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  • 不道徳は偽りの崇拝ですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1984
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1984
塔84 6/1 27–28ページ

不道徳は偽りの崇拝ですか

スペインのニュース週刊誌カンビオ16は,フランスの海賊放送局の番組における一つの新しい傾向について伝え,「電波に乗るセックス」という見出しで次のように述べています。「他の[局]はポルノグラフィー ― むしろポルノ放送というべきであろうが ― を好み,オルガスム,エクスタシー,愛撫などをこと細かに生放送することに時間をあてている。……午前1時から3時までの間に[その局は],互いに見ず知らずの聴取者同士を紹介し,ふたりが自分たちの行なった愛の行為やマスターベーションなどを思い出しながら電話でじかに話し合うことができるようにしている」。

その記事がさらに説明するところによると,あるアナウンサーは幾組かのカップルをスタジオに招き,「マイクの前で愛の営みを生放送することに決めたカップルの深い息づかいやため息に添えて,自分の好色語集の形容詞を並べたてる」ということです。

パリの日刊紙,ル・マタンやル・コティディヤンなどの見出しや社説の内容にも表われているように,この種の放送は大衆の興味をかき立てています。

異なる種類の偶像崇拝

放送に取り入れられたこの新しい企画をクリスチャンはどう見るべきでしょうか。使徒パウロはエフェソスのクリスチャンに次のような助言を与えています。「それゆえ,わたしは主にあってこのことを言い,また証しします。すなわち,あなた方はもはや,思いのむなしさのままに歩む諸国民と同じように歩んではいません。……彼らはいっさいの道徳感覚を通り越し,貪欲にもあらゆる汚れを行なおうとして,身をみだらな行ないにゆだねたのです」。エルサレム聖書では,「彼らは性的耽溺に身を任せ,あらゆる種類の卑わいな事柄をしきりに追い求めている。ところで,それはあなた方がキリストから学んだ道だとはとても言えない。イエスのうちにある真理である事柄を教えられたとき,イエスの言われたことを聞きそこなったのでなければです」となっています。―エフェソス 4:17-21。

しかし中には,不道徳な行為をラジオで聞くのと,そういう行為を実際に行なうのとは違うのだから非難すべきではないと,反対する人がいるかもしれません。しかし,クリスチャンのための境界線はそれよりもずっと明確なものです。例えばエフェソス 5章には,「聖なる[霊的に浄い]民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れ……が口に上ることさえあってはなりません。また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません」とあります。クリスチャンの間で汚れが口に上ることさえあってならないのであれば,クリスチャンは当然,読書によってであろうと,テレビやラジオによってであろうと,そういう事柄とは関係を持たないはずです。―エフェソス 5:3,4。

しかし,クリスチャンがあらゆる形の不道徳を避けることはなぜそれほど重要なことなのでしょうか。見るにせよ聞くにせよ,ポルノを避けなければならないのはなぜでしょうか。パウロは次のように答えています。「実際に淫行,あるいは不潔な行ない,あるいは乱交 ― つまり偽りの神を崇拝すること ― にふける者がひとりも神の王国を決して受け継げないのは,まったく確かなことだからである。だれにもむなしい議論でだまされてはならない。このみだらな生活ゆえに,神の怒りは,神に反逆する者たちに下るのである。彼らのうちに含められないように気をつけなさい」― エフェソス 5:5-7,エルサレム聖書。

要点にお気づきですか。不道徳は一種の偽りの崇拝であるということです。新世界訳はさらに強い言葉を用い,「淫行の者,汚れた者,貪欲な者は ― これらはつまり偶像礼拝者ですが ― キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません」と述べています。そうです,新世界訳が示しているように不道徳は偶像礼拝なのです! なぜでしょうか。汚れた肉の欲望,不倫な快楽への渇望を満たすことが専心の対象となり,清い崇拝のための余地が全く残らないからです。別の神が,つまり貪欲で利己的で不道徳な欲望という神が人の生き方の中に入り込んだのです。そうなると間違った性的欲望は敬虔な特質にいどみます。ポルノに目を向けたり耳を傾けたりすることによってその人は,聖なる神エホバとどんな関係を持っていようと,それを危険にさらしているのです。―イザヤ 6:3。

どうすれば清さを保てるか

どうすれば現代のソドムとゴモラの誘惑に抵抗できるでしょうか。それには強い霊的価値観を持ち,それらを固く保ち,それらの支配に心と思いを従わせることです。前に引用したエフェソス人への手紙の中で,パウロは信仰の仲間たちに,『あなた方の以前の生き方にかない,またその欺きの欲望にしたがって腐敗してゆく古い人格を捨て去り,新たにされる』ようにしなさいと勧めています。どんな点で新たにされるのでしょうか。「思いを活動させる力において」です。そうすれば,「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着ける」ことが可能になります。―エフェソス 4:22-24。

では,どうすれば思いを活動させるその「力」を維持できるのでしょうか。それには,聖書に関する知識と聖書に対する認識を深め,主人の「忠実で思慮深い奴隷」,すなわち邪悪で困難なこの時代に神を恐れて生きるための明確な指針を与えているクリスチャンの組織体の導きを受け入れることが大切です。またエホバの証人が開いている聖書教育のための集会に定期的に出席する時に得られる建設的な交わりも必要です。そうした研究や交わりを定期的に行なうことが,食事をするのと同じように習慣になると,思いを活動させる力は常に存在しまた強くなります。そしてその力は,何を犠牲にしても性的満足を得ることを現代の偽りの神として祭り上げたこの不道徳な事物の体制の誘惑に抵抗するよう,わたしたちを動かすのです。―マタイ 24:45-47。使徒 8:30,31。ヘブライ 10:24,25。

[27ページの図版]

これらのものは人を偽りの崇拝へ導く危険があるだろうか

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