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  • あなたは天に運び去られるのを待っていますか
  • 目ざめよ! 1983
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目ざめよ! 1983
目83 2/22 13–15ページ

あなたは天に運び去られるのを待っていますか

「これは神のせいではない。私のせいだ。私が計算間違いをしたのだ」。そのグループの指導者,ビル・モーピンはこう述べたと言われています。予告されていたその日,1981年6月28日はやってきて,過ぎ去ってゆきましたが,何も起こりませんでした。

失意を味わったのは,辛抱強く36時間一緒に待ち続けたモーピンのグループが最初ではありませんでした。古くは1844年10月22日に,10万人と推定されるウィリアム・ミラーの追随者が屋根の上や丘の上で何時間もその同じ出来事が起きるのを待ちました。

これら二つのグループ,そしてその間に起こった他のグループは,何をそれほど熱心に待っていたのでしょうか。天に運び去られることです!

天に運び去られるとはどういうことか

本質的に言ってそれは,クリスチャンが「空中で」キリストと結ばれるために急に運び去られる,つまり突然この世から取られるという信仰です。ティム・ラハイエが自著,「終わりの始まり」の中で述べている通りです。「我々はこの地を即座に去る。何をしていようと,我々は突如としてこの世から取られる」。

ラハイエはさらにこう述べています。「教会が天へ運び去られることは実に驚くべき規模の出来事になるので,全世界は我々が去って行くのに気付くであろう。クリスチャンの運転士や操縦士が突然この世から取られると,世界中で飛行機やバスや列車の破壊が生ずるであろうと示唆する向きもある。自動車のドライバーが自分の車から急に運び去られる時,高速道路で生ずる混乱をだれが想像できようか!」

確かにドライバーの中には,「天に運び去られることになった場合,この車にはドライバーがいなくなります」というステッカーを自分の車のバンパーに付けている人もいます。

しかし,天に運び去られることがいつどのような仕方で起きるかについては様々な異なった意見があります。秘密裏に天に運び去られ,連れ去られる人が単に姿を消すだけだと信じる人もいれば,キリストが目に見える様で現われ,世の人々が見守る中で“聖人たち”を目に見える体を持つ者としてよみがえらせると考える人もいます。聖書のマタイ 24章に言及されているしるしと「大患難」の後に天に運び去られることになると信じる人もいます。

しかし,一番広く受け入れられている概念は,キリストの到来は別々に2回ある(あるいはその到来に二つの段階がある)というものです。最初は,7年の患難の始まる前に信者たちをご自分のもとに集めるため空中に到来され,2度目は,その患難の終わりにご自分の王国を設立し,千年支配を始めるため地上に到来される,と言うのです。

ある人々がそれを待つ理由

世界にこれから臨もうとしている災厄から完全に逃れられるというこの考えは多くの人を引き付けています。こうしたことを信じる人々は,世界情勢について平静な態度を取るようになっています。

宗教関係の著述家,ジョージ・プラジェンツはこう述べています。「科学者とこれら根本主義者との間の大きな相違は,前者はこの世が間もなく終わりに至るのではなかろうかと心配しているのに対し,それらのクリスチャンたちはそうした見込みに文字通り胸を躍らせているという点にある。……それら聖書を信じるクリスチャンたちが楽観的である理由は,彼らの見解によれば,この世が大患難,つまり聖書に予告されている宇宙的な災難の瀬戸際をよろめいているとしても,キリストを信じる者は救われると信じていることにある」。

ジョン・F・ワルブールドは,自著「ハルマゲドン,石油,そして中東危機」の中で次のように書いています。「この時代の信者たちにとって大患難における殉教は,今後に予期すべき避け難い事態ではないということを,聖書ははっきりと示している。もしそうでなかったとしたら,心を悩ませずに生活することは難しいであろう。今日の真のクリスチャンはこの世を間もなく征服しようとしている災厄の日を恐れる必要はない。むしろ彼らには,キリストが戻って来られ,自分たちが主と結び合わされて,主の臨在を永遠に楽しむという間近に迫った希望がある」。

大衆作家のハル・リンゼーは声を上げてこう述べています。「何とすばらしい生き方だろう! 楽観的で,期待に満ち,胸を躍らせるような生き方だ。我々は,これから先余り長くこの地上にいる見込みのない人間のように生きるべきである」。

それは聖書に書かれているか

聖書は,すべての真のクリスチャンが天に運び去られると教えているでしょうか。災厄に直面する人類の残りの者たちを後に残して,連れ去られるのでしょうか。

実際のところ,天に運び去られることを意味する「rapture」という語は聖書の中にはありません。この信念は,『取り去られる』という関連のある語が見いだされるテサロニケ第一 4章16,17節に基づいています。そこにはこう書かれています。

「主ご自身が号令とみ使いの頭の声また神のラッパと共に天から下られると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえる(の)です。その後,生き残っているわたしたち生きている者が,彼らと共に,雲のうちに取り去られて空中で主に会い,こうしてわたしたちは,常に主と共にいることになるのです」。

天に運び去られることを信じる人々は,この聖句について次のような字義通りの解釈を下します。キリストは再び地上に来られる。死んだ“聖人たち”は復活させられ,生きている“聖人たち”は取り去られる,つまり天へ運び去られる。新たな不滅の体を与えられ,彼らは生き返り,空中でキリストに結ばれ,キリストは彼らを天へ連れて行く。

ですからこの信念はイエス・キリストが戻られることと結び付けられています。しかし,聖書はキリストが戻られることの目的についてどんなことを示しているでしょうか。

キリストが戻られる様とその目的

聖書は,キリストが文字通り,肉体を着けて地上に戻られるということを示唆していません。むしろ聖書には,キリストが人類に関してあるはっきりした目的を成し遂げるためにご自分の注意を地上に向けるという意味で,キリストが戻られることを示しています。

テサロニケ第一 4章16節にある,キリストが下って来られるという表現は,聖書の中にある,神が地上に下って来られるという表現と同じ意味です。例えば,聖書は神についてこう述べています。「神は天を押し曲げて,降りて来られた。濃い暗闇がその足の下にあった」。(サムエル第二 22:10)「見よ,エホバはご自分の場所を出て行かれる。必ず下って来られて,地の高い所を踏まれるのである」。(ミカ 1:3)これらの言葉は何を意味しているのでしょうか。神が天のご自分の場所を離れることではなく,神が地上の出来事にご自分の注意を向けられるということです。

同様に,キリストはご自分の注意を地上に向ける時,ご自分と共に天的な支配にあずかる人々で死の眠りについている人々を復活させます。(テサロニケ第一 4:14,15。啓示 20:6)彼らはイエスと同様に目に見えない様でよみがえらされ,霊の領域でキリストに加わります。こうして,「キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえる」のです。次いで,地上にまだ生きている油そそがれたクリスチャンたちは,自分たちの地上での歩みを全うするに及んで,『雲のうちに取り去られて[神の,目に見えない霊的な子たちとして復活させられて]空中で[目に見えない]主に会う』のです。ですから,テサロニケ第一 4章17節で述べられている「その後」という言葉は,その時期に死ぬそうした忠実な者たちもやはり霊の復活を受けることを意味しています。―コリント第一 15:51-53。

しかし,キリストが戻られる時にはさらにずっと多くの事柄が成し遂げられます。神の天の王国の王として位に就けられたキリストは,まずサタンを天から追い落とし,地球の近辺に閉じ込めます。イエスは天の王座から,検分と裁きのため地上にご自分の注意を向けられます。諸国民は「彼の前に集められ」,「羊」を「やぎ」から分けるように,人々は分けられます。―マタイ 25:31-33。啓示 12:7-12。

イエスによるその分ける業は,キリストの「兄弟」,つまりキリストが戻られる時に『生き残っている生きている者』であるそれら油そそがれたクリスチャンたちに対する個々の人々の態度に基づいて行なわれます。イエスの「兄弟」は,『王国の良いたより』を宣べ伝え,『すべての国の人々を弟子とする』業を与えられています。(マタイ 25:34-45; 24:14; 28:19,20)『羊とやぎ』のイエスの例えの中で「羊」として分けられた者たちは,キリストの「兄弟」に加わって神の王国をふれ告げます。しかし,それらの人たちは天に運び去られるといった類のどんな希望も,「主と共にいる」よう天的な復活を受けるという希望も一切抱いていません。むしろ,「大患難」を通過して,地上の楽園の状態の下で永遠に生きるという聖書的な希望を持っています。王国のこの地上の領域に関連して,王イエス・キリストはそうした人々に次のような招待を差し伸べられます。「さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなた方のために備えられている王国を受け継ぎなさい」― マタイ 25:34,46。啓示 7:9,10,14。

[14ページの図版]

クリスチャンの運転士や操縦士がこの世から突然取られると,飛行機やバスや列車や自動車が破壊されると信じる人もいる

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