ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 民主主義政体と共産主義のまっただ中における神権組織
    ものみの塔 1972 | 2月15日
    • がいたことを思い出させます。医師ルカの記録はこう述べているからです。「わたしたちがエルサレムにはいると,兄弟たちはわたしたちを喜んで迎えてくれた。しかしそのあくる日,パウロはわたしたちとともにヤコブのもとに行った。すると,年長者たちすべてが居合わせていた」。イエス・キリストの異父兄弟ヤコブもそれら「年長者たち」のひとりでした。ガラテヤ書 2章9節(口語)でパウロは,ヤコブのことを霊的な柱としてこう述べています。「柱として重んじられているヤコブとケパ[ペテロ]とヨハネは,交わりの手を差し伸べました」。

      27 テモテ前書 5章17節によれば,二倍の尊敬を受けるにふさわしいとみなされたのはだれですか。なぜですか。だれの祈りは特に有益でしたか。

      27 会衆の「年長者たち」(プレスビターまたは長老たち)が公式の性格を帯びていることを証するものとして,使徒パウロは西暦61年から64年ごろの間に,テモテにあてて次のような指示を書き送りました。「良い指導をしている〔年長者たち〕,特に話すことと教えとのために労している〔人たち〕は,二倍の尊敬を受けるにふさわしい者としなさい」。(テモテ前 5:17,口語〔新〕)つまり,年長者たちは会衆を公式に主宰し,話すことと聖書を教えることに努めたのです。ヤコブ書 5章14節(新)によると,それら「年長者たち」の祈りは特に有益でした。

  • 神権組織内の任命された役員たち
    ものみの塔 1972 | 2月15日
    • 神権組織内の任命された役員たち

      1 会衆のすべての成員が「長老たち」であるかどうかについて,ペテロ前書 5章1-3節はどんな質問を提起しますか。

      西暦62年から64年ころ,メソポタミアのバビロンにいた使徒ペテロは,「年長者たち」について書きしるすことがありました。こう述べています。「そこで,あなたがたのうちの〔年長者たち[プレスビターつまり長老たち]〕に勧めます。わたしも,〔年長者〕のひとりで,キリストの苦難についての証人であり,また,やがて現われようとする栄光にあずかる者です。あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく,神に従って自ら進んでなし,恥ずべき利得のためではなく,本心から,それをしなさい。また,ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで,むしろ,群れの模範となるべきです」。(ペテロ前 5:1-3,口語〔新〕)さて,もし「神の羊の群れ」の全員が「長老たち」とみなされるのであれば,『あなたがたのうちの年長者たち』についてペテロが話すことにどんな意味があるでしょうか。さらに,神の羊の群れが「あなたがたにゆだねられている」つまり「年長者たち」にゆだねられていると,どうして言えるのでしょうか。羊の群れが全員「長老たち」であり,したがって,すべての人が牧者ならば,彼らはどのようにして「神の羊の群れを牧」するのですか。

      2 ここでペテロから話しかけられている人たちは公式な「年長者たち」であったに違いありません。なぜですか。西暦33年のペンテコステにさいして,エルサレム会衆は何人の「年長者たち」を持って発足しましたか。

      2 使徒ペテロは自分を「年長者」に属するもの,つまり,自分が語りかけている「年長者たち」のひとりとしています。したがって,ペテロが公式な意味での「年長者」だったのであれば,彼の語りかけている人たちもやはり公式の「年長者たち」であったということになります。イエス・キリストの使徒であるならば,その者は当然公式の「年長者」であるべきです。ゆえに,西暦33年のペンテコステの日にクリスチャン会衆が発足した際,そこには12人の公式の「年長者たち」,すなわちイエス・キリストの12使徒がいました。(使行 1:13–2:37)それら使徒たちはすべて,ペテロと同様おのおの「キリストの苦難の証人」でした。なぜなら,イエスのバプテスマの時から昇天に至るまで,彼らは交わりをともにしたからです。(使行 1:21,22。ペテロ前 5:1)それら使徒たちは公式の「年長者たち」として西暦33年のペンテコステ以降,「話すことと教えることに労し」ました。―テモテ前 5:17,新。使行 2:37-42; 4:33。ヨハネ第二 1とヨハネ第三 1とを比較してください。

      どのようにして「年長者たち」とされたか

      3 (イ)12人の使徒はどのようにして「年長者」とされましたか。(ロ)使徒行伝 14章によれば,当時,他の諸会衆のためにも「年長者たち」が立てられましたが,何に関連してそのことがわかりますか。

      3 イエス・キリストの使徒たちの中で忠実だった11人の者たちは,使徒になる前からイエスの弟子であり,中にはイエスによって任命される前に1年以上も弟子であった者がいました。(ヨハネ 1:35–2:2。マタイ 4:12-22; 10:1-4。ルカ 6:12-16)したがって,彼らはイエスによって任命されて「年長者たち」(プレスビターつまり長老たち)とされたのです。後日,イエスの昇天後,くじによってマッテヤという人が12番目の使徒に選ばれました。ですから,この任命は人間の手によるものではありませんでした。(使行 1:15-26)エルサレム会衆のそれ以後の「年長者たち」,さらに,西暦33年のペンテコステ以後に設立された他の会衆の「年長者たち」は,どのようにしてその職につけられたのですか。それは使徒行伝 14章に示されています。バルナバと第1回の宣教旅行に出かけた使徒パウロは,遠くデルベ,イコニオム,ルステラ,ピシデヤのアンテオケ,小アジアにおもむき,それらの地で諸会衆を設立しました。そしてその帰路,ふたりはそれら新しい会衆を訪問しました。

      4 パウロとバルナバの訪問を再び受けた諸会衆に,どのように「年長者たち」が立てられましたか。この方法はどうして神権的であったといえますか。

      4 新しく設立されたそれら諸会衆には,どのようにして「年長者たち」が置かれたのですか。使徒行伝 14章22,23節(新)は次のように告げています。パウロとバルナバは,「弟子たちの魂を強め,信仰のうちにとどまるよう彼らを励まして言った,『わたしたちは数多くのかん難を経て神の王国にはいらねばなりません』。なおまたふたりは,彼らのために[各]会衆に年長者たちを任命し,断食をして祈りをささげ,彼らをその信じたところのエホバに委ねた」。このことから明らかなように,諸会衆は成員間の人気投票あるいは選挙によって,独自に「年長者たち」を立てたのではありません。つまり,「年長者たち」のこの任命方法を「民主的」と呼ぶわけにはいきません。パウロはイエス・キリストにより使徒として選ばれたのであり,彼とバルナバは神の聖霊のさしずによって,アンテオケからの宣教旅行に派遣されていたのです。したがって,彼らが諸会衆に「年長者たち」を任命したのは神権的なことでした。―使行 13:1-4。

      5 クレテの諸会衆に関して何をするようパウロはテトスに書き送りましたか。テトスはどんな資格に注目しなければなりませんでしたか。

      5 それから何年か後,つまり西暦61年から64年の間に ― それはパウロがローマにおける最初の投獄から釈放された時期に当たりますが,当時クレテ島にいた自分の仲間の働き人テトスにあてて,パウロはこう書き送りました。「あなたをクレテにおいてきたのは,わたしたちがあなたに命じておいたように,〔欠けている事柄を正〕してもらい,〔都市ごとに年長者たち〕を立ててもらうために

日本語出版物(1954-2025)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする