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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
塔77 6/15 373–377ページ

会衆の長老たち ―『りっぱに主宰の任を果たしなさい』

「りっぱに主宰の任を果たす年長者たち……は,二倍の誉れに値するものとみなしなさい」― テモテ第一 5:17。

1 箴言 11章14節から考えると,神の民の中に主宰の任に当たる長老たちがいるということにはどんな益がありますか。

一致してある高潔な目的または仕事を行なおうとする人々は,それに関係した種々の事柄を主宰する人を立てるのが常です。それがりっぱに行なわれているなら,人々は適切な指示を受けることができ,その結果,仕事は進みはかどります。しかしこれが反対の場合には,人々はまごつき倒れます。箴言 11章14節(新)はこれを次のように述べています。「巧みな指導がない時,民は倒れる。しかし助言者の多いところには救いがある」。神聖な目的と仕事を持つ組織された民であるエホバの証人は,自分たちの監督者である忠実な長老たちから指示と助言を受けられることを感謝しています。

2 会衆内で主宰の任に当たる人についてどんな質問が生じますか。またテモテ第一 5章17節はその問題をどのように明らかにしていますか。

2 現在,世界にはエホバの証人の会衆が4万余りあって,各会衆には任命された「主宰監督」が一人います。しかし,主宰する特権は主宰監督だけにあるのでしょうか。年長者団を構成する他の長老たちは,どうですか。すべての年長者は,テモテ第一 5章17節の神の言葉が年長者たちに命じていることを認めなければなりません。「りっぱに主宰の任を果たす年長者たち,とりわけ,話すことや教えることにほねおっている人たちは,二倍の誉れに値するものとみなしなさい」。会衆に数人の任命された長老たちがいるところでは,それぞれが会衆の種々の活動の主宰にあずかります。

3 会衆内で主宰の任に当たる長老は,どんな点で,家族を治める父親とは違いますか。

3 といっても,長老たちはどういう意味で「りっぱに主宰の任を果たす」のでしょうか。それは,父親が家族の者たちを治めるのと同じ権威をもってするのではありません。家族の頭は,自分の妻や子供たちに影響し彼らを左右する様々な問題に最後的な決定を下すことを要求されることがあります。しかし,個々の長老はそのような権威をふるうことはしません。個人としても,集合体としても彼らは会衆に対して頭の権を行使することはありません。会衆に関する限り,頭の地位にあるのはイエス・キリストです。(コロサイ 1:18)コリント第一 11章3節でも,「女の頭は男」とあるのに対し,イエスは「すべての男の頭」として述べられています。したがって,神の民の会衆を主宰することと,家庭内で頭の権を行使することとの間には相違があります。

4 長老たちの聖書的な責任を考えるなら,長老たちが会衆内で「主宰の任を果たす」のはなぜふさわしいことですか。

4 「主宰する」に相当するギリシャ語には,司会者であること以上の意味があります。「主宰する」の文字通りの意味は「前に立つ」ですから,それは指導し,司会し,指示を与え,他の人々の世話をすることです。これは長老たちになんとぴったり当てはまるのでしょう。わたしたちは長老たちがわたしたちの集会で司会をし,教え,奉仕活動に関して指示を与え(ヘブライ 13:7,17),牧羊の業すなわちわたしたちの霊的福祉に気を配り(ペテロ第一 5:2,3),わたしたちと会衆との,なかんずくエホバ神との関係を危うくするものすべてからわたしたちを守ることによって(ヨハネ 10:11-15),わたしたちの中で「指導の任に当たっている」とわたしたちは見ています。このすべてにおいて長老たちは「りっぱな羊飼い」であるイエス・キリストの助言と模範に従うべく努力しています。

集会の主宰に対する態度

5 ローマ 12章8節にあるパウロの勧めは,主宰の任に対する長老の態度にどのように影響するはずですか。

5 各長老が自分の責任を正しく果たすために養わねばならない態度とはどんな態度でしょうか。パウロはローマ 12章8節で,兄弟たちを教え啓発し励まし助けるよう,『主宰の任に当たる者は真剣にそれを行ないなさい』と勧めています。長老がそうした責任を遂行する仕方に関心を払い,「真剣に,そしてりっぱに主宰するにはどうすべきか』と自問するのは良いことです。

6 (イ)「真剣に」主宰の任に当たっていることを示すには,神権学校の監督はどうすべきですか。(ロ)個々の生徒はどんな益を受けますか。

6 「真剣に」行なうということは,誠実な気持ちで行なうというだけでなく,自分のしていることに熱意を注ぐことでもあります。例えば,神権学校を担当している長老は,おざなりなことでは,自分に割り当てられている務めを果たせないことを知っています。その長老は一人一人の生徒に関心を持ち,生徒が特に必要としている事柄に注意を払わねばなりません。なぜですか。生徒が進歩することを願っているからです。今は多くの新しい人たちが学校に入っていて,個人的な助けを必要としています。進歩の遅い人や内気な人がいます。教育のない人,読書力の弱い人,あるいは他の問題を抱えている人もいます。自分のつとめを『真剣に行なう』,神権学校の監督は,生徒が助言と指導にこたえて進歩していくのを見ることになるでしょう。それは集会での注解に反映し,また野外におけるより効果的な奉仕となって表われるでしょう。

7 (イ)「ものみの塔」研究,あるいは会衆の書籍研究を司会するとき,主宰の任に当たるということにはどんなことが含まれますか。(ロ)詩篇 25篇4,5節と箴言 16章9節に述べられていることを理解するなら,教える時に長老はどんな目的を持つ助けになりますか。

7 「ものみの塔」研究や会衆の書籍研究の司会者として主宰する人々も,これら同じ原則を念頭に置いていなければなりません。彼らは,単に質問をして聴衆に答えを求めるというだけの意味の司会者なのではありません。有意義な方法で主宰するためには,かぎとなる聖句を強調し,そういう聖句が正しく適用されるように心を配り,重要な点の実際的な価値がすべて取り上げられるのがみんなに分かるように助けて,研究をいつも興味深い,活気のあるものにすることが求められます。もし注解に参加することをためらっている人がいるなら,個人的にひとこと励ましの言葉を与えるだけで,その人たちも集会で注解をするようになるかもしれません。主宰する人々は,兄弟たちの心を動かし,エホバの道を歩む動機を彼らに与え,そのための聖書的導きを与えることを目標にして,より有能な教え手となるべく努力すべきです。―詩 25:4,5。箴 16:9。

謙遜な態度で主宰する

8 (イ)謙遜さを培うにはわたしたちは皆どんな努力が必要ですか。(ロ)謙遜さと「内密の話し合い」は,長老たちにどのように役立ちますか。

8 群れを牧するよう年長者たちに助言を与えた直後,使徒ペテロは,わたしたち全部が努力しなければならないある点に触れます。「あなたがたはみな,互いに対してへりくだった思いを身につけなさい。……神の力強いみ手のもとにあって謙遜な者となりなさい。そうすれば,神は定めの時にあなたがたを高めてくださるのです」。(ペテロ第一 5:5,6)謙遜さは,特に長老間の意思の疎通と互いに対する振る舞いに大いに寄与します。処理すべき問題が持ち上がったとき,各長老は,本当に重要な情報を提供しているかどうかをよく判断しなければなりません。互いに相談し合う人々は仲間の長老たちから,また全会衆から尊敬されます。群れのためになる事柄に関してしばしば連絡を取ったり,「内密の話し合い」をしたりすることは実際的な結果をもたらします。その反対にもし長老たちが『密接な連絡』を保って事が完成に向かってどのように進展しているかを見ないなら,最初に計画されたことはあまりうまくいかないかもしれません。このことは箴言 15章22節(新)で強調されています。「内密の話し合いのないところには計画のざ折がある。しかし助言者の多いところには完遂がある」。謙遜さは,長老同士の密接な結びつきと,会衆内のすべての人とのより穏やかな関係を強めるのを可能にします。

9 (イ)主宰監督の通信物の扱い方によって,長老たち,また会衆との意思の疎通はどのような影響を受けますか。(ロ)主宰監督がこの点で自分の役目を正しく果たすならどんな結果になりますか。

9 司会者として奉仕する主宰監督は特に平衡の取れた見方を保つことが大切です。主宰監督は長老団の決定したことがずっとよく守られているかどうかを見守らねばなりません。意思の伝達が勧められるのは,長老の集まりの時だけに限られてはいません。兄弟たちや業全体に影響する重要な問題に関してはお互いに最新の情報に通じていたい,という自然の願いがあるべきです。そのためには主宰監督が,支部事務所,大会委員,旅行する監督,あるいは他の会衆の長老たちとの通信をすべて扱う必要があります。その種の通信物を読んだあと,主宰監督は長老団全体に指示されている事柄をできるだけ早く伝えるようにします。会衆あての知らせも余すところなく伝えます。この点で主宰監督が不注意であったり,怠慢であったりすることはできません。あらゆることを自分一人でするのは不可能です。それで主宰監督は,必要な事柄がなされるように助力を求めます。各長老は割り当てられた仕事を持っていますが,全員が一致協力します。大きな問題が関係している場合には主宰監督は一方的に行動しないで,他の長老たちに正式に,あるいは非公式に相談します。(箴 18:1)それは通常秩序を保つのに役立ち,兄弟たちの霊性と王国の業に正しい注意が払われる結果になります。

10 (イ)パウロがガラテア 5章15,25,26節で警告しているように,会衆の一致はどんなことで犠牲になることがありますか。(ロ)ローマ 12章,フィリピ 2章,エフェソス 4章に示されているように,長老たちはどんな特質を培うように注意すべきですか。

10 長老団の中に,他の長老たちに抜きん出ようとする人が時々いるかもしれません。もし競争心が生まれるなら,あるいは存在しているなら,それは謙遜さが欠けているしるしです。ある長老は,長老団があまり価値がないと判断しても,なお自分の意見を固執するかもしれません。もしその長老が自分の意見に共鳴するように人々の気持ちをかきたてて支持を得ようとすれば,おそらく会衆の一致はその犠牲になってしまうでしょう。(ガラテア 5:15,25,26)そのような傾向を避けるためには,各長老は絶えず自分を見つめ,『自分のことを必要以上に考えない』ように注意が必要です。(ローマ 12:3,10)りっぱに主宰の任を果たすにはすべての長老が『ほねおる』必要がありますが,しかし正しい動機で,謙遜の限りを尽して群れを助けたいという真剣な気持ちでそれを行なうように気をつけなければなりません。―フィリピ 2:5-8,14-18。エフェソス 4:1-3。

謙遜さは意見の相違を解決するのに役立つ

11 (イ)様々な意見が時にはどのように役立つか説明しなさい。(ロ)長老の集まりで長老たちは自分の意見を述べることについてどう考えるべきですか。しかし何を避けるべきですか。

11 長老たちの意見が分かれるような問題が生ずる時もあります。人々の背景や経験は様々ですから,引き出す結論も自然異なる傾向があります。異なる意見は,自分自身の見解を健全であるかどうか調べるための刺激的な根拠を提出します。ある問題に関する自分の説明はもっともらしく,正しく聞こえるように思えても,箴言 18章17節(新)にあるように,「仲間が入って来て」,もっと事実に即した取り組み方と聖書的な論議とをもって「必ずその者を吟味」します。これは確かに,兄弟たちの霊的福祉に影響するある質問または問題を解決するためにそのような過程を必要とする,長老たちの間の討議に当てはまります。したがって,明確な原則や指針がもうけられていないところでは,長老たちが率直に述べる意見に相違のあることは考えられることです。長老の集まりでは口論,「憤りや議論」は別として,長老たちは自由に自分の意見を表明すべきです。―テモテ第一 2:8。

12 (イ)使徒 15章に記録されていることを考えるに当たって,探し求めかつ学ばねばならないのはどんな事柄ですか。(ロ)使徒 15章1,2節に述べられている問題はどんな性格のもので,どの程度大きなものでしたか。

12 一世紀における使徒と年長者の集まりでどんなことがあったかを考えてみるなら,謙遜さの価値や,争論の解決に役立つ種々の要素について,多くのことを学ぶことができます。そのことは使徒 15章に記録されています。それは,パウロとバルナバが「今や十分に成し遂げた業のため,神の過分のご親切に託された」,シリアのアンティオキアでのことでした。(使徒 14:26)しかし,二人は第一回の伝道旅行から戻るとすぐに一つの問題に遭遇しました。「ある人たちがユダヤから下って来て,『モーセの習わしどおり割礼を受けないかぎり,あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えはじめた。しかし彼らを相手に,パウロとバルナバによって少なからぬ争論と議論が起きた時,人びとは,パウロとバルナバおよび自分たちのうちのほかの幾人かが,この論争のことでエルサレムにいる使徒や年長者たちのもとに上ることを取り決めた」。(使徒 15:1,2)この場合には一つの重要な教理上の問題が,兄弟たちの間に少なからぬ騒ぎを引き起こしていました。これを解決しなければなりません。

13 使徒 15章7節で,「多くの議論」という表現が用いられているのを,どのように理解すべきですか。

13 その問題がエルサレムの責任ある長老たちに提出されたのは適切なことでした。聖書の記録はそこでどんなことが起きたかを教えてくれます。最初のうちは意見が分かれていましたが,最後には「全員一致」に達しました。(使徒 15:25)しかし,使徒 15章7節から考えると,集まりで「多くの議論」があったのではありませんか。「議論」に相当するギリシャ語は,「捜し求める」(王国行間逐語訳)という意味の動詞と関連があります。したがってそれは次のことを示しています。すなわち真理を,あるいはある事柄を行なう最善の方法を見いだすには,問題を調べ極める勤勉な努力が求められるということです。問い尋ね,討論をし,こうして正しい結論に達するのです。このことを念頭に置いているなら,聖霊の導きによって事態がどのように進展したかに注意しながら,記録を興味深く読むことができます。

14,15 (イ)歴史的会議の席上で,ペテロ,次いでパウロとバルナバ,最後にヤコブがどんな発言をして審議に寄与しましたか。(ロ)その時はどんな要素が「全員一致」に導きましたか。

14 「多くの議論」ののち,ペテロは自分の経験を語り,異邦人が良いたよりを聞く道を開くべく自分がエホバに用いられたことを述べます。救いを可能にしているものが,イエス・キリストを通して示された神の過分のご親切である以上,それら異邦人の信者に重荷を課すのは果たして妥当か,という質問を彼は提起します。次いで,パウロとバルナバが証言を加えたときには敬意のこもった沈黙が生じていたことが12節に述べられているのに注意してください。この旅行する使徒たち(アンティオキアの会衆から「遣わされた者たち」)は,諸国民の間で宣べ伝えたとき,「多くのしるしや異兆」により,神の祝福の証拠を得ていました。そのことは,どうすべきかに関するペテロの勧めを有力にしました。―使徒 15:7-12。

15 次にヤコブが発言を希望します。彼はアモス 9章11,12節にあるような,ペテロが述べたことと一致する預言者たちの言葉を用い,パウロとバルナバを通して神の霊が成し遂げたことを確証します。したがってヤコブの決定には聖書の裏付けと神の霊の後ろだてがありました。その強い立場に立って彼は,神に心を向けていた諸国民の中から出た信者たちに,彼らに対する神のご要求が実際になんであるかについて書き送ることを提案しました。使徒および年長者たちは全員一致してそれに賛成しました。論議をかもしていた問題も,非常な謙遜さのゆえに解決しました。―使徒 15:13-29。

16 ある点に関して違った意見を持つ長老があるかもしれませんが,長老たちおよび会衆の中にはどんな精神がみなぎっているべきですか。

16 もし長老の一団の中で「全員一致」が不可能であるならば,違う意見を持つ長老は,決定された事柄に,反感を示すことによって反対するようなことがあってはなりません。長老団全体と共に引き続き「ほねおっている」ことが大切です。そうすれば会衆は,全員が一致して働いていることを知り,長老団をいつも信頼しているでしょう。「全くへりくだった思い」で歩むなら,長老たちは平和のきずなを強くすることができます。―エフェソス 4:2,3。

17 長老たちの集まりがあるとき,若い長老たちと年長の長老たちはどんな健全な助言を念頭に置いているべきですか。なぜですか。

17 長老たちが集まるとき,若い長老たちは特に,箴言 16章31節(口)に述べられていること,つまり,「しらがは栄えの冠である,正しく生きることによってそれが得られる」ということを認めて,年長の,そしてクリスチャンとして生きることにもっと経験の深い長老たちの言うことに注意深く耳を傾けるべきです。他方,年長の長老たちは,ある若い人が一つの問題について正しい見方を持っているかもしれないことを認めなければなりません。したがって,真の価値は言い表わされる健全な知恵にあるのであって,必ずしも話し手の年齢にあるのではありません。しかし,若い長老たちは自分の考えを述べる際には,テモテがきっとパウロとその助言に敬意を示したように,またエリフが年齢というものを考えて自制し,自分の話す時を待ったように,年齢に敬意を表わすべきです。―テモテ第一 5:1,19。ヨブ 32:6-9。

18 使徒 6章1-6節に示されているように,使徒たちは「必要な仕事」に注意を向けましたが,それよりももっと重要視されたのはどんなことでしたか。

18 長老たちは,王国会館や他の「必要な仕事」に関係した問題を討議する会合で多くの時間を費やすかもしれませんが,そうした問題はいつも,群れの霊性に影響するより重要な事柄に次ぐ付随的なものにして置くことが大切です。(使徒 6:1-6。フィリピ 1:9,10)そのようにするとき,長老たちは主宰の任をりっぱに果たしていくことができます。

19 (イ)世の支配者たちが人々を取り扱う方法とは対照的に,わたしたちの中には,イエスやパウロの助言に一致したどんな取り決めがありますか。(ロ)りっぱに主宰の任を果たす長老たちのいることはどのように有益ですか。

19 世界の悲しむべき混乱を見るとき,わたしたちは,世界中のエホバの会衆内に,りっぱに主宰の任を果たす長老たちがいることを,本当に感謝します。人類はその諸問題から,また愛のこもった,助けになる,心身をさわやかにするような方法で導く代わりに『人びとに対していばる』支配者たちの手から逃れる道を模索しています。(マタイ 20:25-27)しかしわたしたちの中には,群れの模範となる霊的に円熟した人々がいます。そしてわたしたちは,わたしたちの間で主宰の任にあたるその人たちを重んじています。(テサロニケ第一 5:12,13)会衆,または都市,国,または世界の一地域の中の一人の人ではなく,すべての長老が自分に割り当てられた範囲内で主宰の任を果たしているのです。この多数の助言者たちが与える愛のこもった援助と指示により,王国を宣べ伝える業と弟子を作る業は前進し,成功裏に完遂されるのです。会衆はりっぱに主宰の任を果たす長老たちの下でその努力を結集します。こうしてわたしたちは頭であるイエス・キリストにより密接に連なり,すべての栄光をエホバに帰すのです。

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