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初めて御国会館を訪れる人々へものみの塔 1970 | 1月15日
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ました。今日のエホバの証人も同様です。(マタイ 19:13,14)あなたはこのことを御国会館でごらんになれるでしょう。
日曜日の集会
エホバの証人の各会衆では,たいてい1週間にいくつかの集会が別々の時間に開かれています。集会にはそれぞれ特色があり,扱われる資料も異なりますが,週末の,たいてい日曜日に開かれる集会で行なわれていることをお話ししましょう。集会はその土地の大多数の人々に都合のよい時間に開かれています。
まず最初に,聖書の公開講演が行なわれます。司会者は講演の主題と講演者を紹介します。そして講演はおよそ1時間ですが,講演者が発表された主題に基づいて聖書の話を進めるあいだ,聴衆は自分の聖書を開いてその論議についてゆくことができます。この講演には,聖書の原則に従った家庭生活に関する話や,復活,楽園のための神のご準備,聖書の何章かを1節ごとに解説するなど教義を取り上げる話もあります。
イエスはこれに似た公開講演を何度も行なわれ,「群集はその教え方に驚嘆し」ました。(マタイ 5:1,2; 7:28,新)御国会館で話す講演者はイエスの教え方を学んでいるので,その話は,いわゆる教会のきまりきった説教にくらべて,はるかに有益なものであることに気づかれるでしょう。講演者は黒板や図表を使ったりします。時には復習の質問をして,聴衆のだれかに自発的に答えてもらったりすることもあります。
講演会に引き続いて,「ものみの塔」誌の聖書研究用の資料に基づき,聖書を用いて1時間の研究が行なわれます。この集会は賛美の歌をもって始まり,ついで奉仕者のひとりが祈りをささげます。そして「ものみの塔」誌の各頁の左欄にしるされている質問が読まれます。もしお望みなら,あなたも短い注解を述べることができます。もちろん司会者はたいてい,手を上げる人だけを指名し,注解してもらいますから,だれにも気まずい思いをさせることはありません。このような研究方法でたいへん興味深い効果的な勉強ができます。おそらくあなたもそうお考えになることでしょう。
イエスもある集会の終わりに賛美の歌をうたわれました。同様にこの研究の終わりにもう一度賛美の歌をうたいます。(マタイ 26:30)わたしたちは,「心に音楽をかなで……歌いつつ」と題する賛美の歌の本を用いています。(エペソ 5:19,新)この歌の本をお持ちでなければ御国会館にいる隣席のエホバの証人は喜んであなたとともに本を開き,一緒に歌うでしょう。わたしたちはみな,それら心暖まる賛美の歌を大いに楽しんでいます。そして最後に,神への感謝の閉会の祈りがささげられます。
これまでの説明の中で,寄付盆を回すことについては何も触れなかったことに気づかれたかもしれません。これはキリスト教世界で普通に見られる慣行ですが,聖書に反する事柄なので,エホバの証人の中では行なわれていません。寄付に関して神のみことばはこう述べています。「おのおの吝むことなく,強ひてすることなく,その心に定めしごとくにせよ。神は喜びて与ふる人を愛し給へばなり」(コリント後 9:7)イエスが言われたように,「隠れた」寄付をしたい人のため,御国会館には,目だたない寄付箱が置かれています。―マタイ 6:3,4。
出席している人々
おそらく,あなたは御国会館で会う人々がどんな人かを知りたいと思われるでしょう。御国会館に出席するのは,それが社交上正しいからでも,また友人に良く思われるためでもなく,聖書から神の御心を学び,クリスチャンとして霊的に円熟するためです。そのような人々と交わるのはなんと楽しいことでしょう! ご想像いただけると思います。
神のみことば聖書は,わたしたちが,「互に勧め合ひ」この邪悪な事物の体制の終結が近づくのを見て『ますますそうする』ことの大切さを強調しています。(ヘブル 10:25,新)したがって,エホバの証人はともに集まると,霊的に励まし合うことにつとめます。その一つの方法は,一緒に研究に参加し,集会で有益な注解をすることです。また集会の前後に徳を高める親しい会話をするのもその一つです。このことは,いろいろな人があなたに近づいて自己紹介し,あなたを歓迎することからおわかりになるでしょう。
御国会館では,ご近所の顔見知りの人や,同じ教会の幼なじみの人に会うかもしれません。それらの人もかつては御国会館にはじめて来たのですから,初めて御国会館を尋ねたあなたがどのように感じておられるかを理解でき,また,エホバの証人の活動に関するあなたの疑問に喜んで答えるでしょう。御国会館をはじめて訪れ,そこで見聞きしたことから大きな喜びを得,その後定期的に出席している人は大ぜいいます。あなたもそうなさることをわたしたちは願っています。
「師」あるいは「神父」という称号を持つ証人はひとりもいません。宗教指導者はこうした称号をたいてい用いますが,聖書は真の崇拝者に対し,大げさな称号の使用をはっきりと禁じています。イエスは言われました。「されど汝らはラビの称を受くな,汝らの師はひとりにして,汝らはみな兄弟なり。地にある者を父と呼ぶな,汝らの父は一人,すなはち天に在す者なり。……汝らのうち大なる者は,汝らの役者とならん」。(マタイ 23:8-12)このことばと一致して,エホバの証人には牧師と平信徒の区別がありません。イエスが示されたように,バプテスマを受けたクリスチャンのすべては霊的な意味で兄弟,姉妹です。
あなたはまた,仲間のクリスチャンを助ける特別な務めを持つ奉仕者に会うでしょう。それらの奉仕者は聖書の中で,会衆の「監督」あるいは「しもべ」と呼ばれています。(テモテ前 3:1,8,新)これらの名称はきわめて適切です。なぜなら,それらの奉仕者は必要な監督を行ない,自分たちの霊的な兄弟また姉妹にほんとうの意味で仕えているからです。その「しもべたち」は特異な衣服で見分けられるわけではありません。そのような「しもべたち」のある者は,正直な心の持ち主がエホバのみこころを学ぶのを助ける有益な各種の出版物や聖書を出席者が入手できるように助けています。あなたはその様子をごらんになれるでしょう。また会衆内のいろいろな人が集会で行なう話を準備する取り決めを設けているしもべたちもいます。そうです,御国会館は活発で幸福な人々が大ぜい出席していますから,御国会館を訪れるなら,きっと楽しく過ごされることでしょう。
もちろんこのほかにも,他の集会や会館内の図書だななど,いろいろお話しできますが,それらについては集会で親切な奉仕者から聞いていただくことにしましょう。
以上の簡単な説明からおわかりのように,御国会館における諸活動は聖書を中心にして行なわれています。それで,ご自分の聖書をお持ちになられるようお勧めします。
御国会館を訪れることは,あなたにとって報いの多い,また思い出に残る機会となるにちがいありません。では,さっそく御国会館を尋ねて,その喜びを味わってください。
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『祝福の基となる』ものみの塔 1970 | 1月15日
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『祝福の基となる』
● エホバがアブラハム(アブラム)に他の土地へ移るように命じられたとき,愛ある目的を考慮されていました。アブラハムは命令に従った結果祝福され,そして他の人々の祝福の基となりました。創世記 12章1-4節はこう述べています。「エホバ,アブラムに言たまひけるは汝の国を出で汝の親族に別れ汝の父の家を離れて我が汝に示さんその地に至れ……汝は祉福の基となるべし……アブラムすなはちエホバのおのれに言たまひしことに従て出でたり ロト彼と共にゆけり」。
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