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  • 『弱くて貧弱な事柄に逆戻り』してはなりません
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
塔83 9/15 16–21ページ

『弱くて貧弱な事柄に逆戻り』してはなりません

「神を知るようになった今……どうしてあなた方は,弱くて貧弱な基礎の事柄に逆戻り……するのですか」― ガラテア 4:9。

1,2 (イ)雷はある盲目の男の人にどんな影響を与えましたか。(ロ)より重要などんな変化があなたの生活に生じましたか。(使徒 26:18)

1980年6月の新聞紙上で,9年前に自動車事故に遭って失明した62歳のエドウィン・ロビンソンにまつわる驚くべき出来事が報じられました。新聞の説明によると,この人はあらしに遭い,木の下で雨宿りをしていました。雷がその木に落ちてこの人は倒れ,意識を失いました。ところが意識を取り戻した後,目が見えるようになったのです。長年失明していたこの人がどのように感じたか,想像してみてください。闇の世界に戻りたいとは思わなかったに違いありません。

2 あなたが真のエホバの証人であるなら,あなたの場合にも驚嘆すべき変化が生じました。使徒ペテロは,「選ばれた」クリスチャンが,『闇から神の驚くべき光の中に呼び入れられた』と書きました。(ペテロ第一 1:1; 2:9)エホバの証人となるために,あなたは闇と結びついている汚れた,是認されない習慣を捨てたかもしれません。(ローマ 13:12,13。ヨブ 24:14-16)なぜでしょうか。真理の光の中を生き,神の是認を得ることを願ったからです。

3 エホバの証人となることによって,あなたの人生の目的に関してどんな変化が生じましたか。(エフェソス 2:12)

3 真のクリスチャンになる前,あなたの人生には何らかの意義深い目的がありましたか。(ペテロ第一 4:15,16)あなたの目標は何ですか,と人から尋ねられたときに,生計を立てること,家族をもうけること,何か楽しみを見いだすこと,老齢の“霜枯れ時”の準備をすることなどを答えとして挙げていましたか。もちろんこうしたことは間違ってはいません。しかし,そのような人生は,生まれ出て成長し,食べて寝てつがって最後には死ぬリスやスズメや他の動物の生き方とどこが違うでしょうか。(伝道 3:18-20。ヤコブ 4:14。ユダ 10)しかし,真のクリスチャンになった後のあなたの人生には意味があります。あなたの目標は,創造者に仕えることを中心としています。―伝道 12:13。

4 聖書の知識はあなたにどんな影響を及ぼしましたか。(詩編 36:9。箴言 6:23)

4 あなたがいま光の中にいることと,かつて闇の中にいたということの際立った相違点は,あなたの得ている知識と理解においてとりわけ明らかです。以前には,なぜ悪が存在するのか,なぜ周囲の状況が悪化しているのか,死者はどんな状態にあるのか,近い将来には何が待ち受けているのか,といったことを知りませんでした。今では,こうした事柄に関して聖書に基づいた理解を得ています。次の使徒パウロの言葉は何と真実なのでしょう!「[エホバ]は……神の栄光ある知識をもって明るくするため,わたしたちの心を照らしてくださったのです」― コリント第二 4:6。

すべての人が光の中にとどまるのではない

5 すべての人が光の中にとどまるわけではないことを示すどんな証拠がありますか。

5 エホバの真の崇拝者であった人のすべてが,その立場を保ってきたわけではありません。強力な一人の霊の被造物は離れ去ってサタンとなりました。アダムとエバは光からそれました。完全な被造物のこのような行動を考えると,わたしたちのような不完全な人間の中に,やはり背を向けた者がいるとしても驚くには当たりません。イスラエル人はエジプトでの奴隷状態から逃れてきたのに,約束の地に達する前に,「エジプトで食べていた魚を,きゅうりやすいかやにらや玉ねぎやにんにくを思い出すではないか」と物欲しそうに不平をこぼし始めました。(民数記 11:5)光と自由を得ていたにもかかわらず,彼らはエジプトの闇とにんにくを切望したのです。

6 光から離れる人々について心配すべきなのはなぜですか。

6 クリスチャンも,光から離れ去る危険に直面します。パウロは,そのような人々が会衆内に起こって,弟子たちを引き離すという警告を与えました。(使徒 20:29,30)パウロが地上にいた時でさえこのことは生じました。(フィリピ 3:18。テモテ第二 2:16-18)さらに重要なこととして,あなたはこの時代に何らかの方法で離れ去ってしまった人をだれかご存じですか。そうしたことがわたしたちにも生じることがあるでしょうか。

7 パウロは,この点に関してガラテア人にどのような助言を与えましたか。

7 今日のクリスチャンで,光よりも闇を好んで選ぶ人は,いたとしてもごく少数でしょう。では,ある兄弟や姉妹(わたしたちのうちのだれか)を離れ去らせようとするのは一体何でしょうか。パウロがガラテア 4章9節で書いた事柄の中に,幾らかの洞察が示されています。こう記されています。「神を知るようになった今,いえむしろ,神に知られるようになった今,どうしてあなた方は,弱くて貧弱な基礎の事柄に逆戻りし,再びそれのために奴隷になろうとするのですか」。

8 その助言が必要だったのはなぜですか。それはどのように律法に適用されましたか。

8 ユダヤ人のクリスチャンの中には,元通りモーセの律法,あるいは少なくともその一部を守るべきであると唱道した人がいたようです。しかしパウロは,真の崇拝者たちは,律法から自由にされた,と書きました。(ガラテア 5:1-6)律法は義を生み出すことができなかったので,ある意味で弱く,「さらに勝った希望」あるいは取り決めに取って代わられることになっていました。(ヘブライ 7:18,19)ですから,元通り律法を守り始めた人々は,『弱い[事柄]に逆戻りし』,『再びそれのために奴隷になっている』と言うことができました。

9,10 「貧弱な基礎の事柄」に関する警告は,(イ)ギリシャ人の教え,(ロ)モーセの律法にどのように適用できましたか。

9 「貧弱な基礎の事柄」に戻ることについて警告を与えるのもふさわしいことでした。この場合に関係しているギリシャ語の表現には,順番通りに並んだアルファベット文字という概念が含まれており,物事のABC(基礎知識)を意味します。確かに,その当時幅をきかせていた異教の教えは,「貧弱な基礎の事柄」でした。ギリシャ人は自らの哲学に誇りを抱いていましたが,これらの事柄は人間の概念,誤った考え,神話に基づいたものでした。しかしモーセの律法に戻ることでさえ,『貧弱な基礎の事柄に逆戻りする』ことだったのです。なぜそう言えますか。

10 律法は神から出たものであるとはいえ,そのうちの多くは,幕屋やそれに関連した「肉に関する法的な要求」など,人間の領域の事柄を扱っていました。しかしながら,クリスチャンの崇拝は,これら有形の「模型的に表現したもの」によって予表されていた霊的な事柄を中心としたものです。(ヘブライ 9:6-10,23)ですから,どうしてクリスチャンがこれら基礎の初歩的な事柄に逆戻りしてよいでしょうか。数学を学んで幾何学や微分積分学の専門家にまでなった人が,自分の手や足の指を使ってものを数える方法に逆戻りするでしょうか。―ペテロ第二 2:20-22と比較してください。

今日における弱くて貧弱な事柄

11 ガラテア 4章9節は,今日のどんな危険に適用されるかもしれませんか。

11 わたしたちのうちで,ギリシャ哲学や律法に関係した「弱くて貧弱な基礎の事柄」に逆戻りする危険を感じている人はあまりいないでしょう。とはいえ,この助言は,わたしたちにも益を与えるため,聖書の中に記されたのです。例えば,ヨハネ第一 2章16節が,「肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかすこと」と呼ぶ事柄に逆戻りする可能性はあります。

12 あるクリスチャンが,ヨハネ第一 2章16節に関係した危険にどのように屈してしまうことがあるか,例を挙げて説明してください。

12 中には,「自分の資力を見せびらかすこと」とは,デザイナーの名前が入った洋服や,一度に4個も5個も指輪をはめるといった過度の宝石装飾を誇示することだ,と考える人がいます。(ヤコブ 2:2,3)その通りかもしれません。聖書は,「金の装飾」のような飾りに気持ちを奪われることに対し忠告を与えているからです。(ペテロ第一 3:3)しかし,「自分の資力を見せびらかすこと」は別の方法でもなされるのです。あるクリスチャンは,物質的なもののために生きている,希望を持たない人々の生活様式をうらやむかもしれません。国によっては,その土地でぜいたく品と見られているもの,例えばカラーテレビや小型自動車などを入手するために骨折り,それらを人に見せびらかす人がいます。ほかの場所では,人々は新しいビデオテープ録画装置や豪華な車を誇り,あるいはそうしたもので他の人々に感銘を与えようとします。『すべてのものを後にして,[キリスト]に従った』クリスチャンは,そのようなものを見せびらかすことに関心を抱くでしょうか。次のように自問できます。今の自分の時間と思考は,自分が『み言葉を聞き,喜んでそれを受け入れて』,自分の生活にそれを当てはめるようになった時よりも,物質的な所有物のために奪われがちになっているだろうか。―マタイ 19:16-27; 13:20-22。

13 (イ)パウロの助言は,住まいの問題にもどのように適用できましたか。(ロ)より大きな家に引っ越すことに関して,クリスチャンは何に注意を払うべきですか。(ルカ 12:16-21を読む。)

13 あるいは,住まいに関して,あるクリスチャンは貧弱な基礎の事柄に逆戻りするかもしれません。地域によっては,一戸建ての家は非常に高価です。ですから,多くのこの世の人々は,経済的な重荷に押しつぶされることになろうとも,その家が作り出すイメージのために家を買います。また,物質主義的な人々は,同じ屋根の下に住む家族の人数が増えているわけではないのに,普通の家から大きな家へ,それからまた一層大きな豪華な家へと引っ越してゆくかもしれません。(ルカ 17:28をご覧ください。)このように,家を購入したり,より大きな家に引っ越したりすることを考えているクリスチャンは,自分自身の動機と,自分の霊性に及ぼし得る影響とを吟味すべきです。間違った動機によって『基礎の事柄に逆戻りする』ことのないためです。自分の「資力」で他の人に感銘を与えるような裕福な生活を望むどんな誘惑に対しても抵抗しなければならないことは確かです。(ヨハネ第一 2:16)この種の問題について他の人々を裁くことをせずに,わたしたち一人一人が自分の生活の中で神への奉仕を第一にし続けましょう。自分の事情がどうにか許すゆえに,決して弱くて貧弱な事柄などではない全時間の開拓奉仕ができるよう仕事の時間を減らした数多くの円熟したクリスチャンたちを目にするのは,本当に喜ばしいことです。―マタイ 6:31-34; 7:1-3; 9:36-38。

14 ある人は,目立った存在になることに関してどのように『逆戻りする』可能性がありますか。

14 この体制内で目立った存在となることも,クリスチャンが「逆戻りする」可能性のあるもう一つの事柄です。当然ながら,他の人からよく思われたいと願うのは正しいことです。クリスチャンの長老は,『外部の人々からりっぱな証言を得ている』べきです。(テモテ第一 3:7)しかし神の言葉は,『自分のことを必要以上に考えないように』と確かに助言しています。(ローマ 12:3)ひとかどの人物になることをこの世が強調するために,少数ながらある人々は,クリスチャンとしての慎みや神のみ前における良い立場を求め続けることに困難を覚えているようです。

15 このことが若い人々や親にとって問題となり得るのはいつですか。

15 若い人々はしばしばこの問題に直面します。先生や生徒が,スポーツや生徒会やクラブ活動で目立った存在となることを勧めるからです。誉れある仕事に就くために大学へ行くことについても圧力を受けるかもしれません。親の中にも,子供の成功によって誉れある立場を得ることを願い,その圧力に拍車をかけた人もいます。『うちの息子には,一生平凡な労働者で終わって欲しくない』というようなことを親が言うのを聞いたことがあるかもしれません。―マルコ 6:3と比較してください。

16 目立った存在となることは,クリスチャンの男子にとってなぜ危険なことかもしれませんか。例を挙げて説明してください。

16 多くの人が,仕事上の目立った地位を求める誘惑にさらされてきました。自分の内的な動機を調べてみるとき,主に名声が関係しているゆえに上に立ちたいと願っていることが分かるかもしれません。経済的には安定しており,自分の仕事の時間を減らして(あるいは退職して)開拓奉仕ができる立場にありながら,会社で目立った,あるいは影響力のある仕事を続けるように,という誘惑を受けてきたクリスチャンがいるでしょうか。パウロは何と立派な模範を示したのでしょう! パウロは,経済的な安定性に加え,ユダヤ人の体制内で地位と影響力を得ていました。しかし,「キリストをかち得て彼と結ばれた者とみなされるため」,すべてのものを損失したのです。これが永続的な価値を持つ是認をかち得る方法であることを理解していたパウロは,弱くて基礎の事柄に逆戻りすることは決してありませんでした。―フィリピ 3:4-11。

17 娯楽には,『逆戻りする』どんな危険の可能性がありますか。

17 今日の娯楽の多くが,「弱くて貧弱」であることを否定する人はまずいないでしょう。選択することが絶対に必要です。しかし,神の原則を明確に犯すわけではない娯楽に関してさえ,注意が必要です。時間と資力が関係してくるからです。電子ゲームなど,膨大な時間とお金を奪うゲームは少なくありません。個人として,あるいは家族として,毎週平均,あるいは毎月平均娯楽にどれほどの時間とお金を費やしているか,座って実際に計算してみてください。その際にはテレビを見る時間も含めることにします。テレビに費やす時間はいよいよ問題となっています。番組作成者は視聴者を繰り返し引き戻そうとして,ドキュメンタリー,歴史番組,スポーツの優勝決定戦をも含め,さらに多くの連続番組を放映するようになっているからです。明らかにクリスチャンは,弱くて貧弱な事柄に引き戻されないようにするため,限られた時間や資産の用い方を制御する面で努力を払わなければなりません。―エフェソス 2:2,3。

18 大多数のクリスチャンたちは,どんな称賛すべき道を歩んできましたか。

18 これは,神の民の大多数の人々がこうした事柄に逆戻りしていることを示唆するものではありません。真の崇拝を固く守っているエホバの献身的な民は幾万,幾十万,いえ幾百万人とおり,ほとんどの人々は多年にわたりそうした生活を続けてきました。あなたも,そうした人々 ― パウロの述べた次の言葉で描写できるようなクリスチャンを大勢知っておられることでしょう。「わたしたちは祈りの中であなた方すべてについて述べる際いつも神に感謝しています。多くの患難のもとで聖霊の喜びを抱きながらみ言葉を受け入れたことを見れば,あなた方は……主に見倣う者となったのです。こうしてあなた方は……すべての信者の手本となりました」。(テサロニケ第一 1:2,6,7)わたしたち各自はそのようになるべきであり,「弱くて貧弱な基礎の事柄に逆戻り」しないよう決意すべきです。逆戻りすべき理由など少しもありません。

霊的な富を探し出しなさい

19,20 真実のキリスト教は,あなたにどんな強力で貴重なものをもたらしてきましたか。

19 真実のキリスト教は,強力で貴重なものを多々わたしたちに与えてくれます。多くの祝福を受けるために極めて肝要なことは,聖書の知識を得ることです。世の学者ですら,聖書が第一級の文学作品から成っていることを確証しています。しかし,わたしたちは聖書がそれ以上のものであることを知っています。それは,『また信じる者の中で働いている,神の言葉』です。(テサロニケ第一 2:13)そうです,聖書には,生活を変革し,確実な希望を与え,将来がどうなるかを示す力があることをわたしたちは知っています。聖書を読めば,創造者が備えてくださった音信を得ることができ,神のみ子の言われたことや行なわれたことをそのまま学ぶことができます。―ヨハネ 21:24,25。

20 神の民の助けにより,あなたはエホバについて聖書から学んでこられました。そして,「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きは何と探りがたく,その道は何とたどりがたいものなのでしょう」という言葉に同意することができます。(ローマ 11:33)知識だけにとどまらず,「健全な言葉の型」をも得ています。(テモテ第二 1:13)聖書を幾年も読みながら,いまだに意味がつかめない人は大勢います。しかしあなたは,聖書の意味する事柄を基本的に理解しています。神学者でさえ及ばないような理解と確信をもって話すことができるのです。―使徒 4:13。

21,22 エホバの証人であることから,あなたはどんな貴重なものを得てきましたか。

21 あなたは最善の種類の交わりも得ています。なるほど兄弟姉妹たちは不完全であり,時折いら立ちを覚えることがあるかもしれませんが,全体として,神を愛し,聖書の原則を適用するよう努力し,「すべての人,ことに[あなたを含め]信仰において結ばれている人たちに対して,良いことを行なおう」と努力する人々の中にいるのは,確かに祝福です。(ガラテア 6:10)最近のこと,ニューヨーク市のシナイ山病院の一小児科医は,自分の個人的な体験について意見を述べました。訪問したエホバの証人の奉仕者にこう語ったのです。『あなた方の行なっていることが何であろうと,それをずっと続けてください。あなた方はすばらしい人々です。皆さんと接触したことのある人たちは一人残らず,皆さんがどれほど一般の人々と異なり,どれほど物静かで気持ちのよい人々かということに気づいています。ですから,何を行なっているとしても,どうかそれをずっと続けてください』。あなたは,そのような種類の交わりを得ているのです。

22 もう一つの貴重で強力な事柄,自分たちが得ていることを喜べる事柄は,天での不滅性また地上の楽園における永遠の命の別を問わず,聖書に基づいた希望です。正気の人間でそれを放棄する人がいるでしょうか。そしてもう一つ,今エホバから与えられている割り当てられた仕事を見過ごしてはなりません。その仕事のために,神はあなたに強力な備えをしてくださっているのです。(コリント第二 10:4。フィリピ 4:13)弟子を作る業のためには努力が要りますが,それは深い満足感と喜びをも生み出します。それは他の人々を命の道へと助けることだからです。この活動はあなたの思いと心を満ち足らせることができます。

23 ガラテア 4章9節に関して,あなたは何を行なう決意を抱くべきですか。

23 ですから,真実のキリスト教が強力で貴重なものを多々わたしたちに与えていることは極めて明らかです。わたしたちが得ているものについて熟考し,感謝し,『弱くて貧弱な基礎の事柄全般に逆戻りし,再びそれのために奴隷になる』ことを断固避ける決意を抱きましょう。

思い起こしますか

□ ガラテア人はどのように『弱くて貧弱な基礎の事柄に戻る』危険にさらされていましたか

□ 次に挙げるものに関し,わたしたちはどのように『逆戻りする』かもしれませんか

物質的所有物

住まい

目立った存在となること

娯楽

□ キリスト教はどのように,強力で貴重なものをあなたに与えてきましたか

[18ページの図版]

多くの夫婦は,『自分の資力をみせびらかすこと』がないよう警戒することにより,クリスチャンの活動を増し加える助けを得てきた

[20ページの図版]

あなたは個人として,娯楽のためにどれほどの時間とお金を費やしているだろうか

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