ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔72 6/15 355–356ページ
  • あなたの家庭生活は改善する余地がありますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • あなたの家庭生活は改善する余地がありますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 愛があれば,確信をもって改善を期待できる
  • 愛,「結合の完全なきずな」
    あなたの家族生活を幸福なものにする
  • 「愛を抱いて歩んでいきましょう」
    エホバに近づきなさい
  • 愛する
    目ざめよ! 2018
  • 愛
    聖書に対する洞察,第1巻
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
塔72 6/15 355–356ページ

あなたの家庭生活は改善する余地がありますか

あなたの家庭生活は幸福ですか。それとも,改善できるのではなかろうかと思えるところがありますか。どんな助けがあるのでしょうか。欠陥のありそうな点がどこであれ,結婚関係と家庭生活をいっそう成功させるために,あなたにできることが何かありますか。あります。愛を働かせることに特別の注意を払えば,家族のきずなを強めることができるのです。一致に資するものとして聖書があげている良い事柄の中でも,コロサイ書 3章14節で愛について書かれている事柄は注目に価します。

いったい愛とは何ですか。また実際どのように愛を適用すれば良い結果が得られますか。“愛”ということばは掲示板に出ていたり,建物やボタン,衣服に落書きされていたりします。その種の“愛”,もしくはそうした仕方に効力がありますか。いいえ,ありません。愛について語る以上のことをする必要があります。愛のほんとうの意味を知り,それを適用するよう努力しなければならないのです。

「徳を全うする帯」と聖書に述べられている“愛”は,単なる性的誘引ではなく,それ以上の事を意味するギリシア語(アガペー)を翻訳したものです。それは,人がならわしにしている事柄の良し悪しを無視して,むやみに人を愛することではありません。その愛は原則を無視しませんから,導きや目的もなく,どんな物でも,まただれでもただ愛するというものではありません。といっても,それは冷淡なものではなく,真実の暖かさを持っており,愛する人々を幸福にしたいという強い願いに動機付けられています。

功を奏するように愛を適用する方法を知るうえで,聖書はたいへん役だちます。しかし,問題のある結婚生活を,1週間や1か月ですっかり幸福なものにできないことは,いうまでもありません。その過程は,家のくずれかけた壁の修理になぞらえることができます。れんが工がモルタルを塗ってはれんがや石を一つずつ積み上げていくのと同様に,完全なきずなとなる愛も忍耐強く適用しなければならないのです。

結婚生活のひび割れは突然できるものではなく,たいていささいないらだちや不一致が重なってできるものです。ですから,家族の強いきずなをふたたび築くには時間と努力がいります。自信を持って結果を期待することができますが,忍耐強くなければなりません。

では,愛の適用に関して聖書が述べていることと,それを適用することのできる場合とを考えてみましょう。聖書のコリント前書 13章4節から8節では,愛についてきめのこまかい考察がなされています。

まず,『愛は寛容で慈悲があります』。愛は,無為にではなく,関係者すべてを助ける目的を持って不都合な事情を,忍耐します。たとえば,配偶者の一方がひどいことばを使ったことはありませんか。他方がふきげんになったり,口をつぐんだり,会話を拒んだりすることがあります。あるいは同様にきびしく言い返す場合もあります。しかし,やさしく話すとか,さらには,ひどいことばを使った相手のために何かをしてあげれば緊張したふん囲気はやわらぐものです。当座は認められないかもしれませんが,それはたいてい感謝されます。

『愛は妬みません』。疑い深くなく,所有欲が強すぎず,他の人に権利を踏みつけられはしないかと心配したりしません。愛は,『非礼を行い』ません。粗野,ぶしつけ,無作法,失礼,おうへい,野卑,不敬ではありません。こうした好ましくない事柄のために夫婦がしだいに離れてゆくことはなんとしばしば生ずるのでしょう。

愛は『己の利を求めません』。愛を示す人は,まず相手の気持ちを考え,事情を考慮し,たとえなんらかの犠牲を払わなければならないとしても,相手の福祉と幸福に最善の益となる事柄を行ないます。愛のある配偶者は,ものごとすべてを自分の思いどおりに運ぶよう要求しません。また,愛はその“権利”を要求することもありません。

愛は『人の悪を思いません』。配偶者に対して愛を働かす人なら,復しゅう心をいだいていわば“清算”がされる時期をうかがいながら一方では憤った,あるいは悪意のある態度をいだいて結婚関係をそこなうようなことはしません。

愛は『凡そ事を忍びます』。つまり,“すべてのことをおおう”のです。愛のある人なら,配偶者の動機を疑ったり,配偶者の言動の裏を読んで性急に憤って決定を早まるようなことはしません。悪行が実際に証明されないかぎり,信頼していることを表わし,配偶者を支持します。

愛があれば,確信をもって改善を期待できる

愛は『おほよそ事望み,おほよそ事耐えます』。結婚は神が設けられたものである以上,結婚生活に失望すべきではありません。配偶者は,結婚生活を“失敗した計画”,あるいは成功させることも幸福なものにすることさえもできないものと考えるべきではありません。聖書のことばは,男と女を作り,結婚を取り決めた神のことばであり,神は結婚生活を成功させるものが何かを知っておられます。そうした愛の原則に従わないことこそ結婚生活の失敗の原因となるのです。配偶者と神を愛する人はまさに最善の状態を望み,神の助言を適用し,神が祝福をもって答えてくださるのを待ちます。それにはある程度忍耐を要しますが,豊かな報いをもたらします。

『愛は長久までも絶えることがありません』。愛はあなたをささえ,また配偶者に対して強く訴える力を持っているものです。進歩は遅いように思えるかもしれません。しかし自分が,正しい積極的な歩みを取っていることを知り,さらに,愛を実践して,いやす力を自分自身の心につちかうなら,絶えず励まされ,満足を味わえるでしょう。したがって,相手の反応のいかんにかかわらず愛はあなたをいっそう幸福にします。

愛を実践し続けるには心の強さが必要です。必要な強さを得る唯一の道は聖書を学ぶことです。聖書は愛だけでなく,愛に関連した他のいろいろな特質についても述べており,また自分自身の幸福のためにそうした特質を発達させ,適用する方法に関する導きをも与えています。聖書研究の手引きとか,聖書を理解している他の人々の助けを得て聖書を毎週学ぶなら,「唯一の真の神」であられるエホバに関する知識が得られます。聖書が述べるとおり,その知識がなくては,真の愛は生まれません。なぜなら,「神は愛」だからです。―ヨハネ 17:3。ヨハネ第一 4:8。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする