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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
塔69 10/1 581–584ページ

なぜ聖書を調べるべきですか

アジア人,黒人,「白人」がみな喜びをもって互いを「兄弟」と呼ぶ人類の世界を想像することができますか。ただひとつの宗教のある世界を想像できますか。すべての人が,天地の創造者であられる唯一の神を崇拝するという愛のきずなに結ばれて一致している世界を想像できますか。

この輝かしい将来を告げているのは,史上最も広く配布され,最も広く読まれている本です。これは非常に古い本であると同時に,きわめて新しい本でもあります。

この実際的な知恵の本の編さんにあずかった人はみな東洋人でした。しかしその本に盛られている音信は,近東や極東地域に住むアジア人だけのためではなく,アフリカ人,ヨーロッパ人,アメリカ人,そうです,全人類のためのものです。このことはその本の中にもしるされています。「神は偏ることをせず,何れの国の人にても神を敬ひて義をおこなふ者を容れ給ふ」a。その本は聖書です。

広島に住むひとりの青年は,聖書の宗教がどのように自分の生活に影響をもたらすかをつぎのように語りました。

「1963年,わたしは天理教の布教師になる訓練を受けるため,奈良市に行く準備をしていました。そうしたある日,エホバの証人の宣教者がわたしの家に来ました。わたしは『失楽園から復楽園まで』という本を求めました。聖書には前からいくらか関心があったので,宣教者のこの訪問に刺激され,箴言をもう一度読んでみました,宣教者はその後またたずねてきて,わたしを公開講演に誘いました。講演のあと,『内面の調和 ― 聖書が神の本である証拠』という題の『ものみの塔』誌の研究があり,そのあと,8月21日から25日にわたり京都で開かれるエホバの証人の国際大会にかんする発表がありました。それでわたしは,奈良に行く前にこの大会に出席することにしました。天理教布教師の訓練は,8月26日から始まることになっていました。

「京都大会のプログラムはきわめて教育的で,わたしにとっては非常に興味深いものでした。いろいろな講演者がつぎからつぎに,論理的で,実際的で,人の徳を高める講演を行ないました。すべて聖書にもとづいたものです。そればかりではありません。出席者たちはみなお互いを『兄弟』『姉妹』と呼び,たいへん親しく交わります。わたしが宗教的な集まりで見なれていた暗さ,冷たさは少しもありません。みんな非常に親切で,ふんいきもたいへん明るいです。外国からもいろいろな人種の人たちが出席していましたが,人種差別はまったく見られませんでした。大会が終わるころになって,ひとりの『兄弟』から,一緒に広島に帰って聖書の勉強をしないかとすすめられました。……結局わたしは奈良にはゆかず,天理教の布教師の訓練も受けずにおわりました。…………満1か月みっちり聖書の勉強をしたのち,わたしはエホバの証人から宣教の訓練を受けはじめ,4か月後,水のバプテスマによってエホバへの献身を表わし,エホバの証人の新世社会の一員になりました」。

この青年は宣教者になることを希望していました。しかし何の宣教者になるのですか。聖書の勉強をして,天地の創造者エホバ神の約束にもとづく「ひとつの信仰」を知るまで,彼はその答えを知りませんでした。―エペソ 4:5,6。

キリスト教国の残した記録

この「ひとつの信仰」を,キリスト教国の諸宗派と混同してはなりません。キリスト教国の諸宗派は大分前から聖書の教えを捨てています。キリスト教国が,異端審問,十字軍,世界戦争,小規模な戦争などの長い記録をもつ,残酷で強暴な歴史を残しているのはそのためです。第二次世界大戦中に,1万人のクリスチャンのエホバの証人を強制収容所に投げ込んだのは,政教条約によってバチカンと手を結んでいたキリスト教国のナチスでした。これら真のクリスチャンは,ヒトラーの戦争を支持しなかったため,何百人も処刑されました。彼らは,イザヤ書 2章4節に述べられている聖書の原則を犯すよりもむしろ死を選びました。「かれらはその剣をうちかへて鋤となしその鎗をうちかへて鎌となし……戦闘のことを再びまなばざるべし」。

キリスト教国は今日,犯罪の増加,人種暴動や他の暴動,不道徳などで頭を悩ましています。その教会には疑惑が満ち,争いの絶えまがありません。聖書は,迷信と古代バビロンの宗教とをもって聖書の純粋の教えに代える背教の宗教制度が発展することを預言していました。この背教の宗教制度が生み出す,神に対する不法の実は,今日至るところで見られます。―マタイ 13:37-43; 7:21-23。

真のキリスト教は異なっている

ではどれが真のキリスト教ですか。それは宗派のあり得ない聖書の宗教です。それは唯一の全能の神で,生きた神であられるエホバの崇拝を中心とする宗教です。イエス・キリストは地上におられたとき,父エホバの御名と目的をあらわされ,またご自分の命を犠牲としてささげられました。それは人類が死の力からあがない出されて,地上の楽園で完全な生命を永遠に楽しむことができるためです。―ヨハネ 17:3,6。

エホバの偉大な目的の中には,この地から悪を除き,この地を人間の輝かしいすみかにすることも含まれています。現在でも地球は,利己的な人間に乱用されているにもかかわらず美しいところです。アポロ8号で月周回旅行をした宇宙飛行士のひとりはこう言いました。「どこを見ても,全宇宙の中で少しでも色彩のあるものといえば地球だけであった。われわれは海の紺青,陸地の黄かつ色や茶色,雲の白さを見ることができた。……それは全天の中で最も美しいものであった。地球上に住む人間は,自分たちが何を持っているかに気づいていない」。b 地とそこに見いだされる生命との奇跡はまさにエホバ神に感謝すべきものです。

しかし真のクリスチャンはそれだけにとどまらず,この地球に対する神の目的を知るために,神のことばである聖書を調べます。そしてこの地球がやがて満ちたりた完全な生命を楽しむ一致した人類の楽園になるという約束に歓喜します。彼らは,この邪悪な体制が終わるまえに,全人類の救いの道を宣明する緊急なわざに参加して,その感謝を表わします。―テモテ後 4:2。

命の宗教

聖書の宗教は,現在および将来の楽園の地で,喜びに満ちた有意義な生活をするための教育を施します。(伝道 2:24,25。ピリピ 4:8,9)しかし今日のほとんどの宗教は,生きている人間に心を配るよりも,死者のための儀式により多くの心を用いています。このことに関連して,日本の文部省が1959年に発行した「日本の宗教」という本は,104ページにつぎのように述べています。

「この時[1868年から始まる明治時代]から仏教はおもに,葬儀や死者の法要を取り行なう宗教となった。法要はそれぞれ檀家で営まれ,『彼岸法要』つまり春秋の彼岸の儀式は,各寺院で盛大に行なわれる。これが仏教のおもな仕事である」。

ついでに言えば,葬式はキリスト教国でも宗教が行なうおもな仕事のひとつです。

しかしながら聖書は死者のための儀式について何も教えていません。そのひとつの理由は,古代バビロンの時代から人々が教えられてきたこととは違って,死者は極楽にもいなければ地獄にもいず,またその中間の場所もいないからです。聖書は死者にかんしてはっきりと,「生者はその死んことを知る 然ど死る者は何事をも知ず」と述べています。(伝道 9:5,10)そうであれば,死者のための儀式はなんの役にたちますか。

しかし聖書はクリスチャンに対して,「希望なき他の人のごとく歎か」ないようにと告げています。(テサロニケ前 4:13)なぜですか。死者にも希望があるからです。人類の普通の墓の中にいる「死にたる者」は「大なるも小なるも」すべて復活して,もう一度この地上にもどることになっています。(黙示 20:11-15)もしその人たちが,彼らのためのイエスの犠牲に信仰をもち,楽園の地で生活するための神の他のご要求に応ずるならば,その人たちは人間として完全になり,永遠の命を得るに至るでしょう。そんなことはとても信じられないと思いますか。このことを聞く人たちが驚くことを予想されたイエスは言われました。「汝らこれを怪しむな,墓にある者みな神の子の声をききて出づる時きたらん」― ヨハネ 5:28,29。

聖書はまた,もろもろの国や民の中から「大なる群衆」が出てくることを述べています。彼らは偽りの宗教から離れます。彼らはデモや学生暴動,または既存の権威をくつがえすことなどに参加しません。その代わりに,聖書の原則に従って生活することを学び,地球上の諸問題の解決は神にまかせます。神はご予定の時にそれを解決されます。彼らはキリストによる神の国を人類の希望として穏やかに,そして熱心に宣べ伝えます。この「大なる群衆」は,エホバの過分の恵みにより,現在の邪悪な体制の滅びを生き残り,地上の楽園における真の豊かな生活にはいることを期待しています。―黙示 7:9-17; 21:3-5。ヨハネ 11:25,26。

宗教はなぜ混乱しているか

人類がそのように輝かしい将来に向かっているというのに,聖書の希望を信ずる人が少ないのは不思議なことです。なぜ少ないのですか。この質問に対しては,聖書自身がコリント後書 4章3,4節で答えています。「もし我らの福音おほはれ居らば,亡ぶる者に覆はれをるなり。この世の神は此等の不信者の心を暗まして神の像なるキリストの栄光の福音の光を照さざらしめたり」。「この世の神」は目に見えないけれども実在するものです。聖書はまた彼のことを,「かの大なる竜,すなはち悪魔と呼ばれ,サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇」と説明しています。(黙示 12:9)悪魔の悪政の結果,地はたいへんな混乱におちいりました。

いまから4000年余り昔,神は古代バビロンにおいて,初めて人々を離散させました。それは彼らが背教して,偽りの宗教に走ったためでした。サタンは人類を混乱させる主要な手段として,今日に至るまで,宗派心の強い宗教を用いています。そして先祖から受け継いだ宗教に安住することを望ましいことのように思わせています。

しかし先祖伝来の宗教が正しいという保証はどこにありますか。たとえば,1957年に発表された政府の統計によると,当時の日本には379の宗派がありました。そのうちの38はキリスト教でした。当時の日本の人口は9000万で,多くの宗派は合わせて1億2300万の信徒を持つと主張していましたから,多数の人はひとつ以上の宗教に属していたことがわかります。c しかしこれらの宗派は互いに相容れないものですから,379の宗派の中のどれかが真の宗教であると仮定すれば,その真の宗教に属する信徒は,379人につき一人か二人ということになります。

近代の宗派的混乱に加えて,第二次世界大戦以来さらに新しい宗派が雨後のタケノコのように生じました。日本では少なくとも171宗が登録されています。しかしその大多数は,古い宗派の迷信にその源を有します。たとえば,霊友会,立正佼成会,創価学会は日連宗から出ており,いずれも法華経に帰依しています。つぎにかかげるのは法華経の教えの一例で,最後の章である28章から引用したものです。

「是の経典を受持せん者を見てその過悪を出さん,若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人は現世に白癩の病を得ん,若し之を軽笑することあらん者は,当に世世に牙歯疎き欠け,醜脣・平鼻・手脚繚戻し,眼目角睞に,身体臭穢にして,悪瘡・膿血・水腹・短気,諸の悪重病あるべし

聖書の詩篇や,マタイ伝 5章から7章までの山上の垂訓を読んでこれとくらべてみてください。あなたはどちらの教えを好みますか。幼稚な迷信を離れる人々はさいわいです。それよりもはるかに大きな益があるのは,「理性的であり……あわれみと良い実に満ち」た「上からの知恵」,すなわちエホバの教えです。―ヤコブ 3:17,新。

どの宗教が正しいか

「すべての宗教が正しい」と言えないのは明らかです。バビロン的な宗教の世界帝国には今日,多くの混乱と,誤導と,退廃があります。聖書は,この宗派心の強い巨大な宗教制度について預言し,「大なるバビロン,地の淫婦らと憎むべき者との母」と呼んでいます。政党をつくって利己的な目的のために政治に手を出す宗教の霊的姦淫は,神の祝福を得るものではありません。それで現在,「バビロン」にありながらも真の宗教と命を求める人すべてに対して,「わが民よ,かれの罪に干らず,彼の苦難を共に受けざらんため,その中を出でよ」という緊急な呼びかけが行なわれています。今日見られる世界の状態のすみやかな悪化は,偽りの宗教の上に臨む神のさばきが近いことを物語っています。―黙示 17:5,15-17; 18:4。

しかし求められているのは偽りの宗教を捨てることだけではありません。エホバ神は,永遠の命を望む者に,真の宗教を学び,それを実践することを求めておられます。これは聖書を勉強し,エホバ神とそのみ子キリスト・イエス,および神の国に対する愛を培うことを意味します。エホバは御国をとおしてみこころを地上で行なわれます。(マタイ 6:9,10)聖書には,人間が書いたすべての百科事典や教科書を合わせたよりも多くの知恵が含まれています。聖書は命のための教育を施します。もしあなたが,ご自分とご家族のために明るい将来を計画することを望まれるならば,聖書の賢明な助言と教えは欠くことができません。エホバの証人は喜んで,無報酬で,あなたの聖書の勉強をお手伝いいたします。それはあなたが,真の宗教,およびとこしえの命に導く真理を見いだされるためです。

[脚注]

a 使徒ペテロが使徒行伝 10章34,35節で述べている。

b 1969年1月17日付東京読売,タイムラジオプレス提供

c 日本の文部省発行,「日本の宗教」82ページ

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