ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔54 2/1 45–47ページ
  • 真のクリスチャン達はどのように神に奉仕しますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 真のクリスチャン達はどのように神に奉仕しますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 羊を見つけ出す方法
  • 今日の真の崇拝
  • 神の群れを牧する
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1958
  • 今日の羊の必要物をみたす
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1959
  • 巧みに羊を牧する
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1959
  • なぐさめはどこに見いだせますか
    偉大な教え手から学ぶ
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 2/1 45–47ページ

真のクリスチャン達はどのように神に奉仕しますか

牧師達の考えでは,神に奉仕するということは,宗教的な建物を建てて,その尖塔に十字架をつけることであり,日曜日に鐘を鳴らして,風儀とか,世界の状態に就いて説教をする事です。もつと多くの人々,すなわち一般信徒にとつて,神に奉仕するということは,ただ教会の鐘の合図に答えて,教会の席に坐る事と,寄附の盆の上に『献金』をする事だけを意味します。他の人達は,神に奉仕すると主張して修道院のきびしい壁の後ろに自分の身を隠し,黙想に耽つて居ます。また他の人達は,『清い生活』をすることは,神に奉仕するのに十分であつて,神より認められるものであると信じています。キリスト教について,キリスト教国の示しているのは,何故そんなにも混乱していますか?

神に奉仕するのに,こんなにも『広い道』の仕方があるというのは,聖書を持つているキリスト教国の人々は,聖書を読んでいないという事実から生じているのです。キリスト教国の人々は,キリストを生活の模範としていると主張しています。しかし,その行う行為は全く偽りであることを示します。『彼等は,神を知つていると公やけに知らせる,しかし,行為では,神を否定する。』(テトス 1:16,新世)偽善の崇拝をして陥る罪を避けるため,そして真の崇拝の途をはつきりと照り輝かす為に,神の与えられた手本を研究しなければなりません。その手本に従わなければなりません。『キリストはあなた方のために苦しみを受けられ,あなた方が,彼の足跡にしつかりと従うようにと手本を残された。』(ペテロ前 2:21,新世)キリストの足跡に従うといつても,弛い意味で従うのは十分ではありません。彼の足跡にしつかりと従うことが,神に奉仕する唯一つの正しい方法です。

さて,クリスチャン達の手本に関してですが,主イエスは修道僧になつて,人々から身を隠しましたか? 全然そうではありません! 人々から身を隠そうと努力したのではなく,イエスは人々を探そうと努力しました! どのように? イエスは,或る場所に定住する牧師のようになつて,人々を招待し,道徳心や,戦争や,税金のことを語りましたか? いいえ,そうではありません! キリストは,神に奉仕するのに,席に坐つたり,あるいは消極的な方法を始めませんでした。或る富んだ若い支配者は永遠の生命を受け嗣ぐのに,『清い生活』をすることだけが必要であると希望しましたが,その若い支配者に向つて,イエスは次のように言いました。『しかし,まだ一つの事が,あなたには欠けている。………来て私の追随者となりなさい。』(ルカ 18:22,新世)イエスに従うという事は,イエスのした同じ業に従事することを意味しました。

ピラトの前で,イエスは,彼の生活の最も大切な業に就いて概略的に話しました。『此の目的のために,私は生まれ,そして此の目的のために,私は世に来ました。すなわち,真理について証しをするためである。』(ヨハネ 18:37,新世)『忠実なそして真の証者』として,キリストはあらゆる真理の源であるヱホバ神に就いて証しをいたしました。(ヨハネ 8:40; 17:17,26)クリスチャン達はキリストを手本としなければなりませんので,ヱホバとヱホバの目的について証しをする業は,いい加減な,随意の業ではないということは明白です。証しをすることは,クリスチャンの一番大切な業です。ですから,クリスチャンは是非そうしなくてはなりません。―コリント前 9:16; 4:16。

何故に,真理について証しをすることは,そんなにも重要のものとなりましたか? 生命,すなわち失われた羊の生命は危険となりました。これらの羊は『人である』と,大いなる牧羊者は言いました。(エゼキエル 34:31)『牧羊者の居ない羊』という言葉は,イエスが人々を示す際に常に用いていた言葉でした。その人々とは,ユダヤの僧侶の牧羊の下にありながらヱホバを知りませんでした。此等の羊は食事,すなわち知識を必要としました。それで,イエスは『彼等に多くの事を教え始めました。』(マルコ 6:34,新世)イエス・キリストは『主なる牧羊者』です。(ペテロ前 5:4,新世)キリストの足跡に,しつかりと従う者達も皆牧羊者となります。即ち,『主なる牧羊者』の下に属す牧羊者という意味です。復活の後に,キリストはクリスチャンの大切な業について鋭く定義しました。キリストはペテロに3つの重要な教訓を強調して与えました?(1)『私の若い小羊を養いなさい。』(2)『私の小さな羊を牧いなさい。』(3)『私の小さな羊を養いなさい。』(ヨハネ 21:15-17,新世)小さな羊を養い,牧うためには,クリスチャン達はそれら小さな羊を探さなければなりません。

羊を見つけ出す方法

羊を探すために,イエスは『町から町へ,村から村へと旅行をして,神の御国の良い音信を伝道し,広めて行かれた。そして十二人は彼と共に居た。』(ルカ 8:1,新世)適当な時に,キリストは町の大通りで人々を教えました。(ルカ 13:26)初代のクリスチャン達は,此の方法が価値あるものであるということを知りました。使徒パウロはその事をいたしました。(使行 17:17)ですから,公衆の街頭で良い音信を広めることは,なんら卑しいことではありませんでした。それは,キリストと使徒達の残した手本でした。

多くの群集の人々に対しては,公開説教は非常に素晴らしい方法でした。時々に,イエスとイエスの下の牧羊者達は,会堂で公開説教をしました。しばしば,彼等は野外の田舎や,山や,海岸で説教をいたしました。―マタイ 4:23; 5:1,2; 13:1-3。

しかし,羊を見つけ出す最も効果的な方法は,家から家への業でした。家から家へと伝道する事ですか? そうです,それこそ私達の手本である『主なる牧羊者』の始めた方法です。家から家へ行くことは,卑しい事であるなどとは,主は考えませんでした。全然そう考えませんでした。彼の業は,世界の中で最も重要な業でした。ですから,最も効果的な提供の仕方は必要でした。そうです,ペテロによればイエスは『すべての事』を知つて居ました。そして羊を見つけ出す実際的な方法は,家から家へであるということを確かに知つていました。人々のところに行き,家に居る人々を訪問する事は,全く利己的な方法ではありません。聖書を読んでいる人の中で,イエスの業の真の性質を知つている人は極く少数です。イエスの宣教を説明している4福音書の中に,『家』という言葉は130回以上現われています。そしてそれらの大多数の場合,『家』という言葉は,イエスの伝道と関連があります。『主なる牧羊者』は,家から家への伝道に於いて,その従属の牧羊者達に次のように教えました。『あなた方が家に入る時,家の人とあいさつをしなさい。そして若し家が相応しければ,あなたが願う平和がその家に来るようにしなさい。』― マタイ 10:12,13,新世。

異邦人への使徒であつたパウロは,家から家への業の重要さを知つていました。パウロは,クリスチャン達が『円熟に進む』ことを欲しました,そしてパウロのようにクリスチャン達が家から家へ伝道する時に他の人達をも教えることが出来るのを欲しました。『利益となる事をあなた方に語るのに,私は躊躇しなかつた。また,人中でも,家から家へでも,あなた方を教えるのに躊躇しなかつた。』― 使行 20:20; 5:42。コリント前 4:16。ヘブル 5:12; 6:1,新世。

羊を最初に養うことが行われたのは,個人の家でありました。人々が,良い音信に興味を持つているという事をイエスは知ると,イエスはその人々の家を訪問して,更に多くの個人的教訓を与えました。このような方法でもつて,マリヤ,マルタ,ラザロ,ザアカイ,そして他の人達はイエスの弟子達となつたのです。(ルカ 10:38-42; 19:5-9)初代のクリスチャン達は,家を1回訪問するだけで十分とは考えませんでした。羊を再び訪問しました。即ち,再訪問しました。『パウロはバルナバに言いました。「是非とも戻ろう,そして私達がヱホバの言葉を伝道した町々に居る兄弟達を訪問しよう。」』(使行 15:36,新世)ですから,羊を探し,養う大切な方法は個人的な教訓によるのでした。すなわち,家を先ず訪問し,再訪問をし,そして家庭聖書研究を司会することによつてでした。―マタイ 18:20。使行 17:11。ガラテヤ 6:6。

しかし,家庭に於ける個人的な教訓だけでも十分ではありませんでした。1匹の羊が発見されたならば,その羊はクリスチャンの集会に出席する事が必要でした。これらの集会は,そんなにも重要でしたので,すべてのクリスチャンは必ず集会に集まるよう,使徒は忠告しました。(ヘブル 10:25)これらの会衆の集会に於いて,神の言の深い真理は説明され,互いに励まし合い,全会衆は成長確立しました。(コリント前 14:26)その他の時に,クリスチャン達は奉仕会に集まり,良い音信を伝道する事によつて神に奉仕する正しい方法について,訓練を受けました。(ルカ 10:1-16。使行 6:1-7)公共の伝道について,初代のクリスチャン達が訓練を受けるために,また宣教学校もありました。(テモテ前 4:13-15)これらすべての集会の一番大切な目的は,クリスチャン達を訓練して,他の者を教える事が出来るようにするためであります! ―エペソ 4:11,12。

今日の真の崇拝

キリスト教国の崇拝の方法は,キリストの残した手本とは何と違つていることなのでしよう! 修道院生活とか,教会の座席に坐ることに対する手本はありません。むしろ,神に奉仕する正しい方法は,キリストの命じた業に従事することです。『主なる牧羊者』は,この業を非常に明白にしました。(マタイ 24:14)ヱホバの御名に証しを立てつつ,今日誰がクリスチャンの手本にしつかりと従つていますか? どの制度が,今日,神の御国は世の希望であると宣明し,人々に間もなく来るハルマゲドンの戦いを警告していますか? このことをしている,唯一つの制度があります。すなわち,ヱホバの証者の制度です。

見てごらんなさい! 143の異つた国々で,ヱホバの証者は良い音信を宣明して居ります。そしてヱホバの証者は,主自ら始められたのと同じ伝道の方法を用いて居ります。ヱホバの証者は,御国会館で,そして公共の場所で,公開講演をします。彼等は公共の道路で良い音信をひろめます,そして通る人々に『ものみの塔』雑誌のような聖書研究の助けを提供します。しかし,羊を見つけ出す彼等の中心の方法は,家から家への業にあります。ヱホバの証者は,家から家への業が卑しいとは考えません。キリストが考えたように,彼等も,家から家への業は,羊を見つけ,養うのに最も愛ある,効果的な方法であると考えます。興味を持つ人のところに再訪問はされ,無料の聖書研究が家庭で開かれます。ヱホバの証者は,また会衆の集会を開きます。初代クリスチャン達の時と同じように,教訓を与える奉仕会や,宣教学校や,神の言を研究する会衆の研究があります。

牧師達は人々のところへ行きませんし,また人々に,神の新しい世の良い音信をもたらしません。イエスの時代のように,牧師達に属している群は,まつたく『牧羊者の居ない羊』です。今こそ,ハルマゲドンの前に,主のすべての他の羊は,見つけ出されねばなりません。そして,『主なる牧羊者』の一つの檻の中に集められねばなりません。(ヨハネ 10:16)ずつと昔に,ヱホバは此の業を予言しました。『ヱホバ言い給う。視よ,我多くの漁る者を呼び来りて,彼等を漁らせ,またその後多くの猟者を呼び来りて,彼等をもろもろの山,もろもろの岡及び,岩の穴より猟りいださしめん。』(エレミヤ 16:16)人々を漁り,猟り出す業を誰がするでしょうか? 失われた羊を見つけ出すために,誰が牧羊者のようになつて,出掛けるでしようか? 人々を漁り,猟り出すという召に応ずるよう,あなたは招待されています。そうする時に,あなたは,クリスチャンの手本にしつかりと従つて居り,また,『主なる牧羊者』は,あなたの神に奉仕する方法を認めて,次のように申すかも知れません。『さあ来なさい,私の父の祝福を持つ者達。あなた方のために,世の創めから準備された御国を相続しなさい。』― マタイ 25:34,新世。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする