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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1956
塔56 9/15 352–358ページ

真理のための戦士

『信仰と正しい良心とを保ちながら,りつぱに戦いぬきなさい。ある人々は,正しい良心を捨てたため,信仰の破船に会つた。』― テモテ前 1:18,19,新口。

1 宣教の資格を持つ人は誰ですか。

あなたは,真理のためヱホバの戦士の隊伍に参加し得る資格を持つていますか。男でも女でも,若い者も年老いた者も,ヱホバの奉仕に献身する人は,もし要求を守るなら,誰でもその資格を持ちます。パウロは『キリスト・イエスの正しい種類の兵士』であることについて語りました。私たちが正しい戦を行わねばならぬように,神の是認を受けるためには正しい種類の兵士でなければならず,また宣教に献身しなければなりません。かつ,宣教にともなう苦しみや迫害,そしてよろこびや祝福に分け与らねばならないのです。『キリスト・イエスの正しい種類の兵士として,悪を苦しむのに分け与りなさい。』(テモテ後 2:3,新世)人が実際にどの種類の兵士であるかは,戦のときに示されます。その人は自分に割当てられた任務を良く果しますか。あるいは,集会には欠席しており,奉仕にも不規則ですか。その人は信頼するに足りる人で,しつかりした堅い人ですか。あるいは最初に自分の利害を求める落ち着きのない傭兵のようですか。私たちは人間に奉仕しているのではなく,神に奉仕しているのです。私たちが自分の義務を怠るなら,人間の裁判所に呼び出されるのではありません。ヱホバは私たちを調べます。―コリント前 4:1-4。

2 私たちは兄弟たちに対する愛の精神をどのように示しますか。

2 私たちは自分だけの奉仕の荷を負うだけでなく,援助を必要とする他の人々もしばしば援助しなければなりません。良く知られている事実ですが,兵士が初めて戦つたときとか,戦を上手にすることができない時に,戦争の死傷者数はいちばん大きいのです。父親が子供たちを注意深く世話するように,霊的な戦の歴戦の兵士は最初の小競合に新しい兵士を援助し,そして神にふさわしく歩み続けさせねばなりません。(テサロニケ前 2:11,12)さらに,良く訓練された兵士たちの一隊は,その業績に誇りを感じています。クリスチャンは個人的な誇りで高慢な気持を抱くようなことをしません。しかし良い精神を持ち,兄弟たちと共に働くのをよろこぶべきです。『神が私たちに下さつたのは,臆する霊ではなく,力と愛と慎みとの霊なのである。だから,あなたは,私たちの主のあかしすることを……恥ずかしく思つてはならない。』― テモテ後 1:7,8,新口。

3,4 宣教のための要求のいくらかは何ですか。

3 クリスチャン戦士の資格を持つことにより,クリスチャン戦士の隊伍に加わるのにふさわしくあれ,とパウロは諭しています。しかし,それだけでなく,パウロは信仰に従つて生活せよ,ということも強調しています。彼はテモテにこう書きました。(テモテ前 1:18-20,新口)『この命令を与える。あなたは,これらの言葉に励まされて,信仰と正しい良心とを保ちながら,りつぱに戦いぬきなさい。ある人々は,正しい良心を捨てたため,信仰の破船に会つた。』この言葉を述べたパウロは,十分の良い理由を持つていたのです。当時の或る人々は信仰を破壊し,真理にひどく反対しようとしました。パウロは,もしそのままにしておくならば,そのような考えは壊疽と同じぐらいに危険なものである,と戒めました。躊躇して優柔不断な兵士が生命を失うように,もし自分の信仰をしつかり保たないなら,私たちも生命を失うでしよう。私たちは神の言葉に信仰と確信を置くことにより神を真としなければなりません。生命そのものであるかのように,神の言葉をしつかり保ちなさい。他の人の信仰を破壊しようとする人々は,ヱホバの制度からの懲しめをうけ,隊伍から取除かれます。パウロはコリント人に次の言葉を告げました,『すべて不従順な者を処罰しようと,用意している。』クリスチャン制度の初期の時代において,そのような懲しめの行は必要でした。それで,今日でも時折に必要です。昔の例はこう記されています,『その中に,ヒメナオとアレキサンデルとがいる。私は神を汚さないことを学ばせるため,このふたりをサタンの手に渡したのである。』― コリント後 10:6。テモテ前 1:20。

4 神の導きの下に戦つたイスラエルの兵士たちは,戦のために潔めを保つことが是非必要でした。同様に今日の私たちも神の要求に従う生活をなし『正しい良心』を保たねばなません。『あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして,私が行つてあなたがたに会うにしても,離れているにしても,あなたがたが一つの霊によつて堅く立つ……様子を,聞かせてほしい。』(ピリピ 1:27,28,新口)ふさわしく歩く仕方のいくらかは,次のように述べられています,『できる限り謙虚で,かつ柔和であり,寛容を示し,愛をもつて互に忍びあい,平和のきずなで結ばれて,聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。』― エペソ 4:1-3,新口。

5,6 或る者は,ヱホバの戦士の隊伍からどのように失格しますか。

5 ガラテヤ書 5章19-21節は,肉の業を極めて明白に述べています。その肉の業の中には,淫行,偶像崇拝,霊媒術,しつと,怒り,泥酔などのようなものが含まれているのです。そして,そのようなものを行う者は神の御国を決して相続しない,と述べられています。それで,神の御前にあつて,キリストの導きの下に行われる霊的な戦に参加し得る資格を得るためには,クリスチャンはそのようなものを避けねばならず,そして神の御霊の実を示さねばなりません。クリスチャンは名前だけの証者であつてはなりません。信仰と正しい良心を保たねばならないのです。正しい良心とは,神の御言葉に一致するよう訓練された良心のことです。私たちの行が友人の目からは正しく見えることがあつても,神は心の秘密の思いを知り給う,ということを忘れてはなりません。私たちがヱホバに献身するとき,肉の汚れを取り除くと誓うだけでなく,神に対する正しい良心を神に願い求めることです。(ペテロ前 3:16,17,21)それで,私たちは神の霊によつて戦に強くなり,肉の思いに対して戦をなします。―コリント前 10:13。ロマ 7:23。

6 神の民と交わるだけでは生命が保証されるものでない,とパウロは知つていました。クリスチャン戦士にふさわしい生活と奉仕をしないなら,奉仕に参加することはできません。信仰の競走をして他の人に伝道しながらも,生命の賞を得るのに失格する人々がいます。しかし,パウロはそのような人々のひとりになりたいとは欲しなかつたのです。(コリント前 9:24-27)ヱホバの奉仕を行つている者が反逆の行為,心のかたくなな行為をするならば,その人自身が罰を受けるだけでなく,その人の奉仕している正義の業に非難をもたらすと言つて先づ間違いありません。また,他の人の信仰をも揺がしてしまうことでしよう。これについての明白な例は,アカンの場合に見られました。イスラエルの兵士であるアカンはヱホバのいましめを破つたのです。アカンの悪しき行の結果,ヱホバの祝福は与えられず,アカンと共にいた36人は死にました。故意になした不従順という不忠実な行の故に,アカンとその家族および資産はみな亡ぼされたのです。―ヨシュア 第7章。

組織された戦闘行為

7 クリスチャンの一致していることは,敵にどのような効果を及ぼしますか。

7 軍隊にいる兵士は,自分勝手に行うことができません。補給品とか,戦の支持を得るために,他の者の援助を必要とします。兵士は上官の指示と指導を仰ぎます。同じように,今日のクリスチャンは組織された方法で共に働き,そして見える制度と任命された僕を通して備えられる神の導きを受け入れます。『一つ心になつて福音の信仰のために力を合わせて戦い,かつ,何事についても,敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を聞かせて欲しい。このことは,彼らには亡びのしるし,あなたがたには救のしるしであつて,それは神から来るのである。あなたがたはキリストのために,ただ彼を信じることだけではなく,彼のために苦しむことをも賜わつている。』(ピリピ 1:27-29,新口)私たちは人に頼らず神に頼ります。『自分で自分を推薦する人ではなく,ヱホバの推薦する人こそ,御旨にかなつた人である。』ヱホバの支持がないなら,私たちの努力はみな水泡に帰します。そのわけでパウロは次のように語つたのです,『誇る者はヱホバにあつて誇りなさい。』― コリント後 10:18,17,新世。エレミヤ 1:19。詩 35:1-10。

8,9 悪鬼の制度を説明しなさい。

8 戦を行うのに必要な武具や,また資格について,今や十分詳細に理解しました。それでは,私たちはどんな問題に面するでしようか。戦をする軍隊は,先づ敵を探つてみてその弱点を確めます。前もつて警戒することは,前もつて武装を整えることです。故にサタンの制度の構造や働きの仕方を調べることは良いことです。『制度?』そうです。キリストは,刑柱の死にいたるまで忠実を守り通しましたが,ヱホバはキリストの忠実の故に,サタンの制度に対する勝利を得られました。それについては聖書にこう書かれています,『神はそれ(クリスチャンを責める律法)を刑柱の杭に釘づけることにより,これを取り除かれた。神は(サタンの制度の)もろもろの政府と権威を取り剥いで,凱旋の行進に加え,かくして人々のさらしものにしたのである。』(コロサイ 2:14,15,新世a)人間として地上に居られたイエスは,それらの悪鬼の政府や権威に対して戦わねばならず,また彼らの首なるサタンの提出した誘惑を斥けられました。そして,これら悪しき霊に憑かれている不幸な人々から多数の悪鬼を追い出したのです。西暦1914年,天で神の御国が誕生して後にヱホバの王イエス・キリストとその御使たちは,サタンと悪鬼共に対して戦争を行い,悪しき御使共を天からこの地の近くに追い落しました。そのわけで,いまやこの地の近くに結集しているこれらの悪鬼共にたいして,特別な警戒を払うよう私たちは戒められているのです。―黙示 12:1-12。

9 エペソ人に宛てた手紙の中で,使徒パウロは悪鬼共で構成されているサタン悪魔の見えざる制度について,再び述べています。そして,この見えざる制度の或る部分は,私たちに敵対している,と述べております。パウロは,血肉でない『悪魔の策略に対抗して立ちうる』仕方を述べています。『私たちの戦いは,血肉に対するものではなく,もろもろの支配と,権威と,やみの世の主権者(この世の支配者)また天上にいる悪の霊に対する戦である。』(エペソ 6:11,12,新口)いま地に活動を制限されているこれらの悪しき霊共は,惑しの言葉を霊感しています。その言葉は,龍の口から,獣から,そして偽りの予言者から出て来て,地の王たちをハルマゲドンの戦に向つて行進させます。―黙示 16:13-16。

10 ヱホバは,御自分の民を亡びからどのように守りますか。

10 エゼキエル書 38章には,神の民の包囲されることが述べられています。神の民は,見たところでは何の守りもない『石垣のない』状態で全世界に生活しています。そして,サタンの軍勢は真暗闇の嵐のごとくに攻め来り,神の民を亡ぼそうと威します。しかし,ヱホバの民は無力であつて,何の守りもないのでしようか。彼らがヱホバの備え給う戦の武具を身につけている限りは,決してそのようなことはありません。彼らはヱホバの保護を受けます。丁度ドタンでスリア王の軍隊に取囲まれた予言者エリシャと同じようです。その時ヱホバの御使の軍勢は,エリシャを保護して守り,敵であるスリア人たちの目を暗ましたのです。(列王紀略下 6:14-19)ヱホバは御自身の僕たちがサタンによつて亡ぼされないように,今でも僕たちを保護しており,守つておられます。このように保護をうけている私たちは,間もなくハルマゲドンで行われる最後の戦を恐れずに期待することができます。ハルマゲドンの時,ヱホバは現代のゴグであるサタンと悪鬼の軍勢に対して戦うでしよう。―詩 34:7。

11,12 大論争の原因は何ですか。私たちは,どのように答え応じますか。

11 今日サタンは地上の民に多くの災をもたらし,また『神の戒めを守り,イエスのあかしを持つている者たち』に対して戦をいどんでいます。それで,いまこそヱホバの僕たちが真実の戦を為すべき時です。(黙示 12:17,新口)聖書の示すところによると,人々の心を暗まして真理を見させないとするサタンの企ては良く成功するため,『あなた方(イエスの弟子たち)を殺す者がみな,それによつて自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。』(ヨハネ 16:2,新口)これは誤りに対する真理の戦であり,サタンに対するヱホバの戦です。そして,私たちは真理を宣明するという奉仕の特権を持つことに誇りを感じます。

12 パウロは次のように語つています,『悪魔の策略に対抗して立ちうるために,神の武具で身を固めなさい。』このことから,悪魔は私たちの信仰と忠実を破るために攻撃を加えるということが分ります。私たちが警戒しなければならぬ燃える火の矢に,どんなものがありますか。―エペソ 6:11,新口。

13 私たちは,キリストに対する愛をどのように示しますか。

13 クリスチャンは自分の家庭内で絶えず攻撃をうけるかもしれません。このことについて,イエスは次のように言われました,『あなた方は,私が平和をこの地上にもたらすためにきたと思つているのか。あなた方に言つておく。そうではない。むしろ分裂である。というのは,今から後は,一家の内で五人が相分れて,三人はふたりに,ふたりは三人に対立し,また父は子に,子は父に,母は娘に,娘は母に,しゅうとめは嫁に,嫁はしゆうとめに,対立するであろう。』『家の者がその人の敵となるであろう。私よりも父または母を愛する者は,私にふさわしくない。私よりも息子や娘を愛する者は,私にふさわしくない。』(ルカ 12:51-53。マタイ 10:36,37,新口)家の者からいつも反対され,また真理を嘲笑される,という試練を耐えることは極めて困難なものです。これを克服するためには,真理によつて強められる大きな信仰の盾が必要です。また,あらゆる場合に御霊によつて祈ることも必要です。そして最初に御国の事柄を求めねばなりません。もし家族の圧迫に屈してしまい,ヱホバの崇拝を棄てるなら,戦に負けることになり,兄弟たちとの大切な交わりから切り断たれてしまうでしよう。

14 商業本位にたいしてパウロはなぜ警告しましたか。

14 私たちをいつも惑わす別の罠は,現在の制度のものを愛するために,商業的な利害に巻きこまれてしまうことです。パウロと共に宣教をしていたデマスは,そのために真理から外づれました。パウロは『デマスはこの世を愛し,私を捨てて』と述べています。(テモテ後 4:10,新口)私たちは二人の主人に兼仕えることはできません。また,兵士は二つの大義名分に同時に仕えることはできません。『兵役に服している者は,日常生活の事に煩わされてはいない。ただ,兵を募つた司令官を喜ばせようと努める。』(テモテ後 2:4,新口)パウロは自活するために働かねばなりませんでした。しかし,そのために宣教を中止するようなことをしなかつたのです。私たちも同じような見解を持つべきです。将来の為に貯える必要はありません。兵士の場合と同じく,私たちの必要とするすべてのものは,その日一日の必要品だけです。食物と衣服があれば事足れりとすべきです。

15 どのようにして,私たちはサタンに反抗することができますか。

15 しかし,人々を欺くためのサタンの最も成功した策略は,神の言葉に反対する宣伝をひろめることです。善と悪の知識を得るであろうと約束してエバを欺いたエデンの園の時以来,悪魔は巧妙な仕方で真理を歪曲し,宗教的な欺きを育成してきました。また幾世紀にもわたつて,悪魔サタンは偽りの教理や主義をつくり上げました。そのため,現在の世界は分裂するようになり,各人はあらゆる面で互に敵対し合うようになつたのです。崇拝のことについても人々は分裂しているのです。いまこそ,真理の古い道に再び歩んで,誤りの要塞を打ち砕き,神の知識を建て起すべき時です。こうすることにより,私たちはサタンに反抗し,かつ精神的に囚われている人々を自由に解放することができるのです。『私たちの戦の武器は,肉のものではなく,神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。私たちはさまざまな議論を破り,神の知恵に逆つて立てられたあらゆる障害物を打ちこわし,すべての思いをとりこにしてキリストに服従させる。』― コリント後 10:4,5,新世。

16 (イ)真理はどのように決定されますか。(ロ)真理は,どのようにしたならば一番良く他の人に宣伝えられますか。

16 『真理とは何ですか』とピラトは尋ねました。多くの人々は,両親の信仰が真の信仰である,と軽々しく信じています。しかし,260以上の自称『キリスト教』分派のあることを考えるならば,聖書的な『一つの信仰』一つの希望に育てられるのは260に一つの運しかありません。それで,神の目的についての真理を決定する為には,賢明に尋ねることが必要です。大丈夫だなどと偽りにも感じてしまい,多分悪鬼に源を発している先祖代々の宗教を信ずるなどということはできません。そのように尋ねる時,私たちはヱホバに感謝の気持を抱きます。というのは,ヱホバは愛の心を持つ父親のように私たちを教え導いてきたからです。ヱホバは霊感によって書かれた聖書の頁の中に御自身の御意を私たちに示されているのです。ひとたび聖書の明白な理解を得るなら,私たちの信仰について守勢を取るべきでなく,むしろ攻勢を取るべきです。そして,私たちの知識を他の人に分かち与えるという霊的な戦を行うべきです。偽りの崇拝に正面攻撃をするよりも,多くの人を得るためには戦略を用いよと,パウロは諭しています。『ユダヤ人には,ユダヤ人のようになつた。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には,私自身は律法の下にはいないが,律法の下にある者のようになつた。……すべての人に対しては,すべての人のようになつた。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために,私はどんな事でもする。私も共に福音にあずかるためである。』パウロは伝道をする際に真理を曲げず,むしろ巧みに判断をなしつつ真理を伝えたのです。パウロは,どのようにしたならば誤りについての精神的な障壁を打ちくずし得るかを考えました。こうするならば聞く者は自由に解き放たれ,よろこんで真理を受け入れるでしよう。―コリント前 9:20-23。

戦争の死傷者になるのを避ける

17 私たちは神と隣人に対する愛を,どのように示しますか。

17 私たちはこの宣教に参加するという大きな特権を持つています。そして,その機会を大事に取扱つてそれを正しく用いたいと欲します。神を愛すると言うなら,宣教に上達することにより,それを示さねばなりません。つまり,正確な知識と正しい分別を得るために良く研究し,大事な事柄に確信を持つことです。そうするなら,私たちが誰かに躓くということはなく,奉仕に対して真実の熱心を持つことができます。(ピリピ 1:9-11)この正確な知識を持つてそれを正しく用いるなら,この戦で死ぬことがなく,生命を得ることができます。(伝道之書 7:12)それは人々を導いてこの世の分裂や不一致から離れしめ,ヱホバの奉仕をするときにのみ得られる一つの思い,一つの行に一致させます。全国民から来る大群衆が,信仰の家に集まれとの召に答え応ずるとき,彼らはヱホバの道を学び,その道に歩みます。彼らはもはや国家主義的な敵意を抱かず,互いに剣を振うということをしません。彼らの戦は今や信仰の良い戦だからです。それで,霊的な戦は,永遠の平和を促進いたします。それは,真理にもとづいていると共に神および隣人に対する愛を持つものです。肉の戦では,決して得ることができません。―伝道之書 9:18。

18,19 私たちはどんな危険に面しますか。どのようにしてその危険を克服し得ますか。

18 この霊的な戦に死傷者はいますか。います。私たちの身を守るすべての武具を持つていながらも,或る人々は無関心になるならば必らず失敗します。しかし,正しい心を持つなら私たちには恐れる理由がありません。敵に怖気つくべきでなく,また人を恐れるべきでありません。(イザヤ 41:11,12)私たちの知つているように,サタンがその活動を続けるあいだは,私たちは戦をしているのです。しかし,私たちは自分に与えられている機会を失いたいとは欲しません。『有力な働きの門が私のために大きく開かれているし,また敵対する者も多いからである。』(コリント前 16:9,新口)あなたは敢然とその門を通つて活潑な奉仕に加わりましたか。

19 多くの人々が真理を嘲笑しようとも,その人々の消極的な考え方を持つとか,無関心な態度を取る必要はありません。ノアの時代の全世界は,ノアの持つていた新しい世の考え方に反対しました。しかし,彼は戦を断念しなかつたのです。無関心は,霊的な病気のひとつの型であり,サタンの細菌戦術の一部です。仮にもし致命的な病気を持つているならば,できるだけ早くその病気を直すよう努めるでしよう。霊的な病気にも,同じことをすることができます。兄弟たちの援助とヱホバの備えられる治療によつて,そうすることができるのです。今は私たち自身の考えに従うべき時でなく,自分の目に善いと見える事を為すべき時でありません。そのような好い加減な仕方では,戦にとうてい勝つことができません。私たちは一つの心,すなわち主の心を持つ必要があります。奉仕の際には協力して戦いを為し,また集会を支持して,信仰と正しい良心を保つべきです。

20,21 正しい戦を続けさせるどんな聖書的な励ましがありますか。

20 不思議な事柄とは,こうです。真理を守つて,真理に従う生活を為し,そしてサタンの攻撃を斥けるというすべての戦を行つた後でも,私たちは弱くならず,また疲れ果てません。私たちは戦の疲れとか,困憊を示しません。これらのすべての試錬は,私たちを霊的に強めるものであり,私たちの益になるものです。霊的な戦は,私たちを強め向上させるものだからです。『患難をも喜んでいる。なぜなら,患難は忍耐を生み出し,忍耐は錬達を生み出し錬達は希望を生み出すことを知つているからである。そして,希望は失望に終ることはない。なぜなら,私たちに賜わつている聖霊によつて,神の愛が私たちの心に注がれているからである。』(ロマ 5:3-5,新口)正しい戦を為して信仰を守り,そして最後まで忠実を保つてこそ戦の報いを受けるのです。私たちの待ち望む最終の報いは,生命そのものです。生命はあらゆるものの中で最大のものである故,何ものもそれに匹敵することはできません。たとえ忠実な証者として今生命を失おうとも,復活を受けることにより新しい世で生き得る見込みがあります。それで,正しい信仰の戦で勝利を得るよう戦いなさい。―黙示 2:10。テモテ前 6:12。

21 生命の約束だけに止まらず,日々たくさんの他の報いがあります。それは私たちを希望の中にしつかりと支えるものです。それは掠奪したものという報いでなく,大きな価値を持つ霊的な賜物です。これらの報いは,すべての心,思,魂,そして力をこめて神を愛し,また自分自身のごとく隣人を愛せよ,という二つの大きないましめに結びついているのです。これらの正しい要求をしつかり守れば守る程,私達の祝福は大きくなります。私たちの生活で先ず神を第一とし,すべての力をこめて神に奉仕しなければなりません。軍隊に召される兵士は,何もかも打棄ててその召に答え応じます。同じことはクリスチャンの戦についても言えます。『私に従つてきなさい』という召集の命に対しては家族の義務も第一次的なものではありません。イエスはこう言われました,『その死人を葬ることは,死人に任せておくがよい。あなたは,出て行つて神の国を告げひろめなさい』。―ルカ 9:59,60,新口。

22 古い世の戦士と新しい世の戦士を比較しなさい。

22 ひとたび神の奉仕を始めたなら,審判人ギデオンに従つた多くの戦士のように,後ろのものを振向いてはなりません。彼らはそのために最後の勝利を失つたのです。次の聖句を記憶して下さい,『手をすきにかけてから,うしろを見る者は,神の国にふさわしくないものである。』(ルカ 9:62,新口)奉仕を多く為すときに最大の祝福が与えられます。それで開拓者奉仕のように全時間奉仕を為し得る人々は,心からヱホバに仕える者たちに与えられるヱホバの豊かな祝福を楽しむことができます。これら全時間奉仕者たちは,この霊的な戦で最前線に立つて戦つている戦士です。そして,新しい区域で戦をする場合には,しばしば猛烈な攻撃をまともに受けます。しかし,あらゆる試錬にもかかわらず,彼らはヱホバに確信を持ち,完全な心の平和を保つことができます。それは,弾丸の飛び交う戦場にいる兵士の気持とは全くちがいます。戦場の兵士は攻撃の合図を待つ時に心配と懸念の気持に充されているからです。(イザヤ 26:3,4。ロマ 8:6)戦場にいる兵士は,隣人を愛せよ,といういましめを考えておらず,むしろその反対のことを考えています。しかし,霊的な戦はこのいましめを守つている故に,十分の報いをもたらすのです。何ヵ月も,何年もかかつて忍耐強く教え,また注意を払わねばなりません。しかし,他の人を援助して真理の知識に円熟させ,強くならせる程すばらしいよろこびは他にないでしよう。そのような人に,真理の光を暗やみにいる人々に反映させる仕方を示すことができます。それらの人々を導いて,御霊の剣を用いる実際の戦を行わせなさい。そして,大いなるギデオン,キリスト・イエスの兵士のごとく真理と光の松明を高くかかげなさい。(シシ記 7章。ダニエル 12:3)或る人々を自由に解放するという特権をあなた御自身も持つたことがありますか。多数の人々は,サタンに従う悪しき霊者たちのために暗やみに束縛されているのです。これは新しい世の側に立つ各戦士の目標です。そして,正義と平和を愛する他の人々に,この生命の見込みを分け与える報いは,全く豊かです。

23 霊的な戦は,どのように建設的な仕事であり,また培う仕事ですか。

23 霊的な戦の結果,焦土と化した地上に死体が残るということもなく,子供たちが飢餓のために苦しんだり,また両親が不具になつたり死んだりするとか,或は家が破壊されるというようなことはありません。そのような亡びをもたらす者たちに対し,ヱホバは地を亡ぼす者たちを亡ぼすと述べられました。それらの者の中でサタンは長たるものです。御霊の実および霊的な戦の実は,悪いものでなく,良いものです。それは,霊的な意味で植えたり,培つたり,建て起す仕事です。すべての国の男も女も,理解と愛,そして信頼の中に共に集められています。新しい世の社会は,秘密な社会ではなく,真実の聖書のクリスチャンで成り立つ自由を語る社会です。彼らは大道をつくり,躓きの石を取除き,人々を新しい世の生命に導いています。これこそヱホバにより命ぜられ,キリスト・イエスによつて指示されている正しい種類の戦です。

24 どのように,そして何時ヱホバは大論争を終了させますか。

24 この戦は何時まで続きますか。ヱホバの許される限り,私たちは真理の伝道を続けて行きます。またはイザヤの記したごとく,「邑はあれすたれて住むものなく」ならん時まで,伝道をつづけます。戦時休暇は私たちに与えられません。それに,ハルマゲドンにおける世界異変という最高潮に導く準備の仕事をこの地で行う大きな特権が与えられているときに,休暇を欲する人はひとりも居ません。(イザヤ 6:11。伝道之書 8:8)ハルマゲンの時,ヱホバは戦闘指揮官キリスト・イエスを用いて,見えるものと見えないものとから成立つサタンの世界制度を亡ぼす報復の行動に出られます。そして,目に見える地的の部分を粉砕してしまい,また目に見えない悪鬼の部分をキリスト統治の千年中,死のごとき無活動の坑に投げこみます。この『全能の神の大いなる日の戦』のときに,ヱホバの地上の僕たちは,実際の武器を用いず,またこの戦に参加することをしません。キリストの正しい種類の兵士として,私たちは今働きます。ハルマゲドンの時には神が働かれます(詩 46:9。ロマ 12:17-21。黙示 19:11-16,19)その時まで,私たちは正しい種類の戦をしなければなりません。それは,サタンの制度の見える部分の戦でなく,誤りに対する真理の戦であり,偽りの宗教に対する正しい宗教の戦です。パウロの述べたごとく,『うしろのものを忘れ,前のものに向つてからだを伸ばし』熱心と信仰に弛みがあつてはなりません。(ピリピ 3:13,新口)かくすることにより,私たちはヱホバより勝利が与えられ,ヱホバの新しい正義の世で平和と生命という報いをうけます。(ペテロ後 3:13)現在は戦争の時です。ハルマゲドン後は平和の時です。

[脚注]

a 1956年1月1日号の『ものみの塔』13-15頁,26-31節を見なさい。

[357ページの図版]

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