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  • わたしはペンテコステ派の牧師だった
  • 目ざめよ! 1976
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目ざめよ! 1976
目76 11/22 23–25ページ

わたしはペンテコステ派の牧師だった

わたしは1932年に,イタリアのシチリア島で生まれました。第二次世界大戦後間もなく,わたしはある民家で行なわれたペンテコステ派の礼拝に出席しました。中年の牧師が説教の始めに大声で祈るのを聞いて驚きはしたものの,わたしはその場にとどまりました。

わたしは説教の間,神が本当に存在することの証拠を求めて,牧師の話を幾度も中断させました。牧師は,神が存在することの証拠として聖書を挙げ,贈り物として聖書を一冊くれました。わたしはその聖書を一日に七章ほどの割で読むようになりました。しかし,ほどなくして,読んでいることを自分がほとんど理解していないのに気付くようになり,ペンテコステ派の教会に助力を求めることにしました。

宗教的な背景

わたしはごく幼いころから,両親と同じく宗教に関心がありました。シチリア島の人々の大部分がそうであったように,わたしの両親もローマ・カトリック教徒であり,非常に熱心な信者でした。

しかし,成長するに従って,カトリック教会が自分の霊的必要を満たしてくれないことに気付くようになりました。例えば,僧職者はなぜ他の人々と異なった服装をしているのか,僧職者はなぜ告白室で他人の個人的な事柄をせん索するのか,そして,異教の神殿に匹敵するほど多くの偶像が教会内にあるのはなぜか,といった点を理解することができませんでした。そうした疑問に対する納得のゆく答えが得られなかったため,カトリック教会に対する関心は薄れました。

戦前のそうした時期に,司祭がよくわたしの家を訪ねてきました。我が家のぶどう園から取れる果実はその司祭のために取っておかれました。司祭は,ファシズムがカトリック教会の利益を守ってくれるので,イタリアにとって最良の政治形態はファシズムであると主張しました。しかし,戦争が終わると,非常に多くの人々がカトリック教会から離れました。教会がファシズムに荷担していたことを知っていたからです。また,人々は,教会が貧しい人々を犠牲にして富んだ人々を養っていることに,いや気がさしていました。

その結果,戦後多くの人々は無神論に転じ,わたしもまた,そうした考え方に傾いてゆきました。こうしてわたしは,礼拝を単に友人たちと接触する場とみなすようになりました。しかし,依然としてわたしは霊的な必要を感じていました。

ペンテコステ派の一員としての生活

聖書に対するわたしの関心が引き起こされたのは,そうした必要を認めていたからでした。それでわたしはペンテコステ派の教会に通うようになりました。

礼拝には全くあ然とさせられました。牧師はまず最初に,目を閉じて両手を上に伸ばして祈るのです。それから牧師は,自分と一緒に賛美歌を歌うよう出席者に勧めます。その後,様々な人々に,「あかしをする」,つまりペンテコステ派の宗教に入る以前の生活で遭遇した困難と,現在の自分たちの行状について語る機会が与えられます。

大抵その後には一つの聖句に基づいた説教が行なわれます。わたしは牧師が何を話しているのか理解できませんでしたが,それは聖書に関するわたしの知識が限られているためだろうと考えていました。説教が終わると,牧師は出席者の間を動き回って,「叫びなさい,大声で叫びなさい! 主は近くにおられる!」と大声を上げながら出席者の上に両手を置きます。すると人々は「ハレルヤ! 主よ,聞きたまえ!」といった種類の言葉を叫ぶのです。

1950年にわたしはペンテコステ派の教会の洗礼を受けた教会員となりました。神が自分を召してくださったと考えたわたしは大きな変化を遂げました。喫煙をやめ,映画やダンスにも行かなくなりました。ラジオを聞くこともやめました。わたしの属していた教会がそれをクリスチャンにふさわしくないものとみなしていたからです。

わたしは,シチリア島のカルタニセッタ県にあるサンカタルドの小さな町に住んでいましたが,町の人々はその変化に驚きました。わたしは皆に自分の新しい信仰について語り,来て救われるように,さもなければ地獄の火で苦しめられるだろうと告げました。多くの人々が耳を傾け,ペンテコステ派の信者になりました。

ある有名なアメリカ人の牧師が訪問した際,わたしは日曜学校の校長に任命されました。この任務は,「日曜学校」という会報を研究するペンテコステ派の会衆の集会を司会することでした。日曜学校を指導する際の非常な熱心さのゆえに,神学校での教育など全く受けてはいませんでしたが,1952年6月には牧師に任命されました。それからの四年間,わたしはカルタニセッタの町を含むカルタニセッタ県のペンテコステ派の諸教会で奉仕しました。

異言の賜物を受ける

わたしは自分の示した進歩を喜びはしたものの,異言の賜物など,ペンテコステ派の教会が神の霊の現われとみなしていた特別な賜物を持っていないことに失望していました。しかし,ある日わたしの願いはかなえられました。

わたしが礼拝を司会し,祈っていたときに,会衆のある特定の婦人に両手を置くようにという声が聞こえました。目を閉じたまま,わたしは出席者の中にその婦人を見付け,彼女の上に手を置きました。すぐさま大きな叫び声がして,その婦人はわたしと一緒に異言を語りだしました。これは,話し手の意志とは無関係に言語を発するものです。こうした経験をして,わたしは非常にうれしく思いました。

しかし,わたしは相変わらず聖書を理解できず,そのことが非常に気懸かりになっていました。説き明かしの特別な賜物を持つ人々だけが聖書を理解できるのだと告げられ,この説明に幾分満足しました。わたしは少なくとも異言の賜物を受けていることに感謝していたのです。

ところがそれほど月日がたたないうちに,この“賜物”と呼ばれているものにはどこかおかしな所があると思うようになりました。わたしはひどくうなされるようになったのです。それはあたかもまひしたかのような状態で,同時に,わたしを四方から押さえつける黒っぽい姿が見えました。悪霊による攻撃のこうしたしるしは,わたしが受けた“賜物”と何らかの関係があるのではないかと考え始めました。説き明かしの賜物を持つ牧師が異言の賜物を持つ人に向かって,その人の述べている事柄は恥ずべきもので,繰り返すことはとてもできないので話すのをやめるようにと命じたときに,わたしの抱いていた疑いは強まりました。

やむことのない追求は報いられた

わたしはこうした事柄に関する説明を見いだそうと決意し,使徒教会やバプテスト教会のような他の宗教組織を調べてみましたが,それも徒労に帰しました。わたしは,カルタニセッタの近くの町にいるエホバの証人の全時間伝道者の夫婦について聞き,そこへ出掛けてゆきました。

わたしは多くの質問をしましたが,エホバの証人はその全部に聖書から答えてくれました。わたしは聖書に対するその夫婦の知識に驚きました。そして,無料で聖書の研究を司会してくれるという申し出を受け入れました。やがて,ついにわたしは異言の賜物に関する真理を学びました。

聖書は,全能の神が初期クリスチャンに,それ以前に学んだことのない外国語を話すという賜物を授けられたことを明らかにしています。クリスチャン会衆の揺らん期に,この賜物は弟子たちの中の限られた者たちが外国人に「神の壮大な事がら」を知らせるのを助けました。(使徒 2:5-11)また異言の賜物は,この新しいクリスチャン組織の上に神の恵みがあることの目に見える証拠でもありました。(コリント第一 14:22)しかし,異言を話すことは,十分に成長したクリスチャン組織と共に存続する賜物でしょうか。

いいえ,わたしはこの賜物が預言や特別な知識の賜物と同様,一時的なものであったことを学びました。聖書はこう述べています。「愛は決して絶えません。それに対し,預言の賜物があっても,それは廃され,異言があっても,それはやみ,知識があっても,それは廃されます」。神のこうした特別な賜物は,揺らん期にあるキリスト教の顕著な特徴でしたが,大人に赤子の特徴が残っていないように,これらの特別な賜物もまた廃れるべきものであったことを聖書は示しています。―コリント第一 13:8-11。

それでわたしは,ペンテコステ派の信者であったころ,神から与えられたかのように思って受けていた賜物が,実はサタンと悪霊たちの力の働きであったことを認識するようになりました。聖書は,『サタン自身が自分を光の使いに変様させる』こと,そして「偽りのしるしと異兆を伴い,また……あらゆる不義の欺きを伴って」多くの人々をだまそうとすることを述べて警告を与えています。―コリント第二 11:14。テサロニケ第二 2:9,10。

こうした事柄を理解できて,何と幸福なのでしょう。霊と真理とをもって神に仕える人すべてを祝福するために,この地を支配する正義の王国政府を立てられるという神の目的を理解したことは,何にも増して平安と満足をもたらしました。聖書の約束とは,間もなくそうした王国支配の下で,次のような状態がもたらされるというものです。『神みずから[人類]とともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない』― 啓示 21:3,4。

異なった種類の伝道者

わたしが真の神エホバに仕えるために献身し,その象徴として水のバプテスマを受けてから,15年が経過しました。それ以来,わたしの人生の主要な目標は,神のみ子イエス・キリストの次のような預言の成就にあずかることでした。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから[この事物の体制の]終わりが来るのです」― マタイ 24:14。

かつてペンテコステ派の牧師として奉仕していた故郷の町サンカタルドで,神の王国に関する真理を学び,王国宣明の業にあずかるよう多くの人々を援助できたことは,わたしにとって格別の喜びとなりました。現在わたしは,家族と共に北イタリアのトリノという町に住んでいます。この町に住む他の人々に,神の王国こそ平和と幸福のための唯一の希望であることを宣べ伝える業に,七人の息子のうち,年上の三人が加わるのを見て,わたしの喜びは増し加わりました。

それで,わたしたちはあらゆる場所の神のしもべたちと共に,非常な期待をもって次の聖書預言の完全な成就を待ち望んでいるのです。「それらの王たちの日に天の神は,決して滅びに至らされることのない王国を建てられます。そして,その王国はほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらの王国をすべて打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めなき時まで立つでしょう」。(ダニエル 2:44,新)― 寄稿。

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