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人類に対するわたしたちの愛を広げるものみの塔 1974 | 6月1日
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に対する深い関心と愛です。使徒パウロは自分自身および自分の同労者たちについてコリントの人々にこう書き送りました。「あなたがた自身が,わたしたちの心に書き込まれ,すべての人に知られ,かつ読まれている,わたしたちの手紙なのです。あなたがたは,奉仕者であるわたしたちによって書かれ,インクによらず生ける神の霊によって,石の書き板ではなく肉の書き板に,すなわち心に書き込まれた,キリストの手紙として示されているからです」。(コリント第二 3:2,3)自分の教える人たちに深い愛と関心をいだくとき,その教えを受ける人たちはわたしたちの心に書き込まれた「手紙」のようになります。そして,わたしたちが神の霊の助けに頼り,自分の可能な範囲内で力を尽くすなら,それに答え応じる人々は,神の霊によって心に書き込まれたキリストの手紙のようになります。そうです,そうした人々の心に対する神の霊の働きの結果としてクリスチャンの人格が表わし示されるようになり,観察する人々はそれを見,もしくは『読む』ことができます。あなたは,神の『同労者』として,そうした「手紙」を生み出すために精力的に努力していますか。
24 エホバのしもべとしてのわたしたちの活動について真剣に考えるなら,それはどのような結果になりますか。
24 エホバ神のしもべとしての自分の活動を考えるとき,あなたは多くの喜びを思い返すことができるにちがいありません。確かにあなたは,さらに多くのことができたらと考え,また自分を改善できる分野があることに気づくかもしれません。また,生きた「手紙」をこれといって示せないということでときに失意することもあるかもしれません。しかし,宣べ伝えて教えるというクリスチャンの任務を果たすために努力してきたのであれば,エホバ神とイエス・キリストがあなたの身をささげた奉仕を喜んでくださることを確信できます。今,他の人々に対する自分の責任を,霊的な「赤子」であった時以上に強く自覚するのは全く当然であり,また良いことです。他方,もしわたしたちの中に,多少利己的な傾向をいだいてきた人がいるならば,そうした人たちは,自分を広くして,仲間の人間に愛と親切さと寛大さを示す面で全き者となることについて真剣に考えるべきです。わたしたちは,エホバ神とイエス・キリストが人類に対して持つ愛に一致して行動する者となり,それによって,神の報復の日に,保護を受けるに価する者として見いだされますように。
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私たちは祭司職を必要としていますかものみの塔 1974 | 6月1日
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私たちは祭司職を必要としていますか
人びとが助けを必要としていることには疑問の余地がありません。病気のために恐るべき数の人びとが命を失っており,犯罪は増加の一途をたどって人びとを脅かし,また不道徳はあらゆる種類の災いや暴力行為はもとより忌まわしい疾病を引き起こしています。多くの人は落胆し,希望を失い,何をしてよいのか途方に暮れています。―ルカ 21:25,26。
ところで今日,何千人もの祭司たちがさまざまの宗教団体を代表しています。ローマ・カトリック諸教会の司祭や監督教会派の司祭もおれば,仏教や神道その他,キリスト教以外の諸宗教の祭司もいます。それら祭司は人びとの苦しみを軽減させ,犯罪や不道徳,病気や死の潮流を食い止めてきましたか。
それらの祭司,特にキリスト教世界の諸教会の
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