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目ざめよ! 1984
目84 12/8 11–13ページ

「新しい道徳」― まいたものを刈り取っている?

「神様は火と硫黄の代わりにエイズを送られた」と,ニューヨーク・ポスト紙の一読者は怒りをこめて書きました。エイズ,ヘルペスおよびその他の性行為感染症の流行病に匹敵する増加はいわゆる性革命の所産以上のものであると同様に考える人は少なくありません。そうした人々は,それを乱脈な生活に対する神の処罰であると見ています。

性行為感染症の流行は確かに恐るべき影を投げかけています。しかし,神が今日不従順な行為に対する処罰として病気を使うということを聖書は示していません。病気や疾患は,全人類を悩ます受け継いだ罪のもたらす結果で,これから逃れることはできません。(ローマ 5:12)ですから,神を恐れる,正しい生活を送る人々でさえ,時としてひどい病気にかかることがあるのです。

しかし,人は大抵,敬虔な規準に従うことにより,健康をも含め人生における自らの境遇を改善することができます。例えば,聖書はアルコール飲料にふけることを否としています。(コリント第一 6:9,10。テモテ第一 3:8)箴言 23章29節から34節は,この立場が健全なものといえる理由を幾つか指摘し,次のように述べています。

「災いに遭っているのはだれか。不安を抱いているのはだれか。口論をしているのはだれか。心配をしているのはだれか。理由もなく傷を負っているのはだれか。目の鈍くなっているのはだれか。それはぶどう酒と共に長い時を過ごす者……それは終わりには蛇のようにかみ,まむしのように毒を分泌する。あなたの目は奇妙なものを見,あなたの心はゆがんだことを話す。そして,あなたは必ず,海の真ん中に横たわっている者のように,帆柱のてっぺんに横たわっている者のようになる」。

けが,健康を損なうこと,幻覚 ― これらはいずれも酒に酔ったときの不愉快な結果です。しかし,これらの疾患について神に責任を転嫁することはできません。個々の人が神の規準をないがしろにするから,そうした疾患を身に招くのです。聖書はガラテア 6章7節と8節でこう述べています。「惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取……ることになるからです」。

性道徳についてもこの同じ原則が当てはまります。コリント第一 6章18節で聖書はこう警告しています。「淫行から逃げ去りなさい。……淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです」。「淫行」という言葉は,婚前交渉や同性愛をも含む数多くの性的な罪を包含しています。それが自分の体に対する罪であるということに注目してください。『体は淫行のためにあるのではない』とパウロは述べています。(コリント第一 6:13)人間の生殖能力は神聖な目的のために作られました。すなわち,義なる子供たちを地上に住まわせるためです。(創世記 1:28)性関係はまた,結婚した夫婦の相互の喜びの源ともなるはずでした。―コリント第一 7:3-5。箴言 5:18-20。

乱脈な性関係はこの祝福された取り決めを侮るものです。それは道徳的に堕落させるものであるために,それにふける者は神の目に汚れたものとなります。そして最終的にはコリント第一 6章9節と10節に明確に述べられている裁きに至ります。「淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者……はいずれも神の王国を受け継がないのです」。しかし,『自分の体に対して罪をおかす』人は,身体的および感情的な意味で,『自分のまいているものを刈り取る』ことになるかもしれません。性行為感染症は乱脈な生活を送る人が直面する数々の問題の中のほんの一部にすぎません。そうした人々が直面する問題にはほかにも,結婚の破綻や不安定な結婚,心痛の繰り返し,妊娠の恐れ,他の人に対する不信感などがあります。同性愛者たちも,『彼らの誤りに対して当然な,十分な返報を身に受ける』と聖書は述べています。(ローマ 1:27)その甚だしいまで卑わいな性行為は,複数の相手と行なおうと“決まった相手とだけ”行なおうと,「自然に反するもの」です。(ローマ 1:26)そうであれば,それらの人たちの生活様式に,身体的な問題が数多く伴うとしても,驚くことがあるでしょうか。

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ですから性行為感染症という疫病は,一握りの人に身体的な不快感を与えたことだけではすみませんでした。それは,自由を約束しながら多くの人に心痛と惨めな状態しかもたらさなかった生活様式に影を投げかけています。“経口避妊薬”とペニシリンがあれば,由々しい結果を身に招くことなく不義の性にふけることができるという考えは,途方もない浅はかな考えであることが明らかになりました。言うまでもなく,クリスチャンは他の人が苦しむのを少しも喜びとはしません。しかし,乱脈な生活のいわば“追い越し車線”にはまって出られなくなっている人々が自分の生き方と,それがもたらしかねない結果について真剣に考えてみるよう希望します。その必要な変化を遂げるのは今でも遅すぎることはなく,難しすぎることもありません。古代のクリスチャンたちは性の不道徳のわなから首尾よく逃れました。そして現代において,エホバの証人はさらに幾千幾万もの人々がそうするよう助けてきました。―コリント第一 6:9-11。

しかし,残念なことに,大多数の人は自らの利己的な道を何としても歩み続けようとしているようです。核爆弾に対する恐れが平和を促進することがないのと同じように,長期的にみると,性行為感染症にかかるという恐れも貞潔さを促進するものとはならないようです。一大学生はこう述べました。「人々の頭の中には確かにエイズとヘルペスのことがあると思います。しかし,それらの病気のために,私と同年配の人々の間では,性革命が何らかの方法で抑えられるということはほとんどなかったと思います」。

ですから,エイズやヘルペスおよびその他の同様に破壊的な病気が流行病の規模で増大を続けるか,あるいは忘れ去られるかにはかかわりなく,「新しい道徳の」輝かしい外見には取り返しのつかない傷が付きました。それは実を結ぶことのない,不毛な,その上危険な生き方であることが暴露されました。“自由恋愛”の支持者たちはこうして,不義の“愛”が結局のところそれほど“自由”なものではないということを知ってがく然としています。

確かに,その代償は余りにも高すぎるのです。

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