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  • 目ざめよ! 1975
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目ざめよ! 1975
目75 7/22 18–20ページ

精神の健康を回復させる最善の方法

精神病にかかるなら,それは関係者にとって大きな悲しみをもたらすものとなります。しかし,そのようなことが起きたとしても,家族が恥ずかしく思う必要は少しもありません。精神病にかかるのは,ちょうど流感や心臓病などの身体的病気にかかるのと同じ様な場合が少なくないのです。また,身体的な原因が主要な要素ではない場合でも,なお希望を持って積極的な態度を取るべき理由があります。それでなし得る最善の策は何かという疑問が生じてきます。

多くの場合,幾つかの治療法を併用するのが一番良いとされています。しかし,最も肝要なのは,精神病で苦しんでいる人が,真の希望や励ましを与えることのできる理解ある家族の者や友人からの助けを受けることです。助けを与える側の人々は,精神病も他の病気の場合と同様,時がたつにつれて体そのものが順応して治癒するので,たいてい自然に治ってゆくということを考えれば,慰めを得ることができます。また,自然に治らないとしても,苦しんでいる人を助けるためにできることは少なくありません。

精神病を患っている人々が最も必要としているのは愛されることです。その重要性は今や医学関係の文献の中で幾度となく強調されています。このことは,精神病を患っている人が風変わりで無責任な行動を取ったり,道理にかなっていなかったり,さもなければ気むずかしかったりする場合でも,家族や友人たちはその人に対して忍耐を示し,辛抱強く接すべきであることを意味しています。

精神病を患っている人のために,この必要な助けを与え得る最善の場所はどこでしょうか。どこかの精神病院や施設ですか。まずそうではないようです。事実,4人の医師が著わしたある書物はこう述べています。「主要なねらいは,できるかぎり患者を入院させないことである。ある場合には,それだけでも勝利と言える。というのは,現在の精神病院の中には,自宅にいたほうが患者にとってまだましであると言えそうな病院が少なくないからである」。

患者にとって自宅は住みなれた環境です。患者は,本当に関心を持ってくれる人々に見守られていますし,回復あるいは快方へ向かわせることを目的とした世話をも受けられます。では,そうした助けを与えるには,精神医学を教える世俗の学校で教育を受けることが必要でしょうか。

精神医学の教育は必要か

興味深いことに,精神病医自身が精神医学教育の欠点を認めています。例えばデービッド・S・ビスコットは次のように述べています。精神医学会が与える認可は,「優れた治療専門家になるために最も重要な特質の幾つかを見過ごしにしてきた。つまり,その人の関心,正直さ,好奇心,寛大さ,人間味,進んで助ける態度などの特質である。[これらの特質の]大半は学校で教えられなかった」。

「説得力と治療」の著者で,「集団精神療法」の共著者でもあるJ・D・フランク博士は,精神的に病んでいる人を助けるために精神医学教育は必要ではないとさえ述べています。「今日の心理学」誌の1973年4月号はこう説明しています。「フランクは,全く訓練を受けていない人でも,臨床医として精神病医と同じほどの成功を収められると考えている。彼は,『成功を収めるのに必要なのはある特殊な治療法に関する訓練よりも,治療専門家個人の特質かもしれない』と述べている」。

ある精神病医たちは,精神病を患っている人を治療する際,神のことば聖書の中に収められている知恵や理解のほうが世俗の教育よりも一層価値があることを認めています。精神病医であった故ジェームス・T・フイッシャー博士は,その長くて輝かしい生涯の終わりに際して,そのことを自著「知恵遅れの人々 ― 精神病医の病例集」の中で次のように述べています。

「最高の資格を持つ心理学者と精神病医がこれまでに書いた,精神衛生に関する権威ある論文すべてを集め,それを組み合わせて洗練し,無用な語句を削り取り……そのまざりけのない,純粋に科学的な知識を当代随一の詩人に正確に表現させたとしても,そのようにして得られるのは山上の垂訓のせいぜい不器用で不完全な要約でしかないであろう」。イエス・キリストの語ったその垂訓は,聖書の中のマタイ 5章から7章に収められています。

精神的に平衡の取れていない人々が,資格のある聖書の教え手から神のことばに基づく適切な導きや教訓を受けることによって健康を取り戻した例は一再ならずあります。その例を幾つか考慮してみましょう。

著しい回復 ― どのようにして?

その患者は精神病医に偏執性精神分裂症患者であると診断されました。10年後に,その人は不治の病人であると宣告され,精神病院から退院できたものの毎日33錠の薬を服用しなければなりませんでした。その人は自分の身なりにも生活全般にもなんら関心を払いませんでした。そんな時,戸別訪問をするエホバの証人の一人がなんとかその人と聖書研究を始めるところまでこぎつけ,聖書の正義の要求や神の王国の下で人類にもたらされる,約束された祝福などを忍耐強く教え込みました。8か月もすると,その人は薬を必要としなくなり,それから4か月後には全快したと告げられました。

さらに,米国ミシガン州に住む婦人で,幾年もの間定期的に精神療法やショック療法を受け,薬剤による治療法に5,000ドル(約150万円)を費やした人がいます。そうした種々の治療を受けたにもかかわらず,その婦人は再三にわたり自殺すると言って周囲の人を心配させました。ところが,エホバの証人と聖書を研究し始めると,その婦人は薬剤の服用を続けなくてもよくなった上,喫煙をもやめることができました。彼女はかかりつけの精神病医に電話をかけ,これまでになく気分が良いこと,そしてそうなった理由について話したところ,その精神病医は,自分の患者すべてにもそのような治療法を見つけてほしいものだ,と答えました。

これらの人を変化させたのは何でしょうか。聖書の教えはどのように彼らを助けたのでしょうか。

聖書を研究した結果,これらの人は,人格神また真の助け手としての創造者,エホバ神に対する強い信仰を持つようになりました。(イザヤ 50:7。ダニエル 6:27)そして,悪がはびこり,人類が苦しむのを神が今日まで許してこられた理由や,近い将来に神の政府がどのように世の諸問題の原因を除き去るかを理解するようになりました。間もなく地上で享受できる義の状態に関する神の約束に対する確信を得ることによって,人生に対するそれらの人の見方すべては変わりました。希望を持てるようになったのです!―ダニエル 2:44。ヨハネ第一 2:17。啓示 21:3,4。

しかし,それだけではありません。彼らは聖書の原則に従って生活することをも学びました。その原則には,愛,喜び,平和そして自制などを生活に当てはめる方法も含まれています。(ガラテア 5:22,23)聖書の原則に従って生活するよう彼らを助ける点で特に役立ってきた人々がいます。

資格を備えた助け手

多年にわたる神のことばの研究や個人的な問題を扱う上での実際の経験のゆえに,エホバのクリスチャン証人の長老たちの多くは精神および感情面で病んでいる人々を助けるための十分の資格を備えています。聖書の次の命令は,いみじくもそうした長老たちに向けられていると言えるかもしれません。「憂いに沈んだ魂になぐさめのことばをかけ,弱い者を支え,すべての人に対して辛抱強くありなさい」― テサロニケ第一 5:14。

神からのそうした助言を導きとするクリスチャンの長老は,助けを求めて自分のところに来る人々に対して思いやりのある,しかも励みを与えるような態度で接することができます。こうして長老たちは,問題を持つ人の話を辛抱強く最後まで聞き,純粋の関心を示します。長老たちは,精神病を患っている人をすぐにとがめたりせず,精神的に不安定なことを認め,できる時はいつでも相手に同意することの大切さを悟っています。ゆえに,長老たちは慰めを与え,その人が回復するのを助けるよう努めることができます。こうして,親切で理解のある長老たちは,混乱したこの世界にあって多くの人々が精神的平衡を得,それを保つよう助けてきました。

必要な助けを与える

精神的に不安定な人を助ける際,クリスチャンの長老は,平衡を失わせた原因が何かを見定めるようにします。それは根深い罪悪感でしょうか。もしそうであれば,聖書が次のように説明している神の憐れみを強調できるでしょう。「もしだれかが罪を犯すことがあっても,わたしたちには父のもとに助け手,すなわち義なるかたイエス・キリストがおられます」。(ヨハネ第一 2:1,2)そして,長老は聖書に定められている歩むべき道を示すことができます。それは次のようなものです。『認らわして[自分の罪]を離るる者は憐憫をうけん』― 箴 28:13。詩 32:1-5。

あるいは,不安がその人の持つ問題であることが分かるかもしれません。その場合には,エホバに信仰を持つべき理由とその重要性を強調する必要があります。神は,『ご自分にその荷をゆだねる』ようわたしたちを招いておられます。エホバに荷をゆだねるための一つの方法は心からの祈りですが,長老は問題を持つ人のために祈って,実際にそれを示すことができます。―詩 55:22。

もちろん,聖書の神の知恵を生活に適用するよう人々を助けるだけで,あらゆる精神病が治るわけではありません。別の方法を指摘することができるかもしれませんが,徹底的な健康診断は早目に注意を払うべき肝要な事柄の一つです。例えば,ちょっとした埋伏歯がそれ自体本人に少しも痛みを感じさせなかったのに,脳に影響を与え,精神の変調をきたしていたことが分かった例もありました。歯を抜いてその原因を取り去ると,精神的に不安定な状態は無くなりました。

その他の重症の場合,精神的錯乱を和らげるのを助けるために,医学的に処方されたある種の薬剤が必要とされるかもしれません。また,精神の健康を取り戻すのに栄養が果たし得る役割を見過ごしてはなりません。

とはいえ,経験の示すところに基づいて,精神および感情面で障害を持つ人が神のことばからの助言や導きによって特に助けを得られるということをわたしたちは確信できます。この苦悩に満ちた人類の世界にあって,慰めやいやしを与える神のことばの恩恵に,できるだけ多くの人が浴すことはエホバの証人の願いです。そうした援助を望まれるなら,また,援助を望んでいる人をご存じなら,どうぞエホバの証人と連絡を取ってください。エホバの証人は喜んで訪問し,実生活の面で励みを与える健全な聖書の原則から益を受けるよう人々を助けます。

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