をしたという主張とどのように調和するのでしょうか。まだあります。国の成人の半数が『再び生まれた』クリスチャンであるのなら,これほどに不法,犯罪,脱税,政界の腐敗,性の不道徳,物質偏重主義,“自分第一”の態度がはびこっているのはなぜでしょうか。聖書は『再び生まれた』人々に対して投機的な事業における成功を約束していますか。神とキリストは野球選手のパートナーとなり,彼らが試合に勝つよう援助するのでしょうか。
イエスは,パリサイ派に属するユダヤ人の支配者であったニコデモにこう語りました。「きわめて真実にあなたに言いますが,水と霊から生まれなければ,だれも神の王国に入ることはできないのです。わたしがあなたに,あなたがたは再び生まれなければならないと言ったからといって,驚いてはなりません」。(ヨハネ 3:5,7)イエスのこれらの言葉にはどんな意味がありますか。エホバ神はどんな目的で,ある人々を再び生まれさせるのですか。人はどんな段階を経て再び生まれるのですか。そしてこれら再び生まれる人々に課されている責務とはなんですか。これらの質問に対する満足のゆく答えを得るには,その前に,エホバ神の規準と,地球および人間に関する神の目的について,ある基本的な事実を確認することが必要です。
-
-
神がある人々を「再び生まれ」させる目的ものみの塔 1982 | 2月1日
-
-
神がある人々を「再び生まれ」させる目的
1,2 (イ)神がある人々を「再び生まれ」させる目的について満足のゆく説明を得るには,その前に,どんなことを理解し,また認識しなければなりませんか。(ロ)神の言葉聖書には,神の公正に関するどんな証拠がありますか。しかしその公正ゆえに,エホバにどんなことをする義務が生ずるわけではありませんか。
神がある人々を「再び生まれ」させる目的について満足のゆく説明を行なうには,その前に,エホバ神の基本的な属性や地球と人間に関する神の目的について,あることを理解し,認識しておくことが必要です。
2 神の言葉である聖書が提出する証拠からすると,神の際立った特質の一つが公正であることに疑問の余地はありません。同時に,義は,神の王座の基そのものとなっています。(申命 32:4。詩 89:14)しかし,神が公正であられ義であられるからといって,理知を持つ創造物のすべてに同一の恵みを与えなければならない義務があるわけではありません。例えば,神はある者を人間よりもはるかに優れた霊的な被造物,つまりみ使いとしてお造りになりました。また神は,ご自分の地上の忠実な創造物すべてに,同じ報いをお与えになることもありません。そういうわけで,イエスはバプテスマを施す人ヨハネについて,「天の王国で最も小さい者は,彼よりも偉大である」と語られました。(マタイ 11:11,新英訳聖書)この『再び生まれる』という問題を考慮するにあたって,これらの要点を思いに留めておくのはよいことです。
地球と人間に対する神の目的
3 アダムとエバが造られた時,二人の前にはどんな輝かしい見込みが置かれていましたか。
3 ある人々を「再び生まれ」させる神の目的を認識する上で重要なのは,なぜ神は一部の人を「再び生まれ」させるという方法を取られたのか,その要因を理解することです。人間の一番最初の親にまでさかのぼってみると,神が二人に次のような命令をお与えになったことが分かります。「子を生み,多くなり,地に満ち,それを従わせよ。……地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。(創世 1:28,新)アダムとエバは完全だったので,神の子でした。神は二人を,様々な形の美しい動物がたくさんいる,そして花やおいしい果物がふんだんにある美しい庭園の中に置かれたので,二人が占めていた立場は非常に幸福なものでした。二人が地を従わせ,それを自分と同じ種類の人間で満たすようにするなら,最終的には地球全体がパラダイスとなり,アダムとエバが完全だったように完全な人間がそこに住むことになります。二人の前にはなんと輝かしい見込みが置かれていたのでしょう。
4,5 (イ)人間の最初の親はなぜ,神が二人を造られた目的を果たせませんでしたか。(ロ)それでエホバは,地球と人間に関するご自分の目的を,だれによって実現させるよう取り計らわれましたか。
4 ところが,人間の最初の親は自分たちに対する神のすべての備えに対する感謝を欠き,神のおきてを犯してしまいました。それで神は二人をご自分の子らの家族から追放し,二人に死を宣告されました。その結果,二人の子孫は皆,死なねばならない,生まれながらの罪人となりました。(創世 3:19。ローマ 5:12)人間の最初の親も,その子孫もみな,人類に与えられた神の当初のご命令を果たすことはできませんでした。では,地球と人間に対する神の目的は決して実現しないということですか。そうではありません。神の言葉聖書は,神の目的が失敗に終わることはないと保証しているからです。―イザヤ 46:10,11; 55:10,11。
5 では,地球と人間に関する神の当初の目的はどのようにして遂行されるのでしょうか。神がエデンの園で予告されたように,そしてアブラハムに対しても約束されたように,ある胤によってです。この胤の主要な方はイエス・キリストであることをパウロは明らかにしています。―創世 3:15; 22:17,18。ガラテア 3:16,29。
神の当初の目的はどのようにして実現するか
6 神はどんな方法で,アダムの子孫が元通り神の家族になる道を開かれましたか。
6 イエス・キリストはどのようにして,神の当初の目的を実現させるための手だてとなることができましたか。まず最初に,アダムの反逆ゆえに人類に下された有罪宣告を除き去ることによってです。イエスにそれが行なえたのは,マリアの夫ヨセフではなくエホバ神を父とし,完全な人間として生まれたからです。イエスは犠牲として刑柱上で死ぬことにより,有罪宣告を除き去るこの役目を実際に果たされました。事実,イエスが地上に来られた主要な理由の一つは,贖いとして自分の命を与えることでした。そのことによりイエスは,アダムの子孫が元通りエホバの是認を受けた家族となるための道を開かれたのです。―マタイ 28:20。
7 どんな根拠に基づいてイエスは死人のうちからよみがえらされ,霊者となられましたか。
7 しかし,命のない贖い主は人類を益することができません。ですから,エホバ神は三日目にイエス・キリストをよみがえらせ,「霊において生かされ」ました。(ペテロ第一 3:18)イエスがバプテスマを受けた時にヨルダン川で生じた事柄を根拠として,エホバはこのことをされました。そこで神は聖霊により,イエスを霊によって生み出された子とされたのです。バプテスマを施す人ヨハネは神の聖霊がはとの形を取ってイエスの上に下るのを見ただけではなく,「これはわたしの子,わたしの愛する者であり,この者をわたしは是認した」と神の声が言うのを聞きました。―マタイ 3:16,17。ヘブライ 10:5-10。
8 ヨルダン川で「再び生まれ」たことに加えて,イエスは油そそがれて何になられましたか。またどんな任命をお受けになりましたか。
8 イエスはこのように神の霊的な子となられただけではなく,メシア,キリスト,神の王国の王として油そそがれた者ともなられました。それと同時に,死にゆく人類の大祭司としても任命されました。それは罪というハンディキャップを除くためです。(ヘブライ 7:26)さらにイザヤ書 61章1,2節(新)の次の言葉がイエスに適用されるようになりました。「主権者なる主エホバの霊がわたしの上にある。それは,エホバがわたしに油をそそぎ,柔和な者たちに良いたよりを告げるようにされたからである。神はわたしを遣わして,心の打ち砕かれた者を包帯で包み,とりこにされた者たちに自由を,捕らわれた人たちには目が大きく開かれることをふれ告げ……るようにされた」。イエスは霊によって生み出され,「再び生まれ」ておられました。霊によって油そそがれた神の子として,イエスは悪魔サタンが忠誠を破らせようとしてあらゆる手段を弄したにもかかわらず,死に至るまで忠実を保たれました。それゆえにこそ神はイエスを死人のうちから復活させられたのです。
9 イエスが死に至るまで忠実を示されたので,神はどのように,またどんな目的でイエスに十分に備えをさせられましたか。
9 ここにおいて「神は彼をさらに上の地位に高め,他のあらゆる名にまさる名をすすんでお与えになったのです」。(フィリピ 2:9-11)イエスが死人のうちから復活させられた事実は幾百人という証人によって証しされています。天のみ父のもとへ戻られる直前に,イエスは「わたしは天と地におけるすべての権威[つまり権力]を与えられています」と言われました。(マタイ 28:18)イエスは今や犠牲の死によって,人類を回復させる権利を十分に備えた者となられ,復活して天の神の右に昇天されたことによって,それを行なうための権力を備えた者となられました。(ルカ 22:69)こうしてイエス・キリストは今,地球と人間に関する神の当初の目的を実現させ得る地位におられます。したがって,メシアに関する預言はすべてイエスにあてはまります。―詩 72篇,イザヤ 9:6,7; 11:1-10をご覧ください。
他の人々が『再び生まれる』理由
10,11 (イ)イエスがその王国において仲間を持たれることは,聖書に見られるどんな証拠から分かりますか。(ロ)この特権にあずかるのは何人ですか。示されている数字を文字通りに取るべきであるとなぜ分かりますか。
10 イエス・キリストはこれらの事柄を一切ひとりで行なわれるのでしょうか。そうではありません。ではイエスはご自身の政府にみ使いたちを加え,彼らと共に支配されるのでしょうか。そうでもありません。メシアに関するこれらの預言の成就にイエスと共にあずかるのは,イエスご自身がそうであったように,以前地上で人間として生活していた一部の人々です。ただしキリストの王国政府の一員となる前に,イエスと同じく,地上でまず「再び生まれ」なければなりません。彼らの上に働くエホバの霊が彼らを霊的な子として生み出し,彼らはそのことによって天における永遠の命の見込みを得るのです。そのような者として彼らは神との特別に親しい関係を得,「養子縁組の霊」を受け,「[彼ら]はその霊によって,『アバ,父よ!』と叫ぶのです」。(ローマ 8:15)イエスはご自分の弟子たちに再三この希望を差し伸べられました。(ルカ 22:28-30。ヨハネ 14:2,3)同様に使徒たちもこの希望に言及しています。―ローマ 8:17。コリント第一 15:52,53。ヨハネ第一 3:2。
11 どれほどの人がこの天的な身分を得るのでしょうか。この問題に関係のある聖句を総合してみると,これら『再び生まれる』人々は比較的に少数です。これが非常に特別な賞であり,特権の最も大きな公の地位である以上,それは当然のことです。ですからイエスは彼らについて,「恐れてはなりません,小さな群れよ。あなたがたの父は,あなたがたに王国を与えることをよしとされたからです」と言われました。(ルカ 12:32)ではこれらの人々は何人から成るのでしょうか。使徒ヨハネは,14万4,000人の霊的イスラエル人が額に証印を押されたところや,14万4,000人が子羊イエス・キリストと共にシオンの山に立っている様子を見たと述べています。この数字を文字通りのものとして理解すべきことは,「だれも数えつくすことのできない大群衆」についても述べている文脈から明らかになります。―啓示 7:3,4,9; 14:1,3; 20:4,6。
み名のための民
12,13 これら将来の王国における仲間に対する,現在のエホバの目的は何ですか。
12 それでもエホバ神は,王また祭司となる見込みのある人々がまだ人間として肉体でいる間に,彼らに一つの仕事をさせることを意図されました。それは何でしょうか。イエスは「柔和な者たちに良いたよりを告げる」べく油そそがれましたが,同じようにこれらの人も,神の王国の良いたよりを宣べ伝えるように油そそがれました。(イザヤ 61:1,2。ルカ 4:16-21。使徒 8:4,12)ですからイエスは,別れ際にご自分の初期の弟子たちに対し,「すべての国の人びとを弟子とし,……バプテスマを施し(なさい)」という訓戒をお与えになりました。(マタイ 28:19,20)また,天に昇られる直前には,ご自分の11人の忠実な使徒たちに,あなたがたは「地の最も遠い所にまで,わたしの証人となる」と告げられました。―使徒 1:8。
13 神があらゆる国々に「良いたより」を宣べ伝えさせた主要な目的の一つは,「その中からご自分のみ名のための民を取り出(す)」ことです。(使徒 15:14)神のみ名はエホバですから,これらの人々はエホバのための証人として知られています。(イザヤ 43:10-12)柔和な人々に「良いたより」を伝え,弟子とエホバ神のための証人を作るのは,これらイエス・キリストの油そそがれた追随者たちだけではありません。むしろ,古代イスラエルでエホバの律法がイスラエルのただ中にいた外人居留者にも適用されたように,霊的イスラエルに与えられている命令は,その仲間である「ほかの羊」の「大群衆」にもあてはまります。―ヨハネ 10:16。啓示 7:9。
14 イエス・キリストに従うこれら油そそがれた追随者たちに課されている,別の責務とは何ですか。
14 イエス・キリストの足跡に従う油そそがれた追随者たちに課されている別の責務は,神の霊の実を結ぶことです。その実とは「愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,柔和,自制」です。(ガラテア 5:22,23)イエスの真の追随者は互いに示し合う愛によって見分けられると,イエスは言われました。(ヨハネ 13:34,35)そのわけで使徒パウロは彼らにこのように助言しています。『あなたがたの以前の生き方にかない,またその欺きの欲望にしたがって腐敗してゆく古い人格を捨て去りなさい。そして,あなたがたの思いを活動させる力において新たにされ,神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着けるべきです』。クリスチャンにとってこの責務がどれほど重要かを示しているのは,使徒パウロがさらに述べている次の言葉です。「自分の体を打ちたたき,奴隷として連れて行くのです。それは,他の人たちに宣べ伝えておきながら,自分自身が非とされるようなことにならないためです」。(エフェソス 4:22-24。コリント第一 9:27)油そそがれた人々は,死に至るまで忠実を示すことによってのみ,「命の冠」をいただく希望を抱くことができるのです。―啓示 2:10。
神の当初の目的は変更されていない
15 (イ)クリスチャンであると公言する人の多くは,神の目的に関してどんな誤りを犯していますか。(ロ)こうした誤りが見られるのは,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で顕著に打ち出されているどんな希望のためですか。
15 クリスチャンであると公言する人々の多くは,地球と人間に関するエホバの当初の目的を無視するという誤りを犯しています。エホバのみ言葉聖書は,それが何であったか,また何であるかを明らかにしており,エホバはご自分が変わらないことを保証しておられます。(創世 1:28。イザヤ 45:18。マラキ 3:6)しかしクリスチャン・ギリシャ語聖書では,人類が罪に陥った後に宣言されたエホバの目的のさらに深い部分が顕著に打ち出されています。それは,イエスの犠牲に基づいて限られた数の人々を選び,天の王国でみ子の共同支配者にならせるということです。(創世 3:15。テモテ第二 4:7,8,18)確かにこれらの人々は皆,イエス・キリストの場合と同じように,まず『再び生まれる』必要があります。(ヨハネ 3:3)しかしながら,キリストの犠牲に基づいた神の救いの備えは,天的な希望を持つ人たちだけのものではありません。これは,クリスチャン・ギリシャ語聖書からも明らかになります。
一つの救い ― 二つの希望
16,17 キリストの犠牲の益が,天的な希望を持つ人々だけに限られていないことをどんな聖句が示していますか。
16 イエスはご自分の追随者たちに,「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」と祈ることを教えられました。(マタイ 6:9,10)神のご意志が天におけると同じように地においてもなされるためには,当然義にかなった人々が地上に住んでいなければなりません。その人々についてはこのように予告されています。「神みずから彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。これが天のことであるはずはありません。天には叫びも悲しみも痛みも死も全くなかったからです。―啓示 21:3,4。
17 神の恵み深い備えから益を受ける二つのグループがあることを示しているのは,ローマ 8章19-21節にある使徒パウロの次の言葉です。「創造物[一つのグループ]はせつなる期待をいだいて神の子たち[もう一つのグループ]の表わし示されることを待っているのです。創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させたかたによるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。すなわち,創造物みずからも腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子どもの栄光ある自由を持つようになることです」。したがって最終的には,キリストの犠牲に信仰を働かせるゆえに益を受ける人々全員が神の子としての命を享受するのです。それは,「地から買い取られ」て天に行く14万4,000人の人々と,地上のパラダイスで永遠の命を享受する幾十億もの人々です。―啓示 7:4,9; 14:3。マタイ 25:31-34。
18,19 (イ)地球と人間に対する神の目的の成就が近いことを何が示していますか。(ロ)どんな人々が,神の王国と「アブラハムの胤」を構成しますか。(ハ)考慮すべきどんな質問が残っていますか。
18 前述の事柄から,地球と人類に対する神の当初の目的はこれから実現するものであることが明らかになります。そして,マタイ 24章,マルコ 13章,ルカ 21章,テモテ第二 3章1-5節,啓示 6章1-8節などに見られる聖書の預言が成就していることは,その時が近いことを示唆しています。サタンの反逆ならびにアダムとエバの不従順ゆえに,エホバはある特権的なグループのために天的な報いを備えられました。エホバはそのグループを用いてご自分の当初の目的を実現されるのです。『再び生まれる』のはこれらの人々だけです。彼らは自分たちの主また主人であるイエス・キリストと共に,王国を構成します。その王国のために祈るようイエスは追随者たちに教えられたのです。これらの人々は「地のすべての国の民」を祝福するための「アブラハムの胤」を構成します。―創世 22:18,新。ガラテア 3:29。
19 以上わたしたちは,神のみ子およびその王国を共にする人々が『再び生まれる』べき理由,その人数,および現在の彼らの責務について考えてきました。しかし次のような疑問が残ります。『再び生まれる』ことに関し,神は何を行なわれ,人間は何をなすべきでしょうか。自分が『再び生まれる』ようエホバ神から選ばれたことをどのように知ることができますか。
-
-
『再び生まれる』― 人間の側がなすべきことと神が行なわれることものみの塔 1982 | 2月1日
-
-
『再び生まれる』― 人間の側がなすべきことと神が行なわれること
1,2 (イ)救われた人々の結末について,(ロ)特定の人々を「再び生まれ」させるエホバの目的について,わたしたちは何を学びましたか。
前の記事では,クリスチャンであると公言する非常に多くの人々が「再び生まれ」ていると主張していることに注目しました。さらに,キリストの贖いの犠牲に対する信仰に基づく救いはただ一つでも,救われたグループは二つの異なる結末,つまり天的な結末と地的な結末を迎えるということも聖書から理解しました。
2 それに加え,イエス・キリストがヨルダン川でバプテスマを受けた後に再び生まれたことも知りました。その時,エホバ神は聖霊がはとの形でイエスの上に下るようにされました。神がイエスを,ご自分の霊によって生み出された子として認められたのはその時でした。エホバがどんな目的でイエスを再び生まれさせたかも理解できました。それは,イエスが死なれ,復活されてから神の王国の栄光ある力強い王となるためでした。また,イエス・キリストが共に支配する仲間を持つこと,そしてそれらの仲間も「再び生まれ」なければならないことがエホバのご意志であるとも学びました。―マタイ 3:13-17。ヨハネ 1:12; 3:3。ヘブライ 10:5-10。啓示 20:6。
3 『再び生まれる』ことに関して,イエスと王国を共にする仲間は,イエスとどのように異なっていますか。
3 イエス・キリストの足跡に従うこれら油そそがれた追随者たちはどうでしょうか。彼らはいつ「再び生まれ」ますか。エホバが彼らのために行動し,彼らを霊的な子として生み出される前に,どんな段階を踏むことが必要でしょうか。イエスの父は神でしたから,イエスは完全な人間として誕生されました。30年後にみ父は,イエスが「再び生まれ」るようにされ,イエスを霊的な子として生み出されました。しかしアダムの子孫すべては生来の罪人であり,『思いが邪悪な業に向けられているために疎外され,また実際に神の敵となっています』。そういう事情で,彼らはエホバと関係を持ったり,エホバから霊的な子として生み出していただいたりするような状態にはありません。―詩 51:5。コロサイ 1:21。
人間の側がすべきこと: 六つの基本的な段階
4,5 (イ)神から,霊的な子としての見込みを持つ弟子とみなしていただく前に,これらの人々は幾つの段階を経なければなりませんか。ほかのだれに対しても,同じことが求められますか。(ロ)最初の段階は何ですか。
4 エホバから霊的な子として数えられるようになる前に,弟子となる見込みを持つ人々の側にはどんな段階を踏むことが求められますか。それらの人々が経なければならないはっきりした段階は六つあります。しかし,究極的な報いが天的なものであろうと地的なものであろうと,真のクリスチャンとなり,報いを得たいと思うすべての人に対し神は同一の事柄を要求しておられるということに注目しましょう。
5 まず最初に,そのような人々は創造者また命の授与者であられるエホバ神,およびそのみ子,救い主であり贖い主であられるイエス・キリストについての正確な知識を取り入れなければなりません。(詩 36:9; 100:3。マタイ 20:28。ローマ 10:13-15)イエスは,人間として地上におられた最後の晩に神に祈り,その祈りの中でこの段階の重要性を強調してこう言われました。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」― ヨハネ 17:3。
6 これらの人々が踏むべき第2の段階とは何ですか。
6 しかし,知識だけでは不十分です。信仰を働かせなければなりません。その点については次のように述べられています。「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持つようにされ(まし)た」。確かに使徒パウロが大変明確に示しているように,「信仰がなければ神を十分に喜ばせることはできません」。この信仰は,神の約束を現実のもの,果たされたも同然のものとみなします。それは単に信ずること以上のものです。弟子ヤコブは,悪霊たちでさえ信じておののいていること,また『業のない信仰は死んだもの』であることをわたしたちに思い起こさせています。―ヨハネ 3:16。ヘブライ 11:1,6。ヤコブ 2:19,26。
7 信仰を抱いていることの証拠として,何よりもまず最初に求められる業は何ですか。
7 人が信仰を持っている証拠として,何よりもまず最初に求められる業は,悔い改めです。自分の誤った歩み方を悔い改め,進んで罪に携わるようなことをやめなければなりません。イエスは宣べ伝える業を開始された時,こう言われました。「あなたがたは悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」。(マタイ 4:17)自分の誤った歩み方を悔い改めるには,それをやめなければなりません。そのことに対し深い後悔と悲しみと自責の念を感じなければなりません。実際このようにすることは,地上のパラダイスで命を得ようとする人々すべてに対する強い命令です。「[神は]邪悪な者をみな滅ぼし尽くされ(る)」からです。―詩 145:20,新。
8 自分の罪を悔い改めた人々は,その後どんな段階を経なければなりませんか。
8 それでも,罪深い行ないをやめるだけでは十分とは言えません。転向という段階を経なければならないのです。つまり,身を転じ,正反対の方向へと進んでいかなければなりません。ペテロが当時のユダヤ人たちに語った,「ですから,あなたがたの罪を消していただくために,悔い改めて身を転じなさい」という助言に留意しなければなりません。そうです,『悔い改めにふさわしい業をしてください』。(使徒 3:19; 26:20)地上で永遠の命を享受することを望む人々すべてにもこの段階を経るよう求められることは,箴言 2章20,21節にある言葉から明らかです。
9 (イ)これらの人々に,事実イエス・キリストの追随者になろうとする人々すべてに求められる,さらに他の二つの段階とは何ですか。(ロ)イエスのバプテスマは何を象徴するものでしたか。
9 それで,希望のいかんにかかわらず,イエス・キリストの追随者になることを願うすべての人に対して求められる次の段階は,イエスがみ父のご意志を行なうべくヨルダン川でご自身を差し出されたと同じように,自分自身を神に差し出すということです。今日,これにはエホバ神に献身すること,そしてその後み子イエスの足跡に従うことが含まれます。a (ルカ 9:23)さらに6番目の段階として,イエスと同じようにバプテスマを受けることにより,この献身を象徴し,それを公に表わさなければなりません。―マタイ 28:19。使徒 2:41と比較してください。
エホバ神が行なわれる非常に重要な事柄
10 『再び生まれる』ために人間の側の行動以上のものが求められることは,どんな例えから分かりますか。
10 エホバ神とイエス・キリストに関する知識を得,信仰を働かせ,悔い改め,転向し,献身してバプテスマを受けるという段階を踏めば,自動的に人は『再び生まれる』ことになるのでしょうか。決してそうではありません。もともと自分自身の努力でこの世に生まれ出ることができなかったのと同じように,自分の努力で霊的に『再び生まれる』ことはできません。肉体の誕生の折に人間の両親の側に積極的な役割が求められるように,この霊的な誕生,つまり『再び生まれる』ということにも,天の親,すなわちエホバ神とその天的な組織である「女」の側に積極的な役割が求められます。(イザヤ 54:1,5,新)前述の段階を踏む人々が行なえるのは,せいぜい,もしそれが神のご意志であれば,『再び生まれる』ように自分自身を調整することだけです。
11 神のご意志であれば,自分たちのなすべきことをした人々に対し,神はどんな行動をお取りになりますか。
11 人類が不完全さを受け継いでいるために,神ご自身は今,天の王国に召すことをよしとされるこれらの人々のために活動しておられます。ですから,「わたしたちは信仰の結果義と宣せられた」と記されているのです。何に対する信仰でしょうか。キリストの犠牲に対する信仰です。「わたしたちは彼の血によって今や義と宣せられた」と述べられているからです。(ローマ 5:1,9)このように人を公に義と宣するのはその人自身ではなく,神であるという点に注目しましょう。この点からすると,そのような人の立場は,「創造物」,つまり人類一般の立場とは異なることになります。「創造物」は「[霊的な]神の子たちの表わし示される」のを待って,それから「腐朽への奴隷状態から自由にされ,[地的な]神の子どもの栄光ある自由を持つ」ことができます。(ローマ 8:19-22)このように神が義と宣せられる人々は,自分たちに与えられた完全な人間の命に対する権利を持つのです。このゆえにエホバ神はそのとき,聖霊によって彼らに直接に働きかけることがおできになります。―ローマ 8:33。
12 イエスおよび初期の弟子たちの場合,『再び生まれる』ことにはどんな現象が伴いましたか。そうした現象が終わったのはなぜですか。
12 神は,ご自身が義と宣した者たちを,今度はご自分の霊的な子供として生み出されます。どのようにしてでしょうか。ご自分の聖霊,つまり活動力によってです。エホバはその聖霊を彼らのために活動させ,その結果彼らは「再び生まれ」るのです。イエスの場合も,ペンテコステの日に集まっていたその弟子たちの場合も,神は超自然的な現象によって,彼らが霊的な子として生み出されたことを示されました。真のキリスト教の資格証明書といえるものがいったん明示されてからは,こうした表示はもはや必要なくなり,「廃され」ました。―マタイ 3:16。使徒 2:3; 10:44-48。コリント第一 13:8-10。
13 「水」そして「霊」とは何のことですか。(ヨハネ 3:5)
13 イエスがユダヤ人の支配者ニコデモに話をした時に言及されたのは,霊的な再生に関するこの取決めでした。イエスはこう言われたのです。「きわめて真実にあなたに言いますが,水と霊から生まれなければ,だれも神の王国に入ることはできないのです。肉から生まれたものは肉であり,霊から生まれたものは霊です。わたしがあなたに,あなたがたは再び生まれなければならないと言ったからといって,驚いてはなりません」。(ヨハネ 3:1,5-7)ここで述べられている水とは,間違いなく文字通りのバプテスマの水のことです。では霊とは何ですか。それは各個人の上に働いている聖霊のことです。
14 「召すこと」と「選ぶこと」にはどんな事柄が含まれますか。そしてどんな目的のためにこれらのクリスチャンは油そそがれ,任命されるのですか。
14 聖書は,『再び生まれる』人々のことをまず先に「召され」た人々として述べています。彼らへのこの召しは,イエス・キリストと共になるようにとの神ご自身からの招待です。この招待に応じて行動する人々は『選ばれた者たち』です。(啓示 17:14)彼らはエホバ神の「卓越性を広く宣明する」ことを使命とする「選ばれた」会衆の一部となります。(ペテロ第一 2:9)これら『再び生まれた』クリスチャンたちは,イエスの場合と同じように,宣べ伝えるため神の聖霊によって油そそがれます。それでこう書かれています。「あなたがたとわたしたちがキリストに属することを保証してくださるかた,そしてわたしたちに油そそいでくださったかたは神です」。―イザヤ 61:1,2。ルカ 4:16-21。コリント第二 1:21。
15 霊は,人が『再び生まれた』ことをどのように証ししますか。そしてその確信は何によって強められますか。
15 これらの「選ばれた」者たちに関して,使徒パウロは,「霊そのものが……わたしたちが神の子どもであることを証ししています」と証言しています。(ローマ 8:16)神の聖霊はどのようにこのことを行なうのでしょうか。これらのクリスチャンの心に天的な希望を植え込むことによってです。「神はその大いなるあわれみにより,イエス・キリストの死人の中からの復活を通して,生ける希望への新しい誕生をわたしたちに与えてくださったのです。すなわち,朽ちず,汚れなく,あせることのない相続財産への誕生です。それはあなたがたのために天に取って置かれているもので(す)」。(ペテロ第一 1:3,4)これらの人々が自分たちの天的な父と良い関係を保つ時,神はその摂理により,彼らが本当に『再び生まれた』クリスチャンであるという確信を強めてくださいます。
どのように確信できるか
16 いつから,「忠実で思慮深い奴隷」は地的希望に強調を置いてきましたか。そしてこのことからどんな結論が導き出されますか。
16 現代において王国の良いたよりを宣べ伝えることにあずかっている人々は,エホバ神がご自分の献身した僕たちを,霊によって生み出された見える組織,すなわち「忠実で思慮深い奴隷」によって導いておられることを確信しています。(マタイ 24:45-47)1935年ころまでは,その指導の下に天的な希望が差し伸べられ,際立ったものにされ,強調されました。それから『光がきらめき』,啓示 7章9節の「大群衆」の実体が明らかに示されて,地的希望に強調が置かれるようになりました。(詩 97:11,新)したがってその時までに14万4,000という数がほぼ満たされたと結論するのは妥当なことです。言うまでもなく,だれかが不忠実になればその代わりを補充することは必要です。しかし容易に理解できることですが,そのような人々は比較的少数でしょう。ではどんな人々で補充されるのでしょうか。その点についても,この天的な希望は試されていない献身したばかりの人ではなく,忠実を保って忍耐し,多年にわたって自らの献身を貫いてきた人々に差し伸べられると結論するのは妥当なことでしょう。(ルカ 22:28-30と比較してください。)ところが,手もとにある報告によると,献身したばかりの新しいクリスチャンの中に,自分を「再び生まれ」た者とみなしている人々がいるようです。
17 どんな気持ちのために,一部の人は神が自分の中に天的な希望を植え込まれたと誤って考えていますか。
17 比較的最近献身してバプテスマを受け,自分が「再び生まれ」た者であると考えている人は皆,次のような質問を真剣に考慮してみるとよいでしょう。エホバ神がこの希望をあなたの中に植え込まれたと言えるどんな理由があるでしょうか。あなたのその感情は,善人は皆天に行く運命にあるという大いなるバビロンにいたころ抱いていた誤った信念の名残であるという可能性はないでしょうか。それとも,心が激しく動揺し,最初はその考えと闘っていたものの,次第に抗し難くなってしまったのでそう感じているのでしょうか。しかし,無意識かもしれませんが,抗し難くなったのはあなたがそうしたかったからではありませんか。このような葛藤自体は,あなたが「再び生まれ」たことの証拠ではありません。
18 霊的な深い事柄を認識していること自体が,その人が「再び生まれ」た証拠とはならないのはなぜですか。
18 それとも,あなたが14万4,000人の油そそがれた者の一人として神から選ばれたと感じているのは,自分が霊的な事柄に鋭い認識を持ち,霊的な深い真理に愛着を抱いているからですか。では,「再び生まれ」ているとは公言しない非常に多くの人々が本当の意味で「霊的な人」であるという事実に注目してください。(コリント第一 2:14,15)それに,ヘブライ 11章に列記されている信仰の男女に霊的な強さが伴っていたことについて疑問の余地はありません。これらの人々のうち「再び生まれ」た人は一人もいませんでした。彼らは皆,正にこの地上における「[神の王国の下での命への]勝った復活」を待ち望んでいました。―ヘブライ 11:35。
19 (イ)非常に熱心であることは,必ずしも神がその人に天的な希望を与えられたことの証拠ではありません。なぜですか。(ロ)どんな事柄は,一部の人々が慎みの欠如ゆえに天的な希望を公言することを示しているように思われますか。
19 あるいは,自分が仲間の幾人かのクリスチャンよりも熱心なのでそう感じているのでしょうか。しかしそのこと自体,決定要素となることはありません。使徒パウロは,油そそがれたクリスチャンたちに対し,自分たちの霊的な責務を真剣に考慮することを勧める助言を再三与える必要があったからです。(コリント第一 11:20-22。ガラテア 4:9-11)あるいは,油そそがれた者であるという主張が慎みの欠如に起因しているということはないでしょうか。ごく最近になって油そそがれた者であると公言する人の中には,会衆の一致を育むより,独自の聖書研究のグループを設けるべきだと考えている人がいます。それとは逆に,円熟した『再び生まれた』クリスチャンたちは,地元の会衆が主に「ほかの羊」で構成されているとしても,その会衆と親密な関係を保っています。(ヨハネ 10:16)しかし,人が『再び生まれる』ということは,神とクリスチャン各人との間の個人的な事柄です。だれもこの問題に関して他の人を裁いてはなりません ― ローマ 14:10。
20 前述の言葉に照らして,わたしたちは『再び生まれる』ことに関し,どんな結論に到達しますか。
20 これまでの論議を総合するとどんな結論に達しますか。エホバは公正で義にかなっておられ,知恵と愛に富んでおられるということです。神はご自分の知的創造物にそれぞれ独自の役割を,つまりある者には天でその目的に仕えることを,他の者には地上で同じようにすることを割り当てる権利をお持ちです。天的な賞は,あたかも個人が選んで,努力して得られるようなものではなく,また自分で勝手に望むべきものでもありません。それは極めて特別なものであって,被造物である人間が差し出がましく振る舞うことは許されません。それはエホバ神が賢明で公正な,そして愛のあるご自分の目的を促進するために,ご自分の創造物の中の少数の人々にお与えになるすばらしい過分のご親切であり,創造物自身の側の特筆すべきなんらかの功績によっているのではありません。『再び生まれる』のはこのような人々に限られています。(ローマ 3:23,24; 11:33-36)地上のパラダイスにおける永遠の命もまた,義に傾く心を持つ人々が目指して進むことのできる,言葉では言い表わせないほどの特権的な目標です。(啓示 21:1,3,4)過分のご親切でないものは一つもありません。だれであれ,エホバに向かって,「あなたは何をしてきたのか」というような,おこがましいことを言うべきではないのです。―ダニエル 4:35,新。
-