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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1956
塔56 9/15 348–352ページ

正しい戦争をなす

『私たちの戦の武器は,肉のものではなく,神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。』― コリント後 10:4 新口。

1,2 今日,戦争の行われる原因は何ですか。

ヱホバの御言葉の中に,次の言葉が書かれています,『天が下の万の事には期あり,万の事務には時あり。……戦うに時あり,和ぐに時あり。』幾世紀にも互つて,諸国家はたがいに戦争を行つてきました。それは,全き終が現在の組織制度に来る以前の期間中に,戦争や戦争の噂があるであろう,と言われたキリストの予言通りです。私たちは今,ながく待つていた世紀の最高潮に住んでいます。いまは地上から平和が取り除かれた時です。―伝道之書 3:1,8。

2 戦争の災や悲しみ,残酷さと野蛮さはみな神のもたらしたものである,と信じるように教えられましたか。愛,智そして恵みの神が,戦争にともなう浪費,破壊,貴重な生命の損失をもたらすでしようか。そのように考えるのは道理にかなうでしようか。決して,そうではありません。ヤコブ書 3章14-16節,4章1-4節によると,貪欲,争い,戦争そして不一致は,すべて『この世の神』なるサタン悪魔の始めたものです。このサタン悪魔はヱホバに反逆している者で,力を得ようとする貪欲な気持からこの地に破壊をもたらしています。悪魔が諸国民を支配しているということは,諸国民の考え方に明白に反映されています,『彼らは小き者より大なる者に至るまでみな貪婪者なり。又予言者より祭司にいたるまで皆偽りをなす者なればなり。』彼らは全く堕落しています。そして,牧師たちは,諸国家の戦争に神の祝福があるようにとの祈りを捧げ,神の御言葉よりも国家の利害や宗教的な利害を大切に重んじている程です。かつ『平康からざる時に平康平康と言えり。』― エレミヤ 6:13,14。

3 私たちは,なぜ聖書によつて導かれるべきですか。

3 この世界の混乱の只中にあつて,正直な心を持つ人の従う最善の道とは何ですか。群衆と行動を共にしますか。または私たちの為に,より良い,より勝れた道が示されていますか。聖書の諭しの言葉によると,天が地よりも高いように,ヱホバの道と考えは私たちの道や考えよりもずつと高いのです。私たちはヱホバの道に十分の考慮を払い,軽んじて棄てるようなことをしてはなりません。正しい種類の戦についての聖書の言葉を真剣に考え,それが諸国民の道よりもずつと実際的であることを知りなさい。自分勝手な道に従う者の終末については,多く述べられています。彼らは人類に対して犯罪を行いながらも,まつたく無感覚になり,恥を感じないため赤面することもしません。『彼らは倒るる者と共に倒れん。我来るとき彼ら躓かんとヱホバ言い給う。』なぜですか。なぜなら,彼らは生命の血の神聖さに関するヱホバの律法,すなわち虹の契約を破り,そして,諸国民と軍隊の上にヱホバの烈しき怒りをもたらしたからです。(エレミヤ 6:15。イザヤ 34:1-4)現在まで行われたすべての戦争の結果は,確かな平和をもたらしていません。軍備を必要とする不安定なやりくりだけだつたのです。

4 霊的な戦とは何ですか。

4 諸国家の戦争は血肉に対するものです。しかし,クリスチャンたちは霊的な戦をせよと聖書は教えています。神の目的を成就するために『私たちの戦の武器は肉のものではなく,神のためには……力あるものである。』この霊的な戦を行い続けるためには,その戦をなす理由と,また何に対して戦つているかを知らねばなりません。これは全く血肉の戦でもなければ科学の優れた破壊武器を用いることにより主権を得ようとする戦でもありません。エペソ書 6章の中で,パウロはこう語つています,『私たちの戦いは,血肉に対するものではなく,もろもろの支配と権威と,やみの世の主権者,また天上にいる悪の霊に対する戦である。』といつて,私たちは今日の人間の政府に敵対したり,反対したりしなければならぬ,という意味では決してありません。実際のところ,私たちは平和で静かな生活をなし,神の命じ給うた業を成遂げるためには王や支配者たちの為に祈らねばならぬ,と教えられています。イエスは弟子たちにこう告げられました,『私の国がこの世のものであれば,私に従つている者たちは……戦つたであろう。』(ヨハネ 18:36,新口)使徒パウロがエペソ人に宛てた前述の手紙の中で述べている戦は,幾世紀にもわたつてこの地を統治して支配してきたサタンの霊的な制度に対する戦のことです。―コリント後 10:4。エペソ 6:12。テモテ前 2:1-3,新口。

5 多くの人は,どのように盲目となり真理が見えませんか。それらの人々を助けるために,私たちは何をすることができますか。

5 諸国民に及ぼすこの力強い悪鬼支配の結果,不信者の心は暗まされて真理の光を見ることができなくなりました。良いたよりに幕が覆われたため,亡んで行く人々はそれを見分けることも理解することもできません。天界にいる悪しき霊の勢力は神の御意についての混乱と暗やみをひろめてきました。しかし,彼ら自身も反逆をしたために今は暗やみに閉じこめられています。しかし,彼らが大成功を収めてきたことは,多くの人々,そしてキリスト教国内の人々でも聖書のことを知つていない事から分ります。教会に欠かさず行く人も,二,三の大切な聖句を記憶する位が精々で,神の目的を何も知りません。これは,なにも驚くにあたりません。聖書に関する文書は,教会の認めをうけないなら読んではいけない,と多くの人は教えられているからです。彼らは神御自身の『いざわれら共に論らわん』というすすめの言葉を忘れています。その結果,「くらきは地を覆い,闇はもろもろの民を覆わん。」という状態になりました。(イザヤ 1:18; 60:1-3,19,20)この霊的な背教の結果を打ちくずすことは,クリスチャンの為す最も大切な仕事の一つです。ギデオンの人々が,手に持つていた水差を割つて松明を光り輝かし,敵を驚かしたと同様に,地にいるヱホバの僕たちも真理の光を照り輝しています。それで,キリスト教国の暗いところからも,また異教国の最もくらいところからも,その光を見ることができます。

6 クリスチャンの戦とその恩恵を説明しなさい。

6 霊的な戦を行う際に最大のよろこびをもたらす一つの特色は,捕われ人を解放し,捕われている者に自由を宣伝え,また束縛されている者の牢獄の戸を開くことです。これは,善意者に真理を忍耐強く教え,そして子供の時から慣れ親しんでいる迷信と宗教的な暗やみの幕を徐々に取り除くことによつて為されます。真理の知識を得ることにより彼らが遂に自由にされるとき,そのよろこびは,自由にされた囚人または再びものが見えるようになつた盲人のよろこびと同じ程です。このことを成すためには,パウロの言う通りにしなければなりません。『御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても,それを励み……何事にも慎み,苦難を忍び,伝道者のわざをなし,自分の務を全うしなさい。』さらに使徒パウロは,こう言葉を続けています,『私は戦いをりつぱに戦いぬき,走るべき行程を走りつくし,信仰を守りとおした。』(テモテ後 4:2-7,新口)地上の国家が,この種類の戦を恐れる必要はありません。この戦は国民の最善の福利を図つているからです。それは神の知識と,神への愛および隣人への愛をすすめます。この戦は建設的なもので,善意者を精神的に,道徳的に,そして霊的に進歩向上せしめます。この戦の恩恵は,永遠の価値を持つもので,神の恵みをうけると共に,生命に導びきます。普通の戦争は,地を破壊してしまい,ひどい敵意と奴隷状態を惹き起します。しかし,この戦に,そのような結果はひとつも生じません。敬虔なクリスチャンの戦は,神の御言葉を通して,永遠の平和と相互の理解というきづなの中にすべての種類の人々,すべての国の人々を一致させます。

7 清い崇拝を守るための戦についての例を述べなさい。

7 全地にいるヱホバの証者は,聖書の知識をひろめるというこの戦に参加しています。むかしイエスと弟子たちがなしたように,ヱホバの証者は人々の家庭に及んでいる暗やみに対する戦をなしています。パウロは宣教の戦が何であるかを自分自身の経験から知つていました。そして,初期クリスチャンたちを威嚇しようとして2時間のあいだ『大いなるかな,エペソ人のアルテミス』と叫んだエペソの怒り狂つた宗教的な群衆について述べています。(使行 19:28,新口)パウロは又,彼に対する陰謀,牢獄に入れられたこと,鞭打たれたこと,海上と陸上の危険,そして,キリストの知識をひろめるための戦で耐え忍んだ困難や苦難についても語りました。(コリント後 11:23-27)その戦は今日に至るまで続いてきました。ヱホバの証者は暴徒や,禁止命令や,入獄というようなことがあろうとも,その平和な宣教を続けてきました。例えば,最近モーター船に乗つている4人の『ものみの塔』宣教者はカリブ海の島々に散在している人々に宣教を行うための燃料や供給品を得ようとして,トリニダードに寄港しました。ところが,『望ましからぬ訪問者』と言明されたのです。しかも何の理由も与えられませんでした。他の場所にいるヱホバの証者は,暴徒から襲われ,嘲笑され,追放され,愛する者から引離され,刑務所に入れられ,死さえも受けました。しかし,彼らは真の戦士として忠実を保ち続けています。ヱホバの証者は,平和のうちに音信をもたらしました。しかし人々は暴力でもつてその音信を拒絶しました。現在は諸国家間の戦が行われているだけでなく,真理を宣明するためのはげしい霊的な戦も行われているのです。

絶対に負けない備え

8 私たちは,なぜ真理の帯を腰にしめなければなりませんか。どのように?

8 この神の為の戦に参加するためには,何をすることができますか。兵士と同じように,戦をするためには私たちの備えを良く知らねばなりません。私たちは戦をする理由を理解すると共に,その戦が正しいものであることに確信を持つべきです。パウロは,長年に亙る宣教奉仕の多くの経験に基いて,クリスチャンの戦の主要な武具を箇条書に記しました。最初に『真理の帯を腰にしめ』と語りました。すなわち,真理はいつも身近かになければならない,ということです。私たちは真理の帯を腰にしめ,身をしつかり保つべきです。これは,聖書の討議には耳を向けようとせず,『教会に行つていますから』と無雑作に言う人の態度とは全くちがいます。それらの人は,1週間の中1回か2回は敬虔の装いをしますが,他の時には敬虔を打ち棄ててしまいます。そのような人々は,自分が真理と思つているものが何であるかを調べようとはしません。また自分の信条を深く知つておらず,まして神の言葉には通じていません。しかし,真理の正確な知識はクリスチャンに欠くことのできないものです。真の崇拝と偽りの崇拝の区別を知ることができないなら,偽りを曝露するという戦に参加することはできません。(イザヤ 28:17,18)真のクリスチャンたちは分裂していません。聖書には唯一つの真の信仰が記録されている,と真のクリスチャンは知つています。彼らは,『あなたの御言葉は真理です』と語られたイエスの言葉を信じており,その言葉に従う行をしています。この知識を持つ彼らは儀式とか言伝えの束縛を投げ棄て,神と心を一つにすることができます。『自由を得させるために,キリストは私たちを解放して下さつたのである。だから,堅く立つて,二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。』― ガラテヤ 5:1。エペソ 6:14。ヨハネ 17:17,新口。

9 正義の胸当はどんな保護を与えますか。

9 次に,私たちは正義の胸当をつけねばなりません。もし私たちが真理を伝道するなら,正義の中に真理に一致する生活をすることは是非必要です。もしそうしないなら,私たちは偽善者であつてヱホバの真の僕ではありません。私たちの奉仕は真心から為されるべきものであつて,生半可のものであつてはならないのです。肉の慾に負けて不道徳な行をする者たちは,神の御国を相続しない,と戒められています。ほんの少しの腐敗も急速に醗酵してしまい,神の目から見るときに,良い業をみな駄目にしてしまいます。そのような肉の慾は,魂の福利に対して戦を挑みます。それで,正義の胸当によつて防禦しなければなりません。―ガラテヤ 5:9,13。ペテロ前 2:11。

10 私たちは,どんな良いたよりを宣伝えるよう命ぜられていますか。

10 『立つて平和の福音の備えを足にはきなさい』(エペソ 6:14,15,新口)ヱホバの証者は人々のところに音信と慰めをもたらします。イエスは次のように語つて,同じ事柄を強調しました,『この御国の福音は……全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)今日,全世界にいるヱホバの証者は,キリストが今や天の御座に即いており,また,私たちは信仰を持つすべての人々に神の御国を通して永遠の平和が来る変化の時に生活している,という良いたよりを人々に告げています。『よろこびの音信をつたえ,平和をつげ,善き音信をつたえ,救をつげ,シオンに向いてなんぢの神は統治めたもうという者の足は,いかに美しきかな。』(イザヤ 52:7)平和と希望の音信に悪しきことがらは一つもありません。神の御前にあつては,良いたよりを伝える者の足は美しく見えます。しかし,サタンの制度にとつては,この平和の音信は明白な宣戦布告のように見えるのです。

11 (イ)信仰は,どのように私たちを守りますか。信仰は,どのようにして得られますか。(ロ)大きな信仰についての過去の例を述べなさい。

11 そのわけで,『信仰のたてを手に取りなさい。それでもつて,悪しき者の放つ火の矢を消すことができる。』と私たちは戒められているのです。この戦で攻撃を受けることは必至でありましよう。故に戦を続けて行くためにヱホバへの信仰を必要とします。信仰によつて私たちは世に打克ち,そして忠実な奉仕を妨げるあらゆる妨害をも克服することができます。根気強く伝道しても,見たいと欲している結果が直ぐに得られない場合があります。しかし強い信仰のある時に,私たちは失意落胆することはないでしよう。ノアは長年のあいだ伝道した後でも失意せず,また断念しませんでした。ノアは神の真なることを知つていたのです。イザヤはこう語つています,『ヱホバよ,私たちの述べ伝えたことを信じたものは誰もいない……不従順で言返す民に私は一日中手を差し伸べた。』それでも彼は断念しなかつたのです。パウロはこの例をローマ人に告げています。なぜなら,たとえ多くの者は信じなくとも神の業は達成される,とパウロは悟つていたからです。私たちは信仰を打ち建てるための知識の基礎がないなら信仰を持つことはできません。神の正確な知識を多く持ち,また多く使用すればする程,私たちの信仰の盾は良く私たちを守るでしよう。―エペソ 6:16,17。ロマ 10:16,20,21。新世。イザヤ 53:1; 65:2。

12 私たちはどのように救の冑をいただきますか。

12 また,あなたの武具の一部として『救のかぶと』をも取りなさい。これはパウロの諭しの言葉です。過分の御親切を有せられる神は,キリストを通して私たちに永遠の救を与えられる御方です。パウロはそのことを良く知つておられました。この御準備は賜物であつて,すべての人に強制される者でない故に,その恩恵を受けるためには,私たちはこの御準備を受け入れねばなりません。多くの予言の成就を見たパウロは,次のように書きました,『今は,私たちの救が,初め信じた時よりも,もつと近づいている。』(ロマ 13:11,新口)この言葉は,今日のクリスチャンにとつて猶いつそう良く適用するものです。なぜなら,私たちは信仰を持つ人の救を見る時代に生活しているからです。(黙示 12:10)救を受ける人は直ぐに識別することができます。彼らが特別の衣服を着ているわけではなく,その信仰と業によつて識別することができるのです。彼らはヱホバのクリスチャン証者として生活し,また伝道することにより,その光を照り輝かしています。

13 私たちは,なぜよろこんで霊の剣を取りますか。それをどのように用いますか。

13 霊的な戦をするための武具で,極めて大切なものは,『御霊の剣,すなわち神の言葉』です。(エペソ 6:17,新口)これは,身を守るためにも,また攻撃をするのにも是非とも必要です。(コリント後 6:2-10)武器を持たない兵士は,何の役にも立ちません。また武器の使い方を知らないなら,戦場に長く居ることはできません。同じように,聖書を持つている福音の奉仕者が聖書を効果的に使用したり,聖句を見出したりすることができないなら,霊的な戦で無益な者となります。実際,今日の多くの牧師たちは,そのような状態なのです。彼らはヱホバの言葉を棄ててしまい,ヱホバの言葉が真実であり,霊感を受けたということを否定しています。そのような人たちは,どんな智恵を持つていますか。霊の剣を取りなさい,とパウロは言つています。ベレヤの人々は聖書を熱心に調べ,正しいと裏書きされたものを受け入れました。パウロはそのベレヤ人の行を賞めています。私たちもベレヤ人のように行うべきです。神は御言葉により人類に対する御目的と御意を知らせると共に,生命を頂くための要求を知らせているのです。私たちはこの霊の剣という武具を身につけて攻撃し,神によつて要塞をも破壊する程の力あるものになります。

14 神はどんな祈りを聞きますか。

14 パウロは霊感を受けて書いた諭しの言葉をこう続けています,『絶えず祈と願いをし,どんな時でも御霊によつて祈り,そのために目をさましてうむことがなく。』祈りをすることにより,私たちはこの霊的な戦の指揮者であり司令官であるキリストを通してヱホバに接し,かつ交わることができます。私たちは,必要な時に力と導きを与えて頂くよう神の御霊を願い求めねばなりません。私たちの祈りが神の御意と一致しているなら神は必らず私たちの祈を聞き給うでしよう。しかし,古い世の制度に属する戦士たちが血にまみれながら利己的なことを願う定期的な祈は,神に聞き入れられません。(イザヤ 1:15。エペソ 6:18,新口)兵士は『目をさましてうむことがなく』ということを是非行わねばなりません。しかし,この危急の時にいる今日のクリスチャンにとつてこのことは特に必要なものです。キリストが先見されたように,一般の世は彼の来ることを知りません。ヱホバの証者はそのことを公やけに発表していますが,世は認めないのです。大多数の人々は眠りつづけており,イエスの臨在されているしるしを見て叫ばれているよろこびの声にも目を覚まさないのです。―黙示 16:15。マタイ 24:42-44。

15,16 私たちは,どのように霊的な戦に参加することができますか。私たちの為にどんな準備がなされましたか。

15 最後に,ヱホバのどの戦士も真理を他の人に知らせる力を持たねばなりません。パウロはこう語りました,『私が口を開くときに語るべき言葉を賜わり,大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように,……語るべき時には大胆に語れるように。』(エペソ 6:19,20,新口)くさりにつながれた大使として書いている時でも,パウロは自由に,そして大胆にいたしました。なぜなら彼は論争と,戦う理由を十分良く理解していたからです。クリスチャンの兵士は,神の真理の言葉によりこの知識を得ます。また,この源から彼は信仰に伴う勇気を得ます。光と正義の武具でこれらのあらゆる面で全き備えをしている故に,いまや臆病にも引きさがるべきでありません。夜は更けて日は近づいてきました。いまこそ行動をしなければならぬ時です。―ロマ 13:12。

16 『戦することをわが手に教え,闘うことをわが指に教え給うわが磐ヱホバは讃むべきかな。』(詩 144:1)まつたく,闘うための武具,敵についての知識,戦を押し進めるための力と勇気,これらのものはみな賢明なヱホバによつて備えられたものです。しかし,私たちも,自分の分を果さなければなりません。普通の戦をするためには訓練が必要です。同じく,霊的な戦にも訓練は必要です。ヱホバは私たちの必要としているものを知つておられ,私たちの必要物に気づかれています。しかし,私たちはヱホバの御準備を用いなければなりません。ヱホバの御準備とは何ですか。研究,交わり,そして奉仕です。それぞれは,私たちに備えをなし,武装をなさせるのに是非必要なものです。研究といえば,熱心で絶えず行う個人的な研究と会衆の研究に積極的に参加することの両方を意味します。そのすべては,戦のために私たちを備えさす訓練計画の一部です。交わりをすることにより,私たちは励ましと確信を得,かつ兄弟たちの心からの支持を必らず得ます。もし一人で立つなら,誰も戦の勝運を持たないでしよう。それで,交わりは是非必要なものです。また奉仕をしている時に,私たちは自分の武具を調べ,知識を強め,そして御霊の剣を用いるのに慣れてきます。ヱホバのこれらの備えを十分に用いなさい。そして,あなたの出来得るすべての事を為してからは,神は勝利に必要なものを供給せられるでしよう。なぜなら,『私たちは,この宝を土の器の中に持つている。その測り知れない力は,神のものであつて,私たちから出たものでない。』からです。―コリント後 4:7-11,新口。

[348ページの図版]

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