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  • 自分と自分の教えに気をつけなさい

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  • 自分と自分の教えに気をつけなさい
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
塔69 4/1 200–206ページ

自分と自分の教えに気をつけなさい

「自分と自分の教えとに絶えず注意を払いなさい。これらのことをずっと続けなさい。そうすることによって,あなたは自分と自分のことばを聞く者とを救うことになるからである」― テモテ前 4:16,新。

1 (イ)言語能力を創造されたのはどなたですか。それはどんなことに用いられましたか。(ロ)最初の人間は意志伝達のためのこの賜物をどのように用いましたか。

聖書はその書き出しからほんの二,三語の所において,神がことばを語られたことをしるしています。神は創造のための指示を発せられたのです。神はご自分が創造したものに名前をつけられました。そしてご自分の創造物にそれぞれの仕事を与え,それぞれが活動する限界を定められました。(創世 1:1-25)その後二,三の文を読むうちに,エホバが男とその妻とを創造されたことが出ています。神はアダムに「善悪の知識の木」に関する指示を与えられました。(創世 2:16,17,新)アダムもことばを語りました。エバはのちにアダムが与えられた指示を復唱しています。「さてエホバ神は,野のあらゆる獣および空を飛ぶあらゆる生き物を造っておられ……それらを人のもとに携えはじめられ(た)」。その時,人はことばを語りました。「それで人はすべての家畜と,空を飛ぶ生き物と,野のあらゆる獣の名を呼んでいた」。(創世 2:19,20,新)エホバが最初の女を男のもとに連れて来られた時,男はこう語りました。「これはついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉である。これは女と呼ばれるであろう。これは男から取られたからである」。(創世 2:23,新)この時以来,人々は長年にわたってことばを語ってきました。

2 人間にとって言語は有用ですか。どのように?

2 人間相互のあいだの意志の伝達は人間にとって重要な役割を果たしてきました。それによって人は物事を学びます。それは教えることのために必要です。言語という手段により,人は仲間の人間と精神的な接触を保つことができます。わたしたちは言語によって自分の考えを伝え,同時に他の人の心にある事柄を判断します。話しことばによって他の人と意志の交流をはかる能力は,人の成長に伴って進歩してゆきます。幼児は堅い食べ物をたべて舌の筋肉を使うにつれ,しだいに正確な発音を覚えるとさえ言われます。ことばを使う面できわめて巧みな人であった使徒パウロは,「われ童子の時は語ることも童子のごと(し)」と語りました。(コリント前 13:11)一般に,人は話すことを好み,ただ話す楽しみのために語る場合も少なくありません。人は短い生涯のあいだに,これまでに書かれ,今日まで伝えられてきた人間のことばのすべてについて調べることはできないでしょう。しかし,年月を経,ことばについてよく考え,それを使い慣れるにつれて,人はことばの使い方においてより巧みになり,他の物事における場合と同じように,巧みになればなるほど,楽しみと満足とは深くなります。

3 (イ)声を出すために必要な物はなんですか。(ロ)わたしたちの言語能力にはどんな有益な使い方がありますか。

3 くちびる,舌,のど,そしてこれをささえて反響板ともなるからだなど,発声のために必要な物を備えられたのは,人間の造り主であり偉大な設計者であられるエホバです。これらによって人は他の人と楽しく交信し,有益な事柄を豊かに伝えて人の徳を高め,また神をほめたたえることができます。ノア・ウェブスターは,「ことばおよび人の言語能力は神からの直接の賜物である」と語りました。また預言者イザヤは遠い昔にこうしるしました。「主エホバは教を受けしものの舌をわれにあたへ言をもて疲れたるものをたすけ支ふることを知得しめたまふ」。(イザヤ 50:4)詩篇71篇8,15,23,24節の記述者はこのすばらしい装置の大切な使い方の一つを的確に述べています。「なんぢのたゝヘごと(は)……わが口にみちん」。「わが口は……汝の義(を)……かたらん」。「われみまへに歌ふときわが口唇よろこ(ばん)」。「わが舌もまた終日なんぢの義をかたらん」。

4 (イ)わたしたちは自分の言語能力を,パウロがテモテに勧めた方法で用いることができますか。(ロ)ことばにはどんな働きがありますか。

4 これより500年以上のち,パウロはわたしたちの言語の器官を正しく用いるべきことを強調しました。「悪しき言を一切,なんぢらの口より出すな,ただ時にしたがひて人の徳を建つべき善き言を出して聴く者に益を得させよ」。(エペソ 4:29)またテモテ後書 2章2,24節で,パウロはテモテおよび今日のわたしたちにこう勧めます。「おほくの証人の前にて我より聴きし所のことを他の者に教へ得る忠実なる人々に委ねよ……主の僕は争ふべからず,凡ての人にやさしくよく教へ(よ)」。ことばは他の人に教える際の道具です。一つ一つのことばそのものにはそれほどの意義がないかもしれません。しかしそれらを集め,感情を含めて語る場合,それは無情な,冷酷な,卑しいものとなり,あるいは柔和で,やさしく,親切なものとなるのです。

用語範囲を広げなさい

5 (イ)話す時につかえるのはたいていなんのしるしですか。(ロ)それは十分な数のことばがないためですか。(ハ)なぜ人は語るべきですか。

5 あなたの用語の範囲は他の人にやさしく教えるのに十分ですか。あるいは,あなたはことばを自由に活用することを楽しむのではなく,かろうじて自分の意志を伝える程度で満足していますか。ウイリアム・アームストロングは「勉強は努力のいるもの」の39ページで,「用語数の少なさはおゝむねなまけ心と結びついている」と述べました。数百のことばを知っていればなんとか用を足せるかもしれません。しかし数千のことばを使えるなら,他の人にやさしく教えるあなたの仕事は色彩と活気に富み,より満足すべきものとなるでしょう。読む時につかえ,話す時にことばを模索しなければならないなら,それはおそらく用語範囲のせまいことが理由です。これはわたしたちが日ごとに使う道具に対する関心を深め,それをよりいっそう理解するため努力することによって直せるでしょう。知恵の豊かさで知られるソロモンはそのような努力をしました。伝道之書 12章10節に,「召集者はつとめて喜ばしいことばを求め,真理の正確なことばを書こうとした」(新)としるされているからです。自分が話す国語の中に使えることばがどれだけあるかを調べてごらんなさい。自分の用語範囲を広げられることがわかるでしょう。たとえば英語には45万以上のことばがあります。(ウエブスター新国際辞典,6ページ)ことばが豊富に存在するのに,それを使わないでいて,自分の考えの表現に不自由する必要はありません。これはわたしたちが生き字引きにならねばならないという意味ではなく,簡単でわかりやすく,同時に確信と意味のこもった表現を使った聖書記述者たちの手本にならうべきだという意味です。知恵の不足という問題もないのです。パウロは,「あゝ,神の富と知恵と知識とは深いかな」と叫びました。(ロマ 11:33,34,新)キリスト・イエスがこの偉大な教え手の下でどこまで進歩したかに注意してください。パウロはこの点をさらに明らかにして,「キリストには智慧と知識とのすべての宝かくれあり」と述べました。(コロサイ 2:3)こうして無限の知恵が備えられ,表現の手段は豊富にあるのですから,人は語るべきです。人は他の人と意志を通い合わせるべきです。

6 どんな場合に話すことは楽しみになりますか。

6 家を建て,洋服を縫い,とうもろこしを育て,楽器を練習するなど,何事かを成し遂げることには満足感があります。これは神の国についてだれかに説明する場合でも同じです。あなたのことばによって人の頭の中に御国についての考えが伝わり,その人がそれを認めるなら,あなたはうれしいでしょう。そして聖書は,「人はその口の答によりて喜びをう ことばを出して時にかなふはいかに善らずや」と述べて,こうするあなたに喜びがあることを述べています。(箴言 15:23)目的どおりにことばを語るという面でエホバは完全な模範を示しておられます。「わが口よりいづる言(は)むなしくは我にかへらず わが喜ぶところを成し わが命じおくりし事をはたさん」― イザヤ 55:11。

7 (イ)いつになったら用語数をふやすことをやめるべきですか。(ロ)イエスが山上の垂訓の中で行なわれたことを述べなさい。

7 もとより,これには努力と勉強が必要です。「わたしはものを学ぶには年を取りすぎている」,あるいは「わたしは忙しくて勉強できない」と言う人がいるかもしれません。印刷業関係の一雑誌はこう述べました。「著名な政治家,画家,軍人,詩人,作家など400人について調べると,その最大の業績の35%は60-70歳,23%は70-80歳,8%は80歳以上の年齢で成し遂げられている」。(「プリンティング,インプレッションズ」1966年7月号74ページ)300年以上昔,シェークスピアはこう書きました。「いつまでも年をとらない人がいるようだ。常に活動的に考え,いつでもすゝんで新しい考えを取り入れ,時代遅れなどと言われることは決してない……彼らはいつでも最善のものを楽しみ,何が最善であるかをいちはやく見つける」。また,トライアン・エドワーズは述べました。「老化は年齢によらない。それを決定するのは気質と健康である。ある者は生まれながらに老人であり,他の者はいつまでたっても年寄りにならない」。(トライアン・エドワーズ編「新思想辞典」13,15ページ)苦難の多い人生の入り組んだ道を経ながら,機会に恵まれないまゝに知恵を得なかった老人を見るのは悲しいことです。しかし,真の知恵を得る機会を持ちながら,「ものを学ぶには年を取りすぎている」と唱える老人を見るのはさらに悲しいことでしょう。聖書の中には,命のあるかぎり学び続けた忠実な男女に関する記録が豊富にあります。あなたには日ごとに進歩すべきさらに大きな理由があります。永遠の命の見込みがあるからです。神の国の真理を学ぶこと,また用語の範囲を広げることは1日ではできません。それには時間がかゝるのです。しかし,使うことば数はわずかでも,エホバのみことばをよく理解する場合に,何を行なえるかに注意してください。西暦31年,イエスがガリラヤの美しい山の中で行なわれた山上の垂訓はその良い例です。それはマタイ伝 5章から7章までの三つの章にわたり,全部で107の節から成っています。イエスはそこに含まれる考えを述べるのに621(新世界訳のその部分を実際に数えた場合)の違ったことばを使いました。世界の人々は今でもそれを知り,またそれを聞くのです。聖書の記録によると,イエスがこの話を終えた時,『群衆はその教えに驚き』ました。「それは学者らのごとくならず,権威ある者のごとく教へ」られたからです。(マタイ 7:28,29)これは非キリスト教徒によってさえ,意志の伝達という点でひときわすぐれた傑作とされています。(マハトマ・ガンジー。「ものみの塔」1958年259ページをごらんください)聖書のこの部分は15分ほどで読めるかもしれません。しかしイエスはその中で,意義のある生活のために有益な事柄を数多く語っておられます。あなたは,この特異な話が単にことばではなく,考えを伝えていることに気づかれるでしょう。イエスは考えを伝達しておられるのです。

8 (イ)意志伝達における今日の問題を述べなさい。(ロ)いたる所にどんな問題が見られますか。

8 微妙に設計された発声器官を神から与えられ,ことば,表現法,思考を伝達する音声などが豊富に存在するにもかゝわらず,意志の伝達ということは人間の大きな問題となっています。この問題はいたる所に見られます。産業界は経営者と従業員のあいだに意志の通わないことを嘆き,会社の諸部門が下部のいろいろな部門に必要な情報を伝達しないことをこぼしています。宗教組織の指導者は人々に語るという面でモーセやイエスの模範にならっていません。政治家のことばには幾つもの面また意味の含まれている場合が少なくありません。それで人々はどれが健全な考えであり,どれに頼ればよいかがわかりません。売ることを第一にし,大々的な宣伝によって人の欲望をあおる商業界はきわめて混乱しており,人はそのことばを信ずることができず,それを真実のものとして受け入れることができません。考えの流通を妨げる別の障害もあります。科学者は多くのことを語り,また書きますが,そのことばを理解できるのは仲間の科学者だけです。大学では多年の教育を受けた人が学生の理解できない事柄を話しています。医業に携わる人々は自分の仲間にだけ通じることばを語っています。自分の病気についてよく知ろうと思う患者はあれこれと質問しなければならず,それでも自分の状態について十分にわかりません。夫婦のあいだを見れば,ここにも同じ問題があります。彼らは「わたしたちはほとんど話しません」と言うのです。親の多くは自分の子供と問題を話し合うことができません。事実,若者の多くは若者だけに通じることばを話し,親はそれをほとんど理解できません。人々はなぜ語らないのですか。他の人に役だつ考えをもつ人がなぜ黙っているのですか。

助言を与えること

9,10 (イ)多くの人は他の人に助言することをどのように見ていますか。(ロ)聖書はこのような見方を勧めていますか。聖書はなんと述べていますか。

9 同じ問題の別の面は,進歩のための助言や前途の危険についての警告を必要とする人がいる場合でも,だれかほかの者がそれを言えばよいと考える人間の傾向です。これは至る所に見られます。結婚した人は結婚問題の相談員を求め,親は自分の子供の訓育を他の者にゆだね,産業界は自分の意志を伝えるために仲介人を雇い,支配者は種々の使節を派遣します。

10 クリスチャン奉仕者の中にさえ必要な忠告を与えることをためらい,二,三のことばをかけて人が問題に落ち込むのを防ごうとしない人がいます。その人々は,「そうした問題を扱うのは監督の責任だ」と言うかもしれません。ガラテヤ書 6章1節で聖書はこう勧めています。「兄弟たちよ,たとえだれかがそれとは知らずに道を踏みはずした場合でも,霊的な資格を持つあなたがたは,柔和の霊をもってそのような人を立ち直らせるようにしなさい。同時に,自分も誘われることがないように,おのおの自分自身に注意しなさい」。(新)霊的な資格を持つのは会衆の監督だけではありません。「危険 ― 橋に破損箇所あり」という立て札を見た場合,あなたは立て札を書いた人の技りょうを批判しますか。むしろ,自分の命を救う結果にもなるその警告に感謝するのではありませんか。クリスチャンの行動に関する神の原則を理解した人は,自分の兄弟がその原則を犯すような方向に進んでゆくのを見た場合,その兄弟に忠告すべきではありませんか。兄弟のある者が慰めや激励を必要としている場合には,ほとんどすべての者がその種の援助を差し伸べることができるでしょう。パウロはテサロニケ前書 5章11節(新)でこう勧めています。「したがって,あなたがたが実際に行なっているとおり,互いに慰め,互いの徳を高めることを続けなさい」。

意志を伝達する能力を向上させる

11 意志伝達の能力を向上させる面で聖書はどんな助けを差し伸べていますか。

11 自分の意志を伝える能力をどうしたら増し加えることができますか。伝達の道具である自分の用語をどうしたらふやすことができますか。信頼できる確かな助けをどこに求めることができますか。まず初めに,この点でわたしたちの最善の導きとなるのは聖書です。聖書は理解しやすいことばを用いているだけでなく,その論点は明瞭であり,そこに含まれる考えは信頼できるからです。聖書の著者であられるエホバ神は霊感によってそこにしるされる情報の正確さを図られ,同時に適切なことばと表現が用いられるようにされました。したがって,聖書を日ごとに読むことによって,わたしたちは聖書と同じように力強く,描写力に富んだ伝達手段を身に着けることができるでしょう。しかしこれには単にことばの能力もしくはことばの選択範囲を大きくする以上のことが関係しています。つまり,人の徳を高め,生活の導きとなる情報を人に伝えるためには,神のみことばに含まれる真理に対する愛をもたねばなりません。すぐれたことばの知識を持ちながら,他の人を傷つけることばを無制御に語る人が少なくありません。箴言 12章18節はこの点を巧みに対照させています。「みだりに言をいだし剣をもて刺すがごとくする者あり,されど智慧ある者の舌は人をいやす」。それで神のみことばから創造物に対する神のご要求に関して真理を学ぶことが必要です。

12 言語能力を向上させるために,エホバのご要求を理解することはなぜ大切ですか。

12 他の人に情報を伝えるためには,口を開く前に考えねばなりません。人が物事を十分に考えるためには,思考を形成することばが必要です。同時に,十分な考えがないなら,有益で啓発的な事柄を語ることはできません。箴言 5章1,2節で,神からの知恵と考えること,および語ることが結びつけられている点に注意してください。「わたしの子よ,わたしの知恵に心を用い,わたしのさとしに耳を傾けなさい。これは考える力を守り,あなた自身の舌が知識を守るためである」。(新)この良い教えを無視するなら,箴言 29章20節があてはまるような結果になるでしょう。「なんぢ言をつゝしまざる人を見しや,彼よりはかえって愚なる者に望あり」。したがって目ざすべき目標は単に自分が活用できる用語をふやすことではなく,エホバのお目的についてできるかぎりを知ることです。そして真理の宝を探求し続けるにつれ,わたしたちはさまざまな情況の下で他の人に真理を伝える際に必要なことばや表現を自分の用語範囲に加えることができるのです。パウロが「自分と自分の教えとに絶えず注意を払いなさい」と述べて指摘しているのはこの点です。(テモテ前 4:16)モーセはパロの家族の一員として高い教育を受けた人でした。(ヘブル 11:23-28)それでもこのモーセは物事を明確に伝達できるかどうかを心配し,エホバにこう語りました。「エホバよお許しください。わたしはことばの巧みな者ではありません。これはきのうからでも,その前からでも,またあなたがしもべに語られた時からでもありません。わたしは口が重く,舌の重い者です」。(出エジプト 4:10,新)しかしエホバはモーセに対し,建設的な言語能力の根源者,「人の口を造る者」について思い出させました。―出エジプト 4:11。

13 (イ)聖書の述べるどんな機関は大切な事柄を伝達するという面で手本を示していますか。(ロ)どのように?

13 「忠実なさとい奴隷」は家の者に食物を与える目的でキリスト・イエスによって立てられ,今日に至るまで真理を教える面で率先してきました。この忠実な奴隷たちの集合体は神の国の良いたよりを伝えるため,多くの土地の多くの言語を有効に用いるという面で手本を示しています。この「奴隷」の監督下に書かれた出版物に使われることばは明瞭で,理解しやすいものであり,そこに提出される考えは人の心を終始神のみことばに向けさせるものです。全地で開かれる会衆の集会のプログラムはこの「さとい奴隷」によって組まれ,神についての知識を増し加えることによって信仰を建てることを目的としています。(ロマ 10:14)エホバのみことばの原則にかたく従うこの忠実な「奴隷」の態度には,人に力と確信を持たせるものがあります。人間の知識より神の知恵を重視するこの忠実な「奴隷」は家の者に霊的な食物を与える面で無類の存在であり,エホバの豊かな祝福を引き続き受けています。―マラキ 3:10。

伝達の手段を改善する

14 箴言 13章20節に従うことは,教える能力を向上させる面でどのように役だちますか。

14 自分の教えに気をつけ,自分の伝達の手段を改善するための別の方法として,箴言 13章20節の次のことばがあります。「賢い人と歩いている者は賢くな(る)」。(新)パウロがエペソ書 5章15節で述べるとおり,このためには単なる勉強以上のものが必要です。「それで,あなたがたは十分に注意して,賢くない者ではなく,賢い者のように歩き(なさい)」。(新)しかし,「自分の歩みを定めることさえ,歩く人に属していない」ことをも認めねばなりません。(エレミヤ 10:23,新)聖書はこう記録しています。「会衆はユダヤ,ガリラヤ,サマリヤの全域を通じて平安期にはいり,確立されつゝあった。そして,エホバを恐れ,また聖霊の慰めを得て歩むにつれ,会衆は拡大し続けた」。(使行 9:31,新)ノアは神とともに歩みました。(創世 6:9)イエスは歩み方という面で模範を残されました。(ヨハネ第一 2:6)それである人とともに歩むということは,その人と一致し,同じ考え方に基づいてその人と一緒に行動することを意味しています。パウロはエペソ書 2章1-3節でその点を示し,その中で特に次のことを述べています。「汝ら前には……この世の習慣に……したがひて歩めり……我らもみな前には……肉の慾に従ひて日をおくり肉と心との欲するまゝをな(せり)」。神の民についても同じです。彼らは互いを助け,神のみことば,神の霊そして円熟した神の民の導きに従って自分を強め,聖書の原則にかなった同じ考えに達します。詩篇 119篇63節は賢明な神のしもべの態度をこう言い表わしています。「われは汝をおそるゝ者またなんぢのさとしをまもる者の侶なり」。

15 パウロはクリスチャンの進歩をどのように説明していますか。

15 こゝで聖書にかなった結論を得ることができます。つまり,人はこのすべての進歩を自分自身の力でするのではありません。パウロがコリント後書 3章5,6節(新)で述べるとおり,こうして人を形造る力は神から来ます。「わたしたち自らに十分な資格があり,すべてのことがわたしたち自身によるというのではない。わたしたちが十分な資格を得たのは神によるのである。神はほんとうに,わたしたちを新しい契約の奉仕者として十分に資格のある者としてくださった」。

他の人との交わり

16 聖書の原則を尊重する人々とともに歩むことの益をさらにあげなさい。

16 聖書の原則に従う人々と交わるのは有益なことです。そのような人々とともにいる時,人はほんとうに安心した気持ちになります。確かにこのような人々もまちがいをし,あやまちをすることがあります。しかしそのような場合でも,聖書の教えに基づいて直接に話すことができ,また聞いてもらえるでしょう。高慢な人々の多い今の時代に,聖書からの矯正を受け入れ,「すみません,許してください」とすなおに言う人々と交わるのは大きな祝福です。ほんとうに賢明なのはこのような人々です。

17 (イ)自分の考えを表現する能力は急速に向上しますか。(ロ)この進歩を確かにするため,特にどんな点に気をつけるべきですか。例をあげなさい。

17 わたしたちはどんな事柄においても少しずつ進歩します。これは知識を増し加え,それを活用することにもあてはまります。気をつけるべきなのはこの点です。小さな事柄,わずかな機会に気をつけなさい。これが漸進的な進歩を確かにし,長年のあいだに心づよいほどの進歩となります。会衆の演壇で話をする特権がある時,あなたは自分の考えが聴衆にはっきり伝わるように配慮しますか。あまり使ったことのないことばを調べ,その正しい使い方と発音とを覚えますか。「ものみの塔」研究で節を読むとき,どのことばもつかえずに読めるようにあらかじめ調べますか。家から家に行くとき,自分は家の人以上に聖書について知っていると考えすぎて,必要な準備を粗略にし,あるいは省略しますか。親である皆さんは自分の子供とともに毎日少しずつ進歩することを求めますか。それとも,子供と語り合うことを避けて,子供をテレビがする訓練にゆだねますか。これは新しい言語を学ぶようなものです。毎日少しずつ努力して自分の知る単語を一つか二つずつふやし,それを実際に活用してゆくなら,やがて数百の単語を覚え,その国語を話せるようになるでしょう。ことばや表現法をふやしてゆくにつれ,あなたの話し方は表現力と色彩に富み,意味を十分に伝えるとともに,他の人にきわめて有用なものとなるでしょう。忍耐づよくあり,どんなにわずかな進歩でもそれを喜びなさい。ことばを知らなかった赤子が,時の経過とたゆまぬ訓練とによって,やがてりっぱに話をするおとなとなることを忘れてはなりません。

18 (イ)わたしたちは自分の真の姿をどこに見ることができますか。(ロ)どんなことに注意すべきですか。

18 自分を吟味するためのものとしてエホバが備えた鏡,つまり「自由に属する完全な律法」をよく見ることによって,自分自身に気をつけなさい。(ヤコブ 1:25,新)自分を公正に扱い,気持ちをいらだたせ,いつも疲れを感ずるほどに自分を追いまわしてはなりません。聖書の勧めは神のみことばを鏡とすることであり,ある人がするように,他の人を物事をする際の標準としてはなりません。わたしたちが見ならうべきなのはキリスト・イエスひとりだけであり,イエスはご自分の荷は軽いと言われました。(マタイ 11:30)自分の最善をつくしているなら,他の人が言ったり行なったりすることのゆえに心を煩わしてはなりません。一方,知識を増し加え,能力を向上させることについて,多くの人がするように思わせぶりな態度をとってはなりません。多くの人にとって,進歩のためには努力が必要です。今日の世界において,努力は必ずしも人の関心を集めるものではありません。この点において平衡のとれた見方をするためには,問題をさらに掘り下げることが必要であり,それは次の記事の中で扱います。

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