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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
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『メルキゼデクの状』

1 メルキゼデクは誰でしたか? そして誰が『彼の状にひとしく』されましたか?

メルキゼデクは王なる祭司でありました。そして王なる祭司は彼に似せられました。使徒パウロは教えます。『キリストは自分が大祭司になることによつて,彼自身を栄光の位に上げたのではない。彼に対して,「お前は私の子である。今日私はお前の父となつた。」と言われたお方によつて栄光の位に上げられたのである。このお方はまた他の場所でこう言われる。「お前はメルキゼデクの状にひとしく永遠に祭司である。」……彼はメルキゼデクの状にひとしい大祭司と,特別に神から呼ばれ給うた。』(ヘブル 5:5,6,10。新世)この状とは何ですか? そしてそれは何を意味しますか?

2 メルキゼデクが創世記 14章の記録に出て来る情況を手短かに述べて下さい。そしてパウロはこの王なる祭司について何と言つていますか?

2 この王なる祭司についての最初の記録は,聖書中に報道されている最も古代の戦争に関連して登場した彼の外観を示しています。それはヨルダンの谷の侵略でした。その当時の王たちとその谷の人々との間に一大戦闘が起りました。侵略者たちが勝つて分捕物を取り,捕われ人たちを連れ去りました。その中にはロトとその家族も含まれていました。ロトの伯父アブラムはその捕虜のことを知つてよく調練された彼の奴隷たちを引き連れて,その勝利者たちの後を追い,彼らを打ち破つて捕われ人たちを救い出し,分捕物を取り戻しました。メルキゼデクが公けに現われたのは,この勝ち戦からアブラムが帰つて来た時でした。(創世 14:1-20を見よ)パウロは最も興味深い方法で,ヘブル書 7章1-3節(新世)でこう説明しています。『このメルキゼデクはサレムの王であり,いと高き神の祭司であつて,王たちを屠つて帰つて来たアブラハムを迎えて祝福した。アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えた。まずメルキゼデクを翻訳すれば「正義の王」である。彼はまたサレムの王であるが,それは「平和の王」である。彼は父もなく,母もなく,系図もなく,生れた始めもなく,生命の終りもなく,神の御子に似せられていて,永遠に祭司である。』

3 『メルキゼデクの状』に関するヘブル書 7章のパウロの論はどんなですか?

3 これらの出来事に続いて,『サレムの王メルキゼデクはパンと酒を持つて来た。彼はいと高き神の祭司であつた。そこで彼はアブラムを祝福して言つた。「天地の造り主であるいと高き神がアブラムを祝福しますように。そしてあなたを圧制した人々をあなたの手に渡し給うたいと高き神に讃称がありますように。」』(創世 14:18-20,新世)パウロは述べます。『民族の首であるアブラハムが主な分捕物の十分の一を与えたこの人がどんなに偉大であるかを見なさい。……そして〔メルキゼデクは〕約束を持つ彼を祝福した。さて小さい者が大きい者から祝福されることについては言い争う必要がない。それで,もしレビの支族の祭司によつて本当に完成されたとすれば……アロンの状にひとしくない,メルキゼデクの状にひとしい他の祭司の起る必要があるであろうか? そしてメルキゼデクと同様の,……滅びない生命の力によつて立てられた他の祭司が起つたので,そのことはなお一層十分に明かになつた。というのは,「お前はメルキゼデクの状にひとしく永遠に祭司である。」と証明されているからである。』パウロは再び詩篇 110篇4節を引いて,その論を続けます。『ヱホバは誓われた。そして彼は悔い給わないであろう。「お前は永遠に祭司である。」』それは誰ですか? キリスト・イエスであります。『彼は永遠に生き続けられるから,後継者なしで祭司職を持ち給うのです。したがつて,また彼を通じて神に近づく人々を完全に救うことが出来る。何故ならば彼は,彼らを弁護するために常に生きて居られるからである。』― ヘブル 7:4-7,11,15-17,21-25。新世。

4 ヱホバがイエスを御自分の子であると宣言された事実は,どうしてイエスを完全な祭司とすることになりますか?

4 イエスがヨルダン川で浸礼を受けた時に,ヱホバは彼を承認しました。『するとどうだろう,天から声があつて言つた。「これは私の子,愛する者である。私は彼を承認した。」』それからイエスの容貌が変られた時に再び『声が雲の中から起つて言つた。「これは私の子,私の選んば者である。彼に聴きなさい。」』また彼が王として再臨されることについて詩篇記者はこう語つています。『ヱホバは私に言われた,お前は私の子である。今日私はお前を生んだ。』(マタイ 3:17。ルカ 9:35。新世。詩 2:7。ア標)御子と他の油注がれた神の子らは王室であつて,永遠に生きるでしよう。そしてそれ故子と,祭司との関係は一つになり,同一になります。キリスト・イエスは神の御子ですから選ばれた祭司で,彼は永遠に生きられます。

5 メルキゼデクが偉大な王なる祭司をあらかじめ描いていた点のいくつかを述べなさい。

5 メルキゼデクに関して,「生れた始めもなく,生命の終りもない」と記録された事実,そしてこの祭司がアブラムから十分の一を受け,アブラムを祝福した事実,また彼が「平和と正義の王」であつた事実は,彼がヱホバの永遠の御子をよく描いているものとしてパウロにより示されています。この御子こそ神の王なる祭司長であつて,神の王なる祭司の首であります。

6 詩篇 110篇と黙示録 19章の聖句は,王なる祭司に関聯して何を意味しますか?

6 詩篇 110篇はこの王なる祭司長が成しとげる偉大な業を予言的に教えています『ヱホバはあなたの力の杖をシオンから突き出されるであろう。あなたは敵どもの中で支配されるであろう。主はあなたの右において,あなたの怒りの日に王たちを打ちたもうであろう。彼は国々の間を裁くであろう。』(詩 110:2,5,6。ア標)この支配者は黙示録で述べられている方と同一の方であります。『それから私は天が開かれたのを見た。するとどうだろう。白い馬である。そしてこれに乗つている者は,忠信,また真実と呼ばれ,彼は正義をもつて裁き,そして戦いを行う……彼はまた全能の神の憤怒の怒りの酒搾器を踏む。……彼には王の王,主の主という名が記されている。』(黙示 19:11,15,16。新世)メルキゼデクよりも偉大なお方はただ犠牲を献げる祭司であるばかりでなく,また征服し支配する王でもあります。そしてこの実体の正義の王は正義をもつて戦いを行います。この故に私たちは,ヱホバ神に対するすべての不法と反対は消え失せるであろうということに,強い確信を持つことが出来ます。何故ならキリストは正義をもつて支配するからです。そしてそれから平和はすべての者が受ける永遠の分でありましよう。彼は永遠に平和の君であり,王なる大祭司であります。

第一のよみがえり

7 よみがえりについての完全な保証は何処にありますか?

7 キリスト・イエスの下のこの王なる祭司についてこう書かれています。『第一のよみがえりに与る者は幸であり,聖である。これらの者の上に,第二の死は権威を持たない。』(黙示 20:6。新世)これはどういう意味ですか? ヱホバを恐れるすべての造られた者は,よみがえりについての完全な保証を得たいと望みます。もし或る者がよみがえりを絶対的に確信することが出来たなら,死は単なる眠りに過ぎないでしよう。誰がそのように確信しますか? 自分がよみがえるであろうということを,ほんの僅かな疑いの影もなしに信ずる,そんなに十分な信仰を誰が創造主に対して持ちますか? その答はこうです,即ちそれは,自分がヱホバに全く身を献げた者であるという確信を持つことの出来る人々でありすべての心と精神と魂と力を尽して真実にヱホバに奉仕している人々であります。神はこのような忠信な人々を知つて祝福し,その信仰を承認いたします。私たちはすべて信仰を増し加えることが出来ます。―ルカ 17:5,6とコリスト前 12:4,9を見よ。

8 よみがえらされた或る者らは死ぬ可能性があるでしようか? そして『第二の機会』はありますか?

8 復活の確実な希望は生命に対する強い力であります。或る者は,より偉大なメルキゼデクである王なる祭司の千年統治の間に,死の眠りから目ざめさせられて,ヱホバの律法を教えられるでしよう。そしてもし従順なら彼らは生命を持続するでしよう。もし不従順なら彼らは生命から『切り離される』でしよう。その時彼らの死は二度目の死となり,更に別のよみがえりはないでしよう。最初の死は,アダムの原の罪によつて人類の上に及んだ死の宣告の結果として生じました。第二の死は彼ら自身の責任でありましよう。この事は『第二の機会』を教えるものではなくて,地上何億の死人の中から或る人々がよみがえらされるであろうということを指し示しているのです。

9 地の住民たちは永遠に生き得るように新しい世でどのように助けられるでしようか?

9 復活の日に,裁きは各人の責任です。メルキゼテックよりも大いなる方はヱホバの御心を成しとげます。いと高き者の御目的は,天で,王なる祭司職によつて十分に知らされるでしよう。地の数百万の人々がヱホバの御心に一致して生命を得るためのあらゆる機会が与えられるでしよう。何故なら彼らは,彼らを支配する祭司の国民を有するからです。彼らのあらゆる怠慢と努力は理解され,評価されるでしよう。慈悲と憐れみと寛容は,物惜しみせずにすべての者に与えられるでしよう。しかし悪しき者や偽善者や不忠信者に対しては,平和と正義を求めてそれに至るための十分な機会が与えられた後に,不利な待遇がなされるでしよう。新しい天と新しい地の行政は,現在の悪い組織制度とは大層違つているでしよう。今日は苛酷,理解の欠乏,外観による審判,そして偽善があります。新しい組織制度の中で王なる祭司は正義と憐れみと仁慈をもつて支配するでしよう。すべての成員は人間の肉体の弱さを経験しています。そして,しばしば他の人たちからは誤解されてはいますが,ヱホバに奉任することは何を意味するかについて,また,他の人たちは多分その動機について正しい見解を持たないかもしれませんが,続けて愛の心を持つことは何を意味するかについて,14万4000人のおのおのは知つています。彼らは人類の弱点に触れて,障害があるにもかかわらず闘つている人々を助けることを好むでしよう。今日,そうではないのですか? 弱い肉体を憎み,彼ら自身の弱さに度々悩まされるけれどもヱホバは戦いつづけて,止めてしまわない神の民の人々を愛するに違いありません。御国でもそうでしよう。何故なら地位と光栄は王なる祭司の性質を変えないでしようし,彼らが神の正しい裁きを従順に行うことを妨げないでしよう。

10 悪しき者の或る者らは千年統治の前でさえ『第二の死』を当然受ける価値がありますか?

10 地の数億の人々の内の或る者らは,彼らが地上に住んでいる間に,そして御国が千年間の支配を開始する前に,第二の死の裁きを当然受ける価値があります。エルサレムから出た廃物を焼きつくすために絶えず燃やされていたヒンノムの谷(ゲヘナ)の甚だしい火は,価値のない人々の最後の絶滅の図解として用いられました。実際にこの大きな火の池には犯罪者たちの屍体が投げこまれました。そして彼らは記憶されませんでした。このような者らは記憶の墓に葬られませんでした。彼らは永遠に滅ぼさるべきであり,彼らの名は忘れられるべきでした。しかしながら私たちは,これらの屍体が滅ぼされるためにヒンノムの火の燃える谷に投げこまれた時に死んでいたことを忘れぬようにしましよう。それゆえこの火は第二の死で死んだ人々の運命の図解となつたのです。何故ならこのような者らは滅ぼされるからです。

11 滅ぼされる級のいくつかを述べなさい。

11 このように滅ぼされる級のいくつかが黙示録 21章8節(新世)に挙げられています。『臆病な者,信仰のない者,その汚れのために嘔気を催させる者,人を殺す者,淫行する者,降神術を行う者,偶像を拝む者,そしてすべて嘘を言う者,彼らの運命は火の燃える池の中であろう。』そこでヱホバとその民の憎む者らに対して警告が鳴りひびきます。『蛇よ,蝮の子孫よ,どうしてあなた方はゲヘナの裁きから逃れられようか?』 主イエスはも一つの価値のない山羊級の人々に注意を向けて,彼らに言われています。『あなた方は私が飢えた時に何も食べさせてくれなかつた。私が渇いた時に何も飲ませてくれなかつた。私が旅人であつた時に手厚く泊めてくれなかつた。裸であつた時に着せてくれなかつた。病気の時や牢獄に入つていた時に見舞つてくれなかつた。』こういう方法で主の兄弟たちをあつかう人々はヱホバの王なる祭司の裁きに会うでしよう。何故ならイエスは更にこう断言しているからです。『呪われた人々よ。私を離れて永遠の火に入りなさい。』神の民の迫害者たちや信じない人々もまた,この死を受けるべきです。『あなたを苦しめる者には苦しみを以て報い,苦しめられるあなた方には私達と共に救助を以て報いて下さるのは神にとりて正しいことである。それは主イエスが力ある御使たちと共に,燃える火の中に,天から現われ給う時に行われるのである。その時主は,神を知らぬ者らと,私達の主イエスの善い音信に従わぬ者らに当然の罰を与えられる。』更に『さて,もし私達が宣べる善い音信が事実蔽われているならば,それは亡ぼされる人々に蔽われているのである。この組織制度の神はこれら不信者の心を盲目にしている。』それゆえ或る人々が信仰に傾くよりも,更に多くの人々がこの第二の死の状態で亡ばされるでしよう。しかしそれは私達が受入れなければならぬヱホバの言葉であつて,それは私達自身の願いや感傷的な考えではありません。―マタイ 23:33; 25:41-44。テサロニケ後 1:6-8。コリント後 4:3,4。新世。

12 ヱホバの民のすべては何故,ヱホバの余りにも豊かないつくしみに絶えず感謝しなければなりませんか? そしてもし私たちが感謝の念を失つたなら何が起るでしようか?

12 これらの聖句はたしかに,神の民のすべてがこの裁きの日に如何に慎重に歩まねばならないかを,彼らに気付かせます。あなたが永遠の王たる祭司級に属することを希望しているか,又は干年間ヱホバの王なる祭司の臣民の一人となることを希望しているか,そのどちらであつても,忠信な服従が要求されています。怠慢,不忠信,不信仰,不従順は不合格に相当しますから,すべての者は恐れとおののきの内に歩まなければなりません。それら不承認の者に対しては「もはや罪のために犠牲を献げる余地はない。」今でさえキリストの霊的兄弟たちはこう警しめられています。『実に一たび光に照らされ,天からの自由な賜物を味い,聖霊に与る者となり,神の正しい言葉と来るべき組織制度の力とを味つて,しかも堕落する者は,更にまた自分たちのために神の子を杭に刺して晒して,公けにはずかしめるのであるから,再び悔改めによつて彼らを生き返らせることはできない。』『それは,私たちの神はまた焼きつくす火であられるからだ。』(ヘブル 6:4-6; 12:29。新世)彼らの運命がどちらに属するかに関係なく,ヱホバの民のすべては,その信頼を堅く保ち,ヱホバの余りにも豊かないつくしみと神の愛する御子の犠牲とを,常に感謝すべきです。

13 『第二の死』はどのように王なる祭司の人々の上に権威を持つことが出来ませんか?

13 より偉大なメルキゼデクの天の仲間となる人々は不滅性によみがえらされるでしよう。それゆえ彼らの上に『第二の死』は権威を持ちません。『愛する人々よ,私たちは今神の子である。しかし私たちがどのようになるであろうかは,まだ明らかにされていない。彼が現れ給う時には,私たちは彼に肖せられるであろうことを知つている。何故ならば私たちは彼の本当の状を見るであろうから。』『彼は始めであつて,すべてのものの中で第一の者となるために,死人の中から最初に生まれたお方である。』更にこう記されています。『今キリストは死人の中からよみがえらされて,死の中に眠つている人々の初穂となられた。』(ヨハネ第一 3:2。コロサイ 1:18。コリント前 15:20。ヨハネ 14:2,3。黙示 1:5。新世)パウロはこう述べています。『メルキゼデクと同一の他の祭司〔イエス・キリスト〕が起つた……彼がこのような祭司になつたのは肉に属す誡命の律法によつたのではなく,滅びない生命の力によつたのである。』(ヘブル 7:15,16,新世)それゆえ,より偉大なメルキゼデクの下の王なる祭司の成員たちは,決して死によつてそこなわれないでしよう。何故なら彼らもまた滅びないようになるでしようから。パウロはこう言いました。『死人のよみがえりもまたこれと同じである。朽ちるもので播かれて,朽ちないものによみがえらされる……肉体で播かれて,霊体でよみがえらされる……血肉は神の国を相続することはできない。朽ちるものは朽ちないものを嗣ぐことはできないのである。』― コリント前 15:42,44,50,新世。

14 『早いよみがえり』とは,どういう意味ですか? パウロがそれにあづかることを待ち望んでいたことを,どのように知ることが出来ますか?

14 使徒パウロの目的はこう言い現わされています。『何とかして私が死人の中からの早いよみがえりを得たいためである。』(ピリピ 3:11,新世)『早いよみがえり』とは『第一のよみがえり』と同一である。『早いよみがえり』という言い現わし方は,ギリシャ語のエクザナスタシスから来たのであつて,ここでは特別な文意に用いられ,『よみがえり』を意味するアナスタシスとは違つています。パウロがここで述べているのは『一般の』よみがえりではなくて,彼は死人の中からの『より早く』よみがえる人々の内の一人になることを望んでいるのです。何故ならそのようなよみがえりは一般の死人のよみがえりよりも優つているからです。それは特別なよみがえりです。それは時間的にも,重要さの上でも主要なよみがえりです。パウロはこう言いました。『しかし,めいめいにはそれぞれの順序がある。初穂であるキリスト,その後に,キリストの臨在の時にキリストに属する人々である。』(コリント前 15:23,新世)キリストは西暦1914年以来その御国の内に,目に見えない臨在をして居られます。そして王なる祭司の成員として,キリストに忠実に属して死んだ人々は,キリストが1918年に宮に来られた時以来,この『早いよみがえり』を受けました。―マラキ 3:1-5。黙示 11:15から12:5まで。

千年間の支配

15 サタンは千年統治の前か,又は統治の間縛られるでしようか? またキリストは千年統治前に王として即位することが出来ますか?

15 王なる祭司は千年の間支配するでしよう。その支配の間,大なる敵対者サタンは完全に監禁されるでしよう。こう記されています。『そして彼は龍すなわち原の蛇を捕えた。それは悪魔であり,サタンである。彼はこれを千年の間縛つておいた。そして彼を底のない坑に投げ込み,これを閉じ込め,その上に封印をした。それは千年の終るまで,これ以上諸国の民を惑わすことのないようにするためである。』(黙示 20:2,3,新世)いと高き神の未来の御目的についてのこの驚くべき見通しは神の制度に一致して生きる人々を,喜びで身震いさせます。このような前途の見通しは私たちを元気づけ,すぐ前まで来ている栄光の時の幻像を私たちに見させます。では,私たちが約束の新しい世を見た時,そしてそれが非常に近いことを知つた時,たしかに私たちは及ぶかぎりそれに入ることを確保し得るように,すべてのことをしたいと望みます。私たちの王なる祭司は今天で統治しております。『それから私は天が開かれるのを見た。するとどうだろう。白い馬である。そしてこれに乗つている者は,忠信,また真実と呼ばれ,彼は正義を以て裁き,そして戦いを行う。』(黙示 19:11,新世)『「来い」と云うのを私は聞いた。そこで私は見た。するとどうだろう。白い馬である。そしてその上に弓を持つた者が乗つていた。彼に冠が与えられた。そして彼は勝つために,勝利を完成するために出て行つた。』(黙示 6:1,2,新世)この王なる祭司はサタンとその制度がまだ存在している今支配しています。より偉大なメルキゼデクは彼の敵どもの中で支配しています。

16 詩篇 2篇と110篇は,キリストが王として即位した後に,サタンとその制度に関して,どのように多くの仕事が成しとげられなければならぬかを説明して下さい。

16 キリスト・イエスは1914年に王として天で即位され,その年からハルマゲドンまで彼は行うべき仕事を持つて居られます。この時期は『ヱホバの日』として知られています。ヱホバは王なる大祭司に関してこう述べて居られます。『しかれども我わが王をわが聖きシオンの山に立てたり……汝はわが子なり。今日われ,なんぢを生めり。』神は彼を支配者として生み出し,そしてこう命じられます。『われに求めよ。さらば汝にもろもろの国を嗣業として与え,地の極を汝の有として与えん。』では押し進め! あなたは今支配すべき王です! 彼らを征服しなさい! 国々の民を服従させなさい!『汝はくろがねの杖を以て彼らを打ちやぶり,陶工の器物のごとくに打ち砕かん。』(詩 2:6-9)再びヱホバは言い給う。『汝はもろもろの仇の中に王となるべし……汝はメルキゼデクの状にひとしく永遠に祭司たり。主は汝の右にありて,その怒りの日に王たちを打ち給えり。』(詩 110:2,4,5)王として即位された大祭司イエス・キリストは,栄光ある千年間の平和の統治が始まる前に,この強大な仕事を成しとげます。『その時キリストはすべての政治とすべての権威と権力を亡ぼされる……何故なら神がすべての敵を彼の足の下に置くまでは,彼は王として支配しなければならないのである。』― コリント前 15:24,25,新世。

17 (イ)キリスト・イエスが西暦1914年に即位されたことを,何が私たちを確信させ,私たちに信頼を与えますか? そして私たちの信仰は日時に実際に頼りますか?(ロ)ヱホバの御国建設についての最も強い,最も確かな証拠を,何処から得ることが出来ますか?

17 王キリスト・イエスは天で即位されて,この古い組織制度の終りの日は今来ました。サタンは自分の時が短いことを知つています。そして「この世代」は『これらすべての事が起らないうちは決して過ぎ去らない』とイエスによつて保証されています。(マタイ 24:34。黙示 12:12,新世)これらの真理を知つて信ずる時,私たちの信仰は確かなものとなります。私たちの信頼は日時の上に築かれませんし,また決して築かれたのではありませんでした。事実,予言の成就のいろいろの兆は,日時よりも遥かに信服させます。ヱホバが年や日について述べられたことは真です。そしてそれらについての理解を得ることはヱホバに喜ばれます。しかし私たちは,ヱホバ神はいと高きお方であつて,価値あるのは彼に対する実際の信仰であり,そして常にそれを持つことである事をいつも記憶しましよう。愛する御子キリスト・イエスに対する信仰,そして彼の犠牲の仕事と栄光ある祭司の職務に対する信仰は,私たちの保証であります。彼の支配を知つて承認することは,私たちに希望と喜びを与えます。丁度何年又は何月にサタンを実際に打ち負かせて千年の間縛るかを知ることは,重要ではありません。昔から予言されていたこれらの出来事が今起りつつあることを私たちは知つています。そしてもしそれらの出来事を見るなら,私たちの眼は幸福であり,恵まれています。たとえ予言されたいろいろの出来事が国々の民の中で起つていることによつて私たちはすべて力を添えられますけれども,実際に,神権制度の中でなされ,また神権制度を通じてなされたヱホバ神の行動は,御国開始の最も強い証拠を形づくつています。

18 新しい国民はどのように生み出されましたか? そしてこれは何を意味しますか?

18 これはヱホバの日です。『これヱホバの設けたまえる日なり。我らはこの日に喜び楽しまん。』この日についてこう記されています。『これはヱホバの門なり。正しき者はその内に入るべし。』『汝ら門を開きて,忠信を守る正しき国民を入れよ。』またこう記されています。『誰がこのような事を聞いたか誰がこのような事を見たか? 一つの国は一日で生まれるであろうか? 一つの国民は一時に生まれるであろうか?』 そうです。私たちは「このような事を聞きました。」ヱホバはヱホバのこの日の間に,御言葉を成就され,このような事を起させました。これは私たちの眼に不思議に見えます。回復されたヱホバの霊的イスラエルの国民は生み出されました。それは新しい世の社会の核心として西暦1919年以来実在しています。この事実は,この古い世の諸国民の間の論争,喧嘩,戦いの中に見られるいろいろの兆よりも,御国についての更に大きな証拠です。霊的の国民は今既にここにあり,より偉大なメルキゼデクである王キリスト・イエスは支配しています。―詩 118:24,20。イザヤ 26:2; 66:8。ア標。

19 ヱホバが王なる祭司を有する神権的国民を建てられた事実は何を意味しますか?

19 この驚くべき出来事の証拠は,この見える神権的国民の行動によつて地上に実現されています。ヱホバ神は主権者であつて,この神権的国民を支配されます。間もなく王なる祭司の全成員は天の栄光の中に共に集められて,祭司の国は天から,そしてすべてものの上に支配するでしよう。地上にはこの神権政府の見える代表者たちが居るでしよう。これらの代表者たちは『君たち』(サリム)でありましよう。そして彼らは見える人間社会に関するあらゆる事柄を監督するでしよう。この人間社会の核心たちは,未来の一千年の奉仕のために,今統一され,組織され,そして訓練されています。

20 千年統治が第七の一千年期間であるということは何を指し示していますか?

20 来るべき一千年期間は人間創造からの第七の一千年期間であつて,それゆえそれは最後のヱホバの大安息日の一千年であります。ヱホバの忠信な人々が入るのは,ヱホバの休みのこの大安息日であります。『或る所で神は七日目についてこう言われているからである。「神は七日目にすべての仕事をやめて休まれた。」そして同じ所で神はまた言われる。「彼らは私の休みに入れてやるまい。」』パウロは休みの場所すなわち『神の民に残されている安息日』があることを示しています。(ヘブル 4:4,5,9,新世)信仰によつて王なる祭司の成員たちは今神の休みすなわち安息に入つています。間もなくキリスト統治の一千年の安息日は人類のために始まり,そして一千年間続くでしよう。ヱホバの祝福はその日の上にあるでしよう。ペテロはその日の長さを述べてこう言つています。『愛する人々よ,この一事を無視してはならない。ヱホバにありては一日は一千年の如く,一千年は一日の如くである。』(ペテロ後 3:8,新世)詩篇記者は神に向つて言いました。『汝の目の前には千年もすでに過ぐる昨日の如く,また夜の間の一時に同じ。』(詩 90:4)絶対者ヱホバにとりて制限はありません。一千年は丁度昨日のように ― 消え去つた日のように ― 行つてしまいます! ヱホバが全体の千年間を回顧し,見渡す時,ヱホバにとりての千年間は,丁度私達が過ぎ去つた昨日を見るようなものです。創造主にとりて一千年間は,夜の断片のようです。それは痕跡を留めません。ヱホバの永遠無限を表現するために私達が用いることのできる比喩はほとんどありません。それはたしかに恐れと尊敬を感じさせます。

21 詩篇 110篇3節が現在の時にどのように成就しつつあるかを示しなさい。

21 聖徒たちが喜び叫ぶように命じられているのは何も不思議ではありません。(詩 149:5)私たちは平和な千年期の門口に居ります。その日の輝きはすでに視界に示されています。『朝には喜びきたる。』(詩 30:5,英文欽定訳)他のどんな喜びでもシオンの喜びより勝ることは出来ません。偉大な支配者はここに居ります。天に居るヱホバの王なる祭司はこの地の事柄を支配するために権威を引受けます。詩篇記者は強くこう言います。『汝の勢いの日に汝の民は聖なるうるわしき衣をつけ,心より喜びておのれを献げん。汝は朝の胎より出ずる汝の若さの露を持てり。』(詩 110:3,ア標)キリスト・イエスに関する,すなわち彼が保つ栄光ある任務および彼が今なし遂げつつあるところの,そしてやがて彼がなしとげんとするところの,すべての驚くべき御業に関する,この日の予言の驚くべき成就は,祭典の時の任務に際して大祭司が着た聖い美わしい上衣の実体的成就のようであります。ヱホバの御子はこの主なる祭司たちの隊伍を,サタンと彼の悪に対する聖戦へと導いて行きます。新しい国民は,ヱホバの聖霊と愛の働きによつて不思議に,そうです,奇蹟的に生まれて,今存在しています。大勢の新鮮な元気のよい民は,真珠の露のように夜明けの子供たちです。なぜなら,この原文は多産 ― 無数の仲間の思想を有しているからです。そうです,若者の快活さを持ちながら,心から喜んで自分を献げる人々の軍勢が今出て来ました。今は組織された奉仕を行うために神の民を召集する日です。

22 何故ヱホバの新しい国民はそんなに元気がよくて活動的なのですか? ヱホバのこの民をそれほどに満足させるものは何ですか?

22 ヱホバの民は元気のよい活動的な民です。彼らは若い勇士のようであつて,祭司の王の行く所へは何処でも従つて行きます。それは金銭で雇われた軍隊ではなくて,愛によつて奉仕する軍隊です。彼らは聖なる外衣を着ていて,彼らのすべては歌い手であります。彼らはまことに祭司の王の兵士です。彼らは正義をもつて奉仕し,正義の聖い大義のために奉仕し,何物も彼らを止めることはできません。この国民がただ僅かにこの終りの日になつて現われたには違いありませんが,しかしそれは,大群衆が,突然に,思いがけなく,不思議な現われ方をすると,ヱホバが言われた通りなのです。『朝の胎より出ずる』若い子供たちのように,ヱホバの忠信者たちは『聖きうるわしきものをもてヱホバを崇拝』します。(詩 29:2,ア標)ヱホバが天に居られることは私たちを満足させます。彼は天と地の神であります。彼の御子キリスト・イエスは宇宙の王なる祭司であり,メルキゼデクよりも偉大なお方であつて,彼は今即位されて居り,祭司の王として職務を行つて居ります。彼と共に14万4000人の成員が居りましよう。その大多数は今既に天によみがえつていますが,遺れる者はまだ地上に居ます。今は地的追従者である『大なる群衆』が集められています。なぜならこの級を生み出すために,神の恵みは諸国民に向けられているからです。(黙示 7:9-14,新世)間もなくサタンは一千年間縛られて,王なる祭司はその偉大な千年期の安息日を支配して,数百万の地の住民たちに祝福と平和と生命と幸福を与えるでしよう。それゆえ私たちは感謝して,『聖きうるわしきものをもてヱホバを崇拝』しましよう。

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