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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
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意地悪に対して大いに寛大でありなさい

「動揺させるものの大小で度量のほどがわかる」ということばがあります。あなたはこの点でどれほどの度量の持ち主ですか。

どれほどの体格の持ち主であれ,ちょっとした迷惑あるいは不快なことなどで動揺しない人はほんとうによくできた人です。男女を問わず,そのような人は狭量な態度ではなく,思いや気持ちの点で度量の大きさを表わします。ところが,ささいな事で容易に動揺する人は狭量のあやまちを犯します。そして,そうした狭量さはしばしば,意地悪をする行為となって現われます。

意地悪とはなんですか。いじわるとは,『つまらないことをして人を傷つけたり困らせたりして示す悪意』とされています。それはねたみや憤り,あるいは単にさもしい根性から生ずる場合があります。

子どもは,不当な扱いを受けたと感ずると,すぐさまつまらない仕方で仕返しをするのはよくあることではありませんか。なぜそうするのですか。なぜなら,子どもはからだが小さいばかりでなく,知性や感情面でも未熟だからです。ですから,おとなが同様の子どもじみたことをするなら,感情面で狭量な人間であることを示しています。そのような人は完全な意味での「おとな」ではありません。つまり,ほんとうに「寛大な」人ではありません。

夫婦どうしが突然意地悪い仕打ちに出るのは決して珍しいことではありません。精神病医によれば,夫婦の意見が異なるとか,余裕がないとの理由であれこれぜいたく品を買ってもらえないばっかりに,妻がちょっとした意地悪い仕打ち(かなりひどい場合もある)をする場合があるということです。また,中には,妻の無骨なことばや物忘れのために自分の誇りが傷つけられたとして,意地悪をする夫がいます。依然として狭量な,すなわち感情を制する面で未熟な夫婦はとかく互いに口をきこうとしなかったり,冷淡な,あるいはよそよそしい口調で話したりして,意地悪を示すものです。

意地悪は重大な結果をもたらすことがあります。近所の人や配偶者に暴力をふるわせかねません。たとえば,ニューヨーク市に住むある男の人は,ある時意地悪い仕打ちをした隣人を殺そうと思っていると友人に話しました。たまたまエホバの証人であったその友人は,それがどんなに愚かなことかを指摘して,「はやまったことをして長い服役刑を宣告されでもしたら,あなたの家族はどうなるのですか。それよりも,どこかに引越してはいかがですか」と言いました。その男の人はそれが分別のある助言であることを認めました。

意地悪な人は他の人から害されるばかりか,自分自身を害する場合があります。意地悪を生む恨みや憤りをいだくことは適切にも「みずから毒をあおることと」呼ばれています。それは人間の大敵の一つです。なぜなら,敵意をいだくと,必ずからだは悪影響を受けずにはすまないからです。つまり,思いに悪影響を与えるものは,からだやからだの機能にも悪影響を与えるのです。確かに,意地悪をほしいままにするのは,「腹立ちまぎれに自分の身を痛める」ことです。意地の悪い人はほかならぬ自分を一番ひどく傷つけているからです。それはまさに無益なことです。

確かに意地悪は,聖書の教える,自分自身のように隣人を愛することではありません。(マルコ 12:31)意地悪は事情をしんしゃくすることをしません。同じことをして仕返ししたり,しかもしばしば余分に仕返しをします。意地悪は敵を憎むことですが,イエス・キリストは敵を愛しなさいと命じておられます。わたしたちは人がより良いことをするのを助けたいと願うべきであって,より悪いことをするよう人をそそのかすべきではありません。ですから,意地悪をしないよう警戒してください。なぜなら,それは自分と他の人にとって有害だからです。―マタイ 5:44,45。ルカ 6:31。

なによりもたいせつなこととして,意地悪は創造者に喜ばれないゆえ,意地悪をしないよう警戒してください。意地の悪い人はまずほとんど,仕返しをして,悪をもって悪に報いようとします。それが神に喜ばれないものであることは明白です。なぜなら,神のみことばはこう命じているからです。『だれに対しても,悪に対して悪を返してはなりません。復しゅうをしてはなりません』。また,「悪に征服されるままにならず,むしろ善をもって悪を征服しつづけなさい」。わたしたちに悪いことをした者と同じレベルに自分を引き下げるのは,神に喜ばれることではありません。―ロマ 12:17-21,新。

意地悪を示す,もしくはそれをほしいままにしようとする堕落した性向をどうすれば抑制できますか。意地悪がもたらす悪い実を考えるだけでも,それを抑制するのに役だつでしょう。あなたの最良の友であり,恩恵の最大の与え主,エホバ神の不興を買ってまで,人に「仕返し」をしたいという欲望に屈するのは無益なことではありませんか。

謙そんさもそうすることを避けるのに役だちます。なぜなら意地悪をする人は,せん越で高飛車にふるまっており,みずからを審判者または刑執行者に仕立てているからです。自分の感情を害した人を見下げ,あつかましくも相手を裁いて罰するのです。聖書によれば,復しゅうはエホバ神に属する事柄です。確かに,謙そんな人は寛大な人です。古今最大の人,イエス・キリストは同時に最も謙そんな人でした。―ピリピ 2:5-8。

感情移入,つまり相手の身になって考えることも意地悪をしないよう警戒する助けとなります。努めて相手の立場に立って物事を考えるようにしてください。そうすれば,気持ちを害されたにしても,問題をあまり深刻に考えないで,むしろ相手のことをしんしゃくできるものです。この点からしてもやはり,感情移入は,円熟した人,感情的また霊的な面で寛大な人の持つ特質といえます。

それにまた,ユーモアを解する心も,意地悪をしないよう警戒するのに役だちます。ユーモアを解する心を持って,他の人のちょっとした失礼な行為を忘れるのは,多くの場合最も賢明な方法ですし,それもやはり円熟の表われといえます。

しかし何にもまして,愛は,たとえ他の人からちょっとした失礼をされても,意地悪をしないようにする助けとなります。愛は「人の悪を念はず…凡そ事忍び,…おほよそ事望み,おほよそ事耐(え)」ます。確かに愛は,霊的な事柄において人がどれほど寛大かを示す指標です。―コリント前 13:4-7。

ですから,意地悪に対しては大いに寛大であってください。イエスが言われたように,「天にいます汝らの父の子」であることを実証してください。―イザヤ 55:7。マタイ 5:45-48,新。

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