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  • 幸福であるための最も肝要な要素
  • 目ざめよ! 1977
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目ざめよ! 1977
目77 10/22 10–13ページ

幸福であるための最も肝要な要素

物質はある程度の幸福をもたらすことができます。幸福になるためのより重要な要素は,(前の記事に指摘されていたとおり)人間が互いに対して示すことのできる純粋な愛です。しかし,人間の幸福の源として,他の何物にも勝って重要な要素があります。

イエスが「隣人を自分自身のように愛さねばならない」と言われたとき,イエスはそれが人々の守るべき最大のおきてのうちの第二のものであると語られました。(マタイ 22:39)それでは,第一の,そして最も重要なおきては何でしたか。

イエスはこう言われました。「あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」。(マタイ 22:37,38)このおきてを守るときにのみ,現在,そして将来に最大の幸福を見いだせます。

なぜそう言えるか

どうしてそう言えるのですか。それは,エホバ神が人間の創造者であられるからです。神は人間の体と精神を形造られました。ですから,人間が幸福であるために何が最も役立つかを,人間よりもはるかによくご存じです。

心理学者や哲学者は,人間が行動する際にどんな原則や規則に従うのが最善かについて,実験をしたり,推測したりしますが,エホバ神にはそのようなことをする必要はありません。神は人間を創造したのですから,どの道が人間にとって最善であるかをよくご存じです。ですから,神の語られる事柄に注意を払うなら,幸福になる上で人間が入手できる最善の助言を得ることになります。

神の律法と原則に従った生活をすればするほど,わたしたちは幸福になります。例えを用いて考えてみましょう。もし自動車を運転する人すべてが,各々自分の交通規則を作ることができたらどうなりますか。その結果として生じる混乱を容易に想像できるでしょう。交通量の多い交差点を車で通りかかったり,さらに歩行者としてそうした交差点を横断しようとしたりするのは命懸けのことになってしまいます。運転をする際の道理にかなった規則を定める上位の権威がどうしても必要です。そのような規則があれば,すべての人が益を受けられるでしょう。

同様に,創造者であるエホバ神は,人間の行動に関する最善の規則や原則を制定されました。それらは本当に効果があり,実際的で,最善の結果をもたらします。それらの規則や原則を無視すれば,交通法規を守らないドライバーと同様,問題を身に招くことになります。地球上にこれほど多くの問題が見られる根本的な理由は,人々が自分自身の規則を作ろうとしていることにあるのです。

より幸福な人々

聖書は,創造者を「幸福な神」と呼んでいます。(テモテ第一 1:11)それで,人間の行動に関する神の教えを守って神の意志を行なう人々は,その幸福を反映し,またその幸福をある程度味わうことができます。

それゆえ詩篇作者は,「ああ万軍のエホバよ,あなたにより頼む人は幸いです」と書き記したのです。また,「幸いなるかな,自分の道においてとがのない者たちは。エホバの律法のうちを歩む者たちは。幸いなるかな,その諭しを守り行なう者たちは」と言われています。そうです,「自分の神がエホバである民は幸いです!」―詩 84:12; 119:1,2; 144:15,新。

確かに,神に従ったところで,わたしたちが現在住んでいるこの不幸な事物の体制を変化させることにはなりません。しかし,より幸福に生活することを願い,その幸福の源として創造者にたよる人々の生活を,より良いものへと変化させる上では確かに役立ちます。そして,人々が神にたよるとき,神は人々を祝福し,ご自分の強力な活動力である聖霊をもって助けることにより,人々に答え応じられます。幸福を得させる上で,これ以上の力は,宇宙のどこにも存在しません。

問題は起きないか

それだからといって,神の意志を行なう人々が世の諸問題の影響を受けないわけではありません。そのような人々にも問題や悲しみがあります。また,他の人々と同じように,病気になり,死んでゆきます。しかしそれと同時に,幸福の源である神にたよらなかったなら味わえなかったであろうより大きな幸福を享受しています。

また,神に仕える人々は,現在自分たちの享受している幸福が相対的な幸福であることを認識しています。つまり,その幸福は他のいかなる方法によって得られる幸福よりも大きいとはいえ,完全で申し分のない幸福ではないことを認識しているのです。現時点で,幸福は完全なものとはなり得ません。

それはなぜですか。わたしたちすべては,罪と不完全さのうちに生まれてくるからです。(ローマ 5:12)ですから,わたしたちすべては過ちを犯し,憂うつで不愉快な気分になる期間を経験しがちで,その上,幸福をそこなう病気や死を経験することもあります。また,わたしたちすべては,問題に満ちた,この邪悪な事物の体制の中で生活しています。この邪悪な体制が続く限り,神のしもべたちといえども,完全な幸福を得ることはできません。

それと同時に,神のしもべたちは,神を知り,近い将来人類に対して神の意図しておられる事柄を理解していることに,大きな慰めと幸福を見いだしています。そのお陰で,不安定な世界にあっても,他の人々のように悲嘆に暮れることなく,心の平静を保てます。愛する人を亡くしたときでもそのような態度を保てます。聖書の述べるとおり,神を知っている人は,「希望を持たないほかの人びとのように悲しむこと(は)ない」からです。―テサロニケ第一 4:13。

この地球と人類に対する神のすばらしい目的を知っているので,神のしもべたちは,世の諸問題や世にいる悪人たちのゆえに,不必要に悩むことはありません。ですから,他の多くの人々のように,固い“殻”の中に引きこもったりはしません。(マタイ 24:12)神のしもべたちは,他の人々が答え応じなくても,あるいは否定的な反応を示しても,正しい事柄を行ない続けます。

イエスの模範

イエスはまさにそのような態度を示されました。イエスがラザロという名の人を死人の中からよみがえらせたときのことを思い出してください。聖書の記録によると,多くの人々はこの出来事に対して好意的な反応を示しました。しかし,すべての人がそのような反応を示したわけではありませんでした。

事実,聖書の述べるところによると,極めてよこしまな者もおり,「その日以来,イエスを殺そうとして相談した」ほどでした。考えてもみてください。そのような奇跡的な優れた業に対して,そのような邪悪な反応を示すとは何という堕落した行ないなのでしょう。特に,それらの人々が当時の僧職者であったことを考えればなおさらです。これらの僧職者たちは非常によこしまで,「ラザロをも殺そうと相談した」ほどでした。―ヨハネ 11:45,53; 12:10,11。

それでもイエスは,神と隣人を愛するという,二つの大きなおきてを実践することをやめようとしませんでした。イエスは,他の人々がどう行動しようと,最大の幸福と益は,神の意志を行なうことから得られることを知っていたのです。それゆえイエスは,自制心を保ち,親切で愛のある態度を捨てないでいられました。聖書が次のように述べているとおりです。「彼は,ののしられても,ののしり返したりしませんでした。苦しみを受けても,脅かしたりせず,むしろ,義にそって裁くかたに終始ご自分をゆだねました」― ペテロ第一 2:23。

人間に世の諸問題を解決できる可能性がないときに,この世とその悪について過度に憤りを覚えるなら,自分の幸福を損なう結果になることをイエスはご存じでした。イエスは,天のみ父と同様,この邪悪な事物の体制を神が終わらせる日の来るまで,この体制が悪化の一途をたどることをご存じでした。

完全な幸福 ― いつ

ですから,他の人々に原則に基づいた愛を示し,神に対して魂をこめた愛を示す人々は,今の生活に見られる諸問題すべてはつかの間のものであることを知っています。やがて,問題に満ちたこの体制全体は,その体制に伴う悲嘆とともに,全く一掃されてしまいます。

このことは,正しい事柄を行ないたいと願う,正直な心の持ち主にとって何を意味しますか。それは,神の造られる新秩序がこの地球上に永遠にわたって建てられる時が間近に迫っていることを意味しています。その時,完全な幸福が実現されるのです。

聖書預言は,神が悲嘆や問題を終わらせる時の近いことを,極めて明確に示しています。神は,腐敗して,疲弊した古い事物の体制の代わりに,ご自分の天の王国の支配下にある義の新秩序を必ずもたらされます。その支配,つまり天から治める政府こそ,イエスが他の人々に教えられたものです。(マタイ 6:9,10)その支配は全地に及び,それは全人類にとって唯一の政府となります。他の王国すべては,全く存在しなくなっているでしょう。(ダニエル 2:44)その王国の下では,今日部分的にしか考えることのできないような幸福が,この地球上で毎日の現実となるのです。

その新秩序に関する神の約束は次のようなものです。「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。(啓示 21:4)病気や老齢さえも過去のものとなります。その時に生きている人々は,神が最初の男女を創造したときに意図しておられたとおり,心身共に完全になるからです。その結果,人々は,復興したパラダイスの地で永遠に生きられるようになります。―ルカ 23:43。

何とすばらしい時代になるのでしょう。考えてもみてください。病気,悲しみ,問題,そして死などすべては,神の義の支配の下で一度限り,永遠に除き去られます。墓の中からも死人はいなくなり,死者は再び命を受け,愛する人々のもとへ戻るのです。というのは,「義者と不義者の復活がある」からです。―使徒 24:15。

最後には,幸福をそこなう無節操な人々はいなくなります。こう記されています。「正しい人は地にながらえ,誠実な人は地にとどまる。しかし悪しき者は地から断ち滅ぼされ,不信実な者は地から抜き捨てられる」― 箴 2:21,22,口。

そうです,生活上の様々な問題があっても,今日より大きな幸福を見いだすことができるのです。そして,将来,完全な幸福を見いだせるでしょう。ですから,真の幸福は実現不可能な夢ではないのです。

しかし,その幸福を自分のものにするには,本当の幸福の唯一の源である,創造者エホバ神を信頼し,エホバ神に仕えることを学ばねばなりません。そうすれば,神の預言的な言葉の中に予告されている,深い満足と喜びをもたらす時代を楽しみにして待つことができます。神の預言的な言葉はこう約束しているのです。「温和な者たちは自ら地を所有し,平和の豊かさに必ずや無上の喜びを見いだすであろう」― 詩 37:11,新。

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