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  • 人をかたくなにさせる罪の影響力に警戒しなさい
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
塔71 2/1 92–95ページ

人をかたくなにさせる罪の影響力に警戒しなさい

今日,多くの人は,「罪」ということばを嘲笑します。そして,仏教徒と同じように,行為は,それが当人あるいは他人を害さないかぎり,悪いことではないと考えます。したがって,淫行は,当事者が害を受けないかぎり,悪いことではない,というわけです。

しかし聖書は,そうした考え方が二つの点でまちがっていることを証明しています。まず,創造者および宇宙の主権者であるエホバ神が,何が正しく何が悪いかを人間に指令する権利を持っておられることを明らかにしています。エホバは人間の王,律法制定者,審判者であられます。(イザヤ 33:22)ゆえに,その律法に違反するのは,「的をはずす」ことになり,それが,聖書の中で使われている「罪」ということばの文字どおりの意味です。他方,創造者はすべての権威を持つだけでなく,全知全能かつ愛に富み,したがって,人間にとって何が最善かをご存じであるゆえ,その律法を破るのは悪い行為であり,悪であるだけでなく,直ちにとはいわないまでも,最終的には必ず害をもたらします。

神の律法にそむくのが悪いことを明らかにするものとして,罪が人をかたくなにさせる影響力を持っている事実があげられます。人類の最初のふた親となったアダムとエバを例に取ってみましょう。エホバ神は,両人が善悪の知識の木の実を食べるのを明白に禁じておられたゆえ,彼らがそれを食べたことは罪となりました。それはふたりをかたくなにさせる影響力を持っていましたか。まさしく,そのとおりでした。

禁じられた実を食べたのか,と造り主に尋ねられた時,アダムはかたくなにも神と自分の妻の両者を責めて,こう言いました。「汝が与て我と偕ならしめたまひし婦彼その樹の果実を我にあたへたれば我食へり」。つまり,アダムの言わんとしたことはこうです。『彼女がその実をわたしに与えました。だから,彼女が責められるべきです。そして,神よ,あなたもです。なぜなら,この女をわたしの妻として与えてくださったのは,そもそもあなただからです』。神がエバをお与えになる前のアダムは,どんなにさびしかったことでしょう。女がついに与えられた時,アダムは喜びのうちに叫びました。「これこそわが骨の骨わが肉の肉(なり)」。しかし,そのエバは,「汝が与て我と偕ならしめたまひし婦」でしかなくなってしまったのです。そしてエバはといえば,心痛を表わして悔い改めの態度を示すかわりに,へびに責めを負わせようとして,アダムと同様にふるまいました。―創世 2:23; 3:1-19。

最初の罪人となったふたりの罪の行為が,当人たちの心臓と良心とをかたくなにさせる影響力を持っていたことには,疑問の余地がありません。はたして,害がもたらされましたか。まさしくもたらされました。不幸と悲しみ,苦しみと死がふたりに及んだのです。

同様に,彼らの長男であったカインの例も,罪が人をかたくなにさせるという原則を示しています。しっと深い憎悪の念に燃えるあまり,彼は弟のアベルを殺しました。弟はどこにいるのか,とエホバ神が尋ねた時,カインは心痛や悔恨の情を覚えましたか。いいえ,むしろ,無情にもこう答えました。「我しらず我あに我弟の守者ならんや」。彼はかたくななまでの無関心を露呈しただけでなく,うそをつき,真実を全く度外視していることを明らかにしました。カインの罪も当人に害をもたらしました。家族から引き離されたカインは,以来,罪の意識に絶えずさいなまれたからです。―創世 4:8-16。

サウル王と使徒ユダ

さらに,イスラエルの最初の王サウルの例があります。しっと深い憎悪の念を募らせ,日々つかれたようにダビデを殺そうとねらった結果,サウロがどんなにかたくなになったかは,ノブに住む祭司の集団,すなわち85人の祭司をその家族もろともに殺すよう命じたことからもうかがえます。それにしてもなんのためにですか。彼らのかしらの祭司が,サウルの怒りを買って逃亡中のダビデに,そんなこととは知らず,友情を示したというのが唯一の理由です。ダビデに対する憎しみは,どれほどサウルの心臓をかたくなにさせたことでしょう。エホバに仕える祭司職を尊重し,祭司とその家族の命を重んずる様子はみじんも見られませんでした。ついに,サウルは自分の王国と自分自身の命を犠牲にしなければならなくなりました。―サムエル前 21:1-9; 22:6-23; 31:1-6。

イエスの使徒のひとり,イスカリオテのユダも見せしめになっています。最初,彼は善良な心臓を持っていたにちがいありません。さもなくば,イエスはユダを選ばなかったはずです。しかし,ユダは,やがて利己主義に陥り,イエスの仲間たちの群れの基金から盗みを働き,罪をならわしにしたため,心臓をかたくなにしました。お金を入れる箱はユダが保管していたのです。ですから,ユダが執ように反対したにもかかわらず,イエスが自分のからだに塗ってもらうための高価な膏油の使用を認めた時,ユダは出て行き,自分が仕えてきた主人を銀30枚で敵の手に売ったと思われます。さらに,ユダの心臓がいかにかたくなであったかは,12人のうちのひとりが自分を敵の手に売るであろうとイエスが言われた時,厚かましくも,「我なるか」と,ユダが尋ねたことからもわかります。その罪はユダをどれほど害するものとなったのでしょう! 復活の希望もないままに,彼は自殺しました。―マタイ 26:6-25。ヨハネ 12:3-8; 17:12。

聖書はまた,罪が人をかたくなにさせるものであることを幾度も明らかにしています。「淫婦の途もまたしかり,彼は食ひてその口を拭ひわれ悪きことを為ざりきといふ」。「彼らは自分たちの行なったことが嫌悪すべきものであったゆえに,恥を感じたか。…彼らが少しでも恥を感ずることは絶対にない。…彼らはどのように屈辱を感ずるかさえ知るにいたってはいない」。そうです「不義なる者は恥を知(ない)」のです。―箴言 30:20。エレミヤ 6:15,新。ゼパニヤ 3:5。

罪はいつ人をかたくなにさせるか

肉の弱さに負けても直ちに悔い改めて,立ち直るなら,たとえ傷跡が残るにしても,当人が罪のためにかたくなになることはないでしょう。しかし,金を盗んだユダの場合のように,罪が繰り返されるなら,あるいはアダムの場合のように,故意に,かつ意識的に罪が犯されるなら,当人はかたくなになります。つまり,当人はいっそう利己的になって,悔い改めの必要を感じなくなり,その結果,悪の深みに落ち込みます。

わたしたちの創造者は,正しいことと悪いこととを見分けるよう訓練できる良心を与えてくださいました。正しい知識が伴うならば,良心は感度の高い表示器となります。しかし,故意に,あるいは不注意にも,または,平然と良心を犯しつづけるなら,良心は徐々に無感覚になります。良心が無感覚になってしまった人の中には,使徒パウロが述べているとおり,偽善者がいます。「これ虚偽をいふ者の偽善に由りてなり,彼らは良心を焼金にて烙かれ(たり)」。そうです,そうした人の良心は,やけどのためにまひした末梢神経と全く同様です。人体のその部分は痛みを感ぜず,また,痛みが伝わって警戒の用をなすこともなく,保護を失った状態に陥ります。―テモテ前 4:2。

例を使って,この点を説明してみましょう。誘惑や圧力に屈して,してはならないと知りつつ,あることをはじめてしてしまった人は,良心の痛みと罪悪感を覚えます。しかし,当人がそれを繰り返すなら,良心は用をなさないわけですから,徐々に反応しなくなり,当人は罪のために少しずつかたくなになってゆきます。それどころか,気がついた時には,さらに,重大な罪を犯しているということになりかねません。つまり,最初は少額のお金を雇い主から盗むとか,ちょっとしたことをなまける程度かもしれませんが,それを繰り返すうちに,気がついた時には,いっそう多額のお金を盗むようになっていたり,いっそうなまけて,怠慢は度を窮めるようになっていたりします。

夫婦関係についても同じです。配偶者にないしょで,かけごとを始めた夫または妻が,回を重ねるたびに,いっそう多額の金をかけるようになり,ついに家族を不幸に追いやることがあります。また,どちらかが異性とたわむれはじめた場合,それをとどめないなら,やがて夢中になり,姦淫を犯し,家庭を破壊する事態を招きかねません。イエス・キリストの言われたとおり,「わずかなことに不義な者は」自分をかたくなにし,ついには,「多くのことにも不義」な者となります。―ルカ 16:10,新。

クリスチャン奉仕者と自称しながら,友を装う仲間と同性愛行為を続けていたある青年に関して,最近起きた事件を取りあげてみましょう。彼らは便宜上他の地方に移ったものの,同性愛関係を持っていた友人がほしくなり,その仲間のひとりに,自分の住んでいる所に来て同性愛関係を続けないなら,正体を暴露するぞ,という意味の脅迫の手紙を書きました。しかしほどなくして,その若い自称クリスチャンは明白な犯行のかどで正体をあばかれ,最低3年間,エホバの民からなるどのクリスチャン会衆とも交わりを禁じられました。

人をかたくなにさせる罪の影響力から身を守る

どうすれば,人をかたくなにさせる罪の影響力から身を守れますか。最も肝要なのは,心臓を守ることです。「すべての操守べき物よりもまさりて汝の〔心臓〕を守れ」。それには,どうすればよいのですか。考えに注意することです。ゆえに,『すべて正しいこと,清いこと,徳とされること,賞賛に価すること』を考え続けなさい,というのは賢明な助言です。人が思いめぐらすものを,心臓は欲し,その後は,容易に欲望に誘われます。それからは,弟子ヤコブが警告したとおり,「欲はらみて罪を生み,罪成りて,死を生む」のです。―箴言 4:23,〔新〕。ピリピ 4:8,新。ヤコブ 1:14,15。

エホバが,「〔心臓〕は万物よりも偽る者」と,言われたことには十分の理由があります。心臓が罪にかたむく傾向は,人間が最初の親から受け継いだものです。「人の〔心臓〕の図維るところその幼少時よりして悪かればなり」。警戒が必要です。禁じられているということそれ自体に誘惑されて,ある行為をしたくなる場合があるからです。―エレミヤ 17:9,創世 8:21,〔新〕。

たとえいかに快く映ろうとも,悪に対しては憎しみをいだくようにならねばなりません。「エホバを愛しむものよ悪をにくめ」。(詩 97:10)そうなるための大きな助けは,自分の弱点に関係のある忠言に特別の注意を払いながら,神のことばを定期的に読むことです。詩篇作者が言い表わしたとおりです。「あなたの命令のおかげで,わたしは理解をもってふるまいます。それゆえに,わたしは,あらゆる偽りの道を憎んできたのです」。別の力強い助けは,正しいことを愛し,悪を憎む人々との交わりです。しっ責に聞き従い,矯正を甘んじて受けることの必要性も見のがせません。なぜなら,「しばしば責られてもなほ強項なる者は救はるることなくしてにはかに滅され」るからです。―詩 119:104,新。箴言 29:1。

世界がますます邪悪になるにつれて,クリスチャンが罪から身を守ることはいよいよむずかしくなります。しかし,次の助言を心臓に銘記することによって,みずからを保護することができます。「常に〔エホバ〕を恐れる人は幸福です」。(箴言 28:14,改訂標準訳,〔新〕)神のことばを読み,考えに注意し,良い仲間と交わるなら,常にエホバを恐れるようになり,それゆえ,人をかたくなにさせる罪の影響力を避けるよう助けられます。

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