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1976 エホバの証人の年鑑
鑑76 3–32ページ

1976 エホバの証人の年鑑

世界中のエホバの証人は,「あらゆる人に救いをもたらす,神の過分のご親切」のゆえに大きな喜びを得てきました。(テトス 2:11)1975奉仕年度の報告は,あらゆる国の男女子どもからなる29万5,073人もの人々が神のご意志を行なうために献身したことを示しています。それらの人々は世界各地にある3万8,256のそれぞれの会衆においてエホバの証人と交わり,さらに,自分たちが学んだ事柄を他の人々に告げることにたいへん忙しく携わりました。

彼らは何を学んだのですか。神の王国が人類の唯一の希望であることをです。ゆえに,それら新たにバプテスマを受けた人々は,王国会館で他のエホバの証人と共に熱心に聖書を学んでいます。そして,新しい人格を着けつつあります。正しく,彼らは使徒パウロの優れた助言に基づいて行動しているのです。使徒パウロはこう説き勧めました。『あなたがたの思いを活動させる力において新たにされ,神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着けるべきです』― エフェソス 4:22-24。

エホバ神は,それらの人々が会衆の年長者すなわち長老から多くの援助を受けるよう取り計らっておられます。幾世紀も前,使徒パウロは,不備な点を正し,都市ごとに年長者たちを任命させるため,テトスをクレタに残しました。それは,正しい指導がなされるためでした。テトスは様々な会衆を訪れては,健全な教えにふさわしい事柄をいつも語りました。長老たちの良い導きを得て,会衆の人々は数々の益にあずかったことでしょう。それこそパウロが願っていたことでした。なぜなら彼は次のように書き送ったからです。「年取った男子は習慣に節度を守り,まじめで,健全な思いを持ち,信仰と愛と忍耐の点で健全であるべきです」。真理の面でも年齢の面でも年長の人々に励ましが与えられました。そうした人々は,真理に入りエホバの組織と交わり始めて間もない人々にりっぱな模範を示すべきだったのです。テトス 2章でパウロは,長老たる彼にこう助言しました。「若い男子にも,健全な思いを持つよう絶えず説き勧め,またあなた自身が,すべての事においてりっぱな業の手本となりなさい。そして,あなたの教えに腐敗のないことを示し,また,まじめさと,とがめる余地のない健全なことばとを示しなさい。それによって反対する側の人が恥じ入り,わたしたちについて俗悪なことを何も言えないようにするためです」― テトス 2:1,2,6-8。

パウロは会衆のあらゆる人に深い関心を抱いていたのであり,テトスも同様の気遣いを示すべきでした。同使徒は,年取った婦人が若い婦人を本心に立ち返らせるべく恭しく振る舞うことを願いました。次いで,とりわけそのような若い婦人たちは夫と子どもに愛を示します。彼女たちは,また,『健全な思いを持ち,貞潔であり,家事にいそしむ』ことでしょう。―テトス 2:3-5。

当時は幾人かの奴隷も会衆と交わっていました。それでテトスは彼らを無視すべきではありませんでした。パウロの助言は次の通りです。「奴隷である人はすべての事において自分の所有者に服し,彼をじゅうぶんに喜ばせ,口答えをしたり,盗みをしたりすることなく,むしろ忠信な態度を十分に示しなさい。それは,すべての事においてわたしたちの救い主なる神の教えを飾るためです」― テトス 2:9,10。

クレタの諸会衆の世話をするよう,使徒パウロにより任命されたこのりっぱな長老は,会衆内のあらゆる人に関心を抱くべきでした。今日でもそうでなければなりません。すべての長老は,エホバの組織と交わるあらゆる人に老若を問わず関心を抱くべきです。それと同時に,良い業や健全なことばを用いる点でりっぱな手本を示さなければなりません。語ることばによって,そのクリスチャンがどんな種類の人かがわかります。家庭や会衆内での振る舞いはその人について多くのことを物語ります。クリスチャンは他の人々を助け,「救い主なる神の教えを飾る」べきであれば,その習慣はあらゆる面で模範的でなければなりません。新英語聖書はそのことをこう述べています。「こうしたすべての面で,彼らは,わたしたちの救い主なる神の教理に光輝を加えることになるのです」。

クリスチャンの生き方は,他の人々が見ている通り,神のみことばを光輝かせます。なぜかと言えば,人々は,「新しい人格」を着けるうえで神のことばがその人にどんな働きをしたかを見るからです。確かに,神のみことばの研究,わたしたちの救い主なる神がわたしたちに与えてくださった教えの真の価値に対する認識はクリスチャンの生活にほんとうの変化をもたらします。神のみことばがわたしたちの生活を支配し,わたしたちの生活を作り直すようにするなら,他の人々はそうした変化に容易に気づきます。

神のみことばは世界のほんの一地域の人々にとって意味があるのではありません。エホバの証人は,地上のあらゆる場所でこの良いたよりを宣べ伝えることの大切さを自覚しています。世界中から幾百にも及ぶ多数の経験が,ものみの塔協会の支部事務所を通して寄せられました。数か国だけ考慮してみましょう。以下アルファベット順に取り上げます。

オーストラリア: 支部の監督は次のように書き送っています。「神のみことばを聞くいずれの人にもわたしたちの愛を広げようと,様々な港にいた1,121そうの船で業がなされました。……エホバの証人の業が禁止されている国々から来た大勢の船員は,こうした方法で文書を得ることができました」。

この広大な国では,多くの兄弟や姉妹たちは手紙による証言をしています。ひとりの姉妹は,子馬に乗っていた幼い息子を落馬で失った夫婦のことを読み,さっそくそのふたりに復活の希望について書き送りました。しばらくは何の返事もありませんでしたが,クリスマスの頃になって,感謝の気持ちと,再び手紙を欲しいという旨をしたためたクリスマス・カードを母親から受け取りました。その後,その婦人の夫が亡くなり,姉妹は聖書の真理を書いた手紙をさらに何通か送りました。何の音さたもなく半年が過ぎました。ところが,非常にうれしいことにある日,その姉妹は,婦人と彼女の長男がバプテスマを受けるところであり,長男は開拓奉仕を人生の目標にしているということを知らせる手紙を受け取ったのです。後にその婦人の母親も真理を受け入れました。

オーストリア: ある世俗の仕事に就きたいと願っていた数人の若い兄弟は,特別な訓練を施す学校に8週間入らなければなりませんでした。そのうちのひとりの兄弟は,家から出かける時に両親から,「自分がエホバの証人であることを決して忘れてはいけない」と言われました。この若い兄弟は,エホバの証人なので学校の幾つかの式に参加できないことを技師に話しました。学校の友だちは彼のことを狭量だと言いましたが,まもなくその考えを改めました。ある日教師は,宗教について自由に討論するよう生徒に言いました。そこで,その若い兄弟は,クラス全体を前に,告白,イエス・キリスト,聖霊および自分が交わっている組織に関して1時間にわたって話しました。同級生たちは,その若者について今では異なった見方を持つようになりました。彼は聖書を知っていましたし,その上彼の学校での行状はその信仰に光輝を加えていたのです。

この若い兄弟は,エホバへの愛に動かされて,特別な訓練期間中に機会を捕らえては真理について他の人々と話し合いました。そして同室の生徒といっしょに毎日聖書朗読をすることができました。やがて,同級生のひとりはその兄弟について会衆の集会に行きました。その若者が,「自分がエホバの証人であることを決して忘れてはいけない」という両親のことばを片ときも忘れなかったのは実にりっぱなことです。

バルバドス: 基本的に言って,この島の人々は保守的であり,真理に関して何かをしようと決める前にじっくりと考えます。昨年のこと,忠実なひとりの姉妹は「王国ニュース」をある男の人に手渡しました。その人は,エホバの証人と話したいと思っていたと言いながら,彼女を家に招じ入れました。

家の中に入ると,その人はこう言ったのです。「わたしはエホバの証人になりたいと思います。そのためには何をしなければなりませんか」。いうまでもなく,姉妹は知識を取り入れることと交わることの大切さを強調し,王国会館での集会に出席するようその人を招待しました。集会に初めて出席した後,彼は感想を述べ,「人生でこれほど幸福に感じたことはありません」と言いました。8か月たたないうちに,その男の人は同棲していた女性と合法的に結婚し,バプテスマを受ける準備をしました。神のみことばはふたりの生活全体を変え,今度は,神のみことばを飾る良い振る舞いができるようにさせたのです。

ベルギー: エホバの証人の優れた態度がきっかけとなり,ある男の人は真の崇拝を受け入れました。ひとりのエホバの証人はれんが職人の一グループに加わっていました。職人の中にはエホバの証人を見ることさえがまんできないという人たちがいました。たまたま,そのうちのひとりで,仕事に慣れていない職人は,塀の角を仕上げることができないでいました。むろん,彼はエホバの証人に助けを求めるつもりはありません。塀の具合がますます悪くなるにつれ,その職人は興奮していら立ち,びっしょり汗をかいていました。証人は事の次第を見て自分の持ち場からその人のところへやって来ると,その状態を自分に直させてもらえないかと尋ねました。仕事の具合を直した後も,同兄弟は2時間ごとにその人のところへ来て援助しました。その後数週間にわたり,彼はその未経験な職人に非常に役立つ提案を与えました。

そうした思いやりを示されたのですから,そのれんが職人はそれまでエホバの証人に対して抱いていた憎しみをいつまでも持ち続けることなどできません。しかも,彼は兄弟が,働いているすべての人に対して同様の態度を示しているのに気づきました。人々が助けを必要としている場合に,証人は喜んで彼らを教えました。彼は自分の仕事を怠けませんでしたし,建築現場から物を盗むこともしませんでした。未経験なその人は仕事をしながら,エホバの証人が真理を持っていることを悟りました。そのエホバの証人の態度は,神のみことばを学ぶよう彼を促し,ついに,その人自身も真理を受け入れました。その兄弟の良い行状は『神の教理に光輝を加えた』のです。

ボリビア: 奉仕年度中,“さすらいの特別開拓者”により愛のこもった多くの努力が払われました。彼らは孤立した区域で4か月間働き,その結果,ボリビアで手のつけられていなかった地方20か所に,王国の良いたよりが初めて伝えられました。そうした良い業により,幾つかの鉱山町で大きな進歩が見られました。謙そんなボリビアの坑夫が多数,真理を学んで生活を大きく変化させました。そうした坑夫たちの生活には異教の迷信が染み込んでいます。それに,山の中の高所の寒い所で働くので,飢えと厳しい寒さをまぎらわすためにココアの葉をかむことは,彼らの間で普通になっています。

数人の特別開拓者が,海抜5,100㍍のコロルクにある会衆を訪れていた時のこと,エホバの証人と聖書を学んでいた男の人に会いました。その人は,人に対する恐れのために異教の風習をやめるのがどれほど難しいかを大いに強調しました。ボリビアの坑夫は職場の同僚たちと緊密な共同生活を営んでおり,伝統に従わせる圧力には根強いものがあります。鉱坑に入る前にパチャママ(地の女神)に犠牲をささげないと,女神を怒らせて自分たちが事故に遭ったり,命を失うことにさえなりかねない,と感じている坑夫は少なくありません。単独の立場を取るには,真の勇気と神の霊が必要です。その地域では少数のエホバの証人たちが,神の道に従うために人格を作り直しています。

別の鉱山の町,サン・ビンセンテの付近には,バプテスマを受けた兄弟がわずか4人しかいませんでした。開拓者たちは,再び訪問するまでの10か月間に,王国の真理がすくすくと育ち,バプテスマを受けた伝道者が21人になろうとは夢にも知りませんでした。神の「羊」がどこで見いだされるかは全くわからないものです。

神からの音信が書かれている一冊の文書がどんな働きをし,どこへ行くかということも予知できません。協会のポケット版の書籍はすばらしい結果をもたらしました。ある大学生は,数年来,聖書の内容について多くの疑問を持っていました。ある日,彼は「聖書はほんとうに神のことばですか」と題する本を偶然手に入れました。それは彼の家族が求めたものでした。青年はその内容にすっかり心を奪われ,それを一気に読んでしまいました。王国伝道者が再び訪問した時,その大学生と家庭聖書研究が始まりました。青年は集会に出席し始め,新たに見いだした神の知識を女友だちと分かち合いました。彼は良いたよりの伝道者の資格を得る前に,その女友だちとの道徳上の関係を改めねばなりませんでした。しかし,彼はその若い女性と結婚し,最近の巡回大会でふたりとも,エホバへの献身を表象してバプテスマを受けました。神のみことばには確かに変化させる力があります。

ビルマ: 神の民の幼い子どもたちでさえ,心を守り,聖書の原則にそって行動することができます。会衆の長老を父親に持つ6歳の少女は,おじいさんとおばあさんのもとで2,3日過ごすために連れて行かれました。昼の食卓についた時,彼女はおばあさんが小さな動物の蒸し焼きを用意してくれたのを知って,「それはどんなふうにほふったの」と尋ねました。少女は動物の血が正しく抜かれているかどうかを知りたかったのです。おばあさんがその動物から血を抜いていないと答えると,少女は一切食べることはできないと言いました。当然のことながら,おじいさんとおばあさんは驚いて,「どうして食べられないの」と聞きました。その6歳の少女は言いました,「わたしはクリスチャンだから正しくほふっていないものは食べてはいけないとお父さんから言われています」と。するとおばあさんは,お父さんは80㌔も遠い所にいてそこに居合わせていないのだからと言い,なんとかして少女に料理を少し食べさせようとしました。もちろん,父親はそのことを知るよしもないではありませんか。しかし,少女は次のように答えました。「わたしはお父さんを崇拝していません。お父さんがここでわたしを見ていなくても,わたしが崇拝しているエホバ神はここにいらっしゃいます」。こうした会話がきっかけで,そのふたりのお年寄りは真理に関心を抱くようになりました。

中央アフリカ共和国: クリスチャンは家族から真理に対する強い反対を受けることが少なくありません。(マタイ 10:36)しかしながら,真理の側に堅く立ち,霊の実を表わすなら,その人の行状は神のみことばに光輝を加えます。ある小さな村で,ひとりの婦人がエホバの証人と聖書を学び始め,集会に出席するようになりました。彼女は忠実にそのことを行ない続け,エホバに献身して水のバプテスマを受けるに至りました。その時彼女の夫は強く反対するようになり,妻が地域大会へ行く支度をしていると,旅行の費用を渡すことを拒んだばかりか,彼女が大会に行くなら結婚証明書を破ると言いました。その姉妹を援助してきた,近くに住む特別開拓者は愛を示して,自分の手当の半分を彼女に与え,大会に行くのを助けました。婦人が家に戻ると,夫は怒って家を出て行きました。彼は別の女性を見つけて家に連れてくると,正妻と同じ屋根の下でいっしょに生活しました。それは姉妹にとって感情的に大きな重圧となりましたが,姉妹は,『深い敬意のこもった貞潔な行状』を示しながら,忠実に夫に服し続けました。―ペテロ第一 3:1,2。

結局,夫は2番目の女性を去らせました。そのあと彼は,妻が忠実に忍耐しているのを見て本当に真理を持っていることがわかったと特別開拓者に語りました。そして「とこしえの命に導く真理」と題する本を求め,それを注意深く研究しました。今では,その人は,彼の妻が示したと同様のエホバ神に対する忠誠を培うべく熱心に励んでいます。その妻の行状は,わたしたちの救い主なる神の教理になんという輝きを添えたのでしょう。

コンゴ: この国の兄弟たちは神権的な活動に満ちた一年を過ごしました。伝道の業が行なわれたほか,幾つかの王国会館が建てられ,また,多数の王国会館は修理されて全く新しいもののようになりました。現在プラザビルにある12の王国会館のすべてには電燈が設備されており,そのうちの11の王国会館には音響設備があって,だれもが楽に聞けるようになっています。変化が施され,改善がなされたので,集会の出席者数はすでに目ざましい増加を示しています。

コンゴでのこと,一少女は神に仕えたいとの強い願いを抱き,修道女になりたいと思っていました。しかし両親はそれに賛成しませんでした。おとなになってからも彼女は,「働き人は少ない」という聖書のことばをしばしば思い浮べました。(マタイ 9:37)そして,僧職者の悪い行状や,教会員がかかえているらしい問題を見ていつも心を痛めていました。どこかにもっと良い教会がないものか。ある日その人は,宗教について多くのことを教えてもらえる人のところへ行って尋ねました。すると,おそらくエホバの証人が知っているのではないかと言われました。その後,彼女は,近所に住んでいて宗教の教師をしている別の人にそのことを話しました。その人も教会内の状態に対して非常に反感を抱いていました。ふたりは,真理を見いだそうと,町中の教会を訪ねることにし,エホバの証人から始めました。王国会館に着いて,ふたりは驚きました。いまだかつて経験したことのないほどの歓迎を受けたのです。証人たちは非常に暖かくて親しみ深く,集会そのものもたいへん優れていました。集会後,その婦人の近所の人は家庭聖書研究をしてほしいと申し出,ふたりとも「真理」の本を求めました。家に帰る道すがら,ふたりは,他の教会へ行ってみる必要がないことで一致しました。彼らは真理を見いだし,真理にとどまろうとしていたのです。

その婦人は急速に学びました。その週のうちに彼女は,ふたりの間に子どももある同棲中の男の人に,エホバ神は淫行を容認されないのでいっしょに住むのをやめなければならないことを話しました。その男の人は,衝撃を受けながらも,引っ越して行かなければなりませんでした。婦人は今や,自分の長女をも含め,家族や友人に伝道し始めました。14歳になるその長女は,自分もエホバの証人になりたかったため,カトリック教会で堅信礼を受けることを拒みました。まもなく,母親と娘,そして前述の近所の人はバプテスマを受ける準備をしていました。確かに,神のみことばの助言を適用する時,人はエホバに喜ばれる生活をすることができます。

ガボンにおけるエホバの証人の王国を宣べ伝える活動は,コンゴの協会支部事務所の管轄のもとに行なわれています。アフリカのこの特殊な土地では業が禁止されていますが,そこで4月中に26名の一時開拓者がいたことを知るのは励ましです。それらの勤勉な兄弟姉妹たちは野外で平均111.6時間を費やしました。彼らは,伝道しているところを見つかれば逮捕され投獄されるにもかかわらず,そうしたりっぱな働きを行なったのです。それは真の信仰が必要なことです。

この国でも,みことばの伝道は多くの人に良い影響を及ぼしました。次のような例があります。ガボンの三人の若い女性は生活の手段として売春を始めました。聖書の道徳基準を学ぶと,三人はただちに生活を改め,聖書の原則に一致させました。それは,かつての生き方をやめて,洗たく女といった目立たない仕事に就くことを意味しました。彼女たちは,また,性的に汚れた関係を持ったかつての相手を拒むため非常な勇気を示さねばなりませんでした。しかし,三人はそうした変化を遂げ,神への献身を水のバプテスマによって象徴し,今では忠実なクリスチャンになっています。

キプロス: トルコのキプロス侵入があって,この島の南部の兄弟たちは,北部から避難した兄弟たちを助けなければならなくなりました。大量の古着と毛布が兄弟たちに配られました。また兄弟たちのための食料品や他の必需品が購入されました。支部の監督の報告によれば,それらの兄弟姉妹たちのうちだれも,テントで生活しなければならなかったり,食物や衣類にこと欠いた人はおらず,全員が家屋に落ちつくことができました。

トルコの侵入が起きた時,ある家族は家と持ち物すべてを捨てて逃げなければなりませんでした。その家族には1年1か月の赤ん坊がおり,しかも主婦は妊娠していました。一家はリマソルからほど遠くない所に小さな家を見つけましたが,非常にみじめで絶望に打ちひしがれていました。母親は,そうした悪い事柄すべてが人類に臨んでいる理由をいぶかりながら,四六時中泣いていました。1974年の10月,ある若いエホバの証人はこの婦人を訪れて世界状勢について話し,良いたよりを載せた「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を置いていきました。後に,その証人は再び訪れ,王国の希望を説明しました。婦人は喜んで耳を傾けましたが,それが一種のわなではないかと疑っていました。彼女は聖書に関する事柄を一,二討議しました。後にその家族はリマソルのもっと良い家に移りました。「エホバの証人とも縁が切れるわね」と,その婦人は夫に言いました。それで一家は新しい住所をだれにも知らせずに引っ越しました。ところが,彼らにはびっくりすることが待っていました。引っ越した朝,玄関の戸を開けると,それまで何度も訪ねて来た当の姉妹を見たのです。彼らは,それとは知らずに,エホバの証人のすぐ隣りの家を借りていました。実際のところ,その婦人は自分がエホバの証人の家族に囲まれている,つまり左右両隣りがエホバの証人であることを知りました。再び聖書を学ぶこと以外に何かすべきことがあるでしょうか。婦人は現在次のように語っています。「わたしたちはそのことをほんとうに喜んでいます。というのは夫とわたしは1975年の7月に巡回大会でバプテスマを受けたからです」。

ダホメー: 一兄弟は,戸別に行なう伝道の業に携わっていた際,明らかに夫婦げんかの最中だった一組の若い夫婦に会いました。話をする許可を得た彼は,エフェソス 4章26節にある,「怒り立ったまま日が沈むことのないようにしなさい」という聖句を読み,次いで証言にはいりました。その若い夫婦はそうした優れた原則を学んで非常に喜び,その日に王国会館で行なわれる公開集会に出席するようにとの招待に応じました。たまたま,講演は結婚に関するものでした。それによってふたりは,神のみことばに見いだせる実際的な助言に対する認識をさらに深めることができました。聞いた事柄に非常に感動したその夫婦は,家庭聖書研究の取決めを喜んで受け入れました。

わずか2,3週間聖書を学んだだけで,ふたりは自分たちの生活を神のみことばに一致させる必要を悟り,ふたりの結婚を合法的なものにするために必要な処置を取りました。まもなく妻は野外奉仕に参加し始め,夫は非常に良い進歩を示していました。彼らは,その兄弟が機敏で,有益な聖書の助言を教えてくれたことをたいへん喜んでいます。今ではその夫婦の生活も神のみことばに光輝を加えることができるのです。

「羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,ほうり出されて」いる人々は確かに大勢います。(マタイ 9:36)ある日曜日の朝,ひとりのカトリック教徒が教会へ行ったところ,司祭は出席者に説教を準備しなかったと述べました。その人にとって,それは「重荷に小付」でした。彼はその教会をやめてどこかほかのところを探すことにしました。しかし,行くあてもありませんでした。それまでにもしばらくの間彼はそのことについて祈っていました。その人は時折りエホバの証人と話したことを思い出して,王国会館に行くことにし,集会で数人の兄弟と話をしました。そして家庭聖書研究が始まったのです。「真理」の本の第二章が終わると,彼は脱退を通知する手紙を司祭に書き送りました。司祭が訪問したところ,その関心を持つ人は,33年間「飢え渇いた」すえついに真理を見いだした,と司祭に告げました。

聖書研究は引き続き行なわれました。数週間して,その人は,研究を司会している兄弟に,不道徳なことが行なわれていることで知られるホテルを持っていると言って,どうしたらよいか尋ねました。兄弟がそのことに関連のある聖書の原則を示すと,その人はホテルを売る決心をしました。それから間もなく彼はその事業を捨て,明らかな良心を持って非常にまじめで熱心な伝道者になりました。生活の面でそうした変化を遂げる人々は,『すべての事においてわたしたちの救い主なる神の教えを飾り』ます。

エル・サルバドル: 15年ほど前,ひとりの宣教者は王国の音信にいくらか関心を示す一組の夫婦に会いました。家庭聖書研究を始める努力が何度か払われたのですが,三重奏団の一員という主人の世俗の仕事が妨げとなって,成功しませんでした。幾年かが過ぎ,その三重奏団は人気を得て,ダンス・パーティーや宴会その他の席に呼ばれました。そうした生活を送っていたので,その人はいっそうこの世的な態度を取るようになり,それは結婚生活に問題を起こしました。彼は名目上カトリック教徒でしたが,崇拝に偶像を用いることが納得できず教会へ行くのをやめました。そのうちに妻はカナダにいる娘のところへ行くため7か月の間夫のもとを離れました。孤独になったその期間中に彼は自分の生活を振り返って生活に目的がないことを考え,欠けているのは霊性であるとの結論に至りました。彼は神に近づきたいと思い,ひざまずくと,真の宗教を見いだせるよう生まれて初めて神に祈りました。ちょうどその朝,彼は十数年前に訪ねてくれた宣教者のことを思い出しました。その宗教については思い出せませんでしたが,彼女は神を知るように助けてくれると感じました。彼は幾年もの間商業地区の街路で彼女を見かけました。それで毎日そこへ行って宣教者を捜しました。4日目に彼女を見つけた彼は,「御婦人,御婦人」と呼びながら文字どおり姉妹のあとを追いかけました。宣教者は,いきなり聖書研究を申し込んだその男の人をかすかに覚えていました。彼と彼の18歳になる息子とともに研究する取決めが設けられました。その人の妻は,とこしえの命に導く真理を見いだしたことを熱烈に伝える手紙を夫と息子から受け取り,数か月してカナダから帰って来ました。その家族は会衆で毎週開かれる全部の集会に出席し始め,彼らの人格はまもなく変化しました。息子はバプテスマを受けて一時開拓奉仕を始めました。両親は宣べ伝える業に活発になり,1975年12月の地域大会でバプテスマを受ける計画を立てました。三人とも,エホバとエホバの方法を知るようになった特権に対する深い感謝を絶えず言い表わしています。また彼らは,現在家の中に平和と幸福が行き渡っているのでたいへん喜んでいます。

ひとりの婦人は,幼い頃,イエス・キリストの父である唯一の真の神を知りたいとの強い願いを抱いていました。彼女はカトリック教徒として育ち,教会をあちらこちら巡ってむなしく神を尋ね求めました。その人は若い時に,非常に年上の,妻のある男性と生活するようになりました。彼女の生活はその男性を中心としていました。14年がたちましたが,エホバを知りたいとの彼女の願いは満たされていませんでした。その時突然その男の人が亡くなったのです。彼女の生活はその人と物質的な事柄とを中心にしていましたから,彼女には将来に対してひとすじの希望もありませんでした。彼女はどうすれば良いでしょうか。その時以来,婦人は不眠症にかかり,食欲がなくなってやせ細ってしまいました。人生には少しも意味がありませんでした。生き続けることを願うなら,真の神を見いださねばならないことを彼女は知っていました。それが彼女の唯一の希望だったのです。

ある日その婦人は大聖堂に行って神に祈りました。祈りは涙に変わり,婦人はさめざめと泣き続けました。彼女はそこに数時間いたのですが,何の慰めも得られませんでした。それで彼女はそこを去り,とある本屋に入って行くと聖書を一冊求めました。神はわたしたちに書き記されたみことばをお与えになった以上,きっとだれかがそれを理解しているはずだと考えたのです。それで彼女は教会を一軒ずつ訪ねて,聖書の秘義を解き明かすのを助けてもらえると自分が思ったあらゆる人と話し合いました。

その後,ある夕方,その婦人は近所の人のところへ行きました。彼女がそこにいると,ひとりの若い婦人が戸口に来ました。近所の人は彼女がエホバの証人だと知ると,その人の話を聞く気持ちがないと言いました。ところが,真理を探し求めていた人は戸口に走り寄って,若い婦人に,「聖書を理解するのを助けていただけますか」と尋ねました。証人にそれができたのはいうまでもありません。聖書研究はその晩から始まりました。彼女は真理を学ぶことにひどく飢えていましたから,10日の間毎日研究する取決めが設けられました。婦人は,来る日も来る日も神のみことばの知識を吸収していきました。彼女の生活は変化しました。何年かぶりに眠るようになり,食欲も取り戻しました。ほどなくして別人のようになった彼女は,しばらく後にバプテスマを受けました。今やその婦人は生がいにわたって探し続けたものをついに見いだしたのです。

フィジー: タヒチの兄弟たちにとって胸の躍る出来事は,1975年2月にN・H・ノア兄弟とF・W・フランズ兄弟の訪問を受けたことでした。タヒチの人々の益を図って催されたパピーテにおける集まりは公に宣伝されませんでしたが,749人が出席しました。翌日の夜には,土地の王国会館のひとつで行なわれたノア兄弟によるカラー・スライドの上映に500人が集まりました。ノア兄弟は訪問中に,ものみの塔協会の新しい支部事務所を設立する取決めを設けました。それで,1975年4月1日までに,タヒチはフィジーから別れて新しい支部になりました。支部の監督は次のように語っています。「タヒチで業が始まったのは,アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスから三家族が必要のより大きなこの土地に移り住んだわずか16年前のことですから,これはほんとうに目ざましい業績であると言えます」。

支部の監督はさらにこう続けます。「フィジー支部は管轄していた九つの国のひとつを失うとすぐに別の国を加えられました。それは,西サモアの北方約430㌔にあり,三つの小さな環礁からなる全人口2,000人のトケラウ諸島です。そのうちの二つの島には,伝道者と関心を持つ人々でなる二つの小さな群れがあります。そこで業がどのように始まったかというと,その土地のふたりの医師が,フィジーにある医学校に行っていた時に真理を受け入れ,郷里に戻って良いたよりを伝道し始め,集会を組織したのです」。若い人々がある土地で真理の知識に接し,その後別の土地に戻って神のみことばをそこの人々に伝えるのを見るのはほんとうにすばらしいことです。しかも,そのようにして王国の音信はすみずみにまで知れ渡ります。

あなたは,近代都市の寝室が5つある快適な家を離れ,より必要の大きな土地で奉仕するため,妻と8人の子どもと共に物質的に貧しい開発途上の島へ喜んで移ろうとされますか。1973年に,トンガ諸島に住むデイビッド・ウォルフグラム兄弟が直面したのはその問題でした。ウォルフグラム兄弟は,ある集会で『すべての人の血につきて潔よし』と題するプログラムを扱った時,自分の責任がどこにあるかに気づいたといっています。ウォルフグラム一家はトンガに移り,その土地の良いたよりを宣布する群れに加わって大いに喜ばれています。その家族は,群島の150余りの島々へ業を推し広めることにあずかりました。

フランス: 1975年はフランスのエホバの証人の歴史上記憶に残る年となるでしょう。最も注目すべき出来事は「ものみの塔」誌が22年間にわたる禁令を解かれたことでした。幾年もの間禁令解除への努力が払われましたが,成功を見ませんでした。新大統領が選ばれてから2,3週間後に,フランスのエホバの証人協会は大統領個人にあてて一通の手紙(1974年6月10日付)を送りました。それは,「ものみの塔」誌に対する禁令の解除を要請するものでした。協会は,事情を検討する主旨の通知を受け取りました。ついにフランス共和国の「官報」は,1974年11月26日に作成された法令を1974年12月1日付で公布し,「ものみの塔」誌の流布,配布および販売を禁じた1952年12月19日の布告を無効にしました。こうして,フランスの兄弟たちは,個人研究や集会で用いる1975年1月1日号のフランス語の「ものみの塔」誌を受け取りました。また,数週間後には,同誌を戸別に提供することができるようになったのです。兄弟たちが非常に喜んだことは言うまでもありません。

そうした喜びに加えて,1974年12月にはフランスで1,000番目の会衆が組織されました。1975年5月に,同国の伝道者は新最高数にあたる6万4,091人に達しました。その年の末に「神の主権」大会が17か所で開かれ,出席者の合計は8万2,349人に上りました。

共産主義者が政権を執った南ベトナムは,現在,協会のパリ支部事務所の監督下にあります。知ることのできる限りでは,わたしたちの兄弟が100名ほどサイゴンに留まっています。昨年を振り返ってみると,エホバの証人のすべては,全能者なる宇宙の主権者であられるエホバ神がこの国の仲間の信者に保護の手を差し伸べてくださったことに深い感謝の念を覚えます。共産主義者が4月に政権を執る以前,南ベトナムのエホバの証人は連続6か月にわたって伝道者の最高数を記録しました。良いたよりの宣布者が120人の最高数に達したのです。三つの会衆が支部の家と宣教者の家で集まりを開いていました。日曜日の集会の平均出席者数は180人前後でした。昨年中にサイゴンで地域大会が開かれました。また,昨年の特筆すべき出来事は,共産主義者が政権を執る以前にノア兄弟の訪問があったことでした。その時同兄弟は,世界のいろいろな土地における神の民の業をスライドで見せ,その後非常に励ましとなる話をしました。

サイゴンが陥落した後,土地の兄弟との通信は全く途絶えてしまいました。兄弟たちはそれまでの年月,良い助言や聖書による援助を受けてきましたから,彼らの信仰はきっと明らかになることでしょう。それらの兄弟たちは,初めて,宣教者の援助を受けずに伝道を続けなければなりません。とはいえ,エホバは兄弟たちの境遇をご存じであり,わたしたちは,エホバが忠実な人々を引き続き保護しその世話をされることを確信しています。

南ベトナムからの撤退に伴い,幾千人もの人々が様々な国,特にアメリカに追放されました。ベトナムを離れた宣教者の一夫婦は,現在,カリフォルニアの難民収容所のひとつで働くよう割り当てられています。ふたりは,サイゴンで知っていた人にたくさん会いました。それで,この宣教者たちはテントからテントに行き,聞く耳のある人々に真理を伝えています。難民収容所のひとつで会衆の正規の集会が開かれています。世界中のクリスチャンは南ベトナムの兄弟たちのために祈り続けるに違いありません。

ホンジュラス: 1974年9月18日はホンジュラスに災害のあった日です。ハリケーン“フィーフィ”に襲われたホンジュラスは,同国史上最大の天災に見舞われたのです。ホンジュラスのエホバの証人の3分の2にあたるおよそ1,600人の兄弟たちは,数時間にして荒廃した地域にいました。ハリケーンは,通信機関,道路,橋および家を破壊した残がいを残して去りました。それは全くの大災害でした。しかし,直ちに,愛のこもった全面的な救援活動が,土地の証人と地上の他の地域にいる仲間の信者によって始められました。数時間以内にクリスチャン愛は現われ,救援物資が四方八方からホンジュラスにどっと寄せられました。そして,その月の末までには,約2万8,600㌔の物資が困窮した兄弟やその家族および友人に支給されたのです。

11月6日,水曜日までに,ホンジュラスの兄弟姉妹および関心を持つ人々は,ハリケーンに関連したすべての障害を乗り越え,被災地の真ん中で開かれた1日の巡回大会に集まりました。その夜の出席者は4,000人でした。彼らは物質的な事柄を回復することに関心があっただけでなく,霊的な食物を必要としていました。自分の周囲に兄弟姉妹を見,彼らの声を聞いて感激した兄弟たちの目には喜びの涙が浮んでいました。多くの兄弟は,ほとんど全滅した町や村から,何百人いや何千人もの死者を残して来ていたにもかかわらず,ひとりも失われずに保護されていました。兄弟たちはその時やっとそのことの意味を完全に感じ取りました。驚くべきことに,ハリケーンで命を失ったエホバの証人はひとりもいなかったのです。すべての兄弟が,示された愛に対する感謝のことばを述べていました。

インドネシア: インドネシアにおけるエホバの証人の健全な活動は宗教指導者たちの怒りを引き起こしました。回教徒は戸別に訪問する業を“侵入”とみなし,名目上のクリスチャンの僧職者はエホバの証人は混乱を起こしていると言います。

幾つかの地方で,組織を禁止させようと,あるいは,戸別の伝道をも含め少なくとも制限を加えさせようとして厳しい圧力が加えられました。政府は現在,文書を持って戸別に訪問することを禁じており,また,すでに宗教を持っている人々に接近してはならないという規定をも設けました。インドネシアのエホバの証人はこの新しい事態に適応しています。以前関心を示したすべての人を訪問し,偶然の証言を行なうことのほかに,良いたよりを提供するための幾つかの方法を見いだしました。

イスラエル: この国では,様々な問題があるにもかかわらず,昨年も会衆の進歩の面で際立った年となりました。伝道者は21%増加し,1975年4月に263名という最高数に達しました。主の記念式には444人が出席しました。これらの数字は他の幾つかの国に比べれば大きな数字ではありませんが,事態が困難な国で進歩が見られることを示すものです。

支部は,前科のあるひとりの若者の経験を寄せています。その若者のおばは会衆と交わっていて,しばしば彼に証言しましたが,若者は応じようとしませんでした。そうしたある日,彼は,訪問中の地帯の監督の講演会に出席することに同意しました。若者はその講演から深い感銘を受け,まもなく家庭聖書研究をするようにとの勧めを受け入れました。神のみことばが若者の生活に著しい影響を与え,彼はかつての生き方を捨てて,野外奉仕に活発になると共にエホバ神に献身しました。彼の個人的な生活上の大きな変化は結婚生活をも救いました。彼と妻は,あらゆる面で共通点がなかったので,離婚寸前のところだったのです。しかし,現在共に良いたよりの伝道者であるふたりは,聖書の原則にそって生活し,クリスチャン会衆の幸福な成員となっています。

昨年中イスラエルでは中立の問題が非常にはっきりと表面化し,兄弟たちはクリスチャンの中立の立場ゆえに実刑に服しています。時には,そうした若者が一家の支え手であるため,家族は食物に事欠くことがありました。しかし会衆の兄弟たちは一致結束して彼らを援助し,家族に必要な物を備えました。投獄された兄弟の中には長老や奉仕のしもべがいましたが,会衆の成員はそれらの立場をも補充しました。したがって,そうした妨害があったにもかかわらず,一年を通じて良い進歩が維持されました。

レバノン: 世界の他の場所におけると同様,レバノンでも多くの問題がありました。1975年の春から秋の現在に至るまでずっと,首都ベイルートの市内およびその周辺では,対立する政党間の激烈な戦いが続いています。ベイルートのあらゆる場所で昼夜の別なく爆破や銃撃があり,物資が損害を被っていたにもかかわらず,エホバの民で殺されたり負傷した人はひとりも報告されていません。兄弟たちの多くは,最も激しい戦闘の行なわれた区域にいましたから,それは全く驚くべきことです。

銃撃やロケット弾から危うく逃れた話は幾つもあります。ある集会場所はひどく損傷して,いすやその他の物を失いました。時には,外で戦闘が激しく行なわれている時に,家族単位で集会を開かねばなりませんでした。しかし,そうした絶え間ない騒乱のさ中にあっても全員が霊的に養われてきました。兄弟たちは,おびえる近所の人々に神の王国と戦争のない時代について話し,伝道の業を続行しました。

しばらく前のこと,シリアのアレッポにある一プロテスタント教会の委員会はエホバの証人の活動に反対する方法を考えるために集まりました。多くの討議がなされた後,年長者のひとりは意見を述べ,証人について多くの相反する考え方があるように思う,したがって,委員のだれかが証人と話し合い,彼らが信じている事柄に関する情報を直接得るのはまったく公正なことだと思うと言いました。居合わせた人々は全員その考えに猛烈に反対しました。それで,その紳士は,委員会が調査する人を委員の中から任命したくないのであれば,自分が調べてみると言いました。

1年間にわたって証人と多くの討議を行なったすえ,彼は教会の委員会に,エホバの証人に反対するよりむしろエホバの証人から学び,彼らの活動を支援すべきであると知らせました。そのために彼は委員会から追い出される破目になりました。長年教会に尽くしていたその人にとって,そうした仕打ちは衝撃でした。それで彼は証人の集会に出席し始め,真の兄弟愛がどのようなものか,また,会衆を監督する責任を持つ人々の間で協力の精神がどのように働いているかを見ました。ほどなくして,彼は良いたよりを宣べ伝えるようになりました。いうまでもなく彼は,かつての教会の仲間を訪れて王国の音信を伝えるのを怠りませんでした。そのことは,家族と他の人々からの激しい反対と迫害をもたらしましたが,その人は堅く立ち,最近バプテスマを受けて献身を表明しました。彼は,高齢になってエホバに受け入れられる仕方で奉仕することを学び,非常に喜んでいます。

マレーシア: この国の若い兄弟姉妹の多くは真の勇気を示して両親からの厳しい迫害に直面しなければなりません。17歳と18歳になるふたりの兄弟はおばあさんの死に伴う異教の風習や儀式に参加することを拒んだために反対を受けました。ふたりは打たれ,ののしられ,また,足を折ってしまうとか家から追い出して少年院に入れてしまうと言って脅されました。しかし,ふたりは妥協しようとはしませんでした。その少年たちのふたりの友人も苦しみに遭いました。彼らの両親はしばしば王国会館に来て,集まっている兄弟たちに大声でどなったり,一度などは少年ふたりを引きずり出すことさえしました。にもかかわらず,それら4人の少年は引き続き定期的に集会に出席し,野外奉仕に参加しました。なぐられ,けられ,ひどい仕打ちを受けることがたびたびあるにもかかわらず,4人はりっぱにやっており,すべての集会を徹底的に準備してよく注解します。神の民に特有の熱意と忠誠を示しているのです。うれしいことに,彼らの肉的な兄弟と姉妹のうち数人が現在真理に関心を示しています。

モザンビク: 1975年6月25日,モザンビクはポルトガルから独立しました。国中にお祭り気分が見られ,いたる所で「フレリモ万歳!」という叫びが聞かれました。そうした国家主義的感情が存在する時,中立でありたいと願う人々には問題が起こります。

マラウィにおいてエホバの証人は政党に加わることを拒んでクリスチャンの中立の立場を保ったがゆえに,マラウィを逃れ,同国の西側の国境沿いにある,モザンビク内の六つの難民収容所に住みました。彼らは現在送り返されています。難民の中にはトラックでマラウィの国境に連れて行かれた人々もいます。そこにおいて,マラウィ政府の中央地区大臣は彼らに次のような“歓迎”演説をしました。「おまえたちは自らマラウィを捨て,今また自ら戻ろうとしている。マラウィ会議党は依然として存在し,政権を握っているのだ。いいか,家に帰って,地域の役人と協力するんだぞ」。

モザンビクからマラウィへの送還は8月19日に始まりました。したがって,1975奉仕年度が終わった時,何千人ものマラウィの兄弟たちは自分たちの家に通じる道を歩いていたのです。中には,320㌔かそれ以上も歩かねばならない人がいました。多くの人々は,自分の村にたどり着いてみると,村人たちが役人の報復を恐れて助けてくれようとしないことを知りました。ある地区で,党員カードを買う用意のないエホバの証人を彼らの村に入れてはならないという主旨の回状が党の代表者全員に送られました。多くの場合,兄弟たちは安全を求めて茂みの中に逃げなければなりませんでした。妥協を拒んでひどく打ちたたかれた人々もいました。数人の兄弟たちは,同じ理由で裸にされ,村人たちの前を歩かされたという報告も来ています。送り返されたマラウィの兄弟たちに「のがれ道」を設けることができるのはエホバだけです。(コリント第一 10:13)彼らは自分たちの国で望まれず,しかも,モザンビクへ戻ることができません。彼らには行くところがないのです。

しかし,そうしたあらゆる困難にもかかわらず,多くの新しい人々は兄弟たちと交わり,昨年2,000人を上回る人がバプテスマを受けました。

昨年中,協会はモザンビク北部の難民収容所にいたマラウィの兄弟たちに多くの援助を与え続けました。1975年6月までに,アメリカ・ドルにして20万㌦(約6,000万円)を優に超える額のお金が兄弟たちのために費やされました。出費が主になされたのは食物でした。衣料品20㌧が避難した兄弟たちに支給されました。その大半は南アフリカから郵送されたものです。医療品も送られました。

さらに,協会は,シンヤンジャ語の「真理」の本および,やはりシンヤンジャ語の「偉大な教え手に聞き従う」と題する本を難民収容所の伝道者各人に一冊ずつ無料で支給する取決めを設けました。「ものみの塔」誌も無料で定期的に届けられました。そうした救援処置を可能にした,全世界の兄弟たちの心遣いと寛大さに対して,難民の兄弟たちは深く感謝しました。しかし今や事態は悪化し,兄弟たちの大半はほかに行き所がなくて強制的にマラウィに送り返されているものと思われます。わたしたちに今できることはマラウィの兄弟たちのために祈ることしかありません。義にかなった人の祈りは大きな力があります。―ヤコブ 5:16-18。

ノルウェー: 偶然の証言は良い結果を生みます。ある巡回監督は集会に出席するため電車に乗っていました。向かいの席には,若い男の人が政治関係の本を読んでいました。兄弟はその人に,世界は政治によって救われると思うかと尋ねました。青年は否定しました。世界はどんな手段を持ってしても救われないと考えていたのです。兄弟は彼に聖書について話しはじめました。青年は,マゴグのゴグ,啓示の娼婦その他について多くの質問をしました。彼は熱心に耳を傾けました。やがて目的地に着くと,ふたりは住所を教え合いました。

次の週,その若い男の人は約40㌔の道をオートバイに乗ってオスロにある支部事務所に行き,8冊の書籍を求めました。啓示 17章の意味について読むと,彼はすぐに国教会に行って脱退しました。家庭聖書研究がその青年と取り決められました。彼は自分の家族に対する気遣いを実際に示して,家族や親せきの人々に証言するために何度も家に帰りました。彼の兄弟との研究が始まり,現在その兄弟は良く進歩しています。こうした事のすべては4か月のうちに起きました。このことから,福音宣明者の精神を持つことがいかに大切であるかということがよくわかります。

パキスタン: パキスタンには28年の間伝道者がいます。この比較的新しい国は1947年8月15日に設立されました。以来,ふたりの宣教者は,他の大勢の兄弟たちと共に,この国の6,600万人の人々の間で勤勉に働いてきました。拡大の速度は決して速くありません。しかし回教のこの国で進歩があることを見て伝道者たちが喜んでいるのを知るのはすばらしいことです。長年にわたって熱心さを保ち,1年間に全国で26人の人々が神に献身したことに喜びあふれるといったことをあなたは考えられますか。ところで,パキスタンの宣教者や開拓者,また会衆の伝道者たちは,今や184人という伝道者の新最高数を得たことを喜んでいるのです。

政府のために働いていた一婦人は真理を学んでバプテスマを受けました。昨年その契約が切れた時,『自分の国へ帰るべきか,それとも必要のより大きな所で奉仕を続けるべきか』という問題が起きました。その婦人は,世俗の仕事をやめて自分が真理を学んだ会衆に留まるよう取り計らい,現在正規開拓者の隊ごに加わっています。全国に五つの会衆しかないパキスタンの兄弟姉妹たちは,17人という先の最高数に対して,1年間に26人もの人々がキリスト・イエスの新しい弟子になったことを大いに喜んでいます。

ザイール: この国のエホバの証人は政府から認められていません。ほとんどの地方で明らかな迫害はないものの,政府の認可がないために神の民はかなりの面倒を被ってきました。大きな大会を開くことはできず,会衆の集会はしばしば土地の当局者の厳しい監視を受けており,証人たちが公に伝道するのを妨げるために脅迫が加えられます。兄弟姉妹たちは中立の立場を守るので,ある人々は職を奪われたり,殴打と投獄を経験しました。また,その子どもたちは放校処分を受けました。しかし,そうしたことがあっても,王国伝道者たちは落胆させられてはおらず,伝道活動の手をゆるめたりしませんでした。それとは反対に,1975年中ザイールでは今までにもまして大々的な証言がなされました。

全世界: 皆さんの便宜のために,全世界の王国伝道の年度報告が24-31ページに掲げられています。その一覧表にはものみの塔協会のすべての支部事務所がアルファベット順に掲げられ,各支部の下にその管轄下にある国々が載っています。これは実に励ましとなる報告です。なぜなら,そこには,神がご自分の民を導かれたこと,そして,過ぐる1975奉仕年度中も大規模な証言のなされたことが示されているからです。王国の良いたよりを知らせる特権を楽しんだ人々は最高数に達し,217万9,256人で,これは前年度に神の王国を宣伝した人々を15万7,824人も上回っています。

人々は神の王国について知らねばなりません。イエス・キリストはこう言明されました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)したがって,この全世界的な良いたよりの伝道は勤勉に続けられており,エホバのしもべたちは前奉仕年度よりも1,100万時間多い3億8,229万6,208時間を費やして神の目的を人々に語りました。

エホバの証人は,神のお目的についてさらに学びたいと心から願う人々に出版物を手渡すことにも関心を抱いていました。したがって,全世界での12か月にわたる野外奉仕で,製本された書籍と聖書2,841万783冊,32ページもしくは64ページの小冊子各1,216万3,807冊,および「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌2億9,370万5,005冊を配布し,加えて,ふたつの雑誌の予約を211万1,730件得ました。しかし,証人たちは文書を提供することだけで満足しませんでした。再訪問を行ない,人々が文書を読むように,あるいはクリスチャンの出版物を手引きにして聖書の研究をさえするように励ますことに努めました。事実,エホバの証人は関心を示す人々の家庭で毎週141万1,256件の家庭聖書研究を司会することができました。その奉仕年度中に証人たちは1億5,533万6,481件の再訪問を行ないました。人々が神のみことばの理解を得るのを助けるために実に膨大な努力を払ったのです。

エホバの証人は,王国を伝道する業を補助するために,アメリカ,ドイツ,フィンランドおよびギリシャにある自分たちの工場および他の印刷施設で,製本された本と聖書6,330万5,420冊,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌5億1,370万5,582冊,および小冊子2,219万340冊を生産しました。したがって,神のみことばを読んで研究したいと願う,あらゆる国の人々はそうした出版物の助けを得てその願いを満たすことができます。

ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会には世界中で働いている宣教者が平均2,456人います。また,それらの宣教者を含む1万5,734名の特別開拓者は毎月150時間を用いて伝道の業を行なっています。それに加えて,11万4,491人の正規開拓者および一時開拓者は一か月に100時間を野外奉仕に投じました。さらに,年間を通じて毎月平均193万2,224名の人々は会衆の伝道者として働き,その多くは10時間から20時間を野外奉仕に費やしました。毎月野外で働いたこれらのりっぱな働き人の総合計の平均は206万2,449人になります。なお,奉仕年度中に217万9,256人という伝道者の最高数が得られました。

1975奉仕年度中,エホバの証人は,29万5,073名の人々がエホバ神に献身してその献身を象徴するために水のバプテスマを受ける必要を悟るよう助けることができました。それらの人々は現在,210の国々にある3万8,256の会衆と交わっています。

エホバの証人が行なっている業に関心を持っているのはその人たちだけではありません。年ごとに開かれる,主の晩さん,もしくは主の記念式の祝いには,家庭聖書研究を行なっている人の多く,および関心を持つその他の人々がエホバの証人と共に世界中の王国会館に集まります。1975年3月27日の夜6時以降に,492万5,643名の人々は主イエス・キリストの死を記念するために共に集まりました。それは集まった人々にとって重要な意味があります。もしそれらの人々が,エホバとみ子および,神が約束された新秩序での命に伴う数々の祝福をもたらされる手段としての王国にゆるぎない信仰を働かせるなら,刑柱上でのイエスの死は彼らにとって永遠の命を意味し得るのです。

世界中のエホバの証人は地の諸国民から愛されていません。それは,イエスが「あなたがたは,わたしの名のゆえにすべての人の憎しみの的になるでしょう」と言われたとおりです。(マタイ 10:22)そのことが真実であるにもかかわらず,またエホバのクリスチャン証人は自分たちが将来迫害を受けることを知ってはいますが,聖書の次のことばを信じます。「あなたの重荷をエホバご自身に投げかけよ。そうすれば彼自らあなたを支えてくださるであろう。彼は義者がよろめくのを決して許されない」。(詩 55:22,新)したがって,それらりっぱなクリスチャンたちはこの世にいますが,その一部ではありません。彼らは,宇宙の主権支配者なるエホバ神に関心を抱き,神の側にはっきりとした立場を取っています。イエスはこう言われました。「あなたがたを殺す者がみな,自分は神に神聖な奉仕をささげたのだと思う時が来ようとしています」。(ヨハネ 16:2)それにもかかわらず,神の民は,忠誠のうちに歩みエホバのお名前を賛美するというひたむきな目標から退きません。

信じられないようなことが起きています。昨奉仕年度中,ポルトガル政府はエホバの証人を同国において宗教団体と認めたため,地下活動の行なわれていた同国で弟子を作る業が公になされたのです。わたしたちはこのことをエホバに感謝しています。ギリシャではエホバの証人に対する制限がゆるめられたので,証人たちは良いたよりを宣明することができます。

エホバの民は多くの国で迫害されていますが,やめさせられてはいません。鉄のカーテンの背後および他の難しい国々においてさえ,王国の伝道者が17万7,861人います。これは,1975奉仕年度の月平均であり,前年の8.8パーセントの増加に当たります。また,18万5,804名という伝道者の新最高数も得られました。それらの人々は,共産主義の国々や,業が多かれ少なかれ禁止されている他の国で全く隠れて地下活動をすることを余儀なくされているにもかかわらず,主の記念式には29万1,460人が出席しました。ほんとうに驚くべきことではありませんか。昨奉仕年度中,それら迫害を受けているクリスチャンたちは,それぞれの国で王国の良いたよりを伝道することに1,900万3,812時間を投じることができました。

今は,全世界に王国の良いたよりを伝える神のご予定の時ですから,エホバの証人のこうした業は続けられるでしょう。事態は証人たちにとって難しくなるかもしれませんが,世の諸国家にとっても非常に厳しくなるでしょう。諸国家は神と神の主権に敵対しており,人類の唯一の希望として神の王国を受け入れようとしません。その結果,すべての諸国家とその宗教体制は,現存する事物の体制の最終的な滅びの際に大患難を被るでしょう。イエスは,神の王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられ,それから終わりが来ると預言されました。(マタイ 24:14)それは現存する事物の体制の終わりを意味します。その後に続くのは,メシアによる王国,イエス・キリストによる輝かしい千年統治であり,クリスチャンはそれを願い求めて神にこう祈ってきたのです。「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においても成されますように」。(マタイ 6:10)ですから,その日が来るまでエホバのクリスチャン証人にはなすべき業があり,証人たちは神の指導のもとにその業を引き続き行なってゆきます。

エホバの証人は,全地にわたって王国の音信を宣明するという,神からいただいた特権に深く感謝しています。確かに,証人たちは,自分たちのクリスチャンとしてのことばや行ないによって,「すべての事においてわたしたちの救い主なる神の教えを飾る」ことができるのを喜んでいます。(テトス 2:10)迫害やその他の苦難がありはしましたが,1975奉仕年度中エホバ神のクリスチャン証人の一団として共に働き,この良いたよりを宣明したことは大きな喜びでした。

[24-31ページの図表]

全世界のエホバの証人の1975奉仕年度の報告

(出版物を参照)

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