ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔54 6/1 214–218ページ
  • 安定と永続

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 安定と永続
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 古い世の違法の基礎
  • 賢い御国建築者たち
  • 新しい世の合法的な基礎
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
  • 生命と奉仕に対する力
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
  • 『あなたの宝のある所には心もある』
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1957
  • 御國のこの良いたより
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1955
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 6/1 214–218ページ

安定と永続

『それで揺ぐことのない御國を私たちはいただこうとするのであるから,恵みある御親切を持ち續けよう。その御親切によつて,私たちは敬虔の恐れをもつて神に悦ばれる聖なる奉仕を捧げることができるのである。』― ヘブル 12:28,新世。

1 どのように,そして誰に,神は希望のたしかな基礎を与えられますか?

正しい心を持つ人はみな,信頼することができるもので,そして真なるものを愛します。前の記事を研究して,私たちは,変化しない神と彼の子に,永続し,そして破れることのない確信を持つことができると知りました。神の子は『イエスキリストであつて,昨日も今日もそして永久に同じである。』(マラキ 3:6。ヘブル 13:8,新世)私たちは不確実な世に住んでおりますので,確かな希望をおける,なにか安定したもの,永続するものを,心から求め願つていますが,神とイエスに確信を持てるということは,その私たちの願いをかなえてくれるものです。その確かな希望は『魂の,しつかりして動かない錨』でありましよう。(ヘブル 6:19,新世)神の目的によれば,そしてまたどんな角度から見た場合でも,いま論じましたように,その希望はキリストを中心としています。キリストは,栄光ある天の制度シオンの『基礎の隅石』です。そして神の目にもまたすべての真の信者の目にも貴重なものです。『その上に信仰を置く者は決して失望することがないであろう。』パウロはまたこう書いています『神の約束はいかに多くあろうと,それらは彼(キリスト・イエス)により「然り」となつている。』― ペテロ前 2:6,7。コリント後 1:20,新世)

2 『基礎の隅石』は,どのように励ましとして役立ちますか? しかし,どんな警告に注意を払わねばなりませんか?

2 前節に引用したペテロの言葉は,彼が言つていますように,あなたを励ますために言われているのです。そして,『あなたを暗やみから彼の素晴らしい光りに呼ばれた方のほまれを,広く宣べ伝える』ようなあなたをはげまし元気づけるためのものなのです。と同時に,与えられている警告に注意しましよう,というのは,ある人は同じ石につまづくであろうと,使徒は示しているからです。なぜ彼らはつまづきますか? その答えにどうぞ良く注意してください。『これらのものはつまづいている。なぜならば,彼らは信ぜず言葉に従わないからである。』(ペテロ前 2:8,9,新世)神の話された言葉は,後に記録されて聖書の中に取り入れられ,書かれた言葉となりましたが,その神の言葉の重要さをいくら高く評価しても,評価しきれることはありません。そのことは前の17節で説明されています。その神の言葉は,私たちにもつとも豊かな祝福と励ましを与えるものであり,そして強い信仰と真の希望を立てることのできる固い基礎を与えるものです。そして,勤勉な聖なる奉仕のよろこびをもたらすものです。あるいはまた,「神の正しい言葉と来るべき組織制度の力を味つた後,私たちは信仰と行いを弛め,結局しりごみして離れ去り,最初に不信となり,それから福音の音信を信ぜず,私たちがかつてはそんなにもよろこんで熱心にうけ入れたものにつまづくようになるのです。パウロのように,次の通り結論することができると信じます『私たちは,ひるんで亡びる者ではなく,信仰を持つて魂を生き長らえさせる者である。』ヘブル 6:5; 10:38,39,新世。

3 裁きについて,『試みられた石』のする目的を,予言はどのように示しますか? そしてそれはどんな特別な時ですか?

3 あらゆる面でこれらのことがらをより一層重要にし,緊急にするものは,私たちが裁きの日に住んでいるという事実です。裁きの日とは,この悪い組織制度の『終りの日』であつて,『神の家より始まる裁きに定められた時』のことです。(テモテ後 3:1。ペテロ前 4:17,新世)イザヤ書 28章16節の前後の文の関係によつて示されているように,基礎の隅石がシオンに置かれている一番の目的は,その『試みられた石』の大さと角度に基いて,厳しい裁きが実施されるためなのです。イザヤ書 28章16節のすぐ後に続いて書いてあるものに注意しなさい。『われ公平をはかり繩とし,正義をおもしとす,かくて雹はいつわりにてつくれる避所をのぞきさり,水はそのかくれたるところに漲りあふれん。」(イザヤ 28:17)それは,古い世の基礎と,その制度および,その神である悪魔サタンを含めて古い世の建築者に滅亡を意味するものです。『試みられた石』を置くという縮図的な成就は,イエスの初臨の時に行われました。ヨルダン河で,神の御霊によつて油注がれてから3年と半年後に,イエスはエルサレムに馬に乗つて入り,自らを王として献げました。それと同様に,この同じ石が置かれるのは,再臨の時に完全に成就されます。西暦1914年に『異邦人の時』が終り,キリストは王としてまた祭司として働きを始めるよう権威を与えられましたが,それは詩篇 110:2-4節の成就でした。それから3年と半年後の1918年,キリストは,彼の民であると言い表わすすべての人に自らを王としてささげました。(イザヤ書 28章のくわしい研究は,1952年4月1日号の『ものみの塔』を見なさい)

4 どんな関係した聖句をパウロは書きましたか? それは何を示していますか?

4 使徒パウロの次に書いたものは,別に興味あるもので,うがつたものです。『それにもかかわらず,神のしつかりした基礎は固く立ち,このような印を持つている「ヱホバは,彼に属する者を知つておられる」そして,「ヱホバの名前を言うものは,みな不義を捨てなさい。」』(テモテ後 2:19,新世)神が厳しい裁きを始める時に,人々はめいめいどのような立場にいるかということは,その裁きによつて明白に示されると,この聖句は表しています。実際に,使徒がこのように述べたということは,二人の人の名前をあげて使徒が話したことがらでした。その二人の人は,『真理から離れ』そして,彼らがどんな種類の者であるかを曝露されねばなりませんでした。(テモテ後 2:16-18,新世)私たちが民数紀略 16章5節を参考にし,その前後の文を見てみますと,この同じ教訓はより一層力を増すものです。というのはその民数紀略 16章15節からパウロは前述の引用文の前の方を作つたからです。使徒が次のように書いたものから,励ましと警告の両方を得ることはなんと重要なことであり,緊急なことであるかということが良く心に銘記しませんか?『神に認められるようあなた自身を捧げるために全力を尽くしなさい。そして何物をも恥じることのない働き人として,真理の言葉を正しく扱いなさい。』(テモテ後 2:15,新世)私たちは注意深く神の言葉を聴き,信じるばかりでなく,神の言葉を宣教し,清い手と心をもつて他の人たちに伝道する時に,私たちは神の言葉の正しい扱い方を学ばねばならないということにどうぞ注意してください。

5 テモテ後書 2章19節にある二つの引用文は,『印』としてどのように役立ちますか?

5 テモテ後書 2章19節にある二つの引用文が,『神のしつかりした基礎』の『印』としてどのように役立つのか,あなたがたは疑問に思つていることでしよう。事実はこうです,人はどのように他の人や,自分自身を欺こうと,ヱホバを欺くことはできないということです。すでに知つていますように,神の首要な制度はシオンと名づけられており天的の制度です。キリスト・イエスは及ぶ限りに験され試験された隅石です。パウロが示していますように,同じ試験とこらしめは,一人の例外なしに神の子らとなる他のすべての人に適用されます。(ヘブル 12:4-11,新世)サタンにかなりの自由行動が許されており,『麦の中に雑草を多く播く』ことをして,大きな問題をかくそうと努めるとしても,しかし神の裁きが始まるよう定められた時が来る時,そしていまは,本当にその時が来ているのですが,その時には一人のこらず『ヱホバは彼に属する者を知られる』ということは全く明白になります。(マタイ 13:25,新世)もし人が,行いと真理において「不義を捨てず」また自らを神に献身したとは証明せず,神の律法を彼の心の中に入れず神の御意をよろこんで行わないならば,その人はシオンに入つて,シオンの基礎であるイエス・キリストに安定することができず,また都の自由を楽しむということは全くあり得ません。それですから,合法的でありそして『神のしつかりした基礎は固く立つ』というすばらしい根本的な真理にたいして,前述の二つの引用文の成就は絶対的に確証し,または承認(確印)するものです。

古い世の違法の基礎

6 私たちは,どんな対照に注意することによつて,新しい世について,より一層鋭く認識することができますか?

6 比較対照することによつて,物ごとをより鋭く認識することができるのは当然なことであります。たとえば,春の良い暖い日と冬の暗い寒い日とを比較するという具合です。それで,古い世の違法の基礎について少しく見て比較する時新しい世の合法的な基礎をより良く認識することができると信じます。そうです,神の言葉に示されているように,物事の根本に行きましよう。キリスト教国の多くの牧師が,聖書はみな神話であるとか,またはたんなる譬話であるなどと言おうと,気にしてはなりません。そして,法律家の方法に従うことによつて再び利益を得るよう努めましよう。いま二つの質問があると言えるでしよう。一つは事実の質問であり,他は法律の質問です。この場合に,事実とは何ですか?

7 どこで,そしてどのようにサタンのもともとの地位と堕落は書き表わされていますか?

7 エゼキエルの予言は次のように語つています。後になつてサタン,すなわち『この組織制度の神』と表わし示された一人のものは,もともとは完全に創造されたものであり,地上に造られたものを保護するという責任ある地位をまかされていました。こう言われています『汝神の園エデンに在りき,…なんぢは油注がれしケルブなり。』また『なんぢは,その立てられし日よりついに汝の中に悪の見ゆるにいたるまでは,その行い全かりき。』(コリント後 4:4,新世。エゼキエル 28:13-15)次に,(明星)の気持と心の中に悪のこの表れが起つた形式について,その時よりも何千年も後に,バビロンが第3の世界権力になつた時,イゼヤの予言はこのように告げています『汝さきに心の中に思えらく,われ天にのぼり,我くらいを神の星の上にあげ‥‥至上者の如くなる(に匹敵する,ロザハム訳)べし。』(イザヤ 14:13,14)それらは,初めの事実です。さて合法的な面とはなんですか?

8 『悪と』いう言葉は,どんな意味を持つていますか? このことについて,サタンとイエスの間にどんな対照が見られますか?

8 エゼキエル書 28章15節にある『悪』という言葉は,最も興味深いものです。その言葉は,邪悪なることと,また正しいことから自ら決定して離れ去るという意味を持つており,また道徳或いは神の律法に反対する不正という意味をも持つています。イエスはサタンと反対ですが,イエスについてはこう予言されていました『なんじは義をいつくしみ,悪をにくむ』しかし,この聖句を引用しているパウロの言葉はこのようです『あなたは義を愛して不法なることを憎んだ』(詩 45:7。ヘブル 1:9,新世。またダイアグロット訳とロザハム訳を見なさい)神の言われた律法,または行いの規則は,造られた凡てのものが神を恵み深い創造者と認め,忠義の献身を神に捧げて,心から神に従順であるということです。このことは,ベツレヘムで生まれた時にイエスと名づけられた神の独り子によつて常に表わし示されました。(シンゲン 8:22,30)しかし,サタンはイエスとは全く反対な道をとりました。造られた理智あるものが持つ最も貴重な所有物の一つである完全な自由意志をサタンは行使し,神の定められた任務を忠実に行わず,そしてまた命令に従わず,守りませんでした。最初の正義の世は,すべて崇拝と従順をヱホバに捧げ,正しい方向に向つていたのでしたが,サタンは自分の役割を誠実に果さず,守りませんでした。彼は反対の路,違法の路をとりました。その高慢で叛逆なそして不敵な路をとることによつて,サタンは人間の崇拝と奉仕を自分自身に向けさせようとしました。彼は不法のあらゆるものの創始者となりました。サタンには全く信頼することができず,その聖なる信用にサタンは全く不実になりました。

9 同様な誘惑を,エバと彼女の夫の前に,サタンはどのようにおきましたか? それはどんな結果をもたらしましたか。

9 さて,最初の完全な人間の夫婦の前に,サタンがどのように同じ誘惑を置いたかを見てみましよう。その場合に,事実と法律の両方を注意しましよう。創世記 3章の記録は,最初にエバ,次にアダムが選択についてどのように自由意志を用いたかを語つています。彼らは,ヱホバと彼の律法に従うことから独立するという考えを,魅惑する一口の食物のようにみなし,自らの意志をもつてその考えをとり入れました。自分自身の方法で,自分自身の生命を生きる権利を彼らは欲しました。彼らは自分自ら法律を立てる者となりたく願いました。人間の従順を験す一つの簡単な命令を神は置きました。その命令によると,彼らはある木の実を食べてはなりませんでした。いろいろなものが豊かに彼らのまわりにあつたのですから,その木に近づく必要は全然無かつたのです。また,不従順に対する刑罰は,すなわち死であり,生命から全く切り絶たれる(永遠のくるしみの中に生命が保つのではない)ということをはつきり言われていました。蛇を代弁者として用い,サタンがエバに近づいた時に,サタンのした最初のことは,神の語つた言葉の真実性を疑わせることであつたということに注意してください。サタンがエバに言つたことを意訳してみると次のようになります「もし背くならば,あなたは必らず死ぬと神は言つたか? 神はあなたに真理を言つていない。あなたは決して死なないであろう。なぜならば,神はあなたに言わなかつたが,あなたが禁ぜられた実を食べる日には,あなたの目は開け,あなた自身神のようになり,そしてあなたは善と悪を知るようになる。つまりあなた自身で何が正しいことであり,何が悪いことであるかを決定することができるということを神は知つているからである。」(創世 3:1-5)そして,彼らの目は開きましたか? そうです。開きました。しかし期待したものに開きませんでした。彼らの目は開いて,罪の意識を恐ろしいまでに認識しました。何も着ない裸の状態では,創造者と顔を合わせることがとうていできないということを,彼らは鋭く意識しました。自分自身の自由意志を用いて,彼らは不従順と高ぶつた独立という同じ違法の路に従うという機会をとりました。それは,サタンの時と良く似ており,不法という罪であつて,死に値するという同じ結果をもたらしました。

10 この研究は,現在の世の状態と精神について,どのように光りを投げかけますか?

10 根本的な問題をこのように研究したことは,現在の世界の状態と現代流行の精神についてたくさんの光りを投げてはいませんか? 地上全体に亙つて,国々はそれぞれの独立の主権を曾つてない程に主張してはいませんか? 一般に人々の間では,過去の時代にはなかつたような非常な利己主義が今日あるというのが本当ではありませんか? そしてそのことについてしばしば言われてはいませんか? いま聖書の音信に注意を払うのを拒絶する際に,次のように言つて人々はよく言い訳をするではありませんか?『その聖書の文書は要りません。結構です。教会にそう多くは行きませんが,正しい生活をしていると信じており,誰にも害を与えていません。それが私の宗教です。それ以上なにをすることがありますか?』 そうです,これは人間家族の最初の両親と同じ独立の精神です。自分自身の方法で他人からなんらの干渉をうけずに,自分自身の生活をする生命の権利を求めているものです。たしかに,『現在の悪い組織制度』の全機構は,その主張することにも拘らず,神と不調和であるということについては,十分の証拠があります。『現在の悪い組織制度』の基礎は違法であり,全く正しい途から外れておりますので,亡びに向つています。丁度イエスの言いましたように,この世は『砂の上に家を建てた愚かな人に譬えられる。雨が降り注いで,洪水が起り,風が吹いてその家を打つた。そしてそれは倒れ,そのたおれは大きかつた。』簡略に言うとこのことがらは,次の予言に力強く表わされています『民おきてにそむき,法を犯し,とこしえの契約をやぶりたるが故に,地はその下にけがされたり。このゆえに,のろいは地をのみつくし,そこに住める者は罪をうけ,また地の民はやかれて僅かばかり遺れり。』― ガラテヤ 1:4。マタイ 7:26,27。新世。イザヤ 24:5,6。

賢い御国建築者たち

11 なやみと苦しみのこの日は,神の献身した民にとつてなぜすばらしく幸福な日なのですか?

11 その暗い絵から離れてくる時に,神の恵みある御親切になんと,私たちは深く心を打たれるのでしよう。神の恵みある御親切は,私たちに自由に示されています。いま話したそのような予言が,成就するのに近づいているのを見て,人々が『恐れのために気絶する』ような兆は,私たちをして非常によろこばせます。というのはイエスはこのように言つたからです『しかし,これらのことが起り始めるならば,真直ぐに立ち,頭を起しなさい。というのはあなた方の救助は近づいているからである‥‥これらのことがらが起るのを見る時,神の御国は近いと知りなさい。』(ルカ 21:26-31,新世)真理に目の開かれている人々にとつて,それは本当にすばらしい幸福な日です。それらの人々は,そのような行いをする特権を見ることができます。そのような行いによつて,彼らは,神の制度シオンの指示を受けつつ聖なる御国奉仕に,献身した神の民と共に分けあずかることができるのです。そのような人には,神の語られ,書いた言葉を信じまた理解するというよろこびが与えられているばかりでなく,ヱホバの証者として神の言葉を語り,伝道するという権威が与えられているのです。そのことは,次の約束の中に美しく言われており,私たちに確信を与えるものです『われはわが言葉をなんじの口におき,わが手のかげにて汝をおおえり。かくてわれ天をうえ,地の基いをすえ,シオンに向いて汝はわが民なりと言わん。』(イザヤ 51:16)そのような約束は,私たちの合法的な相続になるのです。

12 ヘブル人への手紙の中で,パウロはどんな主題に従い,どんな最高潮に達していますか?

12 ヘブル人にあてた長い手紙の最高潮に来た時,パウロもまた,建設された御国という主題をとり上げて『あなた方は,シオンの山と,生きている神の都,すなわち天的エルサレムに近づいている』と彼は書いています。それから又,もつとも重要な神の語られた言葉を強調して,彼はこのように警告しています『語られる方を拒まないように気をつけなさい。』実際に,神の語られた言葉は,使徒の手紙の書き出しの言葉から始まつて,すべてのところにしばしばくり返されている主題です。そして最後にパウロの次の言葉を読みましよう。それは最も私たちを励ますものですが,しかし警告をも与えるものです。『揺ぐことのない御国を私たちはいただこうとするのであるから,恵みある御親切を持ち続けよう。その御親切によつて私たちは敬虔の恐れをもつて神によろこばれる聖なる奉仕を捧げることができるのである。』そしてそれは天的希望を持つ者を励ますものだけではありません。というのは,王であるキリスト・イエスによつて今日『右に』おかれているすべての羊は『世の基いからあなた方に準備されている御国を相続する』よう招待されているからです。―ヘブル 12:22,25,28。マタイ 25:34,新世。

13 一つの基礎に立つ時に,私たちは何を注意して避けねばなりませんか?

13 私たちの一人一人各自が,御国の『基礎の隅石』の上に勤勉に,そして賢く立てるよう気をつけましよう。(コリント前 3:11-13)一方にまた,ヱホバとその制度より先走つてはなりませんし,あなた自身で神によろこばれる聖なる奉仕の捧げ方を決定してはなりません。そうするならば,法律家の言うように,あなたは権限を越える,つまりあなたの法的な権利を踏みこしてしまうという危険を冒すことになります。また別に,あなたの御国奉仕で怠けてはなりませんし,不規則になつてはなりません,そのようでは,価値あるものを何一つ建てることはできないでしよう。というのは『ものうきところよりして,屋根は落ち,手を垂れおるところよりして家は漏る』。本当に『あなたの業に怠けるな,御霊に燃えなさい。』― 伝道之書 10:18。ロマ 12:11,新世。

14 私たちがヱホバに与える最も重要な言葉は何ですか?

14 結論として,みなさんにこの点を考えていただきたいと思います。ヱホバは最も重要な彼の約束の言葉を誓われているということです。神の言葉を研究して真理をより多く学び続けるにつれて,私たちの利益のためにされている神の驚くべきほどにすばらしい御準備を,より一層鋭く認められませんか? そして,『わが子よ,汝の心を我に与えよ』という召の言葉に答えるようになりませんか?(シンゲン 23:26)献身の誓約をすることによつて,あなたの約束の言葉を誓い,その召に答えるのはあなたの特権です。あなた自身の個人に関する限り,それはあなたが与えることのできる最も重要な言葉です。その言葉を守りなさい! その言葉を尊びなさい! その言葉にふさわしいように生活しなさい!

15 神の祝福を受けるのに,私たちにとつて何が最も大切なことですか?

15 アブラハムの裔の一部であるという希望はなく,またキリストと共に天の御坐に与る見込みがないからなどと言う言い訳はなりません。神の祝福を楽しみたいとあなたは大いに望んでいるのではありませんか? アブラハムと同じ種類の信仰をあなたが表わさず,そして真の献身と崇拝の霊をもつて,心からの従順を表わさないならば,あなたは,アブラハムの裔の一部としても,または『地上の全家族』の一部としても,全く祝福をうけないでしよう。悪魔によつて欺かれてはなりませんし,脅かされてもなりません。悪魔は『吠える獅子のように歩き廻つており,誰かをむさぼり食おうと求めている。しかし,信仰に固く立ち,悪魔に反対しなさい。』― 創世 12:3,新世。ペテロ前 5:8,9,新世。

16,17 最後にどんな訴えがなされていますか? それに答えることのできるようどんなすばらしい励ましが与えられていますか?

16 それであなたが祖先アブラハムのようになつてもらいたいと,また最後にいたるまで正しい種類の勤勉さを示し表わすよう私たちは強く願うものです。そして,あなた方は,まことの固い,合法的な基礎を持つその都から流れ出るそれらの祝福を相続するという希望は,全くたしかに持つことができるのです。それらの祝福はいまあなた方に示され,あなた方を招いているのです。聞いてごらんなさい!

17 『それから,私は新しい天と新しい地を見た。なぜならば前の天と前の地は過ぎ去り,海ももはやないからである。私はまた聖なる都エルサレムが,夫のために美しく装いした花嫁のごとく準備して,神から天から下つてくるのを見た。それと共に,御座からの大きな声が次のように言うのを聞いた「みよ! 神の幕屋は人間と共にあり,神は人間と共に住まわれ,人間は彼の民となるであろう。そして神自ら人間と共にいるであろう。神は彼らの目から涙を全部ぬぐい取られるであろう。死はもはやないであろう。そして歎きも,叫びも,苦しみもないであろう。前にあつたものは過ぎ去つたからである。」すると御座に坐られる方は言われた「みよ! 私はすべてのものを新たにする。」また言われる「書き記せ,これらの言葉は信頼するに足り,真のものであるから。』― 黙示 21:1-5,新世。

    日本語出版物(1954-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする