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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1974
塔74 9/15 569–571ページ

「火の湖」とその目的

「火の湖」とは何でしょうか。聖書の中で用いられているこの表現はヨハネへの啓示の中だけに見られ,それに関する記述は19章から21章までの狭い範囲に限られています。また他にも,マタイによる書 25:41にこの同じ「火の湖」のことが言及されているように思われます。

だれが,あるいは何が「火の湖」に入るのでしょうか。そうしたものの中に,「野獣」や「偽預言者」が挙げられています。死やハデスもこの「湖」に入れられます。神の主権に対して最後の攻撃を仕掛けた後,悪魔が(悪魔にくみしてその側に立つ悪霊たちとともに)「湖」に投げ込まれることも書かれています。―啓示 19:20; 20:10,14。

象徴

これらの聖句を調べてみると,「火の湖」が文字どおりの炎の池ではないことが容易にわかります。これより先の「啓示」第17章にも「野獣」のことが述べられていますが,その「野獣」の「像」や,第13章に出てくる「野獣」と同じく,ここで言及されている「野獣」も象徴的なものです。「啓示」第17章では,「野獣」の七つの頭が『山に似た』七つの王国を表わすことが示されています。これらの王国は聖書歴史上の七つの世界強国であることが,聖書注釈者たちによって理解されています。すでに『倒れた』五つの世界強国とは,エジプト,アッシリア,バビロン,メディア-ペルシャ,およびギリシャのことでした。また,使徒ヨハネが「啓示」を書き記した当時『あった』一つとはローマのことでした。七番めは,歴史上のでき事から,英米世界強国であることが明らかになりました。―啓示 17:9,10。ダニエル書 8章と比べてください。

同様に,「偽預者」も一個人ではなく,体制つまり組織です。「預言者」は,他の人に導きを与えるため霊感を受けた情報を持っていると主張します。「偽預言者」は人々を誤導して神から引き離し,偽りの崇拝に向けようとします。では,こうした目的を遂げるために,この「偽預言者」は何をするでしょうか。「啓示」13:11-17の中では,この同じ「偽預言者」が別の姿,つまり二本の角を持つ「野獣」として描かれています。そうした姿にふさわしく,この「偽預言者」は,七つの頭を持つ「野獣」の前でしるしを行ない,「野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者」とをそれによって惑わすと示されています。―啓示 19:20。

「野獣」と「偽預言者」が象徴的なものですから,「火の湖」も必然的に象徴的なものであらざるをえません。

「死」というような抽象的なものまでが「火の湖」に投げ込まれるという事実は,この結論をさらに裏付けています。死を文字どおりの意味で燃やすことはできません。

さらに,悪霊たちも「湖」の中に投げ入れられます。これら悪霊たちは天使つまり霊者です。霊であるため,燃焼という化学的変化の物理的所産である火によって悪霊たちを害することはできません。事実,霊者が炎の中から人間に現われた記録をわたしたちはしばしば目にします。―出エジプト 3:1-5。使徒 7:30。士師 13:20。詩 104:4。ダニエル 7:9,10。

それでは,「火の湖」は何を象徴しているのでしょうか。聖書は,それが「第二の死」である,あるいは「第二の死」を意味するつまり象徴すると述べています。(啓示 20:14)しかしそのことは,「火の湖」に入るすべてのものが二度めの死を経験するという意味ではないはずです。というのは,「死とハデス」が過去において死んだ,つまり存在しなくなったことはないからです。「第二の死」という表現は,復活のない,いつまでも続く永遠のこの死を,アダムによって人類の上にもたらされた死から区別するものとなります。アダムによる死は一つの“種類”の死です。つまり自分の誤りによるのでなく,すべての人が受け継いできた死です。そして「第二の死」は別の“種類”の死です。「第二の死」に入る個々の人は,神に対し故意に敵意を抱き,罪の行ないを自ら進んで選ぶことにより,それにふさわしい者となります。このことは,「第二の死」を宣告された者として聖書に挙げられている者たちの行ないからも明らかです。

「火の湖」が何を表わしているか,またこうした死の裁きを最終的にはだれが受けるかに関する証拠つまり証言は,「啓示」21:7,8の中にもさらに見い出せます。新しいエルサレムが地におよぼす望ましい影響について記述した後,その預言は神のことばを引用してこう述べています。「だれでも征服する者はこれらのものを受け継ぎ,わたしはその神となり,彼はわたしの子となるであろう。しかし,憶病な者,信仰のない者,不潔で嫌悪すべき者,殺人をする者,淫行の者,心霊術を行なう者,偶像を礼拝する者,またすべての偽り者については,その分は火といおうで燃える湖の中にあるであろう。これは第二の死を表わしている」。そうした生活を選び,こうした卑しめられた状態から立ち直るための神の備えであるキリストの贖いの犠牲をはねつける者たちはすべて,こうして永遠に存在しなくなります。

神の敵であることを公言してはばからない者たちすべての上に,神の火のような裁きがもたらされます。千年の終わりに,悪魔に従って神の主権に新たな攻撃を仕掛ける「ゴグとマゴグ」の群衆について,「啓示」は,「天から火が下って彼らを焼き尽くした」と述べています。これらの群衆は「第二の死」に入ります。同様に「火の湖」は,キリストの千年支配の間に,神からの指示を記した「巻き物に書かれている事がら」に従わない人間をすべて焼き尽くします。こうして最終的に,これらの者たちのだれ一人として「命の書」に名前の記されていないことが明らかになります。(啓示 20:9,12,15)サタンと配下の悪霊たちも,「火の湖」に投げ込まれて,同じ「第二の死」の刑罰を受けます。こうした者たちすべては永遠にわたって死んだままです。

故意に神に不従順になった者たちに対する永遠の処罰である「第二の死」のもとでは,かすかな命のひらめきさえありません。アダムの最初の罪によってアダムの子孫にもたらされた第一の種類の死のもとでも,命は全くありませんでした。この第一の種類の死はいつまでも続いてしかるべきでしたから,キリストの犠牲が備えられたことは,エホバ神の愛と過分のご親切によると言えます。「第二の死」は永遠に続きます。というのは,「第二の死」に入る者にとって贖いの犠牲はないからです。その点について,使徒パウロは書きました。―ヘブライ 10:26,27。

責め苦を感じることはない

「火の湖」にいる者たちには命がありません。彼らの名前はどの「命の書」にも記されません。一方,楽しみを享受していようとも,苦痛を味わっていようとも,命は命に代わりありません。ですから,「火の湖」にいる者は苦痛や苦しみを意識する,つまり感じることはありません。そこには命は全くないからです。それでは聖書に,悪魔や「野獣」や「偽預言者」が,この「湖」の中で「昼も夜もかぎりなく永久に責め苦に遭う」と述べられているのはなぜでしょうか。―啓示 20:10。

それは,彼らが拘禁状態という責め苦のもとにあるからです。イエスが地上におられた当時,悪霊たちは,「底知れぬ深み」に行くよう命じないでほしいとイエスに懇願しました。(ルカ 8:31)同じでき事を記した聖書の平行記述によると,悪霊たちはイエスに,「[あなたは]わたしたちを責め苦にあわせようとして,定められた時の前にここに来たのですか」と尋ねました。(マタイ 8:29)「底知れぬ深み」に入れられることは「責め苦」と言えます。というのは,それは拘禁状態に置かれることを意味するからです。

ですからサタンと配下の悪霊たちは,キリストの千年統治の直前に「底知れぬ深み」に投げ込まれて,拘禁状態という「責め苦」を味わいます。千年の間じゅう,彼らはあらゆる活動から束縛されます。そして千年が終わった後に,サタンと悪霊たちは解き放たれます。(啓示 20:7。啓示 11:7; 17:8と比べてください。)神の主権に対して最後の攻撃を試みた後,悪魔と配下の悪霊たちは「火の湖」に投げ込まれ,「第二の死」のもとで永遠に拘禁され続けるという「責め苦」を味わいます。彼らは完全に滅ぼされ,二度と再び姿を現わしません。その上,彼らの作り上げたすべてのもの,つまり彼らの業のすべては宇宙から消し去られます。―ヨハネ第一 3:8。

「火の湖」の中で責め苦を感じることはないという事実は,象徴的な体制あるいは組織である「野獣」と「偽預言者」の双方が『昼も夜も責め苦に遭う』と述べられている点にも明確に示されています。体制や組織に苦痛を味わわせることはできません。「火の湖」はそれらを滅ぼし去ります。そうした邪悪な組織は永久に活動できない拘禁状態に置かれ,人類を支配したり,悩ましたりすることはもはやありません。

死と,人類の共通の墓であるハデスも「火の湖」に入ってなくなります。つまり,アダムに帰因する死は完全にぬぐい去られ,ハデスは空になり,再び死人を受けることはありません。(啓示 20:14)こうした二つの無生のものは明らかに,苦しみを感じることはできませんが,永久に拘束されてその働きができなくなることはあります。

「火の湖」の目的

「第二の死」を意味する,つまり象徴する「火の湖」は,『いおうで燃やされ』ます。(啓示 21:8)いおうは低い温度で火を燃えたたせ,すばやく燃やしてしまいます。このようにいおうには,普通ではなかなか燃えないものを燃やし尽くす効果があります。いおうは昔,くん蒸消毒に用いられました。ですから,「火といおうで燃える湖」は,不潔な慣行にふけって神の主権にいどみ,み名に非難をもたらすことによって「汚れを持ち込んだ」すべてのものに対する,完全かつ永遠の宇宙的規模の滅びを的確に表わしていると言えます。「火の湖」つまり「第二の死」は,故意に不従順な行ないを取る者たち対する処罰として神によっていつでも用いられることがありますが,キリストの千年統治の終わった後に解き放たれるサタンの試みを経て永遠にわたる忠節を実証した人たちにとっては,それはなんら脅威となりません。その試験を忠実に生き残った人々は,自分たちの命が永久に保護され支えられるという神による保証を得るのです。―ローマ 8:21。

このように「火の湖」は,神の目的の中で重要な意味を持っています。この「火の湖」は,責め苦を永遠に感じさせて苦しみに遭わせるという考えを持ったことも,またそれを許すこともなさらないエホバ神のご性質に反するものではありません。(エレミヤ 19:5; 32:35)むしろ,問題を引き起こす邪悪な者たちを神が一掃してくださることは,正義と過分のご親切という神の性質にかなっています。というのは,正しいことを行ないたいと願っている人の益となる平和と秩序のためには,宇宙内で正義の行なわれることが肝要だからです。―詩 145:20。

エホバは,犯罪や犯罪者を野放しにして,法を守る人々の生活からすべての平和や喜びが奪い去られるのを許すような支配者ではあられません。また,自分の生活態度を改めたいと願っている人に何の助けも差し伸べないほど過酷なかたでもあられません。(テモテ第一 2:3,4)神は,そうするための十分の機会をすべての人が公平に得られるよう取り計らっておられます。「火の湖」つまり「第二の死」に入る者たちは,実際には自らの責任と自由意志のもとに命よりも永遠の死を選ぶのです。なぜなら,こうした者たちは宇宙の至上者の律法を利己的な動機から破るからです。神はご自分に対する敬意と専心の献身を正しく求めておられます。宇宙に平和を保たせる唯一の方法は,そうしたかたくなな反逆者たちを一掃することです。命を望まれるすべてのかたが,自らの永遠の幸福のために「命の書」にその名が記されるべく,エホバの道について学ばれますように。

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