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  • 栄光 ― それは何ですか 人間にどう影響しますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
塔76 9/1 517–520ページ

栄光 ― それは何ですか 人間にどう影響しますか

「栄光」,「栄光の」,あるいはこれと同類の言葉を聞く時,あなたは何を思い浮かべますか。これは聖書を研究する人にとって関心のある事柄です。その訳は,「栄光」という語がいろいろな語形で450回以上も聖書に出ているからです。栄光とはどういうことですか。

聖書は栄光ということについて,幾通りかの違った仕方で述べています。ヘブライ語聖書において,最も多く「栄光」と訳されている原語はカーボードで,その基本的な意味は「重味,重荷」です。それで,ある人の場合,栄光とは物質的な所有物のことを指しています。財産によって人は重きをなし,感銘を与えるように見えるからです。

神の栄光

聖書は神に関連して数多く栄光ということを述べています。これらの場合における栄光の意味について,新約聖書神学辞典に次のように出ています。「人間に関連してカーボードが,物質的な所有物の点においてであれ,人目を引く[威厳あるいは重要さの]点においてであれ,人に重きをなさせ,尊敬を得させるものを意味するとすれば,神に関連してそれは,人間の前に神を重要な存在とならせるものを意味する」。

宇宙にちりばめられた無数の天体は,この意味で「神の栄光をあらわし」ています。(詩 19:1,口)モーセの律法が与えられた時,「燃る火」を含む恐るべき光景は,シナイ山の上における「エホバの栄光」のあかしでした。(出エジプト 24:16-18)聖書はまた「キリストが父の栄光[カーボードに相当するギリシャ語ドクサ]によって死人の中からよみがえらされた」ことを述べています。(ローマ 6:4)これらすべての場合,栄光は,神の全能の力を示す感銘的な証拠を意味しています。

ルカ 2章9節において栄光はこれとは別の意味に使われています。「すると突然,エホバの使いが彼らのそばに立ち,エホバの栄光が彼らのまわりにきらめいた。そのため彼らは非常な恐れを感じた」。この場合,栄光は「輝き」,「光彩」という意味です。同じ意味で聖書は太陽,月,星の栄光について述べています。―コリント第一 15:40,41。

栄光とイエス・キリスト

神のことばは,イエス・キリストに関連して何回も栄光ということを述べています。イエスの最初の奇跡について聖書の記すところによれば,「イエスは……ご自分の栄光を明らかに示され」ました。(ヨハネ 2:11)この場合の栄光は,イエスが約束のメシアであることを確証する奇跡的な力のあらわれでした。

イエスは神への祈りの中でこの語をさらに別の意味に使われました。「それで,父よ,世がある前にわたしがみそばで持っていた栄光で,わたしを今ご自分のかたわらにあって栄光ある者としてください」。(ヨハネ 17:5)ここでイエスは,地に来られる前に天で享受しておられた高い立場のことを言われています。この祈りに答えて,神はイエスをよみがえらせ,天に連れ戻すことによって「ご自分のしもべイエスに栄光を与え」ることをされました。(使徒 3:13-15)しかしイエスはそれよりもさらに大きな栄光を受けることになっていました。

イエスの変ぼうに関するルカの記述は次のようです。「祈りをしておられるうちに,その顔は異なった様子になり,その装いはきらめくほど白くなった。また,見よ,ふたりの人が彼と語り合っており,それはモーセとエリヤであった。これらの者が栄光につつまれて現われ,彼がエルサレムで遂げるように定まっている出立について語りはじめたのである。ところで,ペテロおよびともにいた者たちは眠気に圧倒されていた。しかし,すっかり目が覚めた時に,彼の栄光の様子……が見えたのである」。(ルカ 9:29-32)使徒ペテロの説明によれば,この幻は,著しい栄光すなわち王国の権を執って見えないさまで「臨在」される時にイエスの受ける王としての「荘厳さ」と関係のあるものでした。―ペテロ第二 1:16。

またイエス・キリストは,なお別の仕方で栄光を表わし示されるでしょう。聖書は,イエスの臨在の時に生きている世代に「大患難」が臨むことを予告しています。そして「彼が来て,その聖なる者たちとの関係で栄光を受ける」その時に,イエスの栄光はいやがうえにも表わし示されるのです。―マタイ 24:21,22。テサロニケ第二 1:9,10。

人類に影響する栄光

聖書は,人類に関係するものとしての栄光について述べています。例えば,使徒パウロがローマ 3章23節に書いていることに注目してください。「すべての者は罪を犯しているので神の栄光に達しない」。どうしてこのような事になったのですか。

神のことばは,最初の人間夫婦アダムとエバが,善悪を知る木の実を食べないようにという神の命令に背いたことを述べています。(創世 2:15-17; 3:1-6)背いた二人は,人間がそのかたちに創造された神の完全な属性を,然るべき程度まで反映することに失敗しました。(創世 1:26,27)アダムの子孫すべては罪と,罪の結果である死を受け継いでいるゆえに,人間家族はひとり残らず神の栄光をふさわしく反映することができないのです。―ローマ 5:12; 6:23。

人類を再び完全な者とするために,神は人類の中のある人々に天の栄光を与えて祝福することを目的とされました。(ローマ 8:18,19)聖書によれば,創造者は,人間として地上に生きた14万4,000人の人々を天に導き入れるでしょう。(啓示 14:1-5)これらの人々は,キリスト・イエスと共に地を治める天の王国の一団を構成します。―啓示 5:9,10。

あなたの行ないと神の栄光

天におけるものでも地上におけるものでも,将来の祝福を待つ間,クリスチャンはどんな行ないをすべきですか。この点について,霊感による聖書の筆者はこうさとしています,「ですから,あなたがたは,食べるにしても,飲むにしても,あるいはほかのどんなことをするにしても,すべての事を神の栄光のためにしなさい」。(コリント第一 10:31)この場合,人々が神に帰する誉れと賛美とによって栄光は明らかに示されます。この点でクリスチャンの行ないが真に重要なことを示して,イエスはこう言われました,「あなたがたの光を人びとの前に輝かせ,人びとがあなたがたのりっぱな業を見て,天におられるあなたがたの父に栄光を帰するようにしなさい」― マタイ 5:16。

しかし神の真の崇拝者が避けたいと思う種類の栄光があります。どうしてそうですか。イエスについてヨハネの書いた事柄を考えてください。「実際には,支配者たちでさえその多くの者が彼に信仰を持ったのである。しかしパリサイ人たちのてまえ,彼について告白しようとはしなかった。それは,会堂から追放されないようにとしてであった。彼らは,神からの栄光よりも人からの栄光を愛したのである」。(ヨハネ 12:42,43)クリスチャン,なかでも監督や,そのような職を「とらえようと努めている」人は,人の賞賛を求めることのないように気をつける必要があります。(テモテ第一 3:1)人の賞賛を求めるよりも彼らはイエスの完全な模範にならわねばなりません。イエスはこう言われました,「わたしは人からの栄光を受け入れないのです」― ヨハネ 5:41。テサロニケ第一 2:5,6。

「栄光から栄光へ」

聖書は,神の栄光を反映する点で絶えず進歩するようにと神の崇拝者を励ましています。この事について使徒パウロは,十戒を刻んだ二枚の石の板を二度目に受け取ってのちシナイ山から下った時のモーセの経験を基にして論じています。その時モーセの顔が光を放ち,栄光に輝いたので,モーセは顔を覆ってイスラエル人に語ることが必要でした。(出エジプト 34:29-35)パウロは次のように論じています。「死をもたらし,文字で石に刻み込まれた法典が栄光のうちに生じ,その結果,イスラエルの子らがモーセの顔を,その顔の栄光のゆえに,すなわち取り去られることになっていた栄光ゆえにじっと見つめることができなかったのであれば,霊をもたらすことにはなおいっそう栄光が伴うのが当然ではありませんか。有罪宣告をもたらす法典が栄光あるものであったなら,義をもたらすことにはなおさら栄光が満ちあふれるからです」― コリント第二 3:7-9。

モーセの律法が与えられた時に伴った実際の栄光とは対照的に,エレミヤの予告した「新しい契約」の下にある14万4,000人は,神ご自身の性質を反映する霊的な栄光で比類なく輝かなければなりません。(エレミヤ 31:31-34)新しい契約は「罪のゆるし」と,全人類を祝福する「王なる祭司」の両方を与えるゆえに,そのもたらす益において律法契約をはるかにしのぐものです。(使徒 5:31。ペテロ第一 2:9。出エジプト 19:5,6)また新しい契約の下にある人々は「霊……をもって」神を崇拝します。(ヨハネ 4:23,24)すなわち彼らの崇拝は,文字に書かれた律法によるよりも心の内奥より鼓舞され,動機づけられるものです。(コリント第二 3:3)確かにいっそうすぐれた栄光すなわち神の完全な性質がここにおいて表わされ,明らかに示されます。

顔覆いをしたモーセの行動を,「新しい契約」下にあるクリスチャンの活動と対照してパウロは次のように書いています。「そして,わたしたちすべては,ベールをしていない顔で,エホバの栄光を鏡のように反映しつつ,霊なるエホバのなさるままに,栄光から栄光へと,同じ像に変えられてゆくのです」― コリント第二 3:18。

クリスチャンは,神の栄光を反映する面で絶えず進歩しなければなりません。この事をするひとつの大切な方法は,天の王なる祭司職を通して全人類を祝福する神のお目的について大胆に語ることです。彼らはまた聖書の次の助言に従います。「新しい人格を身に着けなさい。それは,正確な知識により,またそれを創造したかたの像にしたがって新たにされてゆくので(す)」。(コロサイ 3:10)神の崇拝者は,神のお目的を熱心に宣明するとともに,自分たちの生活を聖書の原則にますます一致させ,この二つの事を合わせ行なって「栄光から栄光へ」進み,神にますます栄光を帰するのです。

神が人類を人間の完全さにまで回復させ,「神の栄光に達」することを得させる時を,あなたは待ち望んでいますか。(ローマ 3:23)もしそうであれば,聖書の原則に一致したりっぱな行ないをして神の栄光を反映するため,今できるかぎりの事をしてください。

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