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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
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読者からの質問

● エホバがイスラエル国民を扱われた仕方からすれば,神が彼らに偏愛を持っておられたのは事実ではありませんか。ところが使徒行伝 10章34節で聖書は,「神は偏ることをせず」と述べています。これはどうして一貫していると言えますか。

公平であるとは,偏見や偏愛に束縛されていないということ,人物やその人の地位・富・権力その他に影響されて,その人に利益となるような判断をしたり行為をしたりしないということです。それは,収賄しないこと,また他方,貧しい人に対する単なる感傷に左右されないということにもなります。公平であれば,各が当然受けられ,かつ必要としているものに応じて,すべての人が平等で公正な事柄に一致して扱われるはずです。―箴言 3:27。

エホバはご自分が「人を偏り見ずまた賄賂を受け(ない)」と述べておられます。(申命 10:17。歴代下 19:7)使徒ペテロは,神が無割礼の異邦人コルネリオの祈りを聞かれ,彼がクリスチャン会衆と接するよう事を運ばれたのを認めて,こう語りました。「われ……まことに知る,神は偏ることをせず,いづれの国の人にても神を敬ひて義をおこなふ者を容れ給ふことを」。―使行 10:34,35。ロマ 2:10,11。

ところが,ある人は,エホバが昔のイスラエル人をご自分の民として用いたり,寵愛したりして不公平な扱いをされたと考えています。しかし,エホバがイスラエル人をどう扱われたかを公平に調べてみると,そうした非難は誤っていることが明らかになります。エホバがイスラエル人を選んで交渉を持たれたのは,イスラエルが大国で人口も多かったからではなく,その先祖である,ご自分の友アブラハムの信仰と忠節さを神が愛しかつ認められたからです。またエホバは,ご自分のお名前をイスラエルの上に置かれたので,イスラエルに対して忍耐を示されました。―申命 7:7-11; 29:13。エゼキエル 36:22。詩 105:8-10。

従順であったときに,イスラエル人は祝福され,エホバがモーセを通して与えた律法を持たない国々以上に彼らは祝福されました。イスラエル人が不従順になったときには,忍耐とあわれみを示されましたが,それでも神は彼らを罰せられました。また,イスラエルの立場は恵まれてはいましたが,神のお名前を負い,律法のもとにありましたから,彼らは神の前にいっそう重い責任を課せられていました。

律法はそれを破る者に対してのろいをもたらしました。次のようにしるされています。「この律法の言を守りて行はざる者は詛はるべし」。(申命 27:26)ユダヤ人は律法を破ることにより,罪を犯したアダムの子孫として彼らが持っていた罪に加えて,こののろいを受けました。(ロマ 5:12)ですから,この特定な無力の状態からユダヤ人をあがなうため,使徒パウロがガラテヤ書 3章10-13節で論じているとおり,キリストは単に死ぬだけでなく,刑柱上で死ななければなりませんでした。

以上のように,神がイスラエル人に対して偏愛を示されたのではないことが明白に証明されます。神は全諸国民を祝福することを見通して彼らを用いられました。(ガラテヤ 3:14)神はこの国民の中からみ子を生まれさせ,信仰を働かせるすべての人は彼を通して救われるのです。事実神はご予定の時に全諸国民に益をもたらす事柄に向かって事を運ばれていました。このことと調和して,使徒パウロはこう述べています。「神はただユダヤ人のみの神なるか,また異邦人の神ならずや,しかり,また異邦人の神なり。神は唯一にして割礼ある者を信仰によりて義とし,割礼なき者をも信仰によりて義とし給へばなり」― ロマ 3:29,30。

さらに,古代のユダヤ人国家においては,ギベオン人やネテニ人(与えられた者),その他多くの外国人の例に見られるとおり,他国の人々も,イスラエルの神エホバを崇拝し,その律法を守ることによって神の恩恵と祝福を受けることができました。―ヨシュア 9:3,27。エズラ 8:20。列王上 8:41-43。民数 9:14。

エホバはイスラエル人が悔い改めると再び受け入れて忍耐とあわれみを示されましたが,その忍耐もついに切れ,イスラエルは神のお名前を負う民としての立場から捨てられました。(ルカ 13:35。ロマ 11:20-22)パウロはそのことについてこう述べています。「神はおのおのの所作に従ひて報い,……すべて悪をおこなふ人には,ユダヤ人を始めギリシヤ人にも患難と苦難とあり,すべて善をおこなふ人には,ユダヤ人を始めギリシヤ人にも光栄と尊貴と平安とあらん。そは神には偏り見給ふこと無ければなり」― ロマ 2:6-11。

ですから,神のご処置に対して浅薄で狭い見方をすれば不公平に思えても,より深く広い見方をすると,人間の及びもつかないほど驚くべき公平と正義が明らかになります。全人類が神からの恩恵と命を受ける機会を持てるようにするため,神はなんとすばらしい方法で物事を運ばれているのでしょう。―イザヤ 55:8-11。ロマ 11:33。

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