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  • 『光が義なる者のためにきらめいた』
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1982
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1982
塔82 3/1 16–20ページ

『光が義なる者のためにきらめいた』

「光が義なる者のために,歓びが心の廉直な者たちのためにきらめいた」― 詩 97:11,新。

1 義なる者を邪悪な者から区別するものとして何を挙げることができますか。

義なる者と邪悪な者,エホバ神の真の僕と神の敵対者であるサタン悪魔につながれている人々とを区別するものは何でしょうか。それは何よりも,義なる者たち,エホバ神の真の僕たちは光を喜ぶという事実でしょう。そうした人たちのために確かに『光がきらめきました』。(詩 97:11,新)邪悪な者はと言えば,彼らは暗やみのうちを歩んでいます。そうです,「義なる者の進路は夜明けの最初のきらめきのようであり,日中の最大限の光に至るまで,次第に明るく輝いてゆく。しかし邪悪な者の道は深い暗やみのようである,彼らは自分たちをつまずかせるものを知らない」のです。―箴 4:18,19,新国際訳。

2 義なる者の進路に差す光が増し加わってゆくことはどんな例えで説明できますか。

2 義なる者の進路に照る光の輝き方は漸進的であることに注目してください。それは『次第に明るく輝き』続けます。このことは,夜の明ける前に起きて,田園地帯を抜ける徒歩旅行を始める人の例えで説明できるでしょう。遠方にある建物の輪郭は見えるとしても最初はそれが納屋であるのか人家であるのか分かりません。空が白み,その建物に近寄るにつれ,次第にそれが人の家であることが分かってきます。しばらくすれば,それがれんがの家ではなく木造の家であることも分かるでしょう。それから,その家の色,その他の事柄がはっきりしてきます。

3 光が増し加わることには,どんな要素が関係していますか。

3 神の僕たちの経験したこともそれとよく似ています。時間の隔たりがかなりあり,わずかな光しか当たっていない時にある事柄を見たときは,不完全で不正確な見方をすることが少なくありませんでした。そうした状況の下で,わたしたちは以前持っていた見解に影響されていたかもしれません。しかし光が次第に明るくなり,種々の出来事が近付くにつれ,神の目的の遂行に関するわたしたちの理解はより明快なものになります。エホバの聖霊によって様々な預言に光が当てられ,世界の出来事,あるいは神の民の経験の中でそれらが成就する時,その預言はわたしたちにとって理解のできるものとなります。エホバ神は正にこうした方法で,古い昔からご自分の僕たちを扱ってこられたのではありませんか。確かにその通りです。

アブラハムの模範

4,5 神はアブラハムに対し,どのようにご自分の目的を徐々に明らかにされましたか。

4 神がご自分の友と呼ばれた信仰の人,アブラハムのことを考えてください。(イザヤ 41:8。ヤコブ 2:23)アブラハムはエホバ神と親密な関係にありましたが,最初は神の目的を完全に理解していたわけではありません。アブラハムの生涯に生じた幾つかの出来事からこのことはよく分かります。その理解は徐々に進んでゆきました。神はアブラハムに故国を去るようにお命じになり,あなたから大いなる国民を造り,あなたを通して地の全家族は自らを祝福すると告げられました。しかしアブラハムは詳細な事柄をすべて知っていたわけではありませんでした。アブラハムは「自分がどこへ行くのかを知らないのに」従った,と述べられています。(ヘブライ 11:8)さらに,神はアブラハムの胤に土地を与えると約束されましたが,アブラハムはそれがどのように実現するか知りませんでした。自分の僕エリエゼルが家を継ぐのではないかという懸念さえ表明しています。それでエホバは問題を明らかにし,アブラハムに,「あなた自身の内から出る者が相続人としてあなたの跡を継ぐであろう」と述べられました。(創世 12:1-3,7; 15:2-4,新)アブラハムの妻サラはうまずめであったため,サラは自分の仕え女であるハガルと関係を持つようアブラハムに頼みました。アブラハムはハガルによってイシマエルをもうけました。その後神は,約束の胤はサラを通してもたらされるとアブラハムに説明されました。―創世 17:15-17。

5 したがって,エホバが直接にアブラハムに啓示されたことはどれも真実でしたが,神がどのようにこの目的を遂行されるかについてアブラハムは正確に理解していなかったことが分かります。それでもアブラハムは信仰を働かせ,エホバを待ち続け,時の経過と共にさらに詳しい啓発を受けたのです。同様に,エホバから息子のイサクをモリア山上で犠牲としてささげよという命令を受けた時,アブラハムにはこの事がどう果たされるのか,正確には分かりませんでした。しかしアブラハムは,たとえ神がイサクを死人の中からよみがえらせなければならないとしても,神はイサクを通して胤を起こされるという信仰を抱いていました。―ヘブライ 11:17-19。

ダニエルおよび他の預言者たち

6,7 (イ)神がご自分で定めておられる時期にのみ物事を明らかにされることを,ダニエルのどんな言葉が示していますか。(ロ)この線にそって,ペテロはどんな証しを行なっていますか。

6 エホバが直接に啓示を与えて好意を示された多くの預言者たちの中にダニエルがいます。ダニエルは神にとって「大いに望ましい人」でした。(ダニエル 10:11,19,新)エホバは,ダニエル自身の時代と将来の時代とに関してダニエルに多くの特別な情報を与えられました。が,ダニエルは関係する事柄の全体を理解していたわけではありません。自分の見た幻のあるものについてダニエルは,「わたしは,自分で聞いたが,理解することができなかった」と述べています。より多くの情報を願い求めた時,ダニエルは,「行け,ダニエルよ。これらの言葉は終わりの時まで秘められ,封印しておかれるからである」と告げられました。(ダニエル 12:8,9,新)同様にエホバ神は,ご自分の僕である預言者たちに絶えず数多くの真理を啓示してこられました。それでも,彼らの理解を超える事柄は少なくなかったのです。

7 そういうわけで使徒ペテロは次のように書くことができました。「ほかならぬこの救いに関して,勤勉な探究と注意深い調査が,あなたがたに向けられた過分のご親切について預言した預言者たちによってなされました。彼らは,自分のうちにある霊が,キリストに臨む苦しみとそれに続く栄光についてあらかじめ証しをしている時,それがキリストに関して特にどの時期あるいはどんな時節を示しているかを絶えず調べました。彼らは……今あなたがたに発表されている事柄に奉仕しましたが,それが,自分自身のためではなく,あなたがたのためであることを啓示されました」。実際,み使いたちでさえ,神のお目的がどのように遂行されるかに関しては,十分で完全な理解を得ていませんでした。―ペテロ第一 1:10-12。

8 バプテスマを施す人ヨハネの質問は,その理解が完全ではなかったことをどのように示していますか。

8 そのような預言者たちの最後に位置していたのはバプテスマを施す人ヨハネです。神はヨハネを,キリストであるイエスの前に道を備える者としてお用いになりました。(ルカ 1:16,17,76-79)ヨハネは豊かな恵みを受け,メシアを見分けるしるしを神から授けられ,そのメシアをイスラエルに紹介しました。(ヨハネ 1:26-36)それでも,ヨハネはイエスの最初の到来と関係のある詳細な事柄をすべて明確に理解してはいませんでした。そのことは,ヨハネがろう屋の中にいる時に自分の弟子たちをイエスのところに遣わし,「あなたがきたるべきかたなのですか。それとも,わたしたちはほかのかたを待つべきでしょうか」と尋ねさせたことから分かります。ヨハネの質問は信仰の欠如ではなく,より明確な証拠を得たいという願いの表われでした。ご自分の業について指摘したイエスの答えは,ヨハネに慰めを与えたに違いありません。―マタイ 11:2-6。

イエスとその使徒たち

9 イエスがみ父の目的の完全な理解を得ておられなかったことを何が示していますか。

9 神はご自分が予定しておられる時にのみ僕たちにご意志を啓示されますが,それはイエス・キリストにもあてはまります。イエスは天においてみ父と共におられた時,直接に情報を得ておられたはずです。それでもイエスご自身は,現在のこの事物の体制の終わりがいつ到来するかについてはご存じありませんでした。その理由でイエスは,「その日と時刻についてはだれも知りません。天の使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます」と述べておられるのです。―マタイ 24:36。

10,11 (イ)イエスの弟子たちは王国に関し,どんな誤った結論に達していましたか。(ロ)なぜイエスは,将来のこと,および他の事柄についてご自分の弟子たちに告げることを制限されたのですか。

10 イエスご自身,弟子たちを扱う際,箴言 4章18節に記されている原則に調和して行動されました。ご自分は去って行くが,長い時間がたったあとに戻ってきて弟子たちを天の自分の家に連れて行く,というような,王国に関する多くの事柄を弟子たちに話されました。ところがそうしたことすべてにもかかわらず,使徒たちは,メシアの王国とはエルサレムにおける回復されたダビデの王国のことであるという考えに固執していました。ですから彼らは復活したイエスに,「主よ,あなたはいまこの時に,イスラエルに王国を回復されるのですか」と尋ねたのです。イエスは彼らに,「父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなたがたのあずかるところではありません」と述べ,彼らにはまだ理解できないことが幾らかあると言われました。―使徒 1:6,7。

11 神の様々な目的の特定な面の理解を得るべきふさわしい時があることは,イエスが使徒たちに語られた,「わたしにはまだあなたがたに言うべきことがたくさんありますが,あなたがたは今はそれに耐えることができません」という言葉にはっきりと示されています。(ヨハネ 16:12)これは神が,ご自分の僕たちの把握力やそうした理解を活用する能力に応じてご意志に関する理解をご自分の僕たちに与えられることを示すものです。イエスが,神の霊は彼らを「真理の全体へと」案内すると言われたのは確かです。(ヨハネ 16:13)しかしイエスは,弟子たちが聖霊を受けたその日から真理の全体を明瞭に理解し,その後はより深い理解を得る必要はないという意味でそう言われたのでしょうか。事実からすれば,そうではありません。

異邦人が許可を得る

12,13 (イ)イエスの追随者たちはペンテコステの日に,どんなより明快な理解を与えられましたか。それは彼らにどんな影響を及ぼしましたか。(ロ)イエスはすべての国の人々を弟子にするようにという使命をお与えになりましたが,弟子たちが最初にそうしたのはいつですか。なぜその時が最初だったのですか。

12 西暦33年のペンテコステの日に弟子たちは確かに聖霊を受け,それに伴ってイエスの復活,イエスの昇天,神の王国の意義に関するより明快な理解が与えられました。この知識によって彼らは他の人々に「良いたより」を知らせるための熱意を鼓舞されました。イエスは彼らがすべての国の人々を弟子とすべきであると述べておられましたが,それでも彼らは最初宣べ伝える活動をユダヤ人と非ユダヤ人の改宗者に限定し,そのうちにサマリア人にまで広げられました。彼らは無割礼の異邦人のところに行くべきことを理解していませんでした。(マタイ 28:19,20)エホバがそうした啓発を差し控えておられたことは確かです。ダニエルの預言には,メシアがユダヤ人との契約を70週目の残りの部分も有効なものとして保たれると記されているからです。―ダニエル 9:24-27。

13 その「週」が西暦36年に終わった時,エホバ神は積極的に行動され,諸国の民に「良いたより」を初めてもたらされました。ペテロは律法によって汚れたものと考えられていた無割礼の異邦人の家に入る前に,確かに自分の考え方を調整するための助けが必要でした。こうこつとした状態の時に,「あなたは,神が清めた物を汚れていると呼んではならない」と教えられる必要があったのです。ですからペテロと他の使徒たちはこの問題に関する自分たちの見解を変えなければなりませんでした。ペテロはそうしました。そして天の神の王国への道が開かれたことを異邦人に告げ知らせるため神に用いられました。―使徒 10:9-43。

14 モーセの律法の要求事項に関して,初期のクリスチャンたちは幾年かあとにどんな光を得ましたか。

14 ところがその13年後,割礼が一部のクリスチャンたちの間でやはり議論の的になりました。パウロと他の弟子たちがエルサレムに行き,この問題について,当時クリスチャン会衆の統治体を構成していた使徒たちや他の長老たちと相談することが必要になりました。統治体は,コルネリオの改宗についてのペテロの発言と,異邦人に対するパウロの奉仕の務めに関連して神が行なわれた力強い業をめぐるパウロの証言を聞きました。それから統治体は,その問題について神の霊感による言葉が何と言っているかを考慮しました。聖霊の助けを得て,彼らは正しい結論,つまり特定の行動の規準は必要であるが,異邦人がクリスチャンになるために,割礼を受けてモーセの律法を守る必要はないという結論に達しました。―使徒 15:1-16:5。

15,16 (イ)パウロが,真理は漸進的に啓示されると認識していたことを,パウロのどんな言葉が示していますか。(ロ)ペテロはどんな同様の証しを行なっていますか。

15 この会議があった6年ほど後に,パウロはコリントの人々に第一の手紙を書き,霊によって生み出された当時のクリスチャンたちに関しこう述べています。「わたしたちの知識は部分的なものであり,預言も部分的なものだからです。全きものが到来すると,部分的なものは廃されるのです。現在わたしたちは金属の鏡でぼんやりした輪郭を見ていますが,その時には顔と顔を向かい合わせて見るのです。現在わたしが知っているのは部分的なことですが,その時には,自分が正確に知られているのと同じように,正確に知ることになります」。ですからこの時点においてさえ,使徒パウロ自身を含め霊によって生み出されたクリスチャンたちは,真理の全体の完全な知識へと聖霊によって導かれていたのではありません。彼らの知識はいまだに部分的なものであり,その時までに神から与えられた理解しか得ていませんでした。しかしそれは,当時の彼らの必要に十分こたえるものでした。―コリント第一 13:9,10,12。

16 パウロが前述の事柄を書き記してからほぼ9年後つまり西暦64年ごろに,ペテロは仲間のクリスチャンたちに何と書きましたか。イエスが神の子であることを確証した変貌の経験について論じたあと,ペテロは続けてこう述べています。「したがって,わたしたちにとって預言のことばはいっそう確かなものになりました。そしてあなたがたが,夜があけて明けの明星が上るまで,暗い所に輝くともしびのように,心の中でそれに注意を向けているのはよいことです」。(ペテロ第二 1:16-21)それでクリスチャンたちはやはり,聖書をよく調べ,暗い所に輝くともしびのような預言の言葉にしっかりと注意を向けていなければなりませんでした。イエス・キリストが栄光のうちに現わし示され,油そそがれたクリスチャンたちがその報いを経験する時まで,そうし続けなければならないのです。

17 (イ)啓示の書が与えられて,どんな新しい真理がクリスチャンたちに知られるようになりましたか。(ロ)その書に関して,いつ,より明るい光が輝くことになっていましたか。

17 ペテロがその第二の手紙を書いてから約32年後,つまり西暦33年のペンテコステからざっと63年後に,使徒ヨハネは啓示の書を構成する一連の幻を与えられ,それを記録しました。この幻の中で,神の目的に関する幾つかの真理が,霊によって生み出されたクリスチャンたちに初めて明らかにされました。例えば,この幻によって彼らは,14万4,000人の男女がすべての国の人々から贖われ,イエス・キリストと共同の相続者となり,1,000年間続くメシアの王国において王,祭司そして裁き人として支配することを知りました。(啓示 7,14,20章)それでも,その初期のクリスチャンたちでさえ,完全な知識を持っていたのではありませんでした。今日神の言葉を学ぶ人々は次のことを理解できます。それは,啓示の書の幻はヨハネの時代のクリスチャンに教訓と励ましを与えるものだったかもしれませんが,わたしたちが今いる「主の日」に生活する人々にとっては特別な価値を持つということです。(啓示 1:10)例えば,啓示 5章1-14節には,一つの巻き物のことが描写されています。その巻き物には封印があって,巻き物を開くためにはその封印を解かなければなりません。このことは,啓示の書の預言が成就を見る際には,各々の封印が順に解かれるごとに,必ず知識と理解が漸次明らかにされるということを示しています。

18 ではエホバ神は古代および西暦1世紀のご自分の僕たちにどのように真理を明らかにされましたか。

18 したがって,キリスト教時代以前のエホバの忠実な僕たちを見ても,西暦第1世紀の油そそがれたクリスチャンの会衆を見ても,知識や理解は例外なく不完全であったことが分かります。彼らはエホバの目的が漸次遂行されるのを観察し,また経験するにつれ,絶えず進歩して自らの理解を調整しなければなりませんでした。彼らにとって,義なる者の進路は確かに『いよいよ明るさを増す輝く光』のようでした。(箴 4:18,新)光の強さが増すと,彼らは知識において成長し,エホバが絶えず明らかにしておられる壮大な真理をより十分に理解できるようになりました。

19 「終わりの時」の知識と理解に関し,神は預言者ダニエルに何と言われましたか。

19 しかし,終わりの時のエホバの僕たちについてはどうでしょうか。一人のみ使いがダニエルにこう告げています。「ダニエルよ,あなたは終わりの時までこれらの言葉を秘し,この書を封印しておくように。多くの者が[神の言葉の中を]行き巡り,[その結果として]真の知識が満ちあふれる」。(ダニエル 12:4,新)10節(新)では,神の僕たちに関してさらにこう述べられています。「多くの者が身を清め,白くし,錬り清められる。そして,邪悪な者は必ず邪悪に振る舞い,邪悪な者は一人として理解しないであろう。しかし,洞察力のある者は理解する」。この啓発は一度にすべてが与えられるのでしょうか。「洞察力のある者」とみなされるために,神の僕は細部にわたる完全な知識と理解を持ち,いつになっても特定の教えや他の事柄に関する見解を再調整したり変えたりする必要はないのですか。これらの質問や他の事柄が,次の二つの記事で考慮されます。

[20ページの囲み記事]

エホバが過去のご自分の僕たちを扱われた方法は,エホバのお目的の理解が多くの場合漸進的にもたらされることを示しています。

「胤」に関する神の約束がどのように果たされるかについて,アブラハムは詳しいことを知りませんでした。

ダニエルはその預言の最終的な結果がどうなるかを理解していませんでした。

メシアを紹介したバプテスマを施す人ヨハネは,他の人が到来するのかどうかを明らかにしてほしいとあとで尋ねました。

イエスご自身,「大患難」の日時についてご存じありませんでした。

使徒たちは,王国が天的なものであり,異邦人もそれを受け継ぐということを漸進的に学ばなければなりませんでした。

キリストの統治が1,000年に及び,14万4,000人の共同相続者がいるということを,初期クリスチャンたちは啓示の書を与えられて初めて理解しました。

[16ページの図版]

早朝に散歩するとき,いろいろな物はこちらが近付くにつれ,また暗やみが徐々に明るくなってゆくにつれ,一層はっきりしてくる

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