クリスチャン・サイエンスの背後にある霊感
クリスチャン・サイエンスについては世界中の人々がある程度知っています。バスとか電車や汽車の終点,雑誌スタンド,公共図書館などで,クリスチャン・サイエンスの文書が陳列されているのをよく見かけます。また多くの町にも,通行人が気軽に立ち寄ってクリスチャン・サイエンスの本を静かに読める,クリスチャン・サイエンスの読書室が便利な場所に設けてあることでしょう。その読物のうちもっとも顕著なものは,よく名の知れている国際新聞「クリスチャン・サイエンス・モニター」で,広範囲にわたる読者をもつのみならず,4500人の編集業者がこの新聞を予約購読しています。
しかし大多数の人にとっては,この新聞だけがクリスチャン・サイエンスのことを知る最も身近かな手がかりなので,クリスチャン・サイエンスは19世紀の終りにメリー・ベーカー・エディによって始められたということ以上のことは恐らく知らないでしょう。けれどもなかにはクリスチャン・サイエンティストと直接話しをしたことのある人もあるかもしれません。その場合もし会話がクリスチャンサイエンティストの信仰に関するものであったなら,聞き手の方が少々混乱したとしても,それは考えられないことではありません。なぜですか。
たとえば私たちは,毎日のようにこの世の悪を感じさせられますが,クリスチャン・サイエンスの信仰によると,悪は実在しません。死もまた幻想にすぎず,人が死ぬように見えても実際には死んではいないのだ,と言われます。激しい痛みも人の単なる想像で,実際には存在しないというのです。こういう説明を聞くと,この一風変った宗教の起源を知りたく思うでしょう。
メリー・ベーカー・エディは,その特異な教理をどこから得たのでしょう。彼女のあみだした教理はキリスト教のものですか。
霊感による書物
メリー・ベーカー・エディとクリスチャン・サイエンスとはほとんど同意語と言えます。それは彼女の著書がクリスチャン・サイエンスという宗教の根本をなしているからです。もっともよく知られている彼女の書物は,同教会の主要な教科書になっている「聖書への鍵を有する科学と健康」です。また小本「善の一致」も同様に高く評価されています。エディはまた「母教会案内書」という本を書いていますが,これはクリスチャン・サイエンティストを支配する規則や内規を定めたものです。そのほか,忠実なクリスチャン・サイエンティストが秘蔵する著書としては,自叙伝である「追想と内省」,「1883年から1896年までの著作集」「ノーとイエス」という小さなパンフレットなどがあります。
エディ夫人によると,これらの本は神の霊感によって書かれました。「クリスチャン・サイエンスに関して私が書いた本は絶対の真理を含んでいる」と彼女は主張します。「私は命令に従って写字者のように書いたにすぎない。神が書かれることをどうして書き写さずにいられるだろうか」。a また彼女が書いた教会の規則や内規については,「それらは人間以外の力によりうながされて,異なった時に,必要に応じて書かれた」b と言われています。
今日ですら,クリスチャン・サイエンティストは,メリー・ベーカー・エディの著書を神の言葉として尊重しています。同教会の機関雑誌「クリスチャン・サイエンス・ジャーナル」(1961年1月号)は次のように述べました。「エディ夫人は,神の事柄を書いただけの人ではない。彼女の発見は,まさにこうした事柄が出現したものである。ゆえに彼女の言葉は法律であり,その働きには間違いがなく,その著書は霊感によるものである。これらの書物は1頁1頁神より口授されたのであり,各行は栄光に輝く。『母教会案内書』に定められているすべての内規も神から与えられたものであって,遵守されねばならない。このサイエンスは永遠より永遠に解明をつづけてその輝きを増してゆくであろう」。
女性をあがめる
追随者たちがメリー・ベーカー・エディのことを,神の使者だと言い出したのは19世紀の終り頃のことでした。「これは一個の女性にとって何というはなばなしい出世であろう!」と1885年11月の「クリスチャン・サイエンス・ジャーナル」は述べています。「彼女が聖書に出てくる人物と同じく神より遣わされた者であることを,われわれがどうして否定できるだろうか」。彼女が尊敬されていたことは,彼女にあてて書かれた次の手紙の前置によってよく示されています。「愛する母上。婦人の中で最も恵まれたかた! あなたの御声のとどく所にすわり,あなたが天より受ける真理を聞くことこそ私の切なる願いであります!」c
そういえば,1881年の「科学と健康」第3版のある章で,神は始終「母」と呼ばれています。また,現在よく使われる版でさえ16頁に,エディ夫人流の次のような主の祈りがのせられています。「われらの父 ― 母にして,全き調和ある,崇敬すべき神よ。御国はきています。あなたは常に臨在されます」。しかし,エディ夫人も母という尊称を受け,1903年以前の「母教会案内」には,教会の他のどのメンバーもこの尊称を受けてはならないことが規定されているのは注目に価することではありませんか。
しかし明らかに矛盾していると嘲笑されてから,「教会案内」の22条は次のように改正されました。「『母』という語の使用をやめてその代りに指導者という語を使用することは,クリスチャン・サイエンティストの義務である」。しかしエディ夫人は,自分の卓越した地位を守るために,「本教会の会員は,この語をクリスチャン・サイエンスに関して用いる場合」彼女以外の者に対して「用いてはならない」と命令しました。クリスチャン・サイエンエンティストが,この内規と,「『指導者』と呼ばれてはならない。なぜならあなたがたの指導者はひとりだけ,すなわちキリストである」というイエスの命令とをうまく調和させることができないのは当然です。―マタイ 23:10。
1895年に牧師が廃止されて読者だけになったのも明らかにエディ夫人の高い地位を確保するためでした。ですから水曜日の夜と日曜日に開かれるクリスチャン・サイエンスの集会では,読者たちが聖書および「聖書への鍵を有する科学と健康」の一部を読むだけです。彼らが「『レッスン・サーモン』の説明」をすることや聖書の講議をすることは,「教会案内」により禁じられています。こういう制限があれば,すべての注意が,メリー・ベーカー・エディの言葉に集中されるわけです。エディ夫人を高めるもう一つの手段として「教会案内」は,礼拝のたびに,「『聖書への鍵を有する科学と健康』の読者たちが,この本の朗読を始めるまえに,その表題と著者の名前を明確に読むこと」を命じています。
この方針に沿って,クリスチャン・サイエンスの宗教的出版物にはほとんどの頁にもエディ夫人の名がのせられています。エディ夫人が,すべてのクリスチャン・サイエンティストの指導者として仰がれていることは疑う余地がありません。しかし婦人がそのような高い地位を占めうる聖書的根拠がありますか。霊感を受けたイエス・キリストの使徒は,「女が教えたり,男の上に立ったりすることを,わたしは許さない」と言ったではありませんか。しかし今日に至るまで多くの婦人が教師としての地位を占め,やはり婦人であるヘレン・ウッド・ボーマン夫人がいま,ボストンの母教会の長として同教会最高の地位を占めています。―テモテ前 2:11,12。
霊的経験
ところがクリスチャン・サイエンティストは,エディ夫人が高い地位を占めていたことに対する弁解として,彼女は普通の人ではなく,天よりの霊感を受けた人だ,というでしょう。エディ夫人自身も,「追想と内省」の中に次のように書いています。
「私は8歳の頃,はっきりと私の名を呼ぶ声をいく度も聞いた。……これは母の声に違いないと思って母の所に行き,何か用事ですか,と聞いたことがしばしばあった。母は『私は呼びませんよ,どうかしたの』というのが常であった。……ある日のこと,いとこのメヒタブル・ハントンが私の家に来ていた。私は彼女の側の小さないすに腰かけていた。祖母もその部屋に一緒にいた。私はまた呼ばれた。その声は非常に大きくてメヒタブルにも聞えたほどであった」。
若いメリー・ベーカーに対する霊の影響はつづきました。シビル・ウイルバーは,教会が認可した彼女の伝記に,「メリー・ベーカーの霊的経験は,『声』の場合と同じく厳粛で異常なものであった」と述べています。しかし,こうした経験の性質を知るには,当時の状況を理解する必要があります。
メリー・ベーカーは1821年に,ニューハンプシャー州のボーで生まれました。彼女の若い頃,ニューイングランドのいなかには,降神術を行なう者が非常にたくさんいました。「霊媒がいたる所にいて,遠く離れた所にいる病人の治療や催眠術による治療を人々はかなり信頼していた」とシビル・ウイルバーは述べています。最初の夫ジョージ・ワシントン・グローバーが1844年に死んでから,メリーは降神術者たちと親しくするようになりました。シビル・ウイルバーは「彼女が何年も降神術者たちと交わり,降神術の会にさえ出席していた」ことを伝えています。
教会側は,メリー・グローバーが昔降神術に関係していたことを極力打ち消そうと努力しますが,1907年にジョージナ・ミルマインの書いた,正しい証拠に基づいた伝記は,そのことを次のように証明しています。
「ティルトンで降神術がきわめて盛んであったことをはっきりとおぼえている人,またグローバー夫人に霊がのぞんだことを目撃した人々がいまも生きている。ある老婦人は,グローバー夫人と一夜を過ごしたとき,こつこつと何かをたたく不思議な音と,メリーが,違った霊の『現われる』度にそのことを言うのとで眠りがさまたげられたことをおぼえいた」。
またリチャード・ヘイゼルタインは,ある宣誓口供書の中で次のように述べています。
「私たちがそこに集まっていたときグローバー夫人は,自分の霊的性質が卓越していることと,自分の生活が清いことから,霊界においては,12使徒のひとりとイエス・キリスト以外には自分を支配することができないのです,と私たちに話しました。グローバー夫人が催民状態にはいって,グループのメンバーにいろいろな事を告げると,彼女は,その知らせは,自分を媒介として,12使徒のひとりまたはイエス・キリストの霊から来るのです,と言っていました」。
1853年にダニエル・パターソン博士と結婚してパターソン夫人となった以前のグローバー夫人は,1864年の夏,サラ・クロスビーという人の所に滞在していたとき,再び霊媒としての腕前を見せました。しかし,シビル・ウイルバーの伝記は,彼女が降神術に直接関係していたことを否定しようとして,彼女はただふざけて,そんな振をしていただけだと説明しています。
「パターソン夫人は,悪気のないいたずらをやってのけたことがある。これはクロスビー夫人の話だが,ある日のこと二人が大きな子供部屋で向いあってすわっていた時,パターソン夫人は突然いすのせにのけぞって,頭のてっぺんから足の先までけいれんさせ,目を閉じ,低い,陰気な声で話しはじめた。それはアルバート・ベーカー〔メリーの死んだ弟〕の声のはずであった。……パターソン夫人は,自分がわざとそんなまねをしているのを見破ってクロスビー夫人がいまにも笑い出すのを期待していた。しかし彼女は笑わなかった。……〔そのために〕パターソン夫人は,彼女には珍らしく陽気に振舞って,そのいたずらをつづけた。翌日も彼女は催眠状態に陥った振をしてみせた」。
たしかにメリー・ベーカー・エディは,のちになって,彼女の「サイエンス」が降神術と関係のあることを強く否定しました。そして「科学と健康」という本の中で「クリスチャン・サイエンス対降神術」という主題に1章をさいているくらいです。ところが彼女は,降神術者と同じ結果を生み出せることを認めています。それは,1878年に出版された「科学と健康」第2版166頁で彼女が述べていることをみてもわかります。それは次のとおりです。
「私たちが考えねばならないちょっとした問題が一つある。私たちは最近降神術者か霊媒に違いないと言われている。……しかし私たちが降神術者であったことは一度もない。また霊媒者であったこともなく,あり得たはずもないし,人からそう認められたこともない。私たちは,降神術者と称するグループに,彼らのいうしるしや不思議がどのように働くか説明し,実際にそれを行なってみせた。しかし同時に,クリスチャン・サイエンスは霊の働きによるのではなく,私も霊媒ではないことを話した」。
クリスチャン・サイエンスの誕生
しかしエディ夫人がどんなに否定しても,クリスチャン・サイエンスは,降神術の性質をもつ超自然的現象と密接な関係があります。このことは,エディ夫人がクリスチャン・サイエンスを発見した年としている1866年前の出来事を調べるといっそう明らかになります。
1862年,当時パターソン夫人であった彼女は,常日頃からあまりすぐれぬ健康がますますおとろえていくので,最後の手段として,メーン州ポートランドの,奇跡によって病気をいやすフィニース・P・クインビーという医師をさがし出しました。「クインビーが催眠術者であったにしても,降神術者であったにしても,あるいは磁力を使ったにしてもそんなことは問題ではない。とにかく彼は病気をいやした」とシビル・ウイルバーは書いています。それでパターソン夫人は彼に治療を依頼しました。そこで何が起こったか,伝記には次のように書かれています。彼女自身もそのことを認めています。「クインビーは彼女に徐々に催眠術をかけ,その暗示によって彼女の苦しみはなくなっていった。……クインビー自身彼女が急によくなったのに驚いたくらいである」。
その結果パターソン夫人はクインビーに傾倒しました。「彼女の話題といえばクインビーのことに限られていた」と伝記にあり,彼女もそのことを認めています。パターソン夫人は,のちに「クインビーズ・マニュスクリプト」という本にのせられたクインビーの書き物を入念に研究しました。そして彼のもつ超自然的治療能力を,「未知の科学とも言えるよりすぐれた知恵の結果」d と弁護しました。ところがあとになって,彼女の著書「科学と健康」はクインビーズ・マニュスクリプトと非常ににかよっている,と言われたとき彼女は,クインビーからアイデアを得たことを否定し,彼を無知な催眠術師とくさしています。
1866年にクインビーは死にましたが,その後「科学と健康」第1版を書いている間もパターソン夫人は,降神術者たちと密接な交わりをもっていました。その頃彼女は2番目の夫と離婚して,クラフト家やウエブスター家の人々,ミス・バグレー・ウエントワース家の人々と一緒に生活しました。いずれも降神術者です。ウエブスター家にいたときには,降神術者の新聞「バナー・オブ・ライト」に,自分の治療法の宣伝さえしています。
1875年,彼女の書き物はようやく印刷されるようになり,初版の「科学と健康」の第4頁で彼女は,「科学を精神に応用するならば病気がなおることを1864年にはじめて発見した」と断言しています。しかし後の版ではその日付を1866年に変更し,この年に奇跡的にいやされたと述べています。
このようにしてクリスチャン・サイエンスは誕生しましたが,しばらくの間は,とるに足りないものにみえました。エディ夫人が1879年に「チャーチ・オブ・クライスト・サイエンティスト」を創設したとき,会員はたった26人しかいませんでした。個性の相違による争いや誤解が発展をはばみました。1882年に61歳のエディ夫人がボストンに移転したときですら,会員はほんのわずかにすぎず,そのうちのひとりは,彼女の3番目の夫で5年まえに結婚したアサ・エディでした。その夏エディ氏は死にました。その後間もなくクリスチャン・サイエンスの活動に明るいきざしが見えはじめました。
1885年,ボストンの文学界で著名なジェームス・ヘンリー・ウイギン氏が雇われて,「科学と健康」に手を入れ,ぎこちない文章を読みやすく改善しました。それと同時にエディ夫人は,本の形式を変え,章を加えたり省いたりしました。このようにして読みやすくなった本は,とぶように売れはじめ,エディ夫人の宗教は発展しはじめました。その発展はめざましいものがありました。彼女は1910年に89歳で死にましたが,その時までには1247の教会ができていて,何万という会員があり,それ以後も相当の発展をとげました。会員の正確な数をつかむのはむずかしいことですが,つい最近まで,クリスチャン・サイエンティストの総数は36万7570人と報告され,そのうちの80パーセントはアメリカに住んでいるということでした。
神から受けた啓示ですか
エディ夫人がクインビーから多くのアイデアを得,またウイギンが彼女の書き物にかなり手を加えた証拠がはっきりしているにもかかわらず,クリスチャン・サイエンティストは,エディ夫人が霊感を受けたものと思いこんで満足しています。エディ夫人が聞いた声や,彼女の異常な霊的経験は,神から来たものと信じているのです。しかしそれは事実でしょうか。彼女が授けられた教えは,神のことばである聖書と一致していますか。それを少し調べてみましょう。
まずエディ夫人は神についてどんなことを教えていますか。初期の著書「人間の科学」の中で彼女は,「エホバは人ではない。神は原理である」と主張しています。また「聖書への鍵を有する科学と健康」の275頁には,「聖なる科学の出発点は,神すなわち霊がすべてである,というところにある。それ以外の力や精神はない。神は愛である。だから神は聖なる原理である」と書いています。
この信仰にふさわしくエディ夫人は,「善の一致」の中に次のように述べています。「真理は神である」。「命は神である」。「精神は神である」。「要約すれば,神はすべてであり,神は霊であるということだ。ゆえに霊以外のものはない。したがって物質というものはない」。またその数頁あとで彼女はこう論じています。「神はいたる所に存在するゆえに,死の存在は考えられない。死のための場所が残されていないからである」。そして61頁で彼女は次のような結論を引き出しています。「人間は神と同じく確実で永遠であり,神と共に存在すると私は考える」。
ですから「聖書への鍵を有する科学と健康」の475,476,486頁には次のように書かれています。
「人間は物質ではない。人間は頭脳と血と骨と他の成分によってつくられているのではない。……人間は霊的で完全である。……クリスチャン・サイエンスにおいては人間をそのように理解しなければならない。……人間は罪を犯すこと,病気になること,死ぬことはできない。真の人間は神聖さを捨てることはできない。……聖なる科学においては,神と人間は聖なる原理であるから離すことはできない」。
では人間の五感である視覚,触覚,嗅覚,味覚,聴覚についてはなんと言えますか。これらはどのように説明されていますか。477頁にエディはこう書いています。
「肉体の五感からみると,人間は物質と精神の一致したもののように思われる。しかしクリスチャン・サイエンスは人間が神の観念であることを示し,肉体の諸感覚は滅びるものであり誤った幻想であるとする。聖なる科学は,たとえ,精神と誤り称せられる物質最高の層と織り混ぜられていても,物質のからだは人間でないことを教える」。
しかし聖書の創世記 2章7節(新世)は,「それからエホバ神は土の塵から人間をつくられ,人間の鼻に生命の息を吹き入れられた。そして人間は生ける魂になった」と述べています。エディ夫人は聖書のこの聖句をどのように説明するのですか。テキスト・ブックの524頁で彼女はこの聖句を引用し,質問しています。この「創造物〔人間〕は現実的なものであろうか,あるいは非現実的なものであろうか。真実であろうか,偽りであろうか」。そして彼女は答えます。「それは偽りに相違ない。というのは神は現在地をのろわれているからである」。このようにして彼女は証明ずみの科学と一致する聖書の明確な言葉を拒絶します。「第一の人は地から出て土に属し,第二の人は天から来る」。―コリント前 15:47。
このことからエディ夫人は,アダムとエバが完全な人間として神に造られ,のちに罪を犯したという聖書の教えを否定したことがわかります。「死ぬべき人間は神の子ではない。彼らは完全な状態の者であったことがなく,したがってその状態が取り戻されることもない」e と彼女は書いています。では彼女はイエス・キリストのあがないの犠牲も否定するのでしょうか。そのことについては少しの疑問もありません。というのは彼女はこう断言しているからです。「『のろわれた木』の上で流されたイエスの物質の血は,イエスが父のみこころを日々行なわれていたときに血管の中にあった血と同じく,罪を清める効力はない」。f
非キリスト教的で非科学的
それらの教えは,神のことばである聖書となんと違っているのでしょう。「神は人を正しい者に造られた」と神のことばは述べます。(伝道 7:29。申命 32:4,5)たしかにアダムとエバは完全に造られました。しかしのちに罪を犯し,その罪を子孫に伝えました。神のことばはそのことをこのように説明しています。「ひとりの人によって,罪がこの世にはいり,また罪によって死がはいってきたように,こうして,すべての人が罪を犯したので,死が全人類にはいり込んだのである」。(ロマ 5:12; 3:23)しかしながら神は大いなる愛のかたですから,「そのひとり子を賜うほどにこの世を愛して下さった。……神が御子を世につかわされたのは……この〔従順な人間の〕世が救われるためである」。しかしこのあがないを有効にするには,イエスはご自身の命をささえる血を流さねばなりませんでした。神のおきてによると,「血を流すことなしには,罪のゆるしはありえない」からです。―ヨハネ 3:17。ヘブル 9:22。
ですからクリスチャンの使徒ヨハネは,人間は「完全だ」とか,「罪を犯すことができない」とか,『イエスの血は罪を清めることができない』というようなことを言っていないのに注意してください。彼はむしろ,神の霊感された言葉に一致して,「御子イエスの血が,すべての罪からわたしたちをきよめるのである。もし,罪がないと言うなら,それは自分を欺くことであって,真理はわたしたちのうちにない」。―ヨハネ第一書 1:7,8。
エディ夫人のあいまいな論議は聖書の真理と真正面から衝突します!「真理は神である」とか,「神はいたる所に存在する」など,まったく無意味で非聖書的な哲学です。エホバは最高の知恵と力をおもちになる個性のある神です。人間を創造したのはこの神であって,抽象的で生命のない真理ではありません。聖書はくりかえし,神に個性と地位があることを述べています。たとえば使徒パウロはイエスが,「上なる天にはいり,今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである」と書いています。―ヘブル 9:24。
聖書に,神エホバは唯一のエホバなり」とか,「われらを造り給えるものはエホバにましませば……」とある以上どうして人間が「神と共存する」ことができるでしょうか。聖書はそれができないことを示しています。またエディ夫人の「人間は実際には死なない」という教えを否定します。罪人アダムに対する神の言葉は明確で,もしそむくなら「必ず死ぬ」と言われました。その言葉どおりアダムは死にました。申命 6:4,文語。詩 100:3,文語。創世 2:17,新世。
罪,病気,死などにつき,非科学的な論法で,人間のすばらしい五感を「滅ぶべき誤まった幻想」だの,「人間は頭脳や血やその他の成分で造られているのではない」とうまく言いのがれようとするのはまったく神を汚す行いです。詩篇記者ダビデが,「われなんぢに感謝す,われは畏るべく奇しくつくられたり」とうたったように,人間は神のすばらしい創造物です。たしかに人間は最初の完全な状態から堕落しましたが,神により間もなくたてられる新しい秩序のもとで,イエスのあがないの犠牲の益を受けて,再び完全な人間になります。―詩 139:14,文語。黙示 21:4。
クリスチャン・サイエンスはそれを否定します。そして,病気もすべての物質の存在と同様非現実なもので想像にすぎない,ということを病人に納得させることによって治療を行なおうとします。しかしこの教えは神の教えではありません。神のみことばで支持されてもいなければ,科学的証拠の裏づけもありません。ですからメリー・ベーカー・エディの霊感は悪霊からきたものであることは明らかです。悪霊は真理に対して人々をめくらにするために働いているもので,神のことばは彼らの影響を警戒するようにと警告しています。―申命 18:9-12。ガラテヤ 5:19-21。黙示 21:8。
[脚注]
a 「1883年から1896年までの著作集」32,148頁。
b 「1883年から1896年までの著作集」415頁。
c 「1883年から1896年までの著作集」415頁。
d ポートランド市,クーリエ紙,1862年,11月7日
e 「聖書への鍵を有する科学と健康」476,25頁
f 「聖書への鍵を有する科学と健康」476,25頁