ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • イエスの変ぼうの目的
    ものみの塔 1974 | 8月15日
    • 律法および預言書の中でご自身について書かれていた事がらを,キリストはまさしく成就されました。現在キリストは,ご自分を受け入れ,その導きに従う人々の目の前にある義の楽園の地に,ちょうどモーセが行なったと同じように,ご自身の民を導いておられます。預言のことばと,キリストの尊厳に関する真理に満ちた目撃証人のことばを真剣に取り上げ,考慮しますか。また,王国の力を持ってキリストが目に見えないさまで臨在することを認めますか。そうする人は,現在きわめて恵まれた立場にあり,その将来にはすぐれた見込みが伴っています。

  • 誇ることは危険です
    ものみの塔 1974 | 8月15日
    • 誇ることは危険です

      自分は常に正しいという態度を取る人に引かれるでしょうか。それとも,自分の能力や業績,富や地位を絶えず誇っている人には不快な感情をいだくでしょうか。

      確かにそのとおりです。こうした誇りの表われは,人をいらだたせ,不快にさせます。

      ところで,誇りとは何でしょうか。それは,極端な自尊心,つまり自己の才能,知恵,美しさ,富,地位に対する理性を欠いた優越感のことで,一般に高慢でうぬぼれの強い尊大な態度によって表面に表われます。

      誇りは不完全な人間の持つごくありふれた欠点ですから,それを注意深く抑制して有害な影響を被らないようにするのはよいことです。そのためには,どんな誇りをも正当化する根拠はないという事実に対する心からの深い認識を培い,かつ維持することが求められます。人種,国籍,教育,能力,業績,経済的境遇のいかんを問わず,人間はすべて罪人であり,罪人の子孫です。そこには誇る理由などないのではありませんか。

      しかし中には,『わたしは,現在の地位や名声を得るためにいっしょうけんめい働いた』と言う人がいるかもしれません。でもそのことは,何かを誇る理由になるでしょうか。その人自身が,ある種の才能や能力を開発する潜在力を自らに付与したのでしょうか。精神的あるいは身体的に大きな障害を持って生まれていたならどうでしょうか。その場合でも,最善の努力を尽くせば,現在の状態に近い成果を上げることができたでしょうか。聖書に記録されている次の論議は,この点で平衡の取れた見方を示しています。「だれが人を他と異ならせるのですか。実際,自分にあるもので,もらったのではないものがあるのですか。では,たしかにもらったのであれば,どうしてもらったのではないかのように誇るのですか」― コリント第一 4:7。

      自分を正しく評価することに加えて,仲間の人間の威厳に対して敬意を払うことも,誇りを抑制する点で重要です。聖書はこう助言しています。『何事も闘争心や自己本位の気持ちからするのではなく,むしろ,他の者が自分より上であると考えてへりくだった思いを持ちなさい』― フィリピ 2:3。

      仲間の他のクリスチャンにも自分より優れた何かの特質が備わっているという点を認めるのはよいことです。愛とか親切とか思いやりなどを示す点で,あるいは他の人に深い考慮を払う点で,そうした人々は模範的であるかもしれません。長年にわたって聖書を勉強した結果,聖書の原則をは握

日本語出版物(1954-2025)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする