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  • すべてのことにおいて神の教えを飾る
    ものみの塔 1978 | 7月1日
    • ても,あるいはほかのだれかがどんな議論を持ち出しても,それは自分の良心を汚すものであってはなりません。また一方,もし論議が聖書に基づいていることが分かり,それが正しいことを心から確信したなら,それに従って自分の良心的見方を調整することができます。―ローマ 14:5。

      15 (イ)ある事柄が正しいかどうか疑念があってもかまわずにそれを行なうなら,どのように罪に定められますか。(ロ)そういう人はどのように自分の良心の質を向上させることができますか。(エフェソス 3:14-19。テサロニケ第一 5:11)

      15 「しかし,疑念をいだいている場合,それでもなお食べるなら,その人はすでに罪に定められています。信仰によって食べているのではないからです。実際,信仰から出ていないことはみな罪です」。(ローマ 14:23)使徒は不信者に対してではなくクリスチャンと称する人々に対してこのことを言っています。人が行なうことは,どの点においても自分の良心を不愉快にしないものでなければなりません。もし良心がおだやかでないなら,自責の念に駆られているのです。ですから,一層平衡の取れた良心を得るために,クリスチャンの信仰をはっきり理解するように絶えず努力すべきです。クリスチャンのすることがすべて「良いたより」をふれ告げることと直接に関係があるわけではありませんが,クリスチャンは自分のすることは,たとえ娯楽や気晴らしであっても,自分と他の人を築き上げることを考えて行ないます。

      16 「すべての事を神の栄光のために」するには,行動を起こす前に何をすべきですか。

      16 要約すれば,使徒の賢明な助言は,「すべての事を神の栄光のためにしなさい」ということです。(コリント第一 10:31)行動を起こす前に次のことを自問してください。『これは会衆の平和に寄与し,神の霊がすべての人の中で自由に働くような結果をもたらすだろうか』。『自分の行動は,神とキリストの名に非難をもたらさないものだろうか』。『会衆の神のみ業を築き上げるものか,それともうち壊すものだろうか』。神のみ前に正しい,平衡の取れた,清い良心に完全に調和した生活を常に送れるクリスチャンは,本当に幸せです。そのようなクリスチャンは神の会衆にとって祝福です。

  • 聖書に記された系図の価値
    ものみの塔 1978 | 7月1日
    • 聖書に記された系図の価値

      おそらくあなたは創世記から啓示(黙示録)に至る聖書の通読を始め,読むことに熱中したかもしれません。しかし歴代志略まで読みすすんだ時,発音することもできず,したがって意味もない名前をられつした系図が節から節へ何章にもわたって続くのを見て,「なぜこれが書かれているのだろう。なぜこんなに退屈な事がしさいに記されているのだろう」と言ったかもしれません。

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