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目ざめよ! 1972
目72 12/8 28–29ページ

「あなたのみことばは真理です」

聖書に従う家族にもたらされる益

人間の行なう事がらは善悪いずれかの影響を自分自身にも,また他の人びとにも及ぼすものとなります。これは,関係者すべてに益をもたらす仕方で自分の家族の事がらを処理するのに役だつ信頼できる指針が必要なことを示しています。では,そのような指針もしくは律法の源は何であるべきですか。人間は自分の生活を律する規準を自ら設けられますか。

人間の行動にかんする現代の種々の研究により,家庭問題の分野で,ある専門家たちは必要な指針を与える備えができたと信じている人は少なくありません。そして多くの場合,それら「専門家」の公にした忠告に絶対的な信頼を置きますが,それは賢明でしょうか。「専門家」の結論は常に信頼できますか。「若者たちと親」と題する出版物は,「昨今の無分別な流行に追従することの結果に関しては,親や教師は自らを許すこともできなければ,子供たちに許してもらうこともできない。われわれは専門家に対して用心深いためらいの態度を取るべきである」と述べています。

そうです,結婚相談員や児童心理学者の理論や結論は,絶対に信頼できて誤りがないというわけではありません。それら「専門家」はしばしば相反する見解を述べます。たとえば,子供をたたいてはいけないと言う人もいれば,言うことを聞かない子供はたたくべきだと,同様の確信をもって主張する人もいます。では,信頼できる導き,つまり「用心深いためらい」なしに安心して従える導きをどこに見いだせますか。

聖書についてはどうですか。その命令に従う家族は益を受けているでしょうか。

聖書が家族の成員に次のように命じていることを考えてみましょう。『[夫たち,]おのおの己のごとくその妻を愛せよ,妻もまたその夫を敬うべし。子たる者よ,なんじら主にありて両親にしたがえ,これ正しき事なり…父たる者よ,なんじらの子供を怒らすな,ただ〔エホバ〕の薫陶と訓戒とをもて育てよ』― エペソ 5:33–6:4〔新〕。

もし夫がおのれのごとくその妻を愛し,また妻が夫のかしらの権を尊ぶなら,結婚問題の多くは確かに生じなかったのではないでしょうか。思いやりをもって扱われる妻には確かに,かしらの権を行使する夫のことで不平をこぼす理由はありません。そのような妻は,正しい原則につき従う夫,また家族全体の福祉と幸福を促進するために自分個人のしたいことを喜んで犠牲にする主人を敬わずにはおれません。

しかしながら,妻は夫から理解や思いやりを示されるにふさわしい女性であることを自らも実証しなければなりません。もし妻が言い争いを好み,おこりやすくて,小言をいうなら,夫が優しく答え応じてくれないからといって驚くにはあたりません。聖書はこう述べています。『争い怒る女とともにおらんよりは荒れ野におるはよし』。(箴 21:19)同時に,妻が夫の計画や活動にほとんど関心を払わないと,たいてい妻に対する夫の関心も薄れます。

夫のかしらの権に対する妻の態度は,子供に重大な影響を及ぼすおそれがあります。もし妻が,夫に服することを求める神の律法を無視するなら,子供は父親に相談などしないようになる場合がよくあります。母親の示す手本が,父親の指導は頼りにならず,家族の最善の益にならないことを暗示しているので,子供は父親の指導を仰ぎません。妻が夫の立場を侵害するために生ずる夫婦間の意見の相違は,両親のうちのいったいどちらがほんとうに家族の福祉を心にとめているのだろうかという疑問を投げかけるものとなります。それで,たいてい,そのような子供は父親以上に母親に対して敬意をいだくべき理由を持っていません。これはみな徐々に子供を傷つけます。なぜなら,子供たちは,責任をりっぱに処理できる平衝の取れた成人になるには指導を必要としているからです。

そのようなわけで,親が家族に対して無私の関心をいだいていることを,ことばと手本をもって実証するのは肝要です。母親は父親に対していつも柔順であることによって,そうしえますし,父親は神の律法の導きを受けて,愛ある仕方でかしらの権を行使することによって,それを実証できます。

聖書は子供を放任することも勧めてはいません。それに,子供をたたいてはいけないと親に忠告する「専門家」が誤っていることを,ますます多くの人びとが理解するようになってきました。『むちといましめとは知恵をあたう 任意になしおかれたる子はその母を辱しむ』という箴言 29章15節の真実性は繰り返し確証されてきました。

不当なことを命じ,不必要に厳格に扱って子供をいらだたせる父親が,子供の信頼を容易に失うおそれがあるのは言うまでもありません。怒りをいだいて懲らしめを施す父親は,子供を遠ざけかねません。子供は父親に対する怒りの気持ちをつのらせるかもしれません。怒りは怒りを生むからです。そうなると,子供は,懲らしめが正しいという確信のゆえではなく,父親の優勢な力に強制的に服させられるゆえに懲らしめに従います。そのような懲らしめは望ましい成果をもたらしません。それは自分たちのやり方を変えるよう子供たちを動かす真の励みを与えないからです。たいていそれは,子供を憤慨させたり反抗させたりさえするものとなります。

一方,父親が家族の事がらを扱うさい,神の律法に従うなら,結果は全く異なります。そのような父親の述べる教えは,クリスチャンとしての行動上のりっぱな模範によって支えられています。それは,父親が子供たちの益を心にとめていることを子供に理解させる助けとなります。父親は,悪いことではなくて,良いことが子供たちにもたらされるのを見たいと願っているのです。子供たちはこのことを確信すると,父親の懲らしめに愛の服従をもって答え応じます。父親に対する子供の愛は,父親に非難をもたらすような事をしないよう思いとどまらせるものとなります。

それで,家族の成員各自が神の律法に服するなら,家族の平和と調和が保たれることがわかります。しかし,家族の成員がたとえひとりでも神の律法に従わないと,家族全員がある程度苦しむのは必至です。

ですから,神の掟はそれが何であれ,無視するのは非常に愚かなことです。神の律法に対する不従順ではなくて従順が祝福をもたらします。そのような従順は,仲間の人間との間の良い関係を促進し,純粋の幸福と満足をもたらすものとなります。それで,聖書に述べられている指針は確かに,人が従う必要のあるもの,そうです,喜んで従うべきものでしょう。霊感を受けた詩篇作者もこのことに関してそのような気持ちをいだいてこう述べました。『エホバの法はまたくして〔魂〕をいきかへらしめエホバのあかしはかたくして愚かなるものを智からしむ エホバの訓諭はなほくして心をよろこばしめエホバの誡命はきよくして眼をあきらかならしむ』。(詩 19:7,8〔新〕)聖書中の賢明な指針は,聖書が神の真理のみことばであることを証しています。

ですから,今また将来,最善の生き方を享受したいなら,聖書の命じている事を知るように努め,それに従うことを決意してください。そうすれば,詩篇作者同様,その歩みはやっかいなことではなくて,人をさわやかにするものであることを知るでしょう。そして,自分自身と他の人びとを傷つけて,長く後悔するようなことをせずにすむでしょう。

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