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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1955
塔55 4/1 130–136ページ

「ヱホバに依り頼み,互に思いやりを持て」

1 ヱホバの円熟した証者には,どんな特質があり識別されますか?

パウロはヘブル人に宛てて手紙を書き,キリスト・イエスについてより多くを知るようにと望みました。次のように書きました。『キリストについては,言いたいことがたくさんあるが,あなた方の耳が鈍くなつたため,説明するのが難しい。時間というものを考えてみると,あなた方は教師となつているべきなのに,神の聖言の初歩の原理を最初から教える人を必要としている始末である。あなた方は固い食物ではなく,乳を必要としている。乳を飲む者は幼児であるために,義の言葉を良く弁えない。しかし,かたい食物は成人,つまり善悪を見分ける感覚の力を働かして訓練された人に属するものである。』(ヘブル 5:11-14,新世)自分自身強壮なクリスチャンであつたパウロは,ヘブル人も進歩しその感覚力を用いるように望みました。真理に入つている時を考えてみると,彼らは教師になつているべきでしたが,自分の考えを述べて,他人を富まそうとは望まなかつたのです。安易な生活をし御言葉の乳だけを飲み,ヱホバの制度に始めて来た時に学んだ單純な事柄だけ憶えるのを好んだのです。そして神の御言葉を全部知らず,成人に属するかたい食物を食べなかつたのです。献身したヱホバのクリスチャン証者は,みな新世社会にいて,成長し進歩したいと必らず望んでいます。ヱホバのすばらしい御目的を知ると,強壮がその人に充ち,活力を与えます。その人は,力づけられ,他人を助けて自分の持つている同じ貴重な知識を得させたいと必らず願います。それで,巧みに教え,他人もまた教えを守ることのできるように正確な知識を与えるべきです。本当に成長して,兄弟たちを愛するようになると愛と正しい業に励ますため,会衆で公けに述べたく思います。

2 (イ)どんな顕著な実践によつて,古い世の悪い考えをする人は識別されますか?(ロ)どんな基礎的な神のごとき特質は,心から従う従順な人の考え方を変えますか? なぜ

2 人がクリスチャンになると,その考え方を大きく変化し,心を入れ変えねばなりません。古い考え方を止めることは必要であり,新しい教の型を守らねばなりません。その理由で,パウロはこう書きました『この世の組織制度に従うのを止めなさい。むしろ,あなた方の心を入れ代えて新しくなり,神の善く御心にかなう全き御旨をわきまえ知るべきである。』(ロマ 12:2,新世)私たちはみな悪い堕落した恐れに充ちた古い世に生まれ,利己的に物事を考える古い世の仕方に訓練されました。それは,人間の指導者がその追随者あるいは臣下の考えとして望む仕方です。私たちは子供の時から他の国民,人々,人種を憎み,恐れ,そして疑うように教えられて来ました。それで,ある人と私たちのあいだにはしきりが建てられました。この悪い間違いの考えは,成功した人気の舞台劇(『南太平洋』)の中で端的に述べ表わされました。その劇の中で,若い軍人は,他の人種,国籍の娘に恋慕したことに心をなやみ,こう歌います。『憎み恐れよと教えられ明けても暮れても無理に教えられ,その愛らしい小さな耳につぎこまれ,みにくい目とちがう肌色の者をおそれよと巧みに教えられ。ほんに早い6つ7つ8つになる前に,家の憎む者みな憎めと巧みに教えられ。』それは,古い世についての真実のことです。兄弟愛,人類の同胞愛,そして世界の同胞愛については多く言われています。しかし,この古い世の非神権的な理論に従つて注意深く教えられた者は,分離,階級差別,族制制度を好みます。理性を持つ人が,その心をいれ代えて,古い世の考え方を止め,全能の神から教をうけるのはなんと必要なことでしよう! 神の本,聖書は,神の愛するように私たちも愛せよと教えています。愛は恐れを除きます。『神は愛である故に,愛さない者は神を知らない。』『愛の中に恐れはない。完全な愛は恐れを取り除く。恐れは拘束を持つからである。本当に恐れを持つ人は愛の中に完全になつていない。彼が最初に私たちを愛したために,私たちは愛するのである。』(ヨハネ第一書 4:8,18,19,新世)ヱホバの御言葉からいただく正確な知識によつて生活するとき,その生活はなんと違つたものになるのでしよう! しかし,ヱホバの証者はこの新しい考えと,神の御言葉に新しく見出れた真理を持つて,出かけて他の者を教えねばなりません。そうすれば,結局に新世社会の一部になろうと選ぶ人々はヱホバの考えのように考え,円熟に成長いたします。

聖書の大きな価値

3 (イ)その翻訳は何であつても,聖書を毎日読み,また研究するとき,どんな結果を生じますか?(ロ)聖書の良い勝れた翻訳については,何が正しく言えますか?

3 時間をさいて教をうけ,ヱホバの証者と交わり,神の会衆内で自分の考えを述べ,円熟に進むならば,私たちはみなヱホバの証者の持つすばらしいよろこびと祝福をいつもいただくようになります。ヱホバの証者は自分独自の聖書を持つていると時に言われることがあります。しかし,『ものみの塔』の頁を読むと,多くの翻訳がいつも引用され用いられていることが分ります。すべての人は,自分の持つ聖書を毎日読むようにとヱホバの証者は強くすすめています。カトリックのドーエイ訳であろうと,新教徒の欽定訳またはアメリカ標準訳であろうと,あるいはドイツ語,フランス語,スペイン語,ヘブル語,タガログ語の聖書であろうと,どんな聖書の翻訳でも問題にはなりません。読む聖書の翻訳が何であろうと,真理を学ぶことができます。概して言うならば,ヘブル語とギリシャ語聖書の原文の意味からひどくかけ離れ,読者を側に外らせて誤りに導くような翻訳は一つもありません。しかし,ずつと良い勝れた翻訳もあります。良い翻訳はいま求めることのできるもので,もし勝れた翻訳を得て読み研究するならば,多くの益を得ることができます。その援助をうけ,ヱホバのすばらしい御目的につきより明らかに理解し,おそらくはより早く悟るでしよう。あなたは年々歳々,1年の毎日,ヱホバの本である聖書をつねに読むべきです。聖書は力を与える水,真理の尽きざる泉です。それは乾くことなく,いつも美味新鮮で良いものです。読む箇所を選ばず,創世記から始めて最後の本黙示録まで読み通しなさい。全く稀な真理の宝石,すばらしい数え,健全な助言を知るでしよう。聖書はみな,最高の主権者,生ける神ヱホバの書かれた御言葉であるからです。宏大な宇宙内のこの小さな地上に住む私たちのために,ヱホバはその本を備えられ御子キリストの真の追随者として私たちが正しく教をうけ訓練をうけるようにされました。―エペソ 4:21,32。ヨハネ第一 1:7。

4,5 聖書はどれほどに価値あるものですか?

4 幾世紀もの昔しに,清教徒がアメリカの海辺に来たとき,聖書は彼らの主要な本でした。ほとんどどの家でも人々が聖書を毎日用いていた昔の時代について良く聞いたり読んだりいたします。それは子供たちの徳を建てるのに影響し,知識と理解を広め,生ける神と密接にむすびつけることを助けました。昔の人は,自己中心の憎々しい批評家や,偏見を持つ嘲笑者たちの用いる尺でもつて聖書の内容を測らなかつたのです。与え主の本,聖書は本当に思想のかたい食物を持ち,生活や正しい行儀振舞についてすばらしい教を述べている書物です。昔の時の人に対するよりも,今日の私たちにとつて聖書はより価値のある大切なものです。昔に書かれたすべての事は,大苦難の現在に生活している私たちの教育のために書かれたものだからです。(ロマ 15:4。コリント前 10:11)聖書は私たちを慰めるものであり,聖書を読むときに希望を持つことができます。―ペテロ前 1:3。ペテロ後 1:19-21。

5 聖書を開き,聖書を読むときに,その御考えを伝えられるヱホバ神に実際に耳を傾け注意を払つているということをあなたは深く認めますか? ヱホバ神は,夢であなたに話しかけません。あなた個人を教えるために,特別な使者,御使を送りません。その書かれた御言葉を通して,ヱホバ神は御考えを伝えられます。『聖書はすべて神の霊感をうけたものであつて,教えや戒めや,物ごとを正しくすること,義しく躾けることに有益なものである。それは神の人があらゆる良い業に対して十分の備えができて,全く整えられた者になるためである。』(テモテ後 3:16,17,新世)聖書以外の別のものに忠告や教えを求めても無益なことです。

神の真理をなぜ定期的に研究し伝道するか?

6 神の真理をなぜ定期的に研究し,伝道しますか?

6 神の真理を通り一遍に知るだけで満足することはできません。(詩 117篇)クリスチャンの活動では,初歩の事がらを後にして円熱に進まねばなりません。それで,パウロは次のように言つたのです。『このわけで,キリストの初歩の教理を後にしたのであるから,円熟にむかつて進もうではないか。いまさらに,死んだ業の悔い改め,神への信仰,洗礼や按手の教え,死者の復活,そして永遠の裁きというような基礎を再び置かないようにしよう。神が真実に許されるなら,そうしよう。』(ヘブル 6:1-3,新世)神の奴隷になろうと一歩前進したからには,ただ「日曜クリスチャン」になることではありません。それは,毎日の事がらでなければなりません。献身したヱホバのクリスチャン証者は,全く勤勉な奉仕者であると表示しなければなりません。そして,自分だけ知識を得るということをせず,賢明に良いたよりを伝道して他人を助け,それにより自分の忠実を保つ責任を果さねばなりません。(ペテロ前 3:15)新世社会にいるすべての者は,附加されるどの責任をもみなよろこんでうけるべきです。「もういいだろう」と考えて満足してはならず,むしろ,進歩し,前進しようと熱心に願いなさい。『神は不義な方ではないから,あなた方の業や,また聖徒たちに仕え,いまもなお仕えて,御名のために表した愛をお忘れになる事はない。私たちは,あなた方めいめいが同じ勤勉さを示し,最後にいたるまで希望の全き確信を持つように願うものである。それはあなた方が怠け者にならないで,信仰と忍耐を通じて約束を相続する人々をまねる者となつてもらいたいからである。』(ヘブル 6:10-12,新世)どれ程長く真理に歩もうと,私たちは神の御言葉である聖書を伝道し続け,そしてその制度を通し御目的を学ぶよう神の備えられるものを研究しなければなりません。それをせず,制度と歩調を合わせないと,私たちは鈍くなつてしまいます。(ヨハネ第一書 2:6)神の御言葉は生気づけ,力を与え,また私たちはヱホバの家だけにある熱心を有しています。善いクリスチャン証者は,いつも勤勉な者で,定期的に集会に出席し,奉仕に参加し,そして感謝の心から真理を他人に述べるのに率先するでしよう。

7 霊的の弱さはどのように避けることができますか?

7 あなたは霊的に弱いと感じますか? 自分を吟味してごらんなさい。まず,集会に定期的に出席していないでしよう。あなたは兄弟たちとの交りに欠けています。集会を欠席し始めると,ヱホバの制度から離れて行き,そのときに弱くなり始めます。自分の考えを述べなくなり,自分の希望を公けに述べません。悪魔の制度のこの終りの日にあつては,運に任せる時ではありません。すべての者は,理解の力に強くならなければならず,それに,強さを保つ唯一つの道はヱホバの御言葉を研究し,ヱホバの民と会うことです。『兄弟よ,理解力では子供となつてはいけない。悪については幼児となるも,理解力では成人になりなさい。』(コリント前 14:20,新世)神の助言は,つまりこうです。この古い世の組織制度の悪事に関するかぎり,子供のようであり,そのようなことには罪がなく,悪しき事をほんの少しだけ知るか,または殆ど知らず,それらの事を避けよということです。そのような群と交つてはなりません。しかし,これとは別に,理解力というときには,子供であつてはなりません。十分育つた成人でありなさい。

8,9 どんな助言に注意を払うことにより,霊の思は保たれますか?

8 ヱホバの教を守る人は,霊の思いを持つ人です。その考えは正しく,神の考えのようです。霊の思いは肉の思いの反対です。肉の思いとは,この世のことを考え,悪魔の制度の悪しきことを行うということです。霊の思いとは,肉の思いの反対になるべきです。生命,および生命を得るということこそ,考えの大切な事柄です。イエスは,地上にいて使徒たちに次のことを語つたとき,そのことを考えていました。『何を食べ,何を飲み,何を着ようかと,自分の魂のことで思いわずらうのを止めよ。魂は食物にまさり,体は衣服にまさるではないか?』(マタイ 6:25,新世)この世の大部分の人は,自分に関する事だけに関心を持ち,他人に益を与えるということには関心を持ちません。それは,異邦人のものの見方,あるいは利己的な見方です。自分の使徒と論じられた際に,イエスはより大切なもの,つまり霊的なもの,御国がある故にそれを考えよと語られ,こう言われました。『まず御国と神(ヱホバ)の義を求めよ。そうすれば,これらのものはすべてつけ加えられるであろう。』(マタイ 6:33,新世)ヱホバ神には,私たちの必要物が分らないなどと疑つてはいけません。ヱホバ神は御存知です。そしてその必要物に気遣われます。ヱホバ神は,私たちがそれらのことにいつも思いわずらうのを好みません。より大きなこと,つまり善意者にとつて生命を意味するヱホバの御国に心を集中するようヱホバ神は望まれています。イエスに従うとき,私たちの願いは『かたく教えをとりて,離すことなかれ。』であります。―シンゲン 4:13。

9 正しい種類の知識を取ることは,私たちの霊の思いと,生命を得ることにとつて大切なものです。弟子たちと共に祈られたとき,イエスは幸福な終りない生活の定則を述べられ,ヱホバにこう言われました。『唯一つの真の神であるあなたと,あなたの遣した者,すなわちイエス・キリストを知ること。これこそ永遠の生命を意味する。』(ヨハネ 17:3,新世)この祈りの中で,イエスは弟子たちが宇宙の最高支配者の正しい知識を取り,なぜ御子を地上に遣わされたかを悟るよう強く望まれました。人はこの知識を得て,永遠の生命の道を知るからです。それで,このことからも,ヱホバ神に献身した者はみな,ヱホバの民の会衆で活潑に忙しくしていることは全く重要であると分ります。集会に出席することは,『絶対に必要』であります。集会に出席する者は,話し,考えを伝え,自分の心を述べねばならず,そして霊の思いを保たねばなりません。このことはむずかしくないと,パウロは言い,こうつけ加えています。『私はあなた方に会うことを熱望している。霊の賜物を幾分でも分け与えて,しつかりと固くなつてもらいたいからである。それは,あなた方と私のたがいの信仰によつて,あなた方のうちに共に励まし合うためである。』(ロマ 1:11,12,新世)パウロの語つているこの霊の賜物は,ただ考えを伝えることによつてヱホバの民の上に与えられたようです。つまり,他人が傾聴しているときに自分の考えを述べ,自分の信仰を語る,あるいはパウロが自分の信仰を他人に述べ,共に考えを交換したことによりました。別の言葉で言うと,ヱホバの真理について語るのは,霊の思いを完成するものです。(詩 145:9-12)これは,『約束された方は忠実である故に,公やけに述べる私たちの希望を迷うことなく』言い表わすという考えと一致いたします。野外奉仕の私たちの経験,兄弟たちとの交り,『ものみの塔』記事の討議,神権宣教学校の出席,奉仕会に参加,奉仕活動に参加し公開集会に出席すること,これらはみな霊的に支えるものであり,このすべての討議,考えを伝えること,交換することは励ましを与えて,霊的に強め,パウロの言うごとく,『あなた方と私のたがいの』信仰を建てるものです。

互いに思いやりを持て

10 霊の思を保つのに互に扶ける他のどんな備えものが今日ありますか?

10 『ものみの塔』聖書冊子協会は,毎年の初期にヱホバの証者の年鑑(英文)を出版し,全世界に亙る神の僕の昨年の活動を報告します。年鑑にまた毎日考慮すべき聖句が記されており,各聖句の註解がついています。家族が毎日聖句を読み,討議し,それについての考えを交換し,そして互いに自分の信仰を示し,自分の希望を述べ,それからその聖句についての出版された註解を読んで概括するのは,なんとすばらしいことでしよう! これはみな霊的に建て,教えをかたく守ることを助けます。まつたく,これは生命であります。

11,12 信仰に強くいるため,私たちは互いに気をつけ,助けあつてどんな危険を避けるべきですか?

11 霊の思いは,クリスチャンの生活で非常に大切なものです。しかし,研究もせず,兄弟たちの集会にも出席しないと,まれに集会に出席するとき兄弟たちの中でなんだか取り残されたように感じ,それに兄弟たちが訪問すると,まるで場所ちがいのように感じます。なぜそうですか? それは,霊の思いを失い,もはや信ずることを公けに述べていないからです。自分の信仰を弱めてなくし,古い世に後戻りしています。パウロの訪問した会衆の大部分の者は,後戻りしていたために,パウロは手紙をあてて,こう書きました。『兄弟よ,私は霊の人に対するようにあなた方に話をすることができず,むしろ肉の人,キリストにある幼児に対するように話をした。あなた方は十分強くなかつたため,私はあなた方に乳を飲ませて,食物を食べさせなかつた。実際のところ,あなた方はまだ肉の人であつて,いまでも十分強くはない。あなた方のあいだに,ねたみや争いがあるのは,あなた方が肉の人であつて,この世の人のように歩いているのではないか?「私はパウロにつく」とある人は言い,別の人は「私はアポロにつく」と言うようでは,この世の人と変らないではないか?』―コリント前 3:1-4,新世。

12 しつとや争はいま古い世に充ちています。神への愛と兄弟への愛は,聖書の主要な教えです。(マルコ 12:29-31。ヨハネ 15:11-15)神の御言葉の教を守るとき,パウロあるいはアポロに従つたコリント人のしたように,交際する地上の見える人をあれこれ選んで,人間に従うということはありません。古い世の人は毎日そのことをしており,指導者に甲者または乙者を選んでいますが,クリスチャンは宇宙の最高支配者ヱホバ神に従い,それからその方だけを実際に崇拝しなければなりません。彼らはヱホバ神を毎日ほめ讃えます。

13,14 霊的に資格を持つ者がどのような責任を果すことにより,さらにどのような益をもたらしますか?

13 霊の人になるには,時間を要します。この世の人であつて,神の御言葉を全然知らない人は,まず研究が必要です。そのようにして,ヱホバの証者は大きな祝福と機会をもつのです。ヱホバの証者は,人々の家庭を訪問し,自分の学んだことを人々に告げます。再訪問をなし善意者と家庭聖書研究をいたします。ヱホバの御目的が何であるかをこれらの人々が理解し,深く悟るには6ヵ月または1年かかるとも,もし人は誠実で羊のような従順な性質であれば,時経つ中にこの世の考え方から離れ,神の御言葉にある教は最も価値ある大切なものと知ります。その人が霊の思をする人になるのは,さして時間のかかるものではありません。新世社会に集められ,自らをヱホバ神に献身するすべての『他の羊』は,天の御国でキリスト・イエスとともに共同相続者になる神の油注がれた者と丁度同じく霊の思を持ちます。信仰を交換し,その信ずる事柄を互いに述べ伝えることにより,彼らは霊の思を持つ者になります。真実に霊の思を持つ者は,制度内の弱い者を助けることができます。強い者の責任は,自分の責任をためらつて取ろうとしない者たちに話をすることです。それで,パウロは次のように言いました『兄弟よ,ある者が気づかずに間違いをするならば,霊的な資格を持つあなた方は,温和な気持ちのうちにその人を正すようつとめなさい。あなた方も誘惑されないように,自分自身に注意をはらいなさい。』― ガラテヤ 6:1,新世。

14 熱心によろこびつつ神の奉仕をする他の兄弟が,援助しようと訪問したときに,制度内にいる兄弟は感情を害すなどと感じてはなりません。むしろ,ある人が自分の必要とするものを見て,そして霊的な資格を持つ人が温和な気持のうちによろこんで正そうとすることに神への感謝を捧げるべきです。脱落して離れて行く人は,しつかりと保つことができず,御言葉を通して神の与えられた教をもはやかたく守ることができないのかもしれません。神の御言葉の教をしつかり保たず,一度ゆるむと,生命を失い始めます。正確な知識を求めるべきですが,それは自分自身,自分一人で自己流の哲学や人生観をつくつて求めても不可能です。私たちはヱホバ神を求めるべきです。(シンゲン 3:5-7)ヱホバ神の御言葉に依り求み,その制度と交らねばなりません。心を正しい事に是非保ち,そのようにしてのみ正確な知識と真の理解を得ることができます。各人はヱホバにふさわしく歩むことができ,ヱホバをよろこばすことができるために,正確な知識,智恵,および霊の分別力で心が充たされるのは,各人の願いでなければなりません。私たちめいめいはクリスチャンとしてあらゆる良い業に実を結ばねばならず,この実を結ぶときに神の正確な知識を増さねばなりません。献身した者がヱホバの制度内で進歩し,正しい種類の奉仕者にふさわしい資格を持つとは,なんというすばらしい特権でしよう。使徒パウロと同じように感じます。『あなた方を光にいる聖徒たちの相続に加わるのにふさわしくされた御父に感謝する。』(コロサイ 1:9-12,新世)他の者が進歩し,神と協力して自らをふさわしい僕とし,証として全世界に『ヱホバの御国を宣明する』この大いなる業に参加するのを見てパウロはうれしく感じました。―マタイ 24:14,新世。

忠実を保つ

15 『自分のごとく隣人を愛せ』という誡命は,今日実際にはどのように適用されていますか?

15 新世社会の個々の成員として,私たち各人がお互いに関心を持たねばならぬということには疑いありません。『自分自身のように隣人を愛さねばならぬ』と言われたのは,イエスでした。(マタイ 22:39。ルカ 21:34-36,新世)新しい世で生命を得るために,自分自身にいつも注意を払わねばなりません。一人一人,自分自身の忠実に気をつけるべきです。ハルマゲドンの戦の際に,私たちの手をつかんでひきずり,新しい世に入れることのできる人は一人もいません。献身したヱホバのクリスチャン証者は,各自自立しなければなりません。(ヨエル 2:7,8。ピリピ 2:12,13)教えをかたく守らねばなりません。イエスの言葉のように,唯一つの真の神ヱホバと,その遣わされた方イエス.キリストを知ることこそ生命を意味するものです。あなたの生き残ることを保証するものに,智恵とヱホバの御目的を理解することは欠くことのできない一番必要なものです。しかし,自分一人ではやれないということを憶えて下さい。自分一人の研究をどれ程多くしようと,会衆と共に会い,そこであなたの希望を公やけに述べることは必要です。イエス御自身も,そうされました。(ヘブル 2:12。ヨハネ 13:15-17)イエスのように,あなたもそうすることにより,他人を愛と良き業にすすめ,この終りの日に兄弟と共に集まるのを怠らぬ者を励まします。このように受け,そして与える知識の故に,あなたは教えをしつかりと守つており,永遠の生命を確かにいただけるでしよう。

16 「自分自身に絶えず注意を払う」とは,霊の思を持つ人にとつて何を意味しますか?

16 パウロは若いテモテを愛し,数通の手紙の中で多くの諭しの言葉を述べました。ある時,長い手紙を書き,それを纏めて『これらの事を良く考え,それらを熱心に励みなさい。そうすれば,あなたの進歩はすべての人にあきらかとなる。自分自身と自分の教えに絶えず注意を払いなさい。』と言いました。(テモテ前 4:15,16,新世)これから明白に分るように,どのクリスチャンもヱホバの制度内で進歩し,その進歩を制度内のすべての人に示すのを恥じてはなりません。あなたが尊敬の態度で語つて,自分の考えを述べ,ますます円熟して霊の思を持つようになつたと他人が気づけば,みなの心はよろこび,同じ道に従おうと励ますものです。研究すること,および集まつた兄弟の聞くところで,考えを伝えることから,あなたの得る益をみなが見るからです。また,あなたは自分自身に絶えず注意を払い,すべての集会に出席し,そして自分一人の区域でも,または奉仕の際に兄弟たちと共に野外奉仕に出かけていると,みなは見ます。あなたは進歩して,開拓者奉仕に入り,多分ついにはギレアデの学校に行き,それから外国宣教の仕事をするか,または巡回の僕の業をする点にまで達しているとみなは見るかもしれません。なにもそれは,他の者よりも良くなろうと努めるのではなく,ただいままでの自分よりも良くなろうと努めることです。それは,ヱホバ神に奉仕しようと自らを献身する各人に,ヱホバ神の置かれる大きな責任,つまり成長し,増すという責任を悟るからです。あなたは自分自身に絶えず注意を払つています。そしていまや自分の教えにも絶えず注意を払つていると確めたく願います。

17,18 纏めてみるときに,忠実を保ち,恐れなくヱホバに献身するため,なにが必要ですか?

17 忠実を保つためには,会衆と共に会い,共に交り,そして兄弟のあいだで自分の考えを述べるのは本当に大切なことです。それで,私たちの教えや,家から家の証言および聖書研究で語ることは正しいといつも確信できます。集会の出席によつて,信仰にいるかどうかをいつも験し,自分たちがいつたいどのような者であるかを証明し,表明します。そのような行の結果はすばらしく,つねによろこびをもたらし,私たちの心をたのしませます。パウロはこうつけ加えています。『これらのことを努めなさい。これをすることによつて,自分自身を救うのみならず,あなたの言葉を聴く人をも救うであろう。』(テモテ前 4:16,新世)確かに,知識を取り,教をかたく守り,神のすべての言葉を信ずることにより,自分を救うことができます。あなたの希望を公けにしつかりと述べ続けることによつて,会衆であなたの言葉を聴く人は援助をうけ,また古い全世界を旅行し,御国の良いたよりを伝道するとき,あなたの言葉を聞く人々も援助をうけます。

18 たしかにヱホバの証者は,現在すばらしい地位におります。ヱホバの証者は,古い世に起きている出来事を恐れず,すべての国をなやまし当惑させる厚い暗やみや,取巻く暗黒に心を乱しません。戦争や,戦争のうわさにも恐れません。その理由は,ヱホバの証者には希望があるからです。ヱホバの証者は,その成行を知つています。神の御言葉を読み,そして又学んだため,全く不平がなく,満足しており,確信を持つています。それで,公けに述べる私たちの希望をしつかりと持ち,詩篇記者の述べている人のようになろうではありませんか『悪しき音信を恐れず,その心ヱホバに依り頼みてかたし。』― 詩 112:7,ア標。

[132ページの図版]

憎め 憎め 憎め

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