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だれが復活するか ― なぜ?ものみの塔 1965 | 7月1日
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46,47 (イ)責任を持つ者アダムに関して,ロマ書 5章12節から14節およびテモテ前書 2章14節は何を述べていますか。(ロ)死の宣告を受ける以外に,アダムの罪は何の喪失を招いたかも知れませんか。
46 神はアダムとエバに対しても同様にされます。おもに責任のあるアダムに関してロマ書 5章12節から14節はこう述べています「このようなわけで,ひとりの人によって,罪がこの世にはいり,また罪によって死がはいってきたように,こうして,すべての人が罪を犯したので,死が全人類にはいり込んだのである……しかし,アダムからモーセまでの間においてもアダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も,死の支配を免れなかった」。
47 アダムによって,罪と罪の罰である死が人類の世にはいりました。このようにアダムはすべての子孫に罪と死を伝え,またその造り主エホバ神の聖なるみ名を汚しました。それは知らずに犯したあやまちではありません。「アダムは惑わされなかった」。(テモテ前 2:14)アダムは,善悪を知る木の実を禁じた神の律法を故意に破ったのです。アダムは,神のみ手によって死がもたらされる道をあえてとりました。アダムは,父親となる機会さえなく,24時間のその日に命をとられることを期待したかも知れません。こうしてアダムから子孫が生まれ出る機会さえ,失われたかも知れないのです。神の過分の恵みによってアダムが人類家族の親となったとき,人類は罪と死の定めの中に生まれ,生命の権利を持ちませんでした。
48 (イ)アダムのためのあがないを神が受け入れないことに関して,何が言えますか。(ロ)アダムとエバの子孫の場合には,何が言えますか。
48 神の明白な警告にもかかわらず,すべての子孫の上にあえて死をもたらしたアダムは故意の殺人者であり,エバもアダムの意識的な罪にあずかっています。ゆえに後代のイスラエルの「のがれの町」に関する律法と一致して,エホバはアダムとエバのためのあがないを受け入れず,大祭司イエス・キリストのつとめの益を二人に得させないでしょう。しかしアダムとエバから生まれ出た人類の家族について言えば,神は大祭司イエス・キリストが彼らのためにささげたあがないの犠牲を嘉納されます。死に値した彼らの罪は,彼らの意志とは無関係にアダムから受け継いだものであり,あやまちに過ぎないからです。
49 アダムの息子カインとあがないの益については何が言えますか。
49 アダムの長男カインの場合,神はキリストのあがないの犠牲の益をカインには与えません。エホバ神から直接に警告されたにもかかわらず,悪意を抱いたカインは敬虔な弟アベルを殺したからです。両親のアダム,エバと同様,カインは死人の中からよみがえらないものと当然に考えられます。
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20世紀に住む私たちの世代と復活ものみの塔 1965 | 7月1日
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20世紀に住む私たちの世代と復活
1,2 (イ)この20世紀の世代の人すべてが,復活という神のご準備に与りますか。(ロ)イエスのたとえ話は,やぎ」にたとえられた人々に関して何を明らかにしていますか。
この20世紀に住む世代の多くは,死んでのちもエホバ神の恵みを受け,み子の国の下で復活します。
2 しかし私たちの世代の人々の中には,サタン悪魔および悪鬼と同じ最後を遂げる人々も大ぜいあります。イエス・キリストはこのような人々を山羊にたとえました。現存する悪の事物の制度の終結のさまを述べたイエスの預言は,羊とやぎのたとえ話で終わっています。このたとえ話はマタイ伝 25章31節から46節にあります。私たちの世代の中で「やぎ」
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