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神は一国民を復活させたものみの塔 1973 | 7月15日
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に,また自由に預言し,証言する自分たちのわざに関するかぎり殺されました。そのことは第1次世界大戦の最後の年における彼らに対する国際的迫害の最高潮にさいして生じました。彼らは,バビロンにいたエゼキエルが渓谷で見た干からびた骨の満ちた所と全く同様の霊的な状態に陥りました。(創世 11:2-9)彼らのそうした状態が続く期間は,死体に死後硬直が生ずるのに十分の期間である三日半として描かれていました。しかし,翌年つまり西暦1919年の春,『命の〔霊〕,神より出でて』彼らにはいり,彼らを復活させ,「王国のこの良いたより」を国際的に宣べ伝える公の活動に再び精力的に携われるようにさせました。(マタイ 24:14,新)『雲に乗って天に昇る』ことは,彼らが『たとえてソドムといい,エジプトという大いなる都』(大いなるバビロンつまり偽りの宗教の世界帝国の宗教上の主要な成員である対型的エルサレムもしくはキリスト教世界)から宗教的な意味で離れたことをさしていました。それら残れる者は,エホバが大いなるバビロンにあった自分たちの「墓」地を開き,自分たちを霊的に生かして連れ出し,正しい霊的な状態に回復させてくださったことを非常に明確に知るようになりました。
18 生来のイスラエルと霊的なイスラエルの復活は,どんな点で復活の希望を確証するものとなっていますか。
18 生来のイスラエルと霊的なイスラエルを復活させる点でエホバ神が行なわれた事がらは,その約束が信頼できるものであることを力強く例証しています。同時に,イスラエル人の父祖アブラハムを含めて古代のヘブル人が死者の復活を信じていたことも注目に値します。死んだものを生き返らせるエホバの力に対するアブラハムの信仰に関してはこうしるされています。『彼[アブラハム]はその信じたるところの神,すなわち死人を生かし,無きものを有るもののごとく呼びたもう神の前にて我らすべての者の父たるなり。しるして「われ汝を立てて多くの国人の父とせり」とあるがごとし』。(ロマ 4:16,17)干からびた骨の満ちた谷に関するエゼキエルの幻は,死んだ人間の復活を描写したものと見ることはできないにしても,復活に対する信仰とはやはり合致するものです。ゆえに,この幻の成就は,復活の希望をさらに確証するものとなっています。
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困難な状況下で弟子を作るものみの塔 1973 | 7月15日
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困難な状況下で弟子を作る
● 「アルゼンチンのチャコ地方での巡回活動は,弟子を作るわざにどんな事が含まれているかをよく教えてくれます。酷暑,度重なる水不足,それに非常にほこりっぽい道路は,訪問を困難で,疲れさせるものにしました。自転車で骨の折れる長旅をしなければならないことも再三ありました。伝道者たちの大半は年が若く,自転車に乗ることにもっと慣れているので,曲りくねった道を彼らのあとについて行くのは,私たちにとって容易なことではありませんでした。雑草やとげのある植物で覆われた細い道を通って夜帰宅することはよくありましたが,細い道をちょっとわきにそれると衣類がひき裂かれ,けがをするという結果になります。家に帰ってみると,からだが傷だらけであることに気づきます。今になって,私たちはその当時のことを思い起こし,エホバがご自分の熱心なしもべたちをどのように祝福されたかを思いめぐらします。今日,チャコでは,それらの道路やわき道に沿って,エホバを賛美する群れや会衆がいくつもあります。―「1972年のエホバの証人の年鑑」から。
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