『私の小羊を養いなさい』
1,2 ペテロや他の忠実な使徒たちを導くために,イエスの復活の事実は,どのように確証されましたか。
主は生きて居られました。ヱホバの御国の大なる伝道者は,岸のところに居られました。キリスト・イエスはすでに火をおこしました。その上に魚がのせてあり,また弟子たちの朝食として,パンもありました。例によつて,衝動的にとつさに行動するペテロは衣を身につけて(裸になつていたため)舟から海に飛びこみ,岸まで泳いで行きました。他の者たちは,小舟を岸まで漕いできました。イエスは,彼らにむかい,復活前に語つたのと同じ仕方で語りました。空腹な弟子たちには,『さあ,朝の食事をしなさい。』と言いました。『あなたはどなたですか』と彼に尋ねる勇気を持つ人はひとりも居らず,またそう尋ねる必要もなかつたのです。その方は,自分たちの主である,と彼らは認めました。
2 『イエスはそこにきて,パンをとり彼らに与え,また魚も同じようにされた。』復活後のキリスト・イエスがその場所に現われる以前に,彼は他に6回現われました。その6回の中で,イエスはマグダラのマリヤに,婦人たちの群に,またエマオに向う道を歩んでいた二人に,そしてペテロにも現われました。ヨハネは次のように報じています,『イエスが死人の中からよみがえつたのち,弟子たち(使徒たちの一群)に(特に)あらわれたのは,これですでに三度目である。』さらに『弟子たちはユダヤ人をおそれて,自分たちのおる所の戸をみなしめていると,イエスがはいつてきて,彼らの中に立ち,』また『イエスの弟子たちは,また家の内におり,トマスもいつしよにいた。戸はみな閉ざされていたが,イエスがはいつてこられた。』ということを忘れないで下さい。(ヨハネ 21:12-14; 20:19,26,新口)いまや証拠は十分です,人類の贖い主は,再び生きられました。
3,4 (イ)死ぬ前のイエスは,どのように,そしてなぜ予告されていた分散を弟子たちに述べましたか。(ロ)復活後のイエスは,特にどんな7人の弟子に,何処で,またどのように大切な教訓を与えましたか。
3 この朝食の景を明白に書き記したヨハネは,イエスとペテロのあいだに取り交された印象的な会話をつけ加えています。この会話は,ペテロの心にしつかり刻みこまれました。イエスは,シモン・ペテロに向い直接こう語られています,『「ヨハネの子シモンよ,あなたはこの人たち以上に,私を愛するか。」ペテロは言つた,「主よ,そうです。私があなたを愛することは,あなたがご存じです。」』この質問を初めて述べられたイエスは,以前に弟子たちにお告げになつた言葉とペテロの答を心に浮かべておられたのかしれません。以前の会話について,マルコはこう報告しています,『あなたがたは皆,私につまずくであろう。「私は羊飼を打つ。そして,羊は散らされるであろう。」と書いてあるからである。しかし,私はよみがえつてから,あなた方より先にガリラヤへ行くであろう。すると,ペテロはイエスに言つた,「たとい,みんなの者がつまずいても,私はつまずきません。」』しかし,その時からキリストの生涯を読んだ人なら,世界中の誰でも,ペテロが三度キリストを否んだこと,そしてイエスの次の言葉が真実の予言であつたことを知つています,『今日,今夜,にわとりが二度鳴く前に,そう言うあなたが,三度私を知らないと言うだろう。』しかし,そのときペテロは力をこめて,『たといあなたと一緒に死なねばならなくなつても,あなたを知らないなどとは,決して申しません。』と答えました。他の弟子たちも,みな同じ事を言いました。―マルコ 14:27-31,新口。
4 イエスはすばらしい先生でした。譬話をすることによつて,イエスは話を聴く者たちの頭と心に,銘記してもらいたいと思う事柄をしつかりと刻みこんだのです。それで,イエスはペテロが3回否んだことを頭に思い泛べつつ,海辺の朝食のときに,ペテロに向つて直接語りつづけました。二度目にこう尋ねました,『ヨハネの子シモンよ,私を愛するか。』ペテロはこう答えました,『主よ,そうです。私があなたへの愛情を持つていることは,あなたがご存じです。』すると,イエスは彼に言われました,『私の羊を飼いなさい。』それから三度目にイエスは(ペテロの使つた愛情という変形の言葉を使つて)こう尋ねました,『ヨハネの子シモンよ,私への愛情を持つているか。』ペテロは,心をいためて,こう言いはりました,『主よ,あなたはすべてをご存じです。私があなたへの愛情を持つていることは,おわかりになつています。』すると,イエスは『私の小羊を養いなさい』と言いました。ペテロの心は,すつかり打ちのめされてしまつたことでしよう! イエスは彼と話をしながら,繰り返し同じ質問をなし,しかも三度とも「私の小羊を養いなさい。私の小羊を飼いなさい,私の小羊を養いなさい。」とペテロに告げたのです。ヱホバのお用いになつた最大の師は,その後間もなくして自分が永遠に昇天するとき,責任の全部はイエスに従つた者たちに課せられる,そしてそれらの者たちは彼の羊の監督になる,ことも知つていました。そして,次のことをも悟つていました,すなわち,ヱホバの油注がれた指導者なるイエスに信仰を置き始めると共に,イエスの新しい教に信仰を置き始めるすべての者を飼う責任が,彼らに課せられる,ということです。イエスは,信頼のできる人々 ― けつして転向しない人々を持つでしようか。このペテロがイエスの仕事を熱心にする者であるように,と,イエスは念には念を入れたのです。その海辺の朝食に居合わせた他の6人の忠実な弟子たちひとりびとりにも,主は(ここでペテロを手本として,つまり『反響板』として用いつつ)教えを与え給うたのです。イスは,それらの他の6人にも,イエスを愛して,イエスの羊をやさしく飼つて守らねばならぬ,という各人の責任の重要性を巧みに強調されました。それで,この繰り返しの言葉,つまり3回の真の証言である『証』によつて,イエスは御自分の羊を飼つて養うことを強調されたのです。―ヨハネ 21:15-17。
『正しく指導せよ』
5 今日,従順なクリスチャンとして生活するために,ヱホバのどんな御準備を認めることが是非必要ですか。そして,なぜ?
5 今日は,ガリラヤの岸のその荘厳な朝から1900年以上も経つています。しかし,忠実なクリスチャンたちは,その教訓をしつかり銘記しなければならぬ,と痛感しています。ヱホバ神の献身した僕は,一人残らずみなヱホバ神の御国の良いたよりを伝道する責任を負つています。しかし又,彼らはこれらの資格に適う奉仕者たちの大きな一致の結合である制度を認めねばなりません。彼らはみな,自分たちが会衆なる世界的な集合の軍隊,すなわちヱホバの新しい世の社会に,いま導かれていることを,明白に悟らねばなりません。実際に,そう悟つているのです。たしかに,彼らの中には,ヱホバの御準備により資格を有する監督たちがいます。それらの監督たちは,ヱホバとキリスト・イエスに従い,奉仕者たちの福利を図つたり,また一致と秩序の下にますます発展するよろこびの活動を監督する資格を備えているのです。
6,7 監督が正しく指導することには,何が含まれますか。そして,どんな目的のために?
6 新しい世の社会の中では,各地方の会衆の主要な監督は,会衆の僕です。小羊の12番目の忠実な使徒パウロも,これらの僕たちに深い関心を持つていました。それで,彼はこうすすめました,『指導する者は熱心に指導し』(ロマ 12:8,新口)パウロは,テモテとテトスに宛てて,監督たちと宣教の僕たちに関する詳細な教訓を書きました。彼らは注意深く歩まねばならぬ,とパウロは告げています。真理にいちばん長くいる人,そして神の言葉にいちばん長く接している人は,その資格と忠実の故に,会衆の指導をする者になることは当然でありましよう。そのわけでパウロはテモテにこう諭しました,『正しく指導している古い者たち,特に話すことと教えのために労している者たちは,二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。』(テモテ前 5:17,新世)実際にイエスとともに歩き,そしてイエスから直直に教えられた他の忠実な使徒たちは,注意深く選ばれた者たちでした。パウロは,そのことをはつきり知つていました。それで,人々を責任の地位に置く時には,よくよく選択することが必要である,とパウロは知つていたのです。それらの人々は,正しい業に富む人々,すなわち御国の奉仕に熱心に働く人々でなければなりません。それについては,疑問をさしはさむ余地はありません。古い人,そして経験の積んだ人々は,正しい仕方で指導する資格を備えています。彼らは,他の敬虔な人々すべてに語つて,教えるでしよう。
7 真のクリスチャンは,家から家に行つて,また再訪問をなし,そして人々の家庭で皆さんの聖書研究の手助けをしなければならぬ,と聖書中の多くの聖句は示しています。たしかに,キリストの真実の弟子であると言う人は,みなその指導者なるイエスが教えをなして模範を残されたように,教えることができなければなりません。しかし,これらの教える者たちの中には,古い者つまり経験を積んだ者がいることは必要でしよう。それらの者たちは,ヱホバの正しい仕方で指導をなすことができます。それで真実の指導を行つて,その指導をよろこんでうける経験の浅い人に正しい模範を残します。
8 (イ)の羊を養つて牧することについてペテロに与えたイエスの教訓は,今日どのように適用することができますか。(ロ)資格を持つすべての監督には,今なぜ熱心さが一番大切なのですか。
8 あの忘れることのできない朝食の時にイエスから与えられた賢明な助言は,ペテロの脳裏から決して消えませんでした。幾年か後になつて,ペテロはこう書きました,『あなた方のうちの古い人々に,私はこうすすめる……あなた方にゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。……神の相続である者たちの上に権力をふるうことをしないで,むしろ,群れの模範となるべきである。』(ペテロ前 5:1-3,新世)たしかに,ペテロは漁師でした。(マルコ 1:17。マタイ 4:18-20)しかし,イエスの忍耐強い,しかもすばらしい訓練をうけて,ペテロは単に「人を漁る者」になつただけでなく,羊のごとき人間を牧する神の像に似た牧者になりました。―(魚を捕えるように)彼らを「捕える」ということだけでなく,彼らを飼つて養い,そしてヱホバの御名の為に,大牧者ヱホバの義しい生命の道に彼らを正しく導きつづけたのです。(詩 23:3)良い羊飼なるペテロは,キリストの幼少な羊や小羊を飼つたり養つたりすることに経験を積んできました。キリストの他の忠実な使徒たちのなしたと同じく,ペテロは多くの人々を円熟に導きました。そして,年老いたペテロは,古い人々に助言を与えて,彼らも真の羊飼として行う責任をはつきり悟り,そして群を正しく治めて,本当に群の模範であれ,と諭したのです。今日では,監督は今までかつてない程に熱心でなければなりません。なぜ? なぜなら,ヱホバ御自身の熱心は,キリスト・イエスの手によつて新しく始められた政府を発展させるために,卓出した仕方で行使されているからです。(イザヤ 9:6,7)今日の熱心な監督は,教える資格を備えていなければなりません。そして,会衆内の他の者たちに正しい教訓を与えることができなければなりません。かくして,それらの人々は,かたく立つて忠実と真を保つことができます。監督は他の者たちを正しく導き,また自分自身もキリスト・イエスの足跡によろこびつつ従い続けねばなりません。
『あなたがた自身に気をつけなさい』
9 パウロが監督たちに与えた教訓は,今日どのように有益ですか。
9 経験を積んだ監督パウロは,監督である兄弟たちにこうすすめました,『どうか,あなた方自身に気をつけ,またすべての群に気をくばつていただきたい。聖霊は,神が(御子の)血であがない取られた神の会衆を牧させるために,あなた方をその群の監督に任命したのである。』(使行 20:28,新世)ここでも又,監督は牧者でなければならず,極めて責任の重い地位を持つ,ということが念を押されています。監督は,「私の羊を養わ」ねばなりません。今日の監督は,各会衆内の監督だけでなく,多くの会衆に奉仕するよう任命されている監督もいるのです。年に一度発表される全世界的なヱホバの証者の活動報告によると,(次号に出版する国々の表を見なさい)ヱホバの証者は1万6240の会衆に組織されています。協会の取極めの下に,1107人の巡回の僕がそれらの会衆を監督します。そして,経験と訓練を積んでいる他の人々,すなわち地域の僕は,巡回の僕や会衆の僕を監督します。152人の地域の僕は,世界のいろいろな場所で奉仕するよう任命されています。今日,これら任命された監督たち ― 支部の僕,地帯の僕,地域の僕,巡回の僕,会衆の僕 ― は,自分の責任を軽々しく見なすべきではありません。―出エジプト 18:25,26。申命 1:9-15。エペソ 4:11-16。ミカ 5:2-5。
10,11 イエスがペテロに述べた牧することの責任は,現在どのくらい広範囲になつていますか。そして,なぜ?
10 本当にそのような監督たちは,自分たちがガリラヤの岸辺にいる,と想像することができます。そこは,かつてペテロが父親と共に魚を取つたところであり,また後にはイエスの言われた言葉,
『私の小羊を養いなさい。』
『私の小羊を飼いなさい。』
『私の小羊を養いなさい。』
を,ペテロが注意深く聞いたところです。イエスは,任命した監督たちのひとりであるペテロに,極めて必要なことをなさせる為の全責任を負わせました。しかし,イエスが念には念を押す教訓をペテロに告げるのを聞いていた他の6人の選ばれた『人を漁る者』たちは,そのことから除外されたのですか。イエスは,自分の忠実なこれらの使徒たちが,今後は自分勝手にそれぞれの好むことをする,と思われましたか。イエス御自身の答は明白です,『あなたは,私に従いつづけなさい。』― ヨハネ 21:22; 17:15-21。使行 1:6-8。黙示 14:1-5,新世。
11 使徒たちの一致した業が発展し,そしてヱホバの最大の予言者イエスの紹介したこのすばらしい宗教に,真理と正義を愛する多くの人々が集められるにつれて,円熟した人々を更に多く必要としました。もつと多くの監督たちを任命することが必要でした。そして,特に最高潮の収獲の時であるいま,かつヱホバ神に全く献身している59万1556名の奉仕者がヱホバの新しい世の社会と交つているいま,その必要は100倍も大きいのです。これらの奉仕者たちが,資格のある監督や宣教の僕を有する幾千という各地の会衆に集められるとき,各人はみな一致してヱホバの御国を宣明し,そして一人残らずすべての者はヱホバ神に専心の献身を捧げねばなりません。それらの監督たちは,その行によつても,業によつても,2倍の尊敬を受けるにふさわしい者です。ヱホバの制度内にいて『話すことと教えのために労している者たち』は,是非とも『私の小羊を養う』者でなければなりません。―ヨハネ 4:21-24。テモテ前 5:17,新世。
12 なぜそしてどのように,人は正しく監督になることを望めますか。
12 すべての人は,次のことをはつきり知つて下さい,『もし人が監督の職を望むなら,それは良い仕事を願うことである。』(テモテ前 3:1,新口)しかしながら,そのような地位を願い求めるときには,自分はその要求に適うだけの資格を持ち,またその地位に伴う全責任を負う人でなければならぬ,ということをよくよく悟らねばなりません。その人は円熟に進歩せねばなりません。これは,新しい世の社会内で幾年という年月を要することでしよう。地域の僕にせよ,巡回の僕にせよ,類似の監督の仕事をする監督としての資格を得るためには,その人は先ず開拓者か特別開拓者をすることができ,それから巡回と地区の大きな奉仕責任か,または国家内の御国活動を監督する支部の僕の義務をするまで進歩しなければなりません。
質の増加
13 昨年中,特別開拓者はどのように援助を与える牧する業に参加しましたか。
13 別の1年間になされた素晴らしい業を見て,神に仕える奉仕者の心は,みな真のよろこびに溢れます。1956年の奉仕年度中に,ヱホバの証者はすばらしい御国の証言をいたしました。この年度中,協会は多くの人々を特別開拓者の業に参加させ,そして,宣教者とともどもに,地上の孤立した地区にいる真理探究者に援助を与え,設立した御国の良いたよりを伝道させるよう,熱心に努めました。特別開拓者は,前年よりも519名増加して,今では2637名が孤立した区域で働き,新しい会衆を組織したり,また新しい群が集まると,その監督の責任を取つています。年齢ということから見ると,特別開拓者の或る者は,若いかもしれません。しかし,その開拓者を中心にして集まつた他のクリスチャンたちから見ると,彼らは古い者,円熟した者であり,正しく指導することができます。そして,神に献身したこれらの新しい奉仕者たちは,これらの特別開拓者たちが熱心に働いて話したり,教えたりしたことを知ります。そして,特別開拓者に牧される,という援助を受けてよろこんでいます。
14 昨年中の御国奉仕者のあいだの量と質の増加は,何を含みましたか。
14 過去12ヵ月の中に,ヱホバの証者の制度内には,すばらしい進歩がなされたことは今や明白です。全世界の162の国々で平均59万1556名の御国伝道者が毎月伝道していました。これは,1955年の奉仕年度よりも3.6パーセントの増加です。この数字上の増加,つまり量の増加は,他の年ほど大きくありませんが,兄弟たちの交りにおける進歩,つまり質の増加は,きわめて健全なものであり,特別に際立つています。平和に充ちる一致した新しい世の社会を全世界にわたり更に前進させよう,との気持が,新世社会内のすべての人の中に深く広まつています,そして,よろこびの業とは他の羊を集めることである,とそれらの人々は今までになくはつきり悟つています。それは全くうれしい事です。昨年の12ヵ中には,前年度よりも150万時間以上も多くの時間がよろこびの野外活動に使われました。そして,『ものみの塔』と『目ざめよ!』の新しい予約数は,前年度の時よりも13万6000も上廻つたのです。ヱホバの証者は戸別訪問して人々に短い聖書の話をして家庭聖書研究をするよう人々の興味を湧かせ,そして聖書から直接に話したり,読んだりします。しかし,それだけでなく,望む人々には聖書の話の印刷されたものを置いて行きます。それで,御国奉仕者が別の人を援助するために,立ち去つた後,訪問を受けた家の人は自分ひとりでその聖書の話や,或はそれよりも長いいくらかの聖書の話を研究することができます。奉仕年度中に,1932万6817冊の本や冊子や聖書が配布されました。更に,ヱホバの証者が人々の聖書研究を助けている二つの主要な雑誌『ものみの塔』と『目ざめよ!』は,5573万5715冊も配布されました。戸別訪問や街頭伝道で配布された雑誌配布だけでも,1900万冊以上も増加しました。もちろん,『ものみの塔』と『目ざめよ!』の予約者は,幾百万という数です。このため,協会の多くの支部や印刷工場では,これらの出版物を幾百万部と定期的に出版することが必要でした。100以上の言語でヱホバの証者の必要物を供給するため,協会は1億3099万2362冊の聖書,書物,冊子,そして雑誌を印刷しました。それらのものはみな,ヱホバの設立した御国の良いたよりを,世界中に宣べ伝える証者の業を助けるものでした。
『良いたよりを宣べ伝えよ』
15,16 (イ)「日ごとに良いたよりを宣べ伝える」ことは,いまなぜ極めて重要ですか。(ロ)ヱホバの証者の行つた全世界的な昨年の活動のどんな報告された他の結果をいま研究しますか。そしてなぜ?
15 私たちは,このすべてに大へんよろこんでいます。この慰めの音信を地の果まで宣べ広めることに参加し得たことは,私たちの心を本当によろこばします。日々その業を行うとき,ヱホバの証者は,イエスの次の言葉を常に心に留めています,『御国のこの良いたよりは,すべての国民に証をするため,全世界に伝道されるであろう。それから,全き終が来るのである。』(マタイ 24:14,新世)そのわけで,ヱホバの証者は今年には積極的な活動をすすめる聖句,そして生命と責任の充ちる聖句を選んだのです,『日ごとに彼の救の良いたよりを宣べ伝えよ。』(詩 96:2,新世)新しい世の社会は,よろこんで耳を傾けて聞く世界中のすべての人に慰めの音信を告げるため,1957年を異常な力,活気,そして元気をもつて期待しています。昨年,神の御国奉仕者は8735万3772時間を戸別伝道に費して,人々に素晴らしい希望を告げました。戸別訪問して聖書の話をするだけでなく,彼らはたくさんの再訪問もしました。実際のところ,昨年中に2774万6348の再訪問がなされました。この再訪問から,33万3330の家庭書研究が取極められました。これらの奉仕者たちは,説教壇に立つて話をするように金銭で雇われた者でなく,真実の奉仕者です。この奉仕者たちが,世界のあらゆる国に行つて,その地の人々に援助を与え,そして真理を知らせているのを見るのは,なんとよろこばしいことでしよう!
16 ヱホバの証者は,まだまだ多くの事柄を為し,多くの場所を訪問し,そして多くの人の心を慰めねばならぬ,と痛切に認識しています。また,もつと多くの人を助けて,円熟に進ませ,そして聖書の正確な知識と明白な理解を得させねばならない,ということも知つています。昨年のヱホバの証者の記念の式には,91万9994人が出席しました。その中,1万6302名だけが,油注がれた者で,キリスト・イエスといつしよに共同相続者になり,天的な栄光を受ける地位を求めている者と表明しました。他の幾十万人という人々は,ヱホバの御意にしたがい,正義の新しい世の地上で生きるのを強く望んでいる,と信じます。しかし,それらの人々は援助を必要とします。この91万9994名の全部が奉仕者でなく,僅か59万1556名だけが奉仕者だからです。これらの奉仕者は,多くの仕事をしなければなりません。なんらかの理由のために,ヱホバの証者が人々の家庭で司会した聖書研究の数は,先年よりも4000だけ少い数でした。また伝道者の全部が,昨年中に伝道の業を行つたわけではありません。64万347名だけでした。昨年中に2582名すくない数の伝道者が奉仕報告をしたにしても,ヱホバの証者は動揺を感じません。彼らは,他の羊を援助して行こう,と決意しています。また,研究してきたいろいろの聖句,特に『私の小羊を養いなさい』と言われたイエスの言葉を心に留めるヱホバの証者は,監督はもちろん会衆内のどの奉仕者も,一人残らずみな,ヱホバの過分の御親切により,いままでにない大きな努力をつくして,この良いたよりを日ごとに宣べ伝えるでしよう。なぜ彼らはこのことをしますか。なぜなら,或る者はペテロに課せられた責任を取つていないからです。そのような人々は,そのことの重大性を感じていません。その故に,すべてのヱホバの証者が,多くの人々を訪問し,そして真理に入つている人および真理に入つていない人と共に時間を過して,人々を円熟に進ませることが必要です。
17,18 いま過去7年の洗礼の記録を考慮するとき,私たちはどのようにこれからの1年に対する他の機会と責任を見ることができますか。
17 興味深い別の事柄はこうです,過去7年間に39万4024人が洗礼を受けました。この人たちは,みなヱホバの御意をする,とヱホバ神の御前に言明した人々です。今日のヱホバの御意は,御自分の僕たちがヱホバの御国の良いたよりを伝道することです。さて7年前の報告をさかのぼつて調べると,1949年の奉仕年度の終には,僅か27万9421名の定期的な奉仕者が野外で奉仕していました。その数に,過去7年間に洗礼を受けた人の数を加えてごらんなさい。答は,67万3445名が御国の伝道者であるべき筈です。しかし,記録の示すところによると,僅か59万1556人だけの奉仕者が伝道しているのです。すると,他の8万人は何処にいるか,という質問が直ぐに生じるでしよう。それらの人々は死にましたか。すくなくとも,肉体の面では,そのすべてが死んでいるわけではありません。墓に入つているわけではないのです。しかし,或る人々は霊的に病気になつており,円熟している人々の援助を必要とします。
18 イエスの言葉『私の小羊を養いなさい』を忘れないで下さい。そのことをする責任は,全世界にいるヱホバの証者各人の上に課せられています。あなたはそのことをしていますか。あなたはそうしますか。ヱホバ神の御意をなすあなたに関する限り,1957年は特別に際立つ年になるでしようか。イエスは,『私の小羊を養いなさい』とあなたに言われています。あなたは,その声を聞きますか。1957年中のヱホバの証者の聖句,『日ごとに彼の救の良いたよりを宣べ伝えよ』を心に銘記し,その聖句を実際に行うとき,あなたの心は真実のよろこびに充ちますか。あなたは,神の大きな会衆内における自分の監督としての責任,宣教の僕としての責任,そして奉仕者としての責任を十分に認識しますか。イエスの言葉,『私の小羊を養いなさい』は,クリスチャンなるあなたに適用するのです。