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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
塔80 5/15 14–19ページ

祭りの燈火

1 仮小屋の祭りの間,エルサレムはどのように特別の燈火で照らされましたか。この燈火の下でユダヤ人はどんなことをしましたか。

仮小屋の祭りは,「偉大な王[エホバ]の都市」に特別の燈火がともされるときでした。(マタイ 5:35)夜になると,ヘロデの神殿内の,祭壇の東側に位置する婦人の中庭で,普段とは違う光景が繰り広げられました。そこには四基の巨大な枝付き燭台が置かれました。各燭台には四個の大きな鉢がついていました。それらの鉢に燈油を満たすには,はしごをかけなければ届きません。油の鉢の中には燈心として,祭司の着古した服が入れてありました。油を燃やす16の鉢は,夜のエルサレム全市を照らすほどの強い光を放ちました。婦人の中庭にいたイスラエル人の男たちは,この大きな燈火の下で踊ったり,曲芸をしたりし,その間婦人たちはバルコニーから,下のその光景を眺めました。歌い手たちはレビ人の伴奏に合わせて15の「登高の歌」を詠唱しました。こうして歓び楽しむことは夜明けまで続きました。

2 祭りに来た異邦人はそのときどこにいましたか。

2 その祭りに来ていた無割礼の異邦人たちのいる場所は,異邦人の中庭に限られていました。そこは石べいと外の中庭とによってイスラエルの中庭と分けられていました。―使徒 21:28,29に注目。神殿で異邦人が制限を加えられていたことを示す例。

3,4 (イ)西暦32年の秋にイエスはどのように祭りに出られましたか。そしてそこで,ユダヤ人にシロアムの水を思い出させるような,どんなことを言われましたか。(ロ)ヨハネ 7章39節によると,イエスはそのとき何に言及しておられましたか。

3 仮小屋の祭りの祝いの顕著な特色を考えると,イエス・キリストがその祭りのときに言われた適切な言葉を理解することができます。イエスがこの祭りを最後に祝われたのは西暦32年の秋でした。エルサレムにいたユダヤ人はイエスを殺そうとしていたので,イエスは一人でガリラヤをたち,人目につかないようにして祭りに上って行かれました。そして祭りも半ばとなったころ,ですからチスリの18日ごろでしょうか,イエスは公然と進み出て人々,すなわち神殿内で祭りを祝っていた大群衆を教え始められました。

4 祭りの最終日であるチスリの21日は「祭りの大いなる日」と呼ばれていました。その日にイエスは,シロアムの水がそそがれたことを人々に思い出させようとされたのでしょうか,こう言われました。「だれでも渇いた人がいるなら,わたしのところに来て飲みなさい。わたしに信仰を持つ者は,まさに聖書が言ったとおり,『その内奥のところから生きた水の流れがながれ出る』のです」。使徒ヨハネは,イエスがそこで言われたことについて,次のように注解しています。「しかしこれは,彼に信仰を持つ者が受けようとしていた霊について言われたのである。まだ霊がなかったからであり,それは,イエスがまだ栄光を受けていなかったからである」― ヨハネ 7:37-39。

5 その驚くべき言葉はいつ,どのように実現しはじめましたか。

5 この驚くべき言葉は,翌年のペンテコステの日に実現しはじめました。その日に,エルサレムのある二階の部屋に集まっていた約120人の弟子が聖霊をそそがれたのです。生きた水は確かに彼らから流れ出しました。彼らは奇跡的に話せるようになった多くの言語で,その光景を見に集まって来てあっけにとられている幾千ものユダヤ人に,「神の壮大な事がら」を話しました。―使徒 2:1-41。

6 祭りの最終日に,イエスは,神殿に置かれた特別の燈火を弟子たちに思い出させたかもしれない,どんなことを話されましたか。

6 仮小屋の祭りの最終日である第七日に,イエスはさらに別の事柄を話されました。その話は,祭りを特色づけた特別の燈火,つまり婦人の中庭に置かれた四基の高い枝付き燭台を弟子たちに思い起こさせたことでしょう。イエスはこう言われました。「わたしは世の光です。わたしに従う者は決してやみの中を歩むことがなく,命の光を持つようになります」― ヨハネ 8:12。

7 イエスがご自身を「世の光」と呼ばれたことは,なぜ仮小屋の祭りに極めてふさわしいことでしたか。

7 イエスがご自身を「世の光」と呼ばれたことは,この仮小屋の祭りに極めてふさわしいことでした。その祭りは世界的な祭典の性格を帯びていたからです。なぜそう言えますか。なぜなら,神の律法では,イスラエル人の門の内にいる「寄留外人」は祭りに参加し,神の選ばれた民と共に歓ぶ権利を持つ者とはっきり定められていたからです。―申命 16:14。

8 (イ)仮小屋の祭りのときにささげられた雄牛はどんな点で特異なものでしたか。(ロ)数について言えば,それは創世記 10章に記述されていることとどのように一致しますか。そして何を示していますか。

8 民数紀略 29章12-34節によると,異例の数の雄牛が犠牲としてささげられました。第一日には13頭がささげられ,続く六日間はその牛の数が一日に一頭ずつ少なくされました。ですから最終日の第七日には七頭がささげられました。その最終日にイエスは,「わたしは世の光です」と言われたのです。そういうわけで,祭りの最終日までには70頭の雄牛がささげられていました。70という数字は7の10倍で,どちらの数字も完全さを表わします。7は霊的完全さ,10は世俗的完全さを表わします。チスリの10日,すなわち贖罪の日には,贖いの犠牲として雄牛が一頭ささげられたに過ぎませんでした。しかしチスリ15日から21日までの7日間の仮小屋の祭りには,70頭の雄牛がささげられました。予型としては,これらの雄牛は人類の世全体の清めと救いに十分の血を供しました。このことは創世記 10章に説明されていることと一致します。そこには,ノアを筆頭にその三人の息子の子孫からメシヤ,セパルという名に至るまでの,氏族の頭と諸国民の固有名が挙げられています。これらの名前は総計70になり,大洪水前の世界の住民全部を包含しているようです。

9 イエスはご自身をだれの「光」であると言われましたか。命を得るために全人類が必要としているのは何ですか。

9 ですから,そのふさわしい時にイエス・キリストが,「わたしは世の光です」と発表して,イエスの足跡に従う油そそがれた追随者たちだけの光ではないことを示されたのは極めて適切でした。光が与える益については,わたしたちは次のことを思い出します。つまり,神は,「光があるように」と言われたあとに,そして太陽,月,星を創造してそれらがわたしたちの地球まで光をそそげるようにされたあとに,動物を創造され,最後に完全な男女を創造して彼らが命の光を楽しむようにされたということです。罪により,また神から離れていることによって暗やみとなっているこの世で,今日,すべての人は,「世の光」であるイエス・キリストから出る光の益を受けることができます。すべての人が「命の光」を必要としています。―ヨハネ 8:12。創世 1:3,新。

対型的仮小屋の祭り

10 仮小屋の祭りはどんな点で,先行する二つの祭りに似ていますか。ここでどんな要素を考慮する必要がありますか。

10 神がご自身のお選びになった民のために制定された,先行する二つの祭りと同様に,仮小屋の祭りにも,わたしたちの時代に当てはまる対型的意味があるはずです。幸いなことに,この祭りにも確かに対型的成就があります。ではそれはいつから始まったのでしょうか。どのようにしてそれを確かめますか。予型的,対型的,歴史的要素を調べるのです。

11 マタイ 13章39節に述べられている「収穫」が1914年に始まったかどうかについて,史実は何を示していますか。

11 イエス・キリストはマタイ 13章の中で,実った作物を取り入れることについてのたとえ話をしておられます。それは小麦と雑草つまり毒麦のたとえ話です。イエスはたとえ話の要点について,『収穫は事物の体制の終結である』と説明されました。(マタイ 13:39)歴史的事件ばかりでなく,聖書預言と聖書時間表も,今日の事物の体制の終結が西暦1914年に始まったことを立証します。神のメシア王国の干渉を受けずに異邦人が地を支配する「七つの時」は,同年秋に終わりました。(ダニエル 4:23-25)「小麦」級の真のクリスチャンの「収穫」もしくは取り入れはその年に始まったでしょうか。始まりませんでした。歴史が示す通り,エホバを崇拝する献身したクリスチャンたちは,1914年に始まった第一次世界大戦の間散らされていたからです。彼らの世界的な組織は,エホバのメシア王国,すなわち統治する王イエス・キリストの弟子たちである,霊によって生み出され油そそがれた人々が熱心にふれ告げていた天の王国の敵によって破壊されていました。1918年には,その組織の破壊はついに,ニューヨークのブルックリンにあった,エホバの献身した民の本部にまで及びました。

12 マタイ 24章31節の中でイエスが予告しておられる取り入れはいつ始まりましたか。これはどの祭りの始まりを示しましたか。

12 イエスの臨在と今の事物の体制の終結の「しるし」に関するマタイ 24章31節の預言の中で,イエスは次のように述べておられます。「そして彼は,大きなラッパの音とともに自分の使いたちを遣わし,彼らは,四方の風から,天の一つの果てから他の果てにまで,その選ばれた者たちを集めるでしょう」。この言葉は,キリストに属する「選ばれた者たち」を,彼らが散らされていた,あるいは孤立していたあらゆる場所から集めることを予告するものでした。その集める仕事は,戦争終結後の1919年,すなわち中心であるブルックリンの本部役員たちが,アメリカのジョージア州,アトランタの連邦刑務所に九か月投獄されていて,1919年3月25日に釈放された後すぐに始まりました。したがって,対型的取り入れの祭り,すなわち仮小屋の祭りは,その記憶すべき年に始まりました。このことは,キリストに属する世界中の「選ばれた者たち」の大いに喜びとするところとなりました。

13 (イ)マタイ 13章39節で収穫について話されたとき,イエスはどんな人々を取り入れることについて話しておられましたか。(ロ)1919年以後に収穫されたのはそのうちのどんな人々ですか。

13 この点を確証するには,重要な事柄を幾つか思い出さなければなりません。イエスは,『収穫は事物の体制の終結である』と言われたとき,何について話しておられたのでしょうか。「王国の子ら」,つまり天の王国を継ぐ,霊によって生み出された相続者たちについて話しておられたのです。それは,小麦が象徴していた,油そそがれた霊的クラスの人々で,彼らを取り入れる仕事は確かに1919年の春に始まりました。時がたつうちに,第一次世界大戦に関連した事件によって散らされていた王国相続者たちのほかにも,多くの人が集められました。1919年以降の期間に,幾千もの他の人々が樹立された神の王国を支持するようになってエホバに献身し,バプテスマを受け,霊的に生み出され,神の霊で油そそがれました。そして最初の残りの者たちに加えられました。その新しく加えられた人々は,一つのクラスとして,キリスト教時代以前の聖書のドラマに登場した顕著な人物によって予表されていました。その傑出した人物とは,しゅうとめであるユダヤ人ナオミの忠実な友となったモアブ人の女ルツと,皇帝アハシュエロスすなわちクセルクセスの支配するペルシャ帝国の総理大臣となったユダヤ人モルデカイのいとこ,王妃エステルです。

14 したがって,対型的取り入れの祭りすなわち仮小屋の祭りの始まりを示すものは何ですか。

14 ルツとエステルはふたりとも,ダビデの王統,および「ダビデの子」イエスの初臨までその王統を存続させることに関係を持つようになりました。(マタイ 1:1,5。ルツ 4:18-22。エステル 4:13,14)最初の油そそがれた残りの者を集め,それと共にルツとエステルのクラスの人々を集める業は,対型的取り入れの祭り,すなわち仮小屋の祭りの開始を示すものでした。

15 秋の祭りはだれの祭りでしたか。祭りの間仮小屋で寝起きするように命じられていたのはだれでしたか。

15 さらに言えば,キリスト教時代以前に,予型的仮小屋の祭りを祝ったのは生来のイスラエル人でした。それを守るよう,モーセを通してエホバから命令されていたのは彼らでした。それで秋の取り入れの時にはエルサレムに集まり,仮小屋で寝起きしました。いつもエルサレムに住んでいた人々でさえ,そのようにしました。この仮小屋の祭りは以前のある事柄を思い起こすためのものでした。それは何でしたか。レビ記 23章42,43節は次のように答えます。「仮小屋に,あなたがたは七日間住むべきである。イスラエルの地に生まれた者は皆仮小屋に住むべきである。これは,わたしがイスラエルの子らをエジプトの地から連れ出したとき,わたしが彼らを仮小屋に住まわせたことを,あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神エホバである」。生来のユダヤ人たちはこの命令を行ないました。

16 (イ)約束の地への途上,「入り混じった大集団」は,イスラエル人とどのように生活を共にしましたか。(ロ)イエスの時代のヘロデの神殿では,異邦人とイスラエル人の区別はどのように保たれていましたか。

16 もちろん,イスラエル人と運命を共にして「共に上って行った」非イスラエル人の「入り混じった大集団」も,約束の地へ行くまでの間天幕に住まなければなりませんでした。(出エジプト 12:38)しかし,仮小屋の祭りを祝うようにとの命令は,「入り混じった大集団」ではなく,イスラエルに与えられました。また約束の地も「入り混じった大集団」には耕地として与えられず,レビ人を除くイスラエルの12部族の間で分割され,ヨベルの年の回復に関する律法もイスラエル人に適用されました。ですから取り入れの祭りも,特にイスラエル人のためのものでした。しかし「寄留外人」にも親切が示され,祭りに参加することが許されていました。イエス・キリストの時代の祭りのときには,非ユダヤ人すなわち異邦人のはいれる所は異邦人の中庭に限られ,石べいと外の中庭が異邦人とイスラエルの中庭とを隔てていました。異邦人の場所は,ヘロデの神殿の構造全体から見て最も低い所にありました。

枝を手にして祝う人々

17,18 「ルーラーブ」を持ったのはだれでしたか。それはどの聖句から考えついたものと言われていますか。

17 祝いそのものにおいて,「ルーラーブ」と呼ばれるものとエスローグ(シトロンの実)を手にしていたのはイスラエル人でした。イエスの時代のそれがどんなものであったかを知るには,ネヘミヤ記 8章14-18節にあるユダヤ人の祭りに関する説明を読むとよいでしょう。ルーラーブは,種々の木の枝を束ねたもので,祭りを祝うユダヤ人はこれを手に持っていました。これは次のレビ記 23章40節からヒントを得たものだと言われています。

18 「そして,あなたがたは自分たちのために,最初の日に,麗しい樹木の実,やしの木の葉,枝の多い木の大枝,激流の谷のポプラを取り,七日間,あなたがたの神エホバの前で喜ばねばならない」。

19 (イ)「ルーラーブ」は何で作られましたか。(ロ)どんな事をするときにイスラエル人はルーラーブを持ちましたか。そしてそのとき何を詠唱しましたか。

19 ルーラーブは次のものでつくられました。(1)やしの木の,葉が閉じた状態の若芽一本。(2)輪生の葉をつけたぎんばいかの小枝三本。(3)柳の木の枝二本。木の部分が赤みを帯びていて枝が長く無傷のもの。ルーラーブを持つユダヤ人はそれを振り,祭りが終わると処分しました。祭司の中庭の祭壇の周りを行列を作って回るときには,そのしゅろの枝とエスローグ(レモンに似たかんきつ類の果実。レモンには一方の端に突起があるがこれにはない)を持って回りました。最初の六日は毎日一度回り,七日目の最後の日には七度回りました。そのあとエスローグつまりシトロンの実を食べました。行列を作って行進するときには,詩篇 118篇25節(新)の「ああ,どうか,エホバ,どうぞ,救ってください! ああ,どうか,エホバ,どうぞ成功させてください」という文句を詠唱しました。異邦人は彼ら自身の中庭におり,こうした事柄には全く参加できませんでした。

20 総督ネヘミヤの時代に,ネヘミヤはエルサレムでイスラエル人に,仮小屋の祭りにどんな精神でいるように告げましたか。

20 ネヘミヤの時代の仮小屋の祭りの時には,ネヘミヤは総督として,バビロン捕囚から帰還したイスラエル人に対し,「この日はわたしたちの主にとって聖なる日だからです。悲しんではなりません。エホバの喜びはあなた方の砦だからです」と語りました。(ネヘミヤ 8:10,新)今日の霊的イスラエル人も,西暦1919年に大いなるバビロンから救い出されたのですから,同様の態度を示さなければなりません。

21 (イ)霊的イスラエル人の残りの者が,1919年の春に歓喜したのはなぜですか。(ロ)そのとき彼らは,前途にある業をどんなものと考えていましたか。しかし,それはどんな業になりましたか。

21 仮小屋の祭りの成就が,あの戦争終結後の年に始まったことは明らかです。霊的「王国の子ら」は,その年以前に抱いていた期待からして,自分たちが戦後の時代を迎えることになったのを幾分不可解に思いました。しかし,1919年の春に大いなるバビロンから救い出された時には大いに歓喜しました。彼らは直ちに,そのとき前途に控えていた取り入れの業に本気で着手する決意をしました。初めのうち彼らはそれを『落ち穂拾い』くらいに考えていました。このことについては,「ものみの塔」誌の1919年5月1日号(英文),138ページに載せられている「収穫は終わった ― 次に来るものは何か」という主題の記事の第一節をご覧ください。しかし,落ち穂拾いどころか,それは大々的な収穫の業となりました。

22 油そそがれた残りの者は,パラダイスの地上に永久に定住することを考えに入れていましたか。この事物の体制のただ中にいる自分たちを彼らはどのようにみなしましたか。

22 収穫の業を行なう,油そそがれた残りの者はいわば「仮小屋」に住んでいました。というのは彼らは,地上の事柄に愛着を持っていなかったからです。彼らは将来永久に地上のパラダイスに住むことを期待してはいませんでした。彼らが楽しみにして待っていたのは,栄光を受けた主,イエス・キリストと共に天の相続財産にあずかることでした。したがって彼らの物事の見方は,次のヘブライ 13章13,14節に述べられている見方と同じでした。「ですから,わたしたちは宿営の外に出て彼のもとに行き,彼が忍ばれた非難を忍ぼうではありませんか」。その事実を考えて,彼らは自分のことを旅人,アブラハムやイサクやヤコブのように,この事物の体制のただ中に住む「外国人また寄留者」とみなします。―ペテロ第一 2:11。創世 47:9。出エジプト 6:4。ヘブライ 11:13。詩 119:54。

23 (イ)残りの者が祝う対型的仮小屋の祭りは,1923年に霊的な光で明るくされましたか。(ロ)マタイ 25章31-46節のたとえ話はどのように適用するものと理解されましたか。

23 現代の対型的仮小屋の祭りを始めた,油そそがれた残りの者に対しては,エホバの天の神殿の霊的な燈火から光がそそがれました。マタイ 25章31-46節に記述されている,羊とやぎに関するイエスのたとえ話に特別の光が当てられて,彼らの理解が啓発されたのは,ルツとエステルによって予表された霊的クラスの取り入れが行なわれていたときでした。1923年にアメリカのカリフォルニア州,ロサンゼルスで開かれた全国大会で,アトランタ(ジョージア州)の刑務所を出てから四年になるものみの塔協会会長は,羊とやぎの例えについて話しました。その成就は,イエス・キリストの千年統治まで待たなくてもよかったのです。羊級は当時すでに形成されつつありました。その成員はすでに登場して,栄光を受けたイエス・キリストの霊的「兄弟」の残りの者に善を行なっていました。公開講演の主題,「現存する万民は決して死することなし」は彼らに適用されました。彼らはイエスがヨハネ 10章16節で言われている「ほかの羊」に属しました。

24 当時,キリストの霊的「兄弟たち」に善を行なう人々を集めることに,特別の努力が払われていましたか。

24 マタイ 25章31-46節のたとえ話が説明された当時は,その「ほかの羊」を集めることに特別の努力は払われていませんでした。しかし,その人々がキリストの霊的「兄弟たち」の残りの者に示す親切に対する感謝は表明されました。そして,対型的仮小屋の祭りの間にさらに与えられる霊的光は,その定めの時を待っていました。

[17ページの図/図版]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

門

柱廊

門

門

王の柱廊

ソロモンの柱廊

門

北の柱廊

異邦人の庭

外庭

石べい

婦人の庭

イスラエルの庭

祭司の庭

神殿

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