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  • がん張りましょう ― 約束の成就は近づいています!
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
塔77 3/15 168–174ページ

がん張りましょう ― 約束の成就は近づいています!

「あなたがたには忍耐が必要なのです。それは,神のご意志を行なったのち,約束の成就にあずかるためです」― ヘブライ 10:36。

1 アラブ人とイスラエル人の共通の先祖は,信頼できる約束の影響により何になりましたか。

信頼できる人がした良い約束は,約束をされた人に影響を及ぼし,報いのある行動を取らせます。ただ一つの約束のために,自国を持たない居留外人に自ら進んでなり,100年も異国で暮らすような人が今日どれほどいるでしょうか。ところが驚いたことに,ちょうどそのような道を歩んだ歴史的記録が残されているのです。それは,アラブ人から自分たちの先祖だと言われ,その血族であるイスラエル人からも自分たちの先祖だと言われている人の場合です。彼らのこの共通の先祖は一つの約束を与えられましたが,その約束の履行は永遠にわたり全人類に良い影響を及ぼします。

2 その約束の実現には,なぜ約束を受けた者の側の行動が要求されましたか。

2 この世界的重要性を持つ約束の実現を見るには行動が要求されます。神のその約束の言葉の通りです。「あなたの国を出,あなたの親族を離れ,あなたの父の家を離れて,わたしが示す国に行きなさい。そうすればわたしは,あなたから大いなる国民を作り,あなたを祝福し,あなたの名を大いなるものにする。あなた自身祝福となりなさい。そうすればわたしは,あなたを祝福するものたちを祝福し,あなたに災いを下す者を呪う。地のすべての家族はあなたによって必ず自分の祝福を得る」― 創世 12:1-3,新。

3 ある約束に関し,カルデア人のウルのアブラハムはどんな点でわたしたちの模範ですか。

3 『地の家族』に属するわたしたちは皆,その約束を与えられた者,すなわちカルデア人のウルのアブラムが,その約束を堅く信じて指示された通りに行動したことを,大いに感謝することができます。(後日アブラハムと呼ばれるようになった)アブラムの神がわたしたちに与えてくださった約束の実現に必要な行動を取る点で,アブラムはわたしたちの模範です。

4 アブラハムはカナンの地でどれほどの期間国のない人間として過ごしましたか。またその息子イサクと孫のヤコブはどうでしたか。

4 アブラハムは75歳の時に,当時の彼にとっては異国であった約束の地に入りました。彼は175歳で死にました。このために彼は,まる100年間,自国のない人間でした。これはかなり長い期間です。アブラハムにまだ与えられていなかったその異国で彼に生まれた息子イサクも同様に国のない人間で,しかもその期間はもっと長くて180年でした。イサクの息子で,神の約束を受け継いだヤコブも,エジプトに呼ばれる前の130年間は国のない人間でした。彼はエジプトで死にました。(創世 47:7-9; 49:33)しかし,彼自身の要求で,147歳のこの族長は,約束の地であるカナンの地に葬られました。―創世 50:1-14。

5,6 外国の地で215年忍耐するようにそれら三人の族長を強めたのはどんな特質でしたか。そしてヘブライ 11章9,10,13-16節はこのことをどのように確証していますか。

5 この三人の族長を強くして異国の地にとどまらせ,カルデア人のウルに戻らないようにさせたのは何でしたか。カナンという異国で合計215年間(西暦前1943-1728年)忍耐するように彼らを助けたものは何でしたか。それは,エホバ神と,破ることのできないエホバ神の約束とに対する彼らの信仰でした。このことはヘブライ 11章9,10,13-16節に記されています。

6 「信仰によって,彼[アブラハム]は,異国にいるごとく,約束の地に外国人として居留し,自分とともに同じ約束の相続人であるイサクやヤコブとともに天幕に住みました。彼は真の土台を持つ都市を待ち望んでいたのです。その都市の建設者また作り主は神です。彼らはみな信仰のうちに死にました。彼らは約束の成就にあずかりませんでしたが,それをはるかに見て迎え入れ,自分たちがその土地ではよそからの者,また寄留者であることを公に言い表わしました。そのように言う者は,自分自身の場所を切に求めていることを示しているのです。しかも,もし彼らが,自分たちの出て来たその場所をいつも思い出していたのであれば,帰る機会もあったはずです。しかし今,彼らは,さらに勝った場所,すなわち天に属する場所を得ようと努めているのです。ゆえに神は,彼らを,そして彼らの神として呼び求められることを恥とされません。彼らのために都市を用意されたからです」。

7 どのようにしてアブラハムは彼の生まれた土地の周辺の人々に自分を好ましくない者にしましたか。彼はどんな「都市」を望みましたか。

7 息子イサクと孫ヤコブの模範としてアブラハムは,任命を前にしりごみをして,故郷の町のカルデア人のウルに帰るよりもむしろ異国で死ぬことを決意しました。その異教の都市はシナルの地にあったので,アブラハムはその周辺では歓迎されない人物にさえなっていました。それは彼が,その地域から攻めて来た四人の同盟した王たちを敗走させたからでした。それらの王とは,シナルの王アムラペル,エラサルの王アリオク,エラムの王ゲダラオメルおよびゴイムの王テダルでした。アブラハムとその配下の一隊は,それらの王たちがカナンの地に侵入したときに奪い取って行った貴重な物や捕虜を取り戻しました。(創世 14:1-24。ヘブライ 7:1)アブラハムはもはやカルデヤ人のウルを自分の住む都市とすることを望みませんでした。彼はその都市を捨てました。むしろその偶像崇拝の盛んな罪深い生まれ故郷の町よりもより良いものを望み,約束の地で遊牧の民として生きることを好みました。アブラハムも,イサクやヤコブも,人間が作った都市より,自分の神を建設者また作り主とする都市もしくは政府を望みました。カルデヤ人のウルの土台は今日廃虚の中に横たわっていますが,神の「都市」はそうではありません。

8,9 (イ)復活するときアブラハムはどんな種類の相続財産を受けますか。どのように?(ロ)ローマ 4章11,12節によると,アブラハムは霊的に言ってどのようにキリストの弟子たちの「父」になりましたか。

8 アブラハムは死ぬまで忠実だったので,エホバ神は,天の相続財産ではなくて地的相続財産,すなわちカナンの地を与えることを彼に約束されました。したがってアブラハムは,死人の中から復活するとき地上の命によみがえらされるでしょう。しかしその時には地は,「天に属する」都市,すなわちアブラハムの最も重要な子孫であるイエス・キリストのメシア王国の完全な支配の下にあるでしょう。(ヘブライ 11:16)この栄光に輝く子孫にとってアブラハムは信仰の優れた模範でした。この子孫を通して神のアブラハムに対する約束は成就されます。なぜならイエス・キリストこそ,顕著な『アブラハムの胤』で,地のあらゆる国民に終わりのない祝福を得させるかただからです。(創世 22:18)霊的に言って,アブラハムはイエス・キリストの弟子たちの父であると言われています。それらの弟子が,割礼のあるユダヤ人から召されたものであろうと,あるいは割礼のない非ユダヤ人,すなわち異邦人から召されたものであろうと,それは変わりません。この点については次のように書かれています。

9 「そして彼[アブラハム]はしるし,すなわち割礼を,無割礼の状態[イサクを生むまで]で得ていた信仰による義の証印として[カナンの地の流浪の外国人となってから何年もたった後に]受けたのであり,それは,[異邦人のように]無割礼の状態で信仰を持つ者すべての父となり,その者たちが義とみなされるためでした。それで,彼は割礼のある子孫の父ですが,割礼を堅く守る者たち[割礼を受けたユダヤ人]に対してだけでなく,[異邦人のように]無割礼の状態にありながら,わたしたちの父アブラハムが持った信仰の足跡にそって整然と歩む者たちに対しても父なのです」― ローマ 4:11,12。創世 15:6; 17:7-17。

10 (イ)どうして神は,アブラハム以上に,「信仰を持つ者すべての父」ですか。(ロ)それでわたしたちはどんな特質により,神の約束の成就にあずかりますか。

10 アブラハムは,生まれながら彼の子孫であるイエス・キリストの弟子たちに対して霊的な父親のようになりましたから,エホバ神の型として用いられました。エホバ神はすべての「胤」の天的父であって,地のあらゆる国民はその胤を通して祝福を受けます。(ガラテア 3:8,9)ですからエホバ神は大いなるアブラハムです。信仰という特質はエホバ神から来ます。なぜならエホバ神はご自分を崇拝する者たちに聖霊をお与えになるからです。この霊の結ぶ実の一つが信仰です。(ガラテア 5:22)ご自分の約束を守ることに対するエホバの信頼できる忠実さは,わたしたちの心にエホバへの信仰を抱かせます。エホバは,アブラハムよりもはるかに勝って,忠実な者たちの父,信仰ある者たちの父であられます。そのような信仰をしっかりと持ちつづけることにより,わたしたちはアブラハムのように,わたしたちに対する神の約束の成就にあずかるのです。わたしたちの信仰は,神が約束してくださったものを得るまで忍耐する助けになります。

この世では「外国人また寄留者である」

11,12 アブラハムのように神の約束を待ち望むわたしたちは,どうして国のない人々ですか。ペテロ第一 2章11,12節に書かれていることはこの点をどのように裏付けていますか。

11 偽ることのない神が約束してくださったすばらしい事柄を待ち望んでいる今日のわたしたちにとって,アブラハムは確かに良い模範です。現在でもやはり,ひゆ的な意味で,国を持たない男女がいます。その人々というのは,本当にアブラハムの信仰を持つ人たちです。献身しバプテスマを受けて,『アブラハムの胤』の主要なかたイエス・キリストの弟子となった人々です。彼らは国のない人々とみなされていても,それは望ましくない見地からそうみられているのではありません。この見地は,キリストの弟子の一人使徒ペテロが,「ポントス,ガラテア,カパドキア,アジア,ビチニアの各地に散っている寄留者」と呼んだ人々あてに書いた手紙の内容により裏付けられています。(ペテロ第一 1:1)どんな意味でこれらのクリスチャンは「寄留者」なのでしょうか。その意味は2章11,12節に示されています。使徒ペテロはそこでこう書いています。

12 「愛する者たちよ,外国人また寄留者であるあなたがたに勧めますが,絶えず肉の欲望を避けなさい。そうした欲望こそ,魂に対して闘いをいどむものなのです。諸国民[または,異邦人]の中にあっていつもりっぱに行動しなさい。それは,彼らが,あなたがたを悪行者として悪く言っているその事がらについて,あなたがたのりっぱな業を実際に見,その業のゆえに検分の日に神をたたえるようになるためです」― ペテロ第一 2:11,12。

13 (イ)しかし,わたしたちはだれに対しては「外国人」ではありませんか,なぜですか。(ロ)ペテロとは違い,わたしたちはなぜ彼らの邪悪な事物の体制から出なくてもよくなりますか。

13 わたしたちキリストの献身した弟子たちは,この世に対しては「外国人」かもしれません。しかし,神に対しては「外国人」ではないということを知るのはなんと大きな慰めでしょう! 神に対してはもはや,『思いが邪悪な業に向けられているために疎外され,また敵となっている』者ではないのです。(コロサイ 1:21)わたしたちは,「思いのむなしさのままに歩む諸国民と同じように歩んではいません。彼らは精神的な暗やみにあり,神に属する命から疎外されています。それは彼らのうちにある無知のため,また心の無感覚さのためです」。(エフェソス 4:17,18)使徒ペテロや当時の油そそがれたクリスチャンたちは,自分たちが死ぬ日にこの世の事物の体制から出,それによってもはやこの世における外国人滞在者でも寄留者でもなくなることを期待していました。しかし今日,クリスチャン会衆のこの20世紀においては,きたるべき「大患難」を生き残るエホバのクリスチャン証人は,体制から出ることはないでしょう。なぜですか。それはこの邪悪な事物の体制そのものが,「全能者なる神の大いなる日の戦争」において地の面から除かれるからです。大患難はこの戦いで終わります。―マタイ 24:21,22。啓示 7:14; 16:14,16; 19:11-21。

14 ペテロは,油そそがれたクリスチャンがこの世で「外国人また寄留者」として振る舞うべきどんな確かな理由を挙げていますか。

14 わたしたちは献身したクリスチャンであることを実際に公言していますか。では,この世の諸国民の間で,霊感を受けた使徒ペテロが助言した通りに「外国人また寄留者」として振る舞っているでしょうか。彼が,「生ける希望への新しい誕生」を与えられていたクリスチャンたちに,外国の地にいる者として注意深く行動するように説き勧めたのには確かな理由がありました。彼らがそうすべき理由をペテロは次のように述べています。「あなたがたは,『選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民』であり,それは,やみからご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださったかたの『卓越性を広く宣明するため』です。というのは,あなたがたはかつては民ではありませんでしたが,今は神の民であるからです」。(ペテロ第一 1:3; 2:9,10)ですから明らかにそのような人々はもはや,神から離れているこの世の一員ではありません。彼らはもはやこの世のやみの中を歩む者ではなく,神からの光をかかげる者です。彼らは遠い昔のアブラハムに似た立場にあります。

15 ペテロ第二 3章13,14節によると,「新しい誕生」を与えられたクリスチャンたちの希望は何ですか。

15 彼らの希望はこの世における希望ではありません。それは神の約束が抱かせた希望です。この希望は間もなく成就し,その輝かしい実現を見ようとしています。1,900年余の昔,ペテロは次の言葉を書き記しています。「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります。それゆえに,愛する者たちよ,あなたがたはこれらのものを待ち望んでいるのですから,最終的に汚点もきずもない,安らかな者として見いだされるよう力をつくして励みなさい」。(ペテロ第二 3:13,14)この「新しい天」は,かの忠実なアブラハムが非常に辛抱強く待ち望んでいた「都市」,「真の土台を持つ」天の政府で,「その都市の建設者また作り主は神です」。(ヘブライ 11:10)「新しい地」とは,霊的「アブラハムの胤」を通して祝福を得る人々すべてによって形成される,新しい人間社会のことです。―創世 22:18。啓示 21:1。

キリストと同じく世と関係を持たない

16 ではなぜクリスチャンは世の諸国民の政治問題や紛争に関係を持つことはできませんか。

16 「外国人また寄留者」である以上,そしてそういう者としてそのような神の約束を待っている以上,クリスチャンはどうして世の諸国民の政治問題や暴力闘争に実際に関係することができるでしょうか。彼らの心が,神の王国に関連した「新しい天」と「新しい地」に本当に注がれているなら,そのようなことに誠意を傾けることはできないはずです。

17 マタイ 6章32,33節のキリストの言葉に従うなら,神の王国と人間製の王国とに注意を二分するのはなぜふさわしくないことですか。

17 イエス・キリストは弟子たちにこう言われました。「あなたがたの天の父は,あなたがたがこれらの[物質的な]ものをすべて必要としていることを知っておられるのです。それでは,王国と神の義をいつも第一に求めなさい」。(マタイ 6:32,33)天の父の王国を第一に求めることには,イエスの次の預言の遂行に活発に参加することが含まれます。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地に宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)従順なクリスチャンは,神の王国の関心事と人間製の王国の関心事とに注意と時間を二分するような妥協的なことはできません。もしそのようなことをすれば,実際に神の王国を第一にし,神の是認を求めていることにはなりません。

18 なぜクリスチャンにはこの世のものになる権利がないのですか。

18 この古い世に対して「外国人また寄留者」となったのですから,クリスチャンには再びこの世のものとなる権利はもはやありません。もしこの世のものとなるとすれば,イエスが神にささげた次の祈りには含まれないことになるでしょう。「わたしは……邪悪な者のゆえに彼らを見守ってくださるようにお願いいたします。わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません。真理によって彼らを神聖なものとしてください。あなたのみことばは真理です」。(ヨハネ 17:15-17)「邪悪な者」は「この世の支配者」ですから,このような祈りがささげられたのには確かな理由がありました。―ヨハネ 12:31; 14:30。

19 クリスチャンは「外国人また寄留者」として,この世でどんな経験をしますか。

19 悪魔の支配するこの人類の世は,「外国人また寄留者」のこれらクリスチャンを,彼らがこの世のものとなることを首尾一貫して拒否するがゆえに愛するでしょうか。世はイエス・キリストを,イエスがご自分で言われたように『世のものでなかった』ゆえに愛したでしょうか。弟子はその師に勝るものではありません。したがってイエスは弟子たちに言われました。「もし世があなたがたを憎むなら,あなたがたを憎むより前にわたしを憎んだのだ,ということをあなたがたは知るのです。あなたがたが世のものであったなら,世は自らのものを好むことでしょう。ところが,あなたがたは世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなたがたを憎むのです。奴隷はその主人より偉くはないと,わたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。彼らがわたしを迫害したのであれば,あなたがたをも迫害するでしょう。……事実,あなたがたを殺す者がみな,自分は神に神聖な奉仕をささげたのだと思う時が来ようとしています」。(ヨハネ 15:18-20; 16:2)神の約束の成就にあずかるためには,真のクリスチャンは世のそうした憎しみと虐待に忠実に耐えなければなりません。

20 ヘブライ 10章32-34節によると,イエスと同じように憎まれたキリスト教徒になったユダヤ人は,何を心に銘記していなければなりませんでしたか。

20 ローマ領ユダヤ州,とりわけその州都エルサレムに住んでいた,キリスト教徒になったユダヤ人は,彼らのメシアなる師イエス・キリストのその警告の言葉の真実さを知るようになりました。キリスト教徒になったユダヤ人であった使徒パウロは,イエスが上記の言葉を語られてから約28年後に,力を回復させる次のような言葉をヘブライ人の信者たちに書き送る立場にありました。「あなたがたは,啓発を受けたのち数々の苦しみのもとで大きな闘いに耐えたさきの日々をいつも思い出しなさい。ある時には,非難にも患難にも,劇場にあるかのようにさらされ,またある時には,そうした経験をしている人びととともに分かち合う者ともなりました。あなたがたは,獄にある人びとに思いやりを示し,また自分の持ち物が略奪されても,喜んでそれに甘んじたのです。自分たちに,さらに勝った,永続する所有物のあることを知っているためでした」― ヘブライ 10:32-34。

クリスチャンの「大使」

21,22 (イ)世が敵性を示すために,神はだれを人々に派遣されますか。それは何を成し遂げるためですか。(ロ)コリント第二 5章19-21節はこのことにどのようにわたしたちの注意を引いていますか。

21 明らかに世はエホバ神とその献身した民に敵性を示します。このために神は,ご自分が「新しい誕生」を与えた,献身しバプテスマを受けた崇拝者たちに,大使としての務めをお与えになりました。(ペテロ第一 1:3)したがって神は彼らを,離反したこの世に派遣されます。それは和平を求めてこの世と妥協するためではありません。滅びに定められている世は,神に対して和平条件を指令する立場にはありません。(ルカ 14:31,32)神が大使を派遣される目的は,世に住む個々の人に,神との平和な関係,命を救うものとなる関係を結ぶための,神の愛に満ちた条件を利用するように懇願するためです。キリスト教徒になったユダヤ人のパウロは,混血のユダヤ人である仲間のテモテと共に,この事実にわたしたちの注意を引き,コリント第二 5章19-21節で次のように述べています。

22 「神はキリストによって世をご自分と和解させて,その罪過を彼らに帰さず,わたしたちに和解のことばをゆだねてくださったのです。それゆえ,わたしたちはキリストの代理をする大使であり,それはあたかも神がわたしたちを通して懇願しておられるかのようです。わたしたちはキリストの代理としてこう願います。『神と和解してください』。罪を知らなかったかたを神はわたしたちのために罪とし,彼によってわたしたちが神の義となるようにしてくださったのです」。

23 それらクリスチャンの「大使」が携えている「和解のことば」からみて,彼らはなぜ世の政治と闘争に干渉することを許されていないのですか。

23 すべての国民に対するキリストの大使ですから,その使命を帯びるクリスチャンは,民主党員,共和党員,社会党員,ナチ色の濃い政党の党員,ファシスト的な政党の党員,共産党員,保守党員,労働党員その他,あらゆる種類の政党の人々のところに「和解のことば」を携えてゆかねばなりません。神の「和解のことば」はこれらの人すべてに対して同じで,不公平はありません。そういうわけで,「キリストの代理をする大使」は,どの国の政治に手を出すことも,またどこにあるどの政党の党員になることもできません。神から遣わされた大使ですから,どの国で「王国のこの良いたより」を宣べ伝えていようと,彼らは「外国人また寄留者」です。『わたしたちの市民権は天にある』(フィリピ 3:20,21)というパウロの言葉を心に銘記している彼らは,政治問題に干渉する権利が自分たちにないこと,またはそのような権限を与えられていないことを認識しています。彼らは国や地方の政治,またこの世の利己的な闘争に対して,厳正中立を守らなければなりません。

24 法をよく守るにもかかわらず,これらの「大使」は,エフェソス 6章19,20節のパウロの言葉が示しているように,世でどんな経験をしますか。

24 ですから彼らは,税金を払い,地域社会の最善の益となるように行動する,法を最もよく守る人々です。しかし,キリストの代理をするこれらの大使は,キリストご自身がそうであったようにこの世から憎まれます。(マタイ 22:11。ローマ 13:1-7)したがって,パウロが,コリント第二 5章19-21節にあるようなことを書いてからわずか6年ほど後に,イタリアのローマで投獄されていても不思議ではありません。このためにパウロは,小アジアのエフェソスにあった会衆に,わたしのために祈ってほしい,と書き送っています。「わたしが口を開くときに話す能力を与えられ,少しもはばかりのないことばで良いたよりの神聖な奥義を知らせることができるようにです。その良いたよりのために,わたしは鎖につながれた大使となっています」― エフェソス 6:19,20。

25 人がクリスチャンの大使の役目を遂行するには何が必要ですか。また財産についてのどんな知識を念頭に置いていることが必要ですか。

25 1,900年前と同じく,今日でも,「キリストの代理をする大使として,神に背を向けている人々の中で奉仕するには,そのような苦しみに耐えることが必要です。パウロはわたしたちへの手本として忠実に耐えました。彼は大使の職を,クリスチャンの奉仕の務めを続行しました。彼はこう言いました。「多大の忍耐と,患難と,窮乏と,困難と,殴打と,獄と」その他「あらゆる事において自分を神の奉仕者として推薦するのです」。(コリント第二 6:4,5)パウロは,共に苦しむ者でしたから,キリスト教徒になったユダヤ人の兄弟たちに対し,彼らが初めて聖書の真理の光を得たときに大いに忍耐したと同じく,忍耐し続けるように告げることができました。地の物質的財産は失ったかもしれませんが,それでも彼らは,そして彼も,「さらに勝った,永続する所有物」を有していました。―ヘブライ 10:32-34。

26 なぜクリスチャンの大使と使者たちはまだ忠実に忍耐し続ける必要がありますか。

26 キリストの代理をする,神から遣わされた大使または使者としてのわたしたちエホバのクリスチャン証人は,今日この忍耐力を養う必要はないでしょうか。確かにあります。わたしたちは忍耐し続ける必要があるからです。1914年に異邦人の時が終了してからこのかた,わたしたちは敵意を抱く世で多くの迫害や虐待を受けてきました。義が永遠に宿る「新しい天と新しい地」に関する神の約束の成就を実感するまでには,まだそのような経験がたくさん前途に控えています。(ペテロ第二 3:13)この約束の成就はしだいに近づいています。西暦1914年から1918年までの第一次世界大戦以来,神の大使と使者たちに対するそうした多くの不正な迫害が行なわれたこの世代は,注意すべき世代です。なぜですか。この世代は,新しい正義の事物の体制をもたらすという約束を神が成就されるのを見るからです。(マタイ 24:34。マルコ 13:30)ですからわたしたちは確信を抱いて忠実に忍耐し続けましょう。

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