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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
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すべての人に十分の食糧?

地球には現在の人口が食べてゆけるだけの十分の食糧生産能力があるのでしょうか。トロント・スター紙に載せられたジャック・カーヒルによる特集記事は,地球にその能力があること,しかもさらに多くの人が食べてゆけるだけの食糧生産能力があると答えています。「国連食糧農業機関(FAO)によると,地球全体から見れば,地上のすべての人を1日3,000カロリーで養うに足る穀物が栽培されている。これは北アメリカの平均消費量を上回るカロリー数で,最低限必要とされるカロリー数を50%ほど上回る」と,カーヒルは書いています。将来の見通しとして,カーヒルは現在の世界人口の2倍に当たる人口の必要を満たすに足るだけの食糧さえ得られるであろうと説明しています。

飢餓に苦しむ人たちが地球上に幾億もいることに気付いている人々は,こうした話を聞いて不思議に思うでしょう。ところがその記事は,「問題は食糧の不足にあるのではなく,飢えにあり,その理由は貧困と政治と経済と不公平な配分とにある」ことを指摘しています。諸機関は,単に食糧を贈るだけでは永続的な解決策にはならないことに気付いています。「人々が自ら食べてゆける方法を学べるような」援助が必要とされています。

政治を変え,食糧の分配を監督し,一般の人々を教育することのできるどんな機関があるでしょうか。神の王国しかありません。神の支配がもたらす恩恵の中には,詩編 146編7節に述べられているものがあります。その聖句は人間の創造者を,「だまし取られる者たちのために裁きを執行してくださる方,飢えた者たちにパンを与えてくださる方」として描いています。

懲らしめの価値

エホバの証人の採用している悪行者に対する排斥,つまり破門の処置は余りにも厳しすぎると考える人もいます。米国フロリダ州のセント・ピーターズバーグ・タイムズ紙は,この問題に関する記事を掲載した後,「エホバの証人の措置は幾らか厳しすぎるかもしれないと考える」人々にあてた一読者の投書を公にしました。その読者は次の点を認めています。「私は今年[1981年4月に]排斥されました。……私は聖書が否としていることを承知で違法行為を含む様々な活動に加わっていました。またこうした事柄のうちのあることについてはうそをつき,悔い改めの霊を示しませんでした」。

その読者はエホバの証人に関して次の点を指摘しています。「人々が排斥されるのは,神の“み言葉”の中にはっきりと述べられている神の高い基準に従おうとしないからです。それは自業自得です」。自分の場合にもこれが当てはまることをこの人は認めています。「他の諸組織がエホバの証人と同じほど“厳格”であれば,利己的な違法者ははるかに少なくなり,それゆえこの世には苦痛や問題がはるかに少なくなっているでしょう」と述べています。

しかし,「その邪悪な人をあなた方の中から除きなさい」という聖書の命令通りに,悔い改めない悪行者を処分するだけの勇気を持つ宗教組織はほとんどありません。(コリント第一 5:13)こうした処分によって,神のみ名に対する非難が晴らされ,会衆の成員の間の良い交わりが保たれます。また,うまくゆけば,それがきっかけとなって悪行者が自分の道を改めることにもなります。そして「キリストの愛」は,ある人々が主張するように,そのような人を感傷的に甘やかすものなどでは決してありません。イエスご自身,悔い改めない人を『除名する』べきであると指示されました。―マタイ 18:15-17,リビングバイブル。

一方,そのような断固とした措置のもたらす益は,上記の事例の場合によく示されました。この人は悔い改め,エホバの証人の一人として復帰しました。

脳を殴打する

リングの上での合法的な殴打の結果として最近幾人かのプロ・ボクサーが死んだために,このスポーツに対する重大な疑問を多くの人が抱いています。(米国では1982年にリングの上で5人の死者が出た。)「脳を殴打することはスポーツではない」と題する社説の中で,ニューヨーク・タイムズ紙はこう述べています。「技を見るためにボクシングを観戦する人もいるが,血を見るだけのために観戦する人もいる。流血よりもはるかに悪いのは目に見えない損傷である。網膜はく離や腎臓の損傷が起き,幾度もたたかれると,脳の高度の機能に対する損傷が大脳皮質にたまり,パンチを受けてふらふらになったボクサーに見られるような記憶喪失をきたし,よろよろ歩きをするに至る。文明社会が,そのようなスポーツから楽しみを得ることをもっともらしい口実をつけて正当化することができるだろうか」。

さらに重要なこととして,「敵を傷つけることを明確な目的としているスポーツ」とその社説が述べているスポーツは,クリスチャンの原則と調和するものでしょうか。聖書は次のように忠告しています。「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない。愛は自分の隣人を傷つけることのできない一つのものです」― ローマ 13:9,10,エルサレム聖書。

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