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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
塔67 3/1 158–159ページ

読者からの質問

● 少年,または少女が異性と「デート」を始めるのは,何才位からが適当ですか。

このことが強調されている。近頃の世の中では,若い人がそれに関心を持つのも当然です。しかしこのことをおもな関心事にするのは賢明ではありません。独身であれば自由があり,多くの場合,結婚した者には果たせない神からの割当をもはたすことができます。エホバの証人として,全時間奉仕を始める人は,すばらしい祝福を得ます。ものみの塔協会のベテルの家,または特別開拓者,宣教者の奉仕の分野で働くかもしれず,巡回の僕として各会衆を訪問し奉仕するようになるかもしれません。この事物の制度に残されている時は非常に短く,現在さしのべられているこれらの特権を得る機会は二度とこないでしょう。それで,それらを楽しむのは今です。

時がくればほとんどの若い人は結婚するでしょう。しかし感情的に夢中になり,学校が終わったらすぐとか,又はそれ以前に結婚しなければならぬと考える必要はありません。まず人生を知り,開かれている奉仕の特権を自分のものにしてはいかがですか。一度自分の進路を決めたならば,それを中心に他の事柄を理知的に計画できます。そうするならもっと幸福になるでしょう。そしてのちに,結婚生活に伴ういろいろな責任を負うことを望む時,それを正しく果たす準備ができていることでしょう。

異性との親しい交際を求めるとき,それが単なるリクリエーションではないのを認めるのは良いことです。当然にそれは結婚へ通ずるものです。場所によって,多くの親はある状況の下ではつきそいなしで子供が異性の者と自由に交際することを許しています。年齢の制限また両親のつきそいの必要を決めるのは子供ではないのです。これは,神から父親に与えられた責任であり,父親がいない場合には,母親にその責任があるのです。主を喜ばせることを願う子供は,そのことを自分で勝手に決めたり,自分の考えを通すように両親に働きかけることをせず,むしろ,コロサイ人への手紙 3章20節の次の賢明な助言に従うでしょう。「子たる者よ,何事についても両親に従いなさい。これが主に喜ばれることである」。

両親について言えば,この責任をにないその決定の結果に対しては自分で対処しなければなりません。ものみの塔協会が,両親のために規則を作ることはできません。むしろ結婚できる年齢に達するまで子供を保護して,子供が感情におぼれないようにするのは,愛ある思いやり深い両親の仕事なのです。

十才代の子供が異性の者に対して愛情を示すようになる時,両親がそれに目をつぶってしまうのは,親切ではありません。なぜならば,それは満足感を求める欲望をよび起こし,不品行に陥って一生を台なしにすることが多いからです。(コリント第一 6:9,10,18)また未成年の子供が不信者の異性と「デート」したり,常につき合う事を許し,それを単にリクリエーションと考えることは,クリスチャンの親にとって愛のある行ないではありません。それは,心痛と悲しみに満ちる生活に子供を導き,多くの場合,エホバの崇拝を捨てさせ,新しい秩序の生命を失わせる結果となります。―申命 7:3,4。ネヘミヤ 13:26,27。

これに関して,二つの道はないのです。異性の者との親密な交わりはゲームでもなく,リクリエーションでもありません。それは,生涯にわたる責任をになうことを目ざしての明確な第一歩だからです。

● 道徳的に模範的と思われている献身したクリスチャンが堕落した世の極端な衣服のスタイルや身づくろいをまねるのは正しい事ですか。

衣服や髪型には人それぞれの好みがあります。しかし他の人の道の光となるのは私たち個人の考えではありません。それは聖書です。テモテへの第一の手紙 2章9,10節はこう述べています。「また女はつつましい身なりをし,適度に慎み深く身を飾るべきであって,髪を編んだり,金や真珠をつけたり,高価な着物を着たりしてはいけない。むしろ良いわざをもって飾りとすることが信仰を言いあらわしている女に似つかわしい」。

使徒パウロが細かい点を多くあげていない事に留意してください。聖書は相当の多様性を認めていますから,服装には自分の好みをいかす事が出来ます。しかしパウロは上品で「つつましく」あるよう勧めており,エホバの証人の婦人の大多数はその面で模範的です。パウロはまた,「適度に慎み深く」着るべきであるとも述べています。慎み深い衣服は華美ではなく下品でもありません。また見る人を当惑させません。しかしだれでも知っているように今の世の婦人の衣装のスタイルの多くは慎しみ深いものではありません。それは華美をきそい,性的な魅力を強調するものです。それは心の正しい人を閉口させ,うんざりさせます。

この世的な若い男性も同じく人目をひく服装を好みます。この種のスタイルは道徳的に低く法を無視する若者の服装と結びつけて一般に考えられているものです。しかし「そうした度を過ごした乱行に加わらない」真のクリスチャンは,このような道をふみはずしたグループの一部であるような服装を避けるほうが賢明です。―ペテロ第一 4:4。

ものみの塔協会は,このような事柄に関して規則を作りません。好みは人によって違い,聖書も服装の選択という点で個性の表われる余地がなくなるような制限を設けていないのです。さらに服装や髪型は国によって非常に異なります。ある国においてあたり前の服装も,国が違えば,その服装をする人が刑務所に入れられるかもしれません。ゆえに土地の習慣を考慮することが必要です。また同時に,不道徳な考えを持っていてそれが服装にも表われている人々にならわないように注意しなければなりません。

エペソの会衆を助けていた弟子テモテは,必要に応じて用いるように,前述の助言を授けられました。今日においても,時に会衆の監督は,この問題について聖書の教えている事柄をある人に示すことがその人のためになると感ずるかもしれません。もしそうであれば,監督は親切にそのことをすべきです。しかしたいていの場合,このような問題は家庭で処理できる性質のものです。この点で他の人のすることに批判的になりすぎるよりも,まず自分が正しい手本を示して,他の人に正しい道をすすめることを心に決めましょう。―ローマ 14:13。

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