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愛の新しい戒めを守るものみの塔 1965 | 10月15日
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を目前にした今日,私たちは何百万いや何億の生命が間もなく消し去られるかも知れない深刻な事態に思いを致さなければなりません。そうなれば,それらの人々に私たちが愛を示すことはもはや不可能となります。―マタイ 24:34-42。
20 (イ)このような「普通の」生活についていえば,愛の新しい戒めは,私たち各人に何を求めますか。(ロ)いま純粋の愛を学び,それを培うことはなぜ肝要ですか。
20 私たち一人一人についてはどうですか。「わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互に愛し合いなさい」と教えた戒めを各自が守りますか。兄弟たちまた正義を愛する心を持ち,興味を示す人々を助けて永遠の生命を得させるため,世の中で「普通の」生活といわれるものを犠牲にすることをいといませんか。このわざに没頭した人々に生命を得させるため,自分の生命を危険にさらし,あるいは失うことさえあるのです。鉄のカーテンの背後あるいは他の場所で,まさにこの事をしているエホバの証人が毎日どこかにいます。なぜですか。「主は,わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって,わたしたちは愛ということを知った。それゆえに,わたしたちもまた,兄弟のためにいのちを捨てるべきである」。(ヨハネ第一 3:16)真実の愛をいま学ばなければなりません。そしてよく学ぶことが必要です。将来,試練や誘惑にあうとき,また難しい決定を下さなければならないとき,愛があれば,正しい事をして忍耐できるからです。世が私たちの情緒をかきたて,感傷に訴え,他の人の生命にかかわる本当の福祉あるいは原則に盲目にならせようとしても,私たちは真実の愛の道を見失わないでしょう。―ヤコブ 1:12。ヨハネ第一 4:17,18。
21 神の新しい秩序の間近いいま,真実の愛は私たちにどんな将来を保証していますか。私たちは何をすることに励むべきですか。
21 神の新しい秩序は近いのです。その下で地に住む人々は愛を働かせ,現在の秩序の下で利己主義が成しとげたどんなものより千倍もすばらしい事を成しとげるでしょう。彼らはこの地を文字通りの楽園にするだけでなく,神のみ霊の実すなわち愛,喜び,平和,寛容,親切,善,信仰,柔和および節制にみちた霊的な楽園にします。あなたの生命のことを心にかけつつ,私たちは祈ります,「汝らの愛,知識ともろもろの悟とによりいやが上にも増加り,善悪を弁へ知り,キリストの日に至るまで潔よくしてつまづく事なく,イエス・キリストによる義の果をみたして,神の栄光と誉とをあらはさん事を」― ピリピ 1:9-11,文語。
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よい行いは証言になるものみの塔 1965 | 10月15日
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よい行いは証言になる
「外部の人に対して知恵をもって歩み続ける」際に,私たちの振舞いはとくに人々の注目の的になります。それ自体が良い証言となって良い便りを伝える機会が開かれる結果になります。ベルギーの一姉妹が働いていた事務所で,同僚の女性たちは昼休みにいろいろな事を話し合うのが習わしでした。同僚の一人は,その姉妹が意見を求められた時など,とても落ち着いていて,他の人のようにいつもはやり言葉を使おうとしない事に気づきました。この女性は姉妹に向って「私もあなたのように応答ができたらと思うわ,だってあなたは他の人たちと違うんですもの」と言い,それに対して姉妹は「聖書を学んだので物の見方が変ってきたのです」と答え,もっと聖書の原則を学ぶようにその婦人を励ましました。昼休みに何回も会話を重ねるうちに,その人は雑誌を求め,また書籍研究に招待されました。彼女はすぐ聖書を勉強したいといい,しばらくして御国会館で伝道活動の発表を聞いた彼女は野外奉仕に参加する事を望みました。しかし彼女と,いま真理に関心を示しているもう一人の同僚はまず自分たちの結婚関係をきちんとすべき事を悟りました。聖書的な見解をよく理解した二人は問題を解決するためすぐ行動に移りました。聖書の原則と一致する自分たちの行いで証言となるように望み,宣教を通じて他の人が真理を学ぶ事を援助できるようになるためいま忙しく聖書を勉強しています。
1965年度エホバの証人の年鑑から
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