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  • 「堅い信仰」を保ちつづける
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
塔80 11/1 17–22ページ

「堅い信仰」を保ちつづける

「霊感のことばは,のちの時代にある者たちが信仰から離れ去(る)……ことを明確に述べています」― テモテ第一 4:1。

1 信仰から離れ去る人がいるとしても,わたしたちは必要以上の衝撃を受けるべきですか。

自分の知っているクリスチャンが疑いに屈して熱意を失い,反抗的にさえなって,クリスチャン会衆を捨て,他の人を自分の側に引き込もうとするのを見聞きするとき,あなたなら大きな衝撃を受け,必要以上に動揺しますか。確かにそれは悲しい出来事ですが,聖書が前もってそうした事柄について警告していたことを知れば慰めを得られるでしょう。

2,3 (イ)「背教」という語にはどんな意味がありますか。最初の背教者はだれでしたか。(ロ)背教の道はイスラエルとユダに何をもたらしましたか。

2 英語の「背教」という語は,ギリシャ語に由来しており,そのギリシャ語には「あるものから離れている」,「離れ去る,変節」,「反抗,放棄」などの意味があります。エホバへの真の崇拝から離れ去った最初の者はサタン悪魔でした。ですから,サタンは最初の背教者であると言えます。(ヨハネ 8:44)サタンは最初の人間夫婦をそそのかし,背教者とならせました。(創世記 3章)イスラエルの歴史のごく初期のころに,真の崇拝から「離れ去る」,つまり真の崇拝から『それてゆく』ことが起こりました。こう書かれています。

「その裁き人にさえ彼らは聴き従わず,ほかの神々と不倫な交わりを持ってこれに身を屈めるようになった。彼らは,その父祖たちがエホバのおきてに従って歩んだ道から速やかにそれて行った」― 士師 2:17,新。

3 後日,イスラエルとユダの王たちの多くは背教者となり,自分の治める国民を背教の道へと導きました。神は,「背教の国民[イスラエル]に向かってわたしは彼[アッシリア]を遣わ(す)」と述べ,まず北のイスラエル王国を処罰されました。(イザヤ 10:6,新)また,ユダの首都であるエルサレムがバビロニア人に滅ぼされる直前には,「エルサレムの預言者たちから背教がこの全土に出て行った」とエホバは言われました。(エレミヤ 23:15,新)背教,つまり真の信仰から離れ去ることは,確かにイスラエルにも,ユダにも祝福をもたらしませんでした。

初期クリスチャンの間に生じた背教

4 イエスは背教者に注意するようどんな警告を与えられましたか。

4 イエスはその地上における宣教の初めのころ,追随者たちに背教者に注意するよう警告されました。イエスは山上の垂訓の中でこう言っておられます。

「狭い門を通ってはいりなさい。滅びに至る道は広くて大きく,それを通ってはいって行く者は多いからです。一方,命に至る門は狭く,その道はせばめられており,それを見いだす者は少ないのです。羊のおおいをかぶってあなたがたのもとに来る偽預言者たちに警戒していなさい。内側では,彼らはむさぼり食うおおかみです。あなたがたは,その実によって彼らを見分けるでしょう」― マタイ 7:13-16。

5 パウロは背教者について何と述べていますか。

5 その25年後,パウロはエフェソスのクリスチャンの長老たちにこう警告しました。「わたしが去ったのちに,圧制的なおおかみがあなたがたの中に入って群れを優しく扱わないことを,わたしは知っています。そして,あなたがた自身の中からも,弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事がらを言う者たちが起こるでしょう」。(使徒 20:29,30)パウロは自分の書き記した霊感による最後の書物の中で,1世紀の背教者の名を何人か挙げています。パウロはテモテにこう警告しました。「聖なる事がらを汚すむだ話からは遠ざかりなさい。そうした者たちはいっそうの不敬虔へと進み,そのことばは脱疽のように広がるからです。ヒメナオとフィレトがその中にいます。この者たちは真理からそれ……ある者たちの信仰を覆しているのです」。「銅細工人アレクサンデルはわたしに多くの危害を加えました。……彼に警戒しなさい。彼はわたしたちのことばにはなはだしいまでに逆らったからです」。―テモテ第二 2:16-18; 4:14,15。

6 典型的な背教者を見分ける特徴を幾つかあげてください。

6 イエスとパウロの与えたこうした警告を分析すると,典型的な背教者を見分ける次のような特徴が浮かび上がってきます。

(1)真理からそれている

(2)ねじ曲げられたむだ話

(3)ある者たちの信仰を覆そうとし,弟子たちを引き離して自分につかせようとする

(4)偽善(『羊のおおいをかぶったおおかみ』)

(5)その実によって見分けることができる。そうした者たちは,『いっそうの不敬虔へと進む』

そのような徴候となるしるしは,初期クリスチャンが背教者をすぐに見分け,『そうした者たちに警戒している』ために与えられたものでした。

「のちの時代」における背教

7 大規模な背教はいつ起きましたか。そのことはどの聖句の中で予告されていましたか。

7 キリストの使徒たちがまだ生きている間に,『すでに作用していた』背教は,「のちの時代」,すなわち使徒たちの死後に盛んになりました。五つの徴候となるしるしは,2世紀以降いよいよ明らかになり,4世紀になってその頂点に達しました。この大規模な背教は「イエス・キリストの臨在」と「エホバの日」の前に起きることになっていました。―テサロニケ第二 2:1-12。

8,9 (イ)ペテロは終わりの日に関するどんな警告を与えましたか。(ロ)これらの「あざける者たち」や「無法な人々」は,クリスチャン会衆外にだけいるのですか。

8 しかし,ほかの聖句は,現在の事物の体制の「終わりの日」の間にさえ,真のクリスチャン会衆の内部で背教の起きることをはっきりと示しています。使徒ペテロはこう書き記しています。

「終わりの日にはあざける者たちがあざけりをいだいてやって来るからです。その者たちは自分の欲望のままに進み,『この約束された彼の臨在はどうなっているのか。……』と言うでしょう。……したがって,愛する者たちよ,あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから,無法な人びとの誤りによってともに連れ去られ,自分自身の確固たる態度から離れ落ちることのないように警戒していなさい」― ペテロ第二 3:3,4,17。

9 ペテロは単に世の「あざける者たち」や「無法な人びと」について兄弟たちに警告していたわけではありません。クリスチャンはいつでも,その方面からの危険には十分気づいていました。ペテロは,クリスチャン会衆内で「あざける者」となる人物により『連れ去られる』危険についても語っていたのです。そのような者たちは,キリストの「臨在」に関する預言の成就を軽んじ,「忠実で思慮深い奴隷」やクリスチャン会衆の統治体や任命された長老たちに対して無法な態度を取ります。

背教の原因と結果

10,11 (イ)背教の一つの重要な原因は何ですか。(ロ)「疑う」と訳されるギリシャ語にはほかにもどんな意味がありますか。背教者はどのように自らを裁き人にしますか。

10 背教の種々の原因の中で筆頭にあげられるのは,何といっても,疑いによる信仰の欠如です。(ヘブライ 3:12)興味深いことに,新約聖書神学新国際事典は,よく「疑う」と訳されるギリシャ語動詞について次のような説明をしています。「ディアクリノー,区別する,裁く,……; 疑う,疑念を抱く。……[新約聖書]のある節は,疑いを信仰の欠如,したがって罪として表わしている。(ローマ 14:23)……ローマ 4章20節の脚注では疑いは不信仰に近くなっている。……このように,疑いとは,神がなおこれから遂行しようとしておられる業で,人間がまだ待たねばならないものに対する信頼の欠如を表わしている。……新約聖書の中で,疑う者は神とその約束に対して罪を犯す者である。その者は,不当に神を裁いているからである」。

11 そういうわけで,疑いを深めて背教にまで至る人は,自らを裁き人にしています。そのような人は,自分が仲間のクリスチャンたちよりも,また「忠実で思慮深い奴隷」よりも物事をよく知っていると考えます。ところが,その人がエホバ神とその目的について知っている事柄の全部ではないにしても,その最善のものは,「忠実で思慮深い奴隷」を通して学んだものなのです。その人は独立の精神を育み,「心に誇る者……エホバにとって忌むべきもの」となります。(箴 16:5,新)背教者の中には,神の目的が遂行される際の物事の順番について,神よりも自分のほうがよく知っていると考える者さえいます。ですから,背教を引き起こす他の二つの原因は,感謝の念の欠如と僣越さです。―ペテロ第二 2:10後半-13前半。

12 反逆と背教のもたらす結果にはどんなものがありますか。

12 背教の道が生み出す結果のうちすぐに現われるものの一つは,喜びを失うことです。背教者はその反逆的な気持ちを固めるようになります。もう一つの結果は,「忠実で思慮深い奴隷」の備える霊的食物を取り入れなくなることです。これは霊的弱さと霊の衰えを招きます。ご自分に忠節な僕の幸福な状態と背教者の悲しむべき状態を対照させて,エホバは預言的にこう述べておられます。

「見よ! わたしの僕たちは食べるが,あなたがたは飢える。見よ! わたしの僕たちは飲むが,あなたがたは渇く。見よ! わたしの僕たちは歓ぶが,あなたがたは恥じる。見よ! わたしの僕たちは心の良い状態のために喜び叫ぶが,あなたがたは心の痛みのために叫びを上げ,霊の衰えのために泣き叫ぶ」― イザヤ 65:13,14,新。

13 「主たる者の地位を見下す」とはどんな意味ですか。それはどんな結果に至りますか。(ユダ 8,10)

13 背教者は,「敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派」などの肉の業に屈した後,「酔酒」や「不品行」や「淫行」など,他の肉の業のえじきになるのが普通です。(ガラテア 5:19-21)ペテロは神権的な秩序を見くびることによって「主たる者の地位を見下す」者や,クリスチャン会衆内で責任をゆだねられた者について「あしざまに言い」,その結果,『まっすぐな道を捨てる』者たちについて警告しています。ペテロは,「そうした者たちにとって,最終的な状態は最初より悪くなっているのです」と述べています。―ペテロ第二 2章を注意深くお読みください。

『信仰から離れ去ること』を避ける方法

14,15 どうすれば僣越な行為に走らずにすみますか。

14 ここまでで,背教の主な原因の一つが,破壊的な疑いによって引き起こされる信仰の欠如にあること,また「疑う」と訳されているギリシャ語の言葉には,「区別する」という意味もあることが分かりました。背教者は自らを決定権を持つ者に仕立て上げ,霊的な食物について,何が真実で,何が偽りであるか,何が「善また悪」であるかを自ら定めようとします。こうして僣越な者となるのです。―創世 2:17; 3:1-7と比較してください。

15 ですから,信仰から離れ去ることがないようにするため,クリスチャンは,「容易に絡みつく罪」である信仰の欠如に用心し,『自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走ら』なければなりません。(ヘブライ 12:1; 3:12,19)パウロは次のような助言をわたしたちに与えています。「自分が信仰にあるかどうかを絶えず試しなさい。自分自身がどんなものであるかを絶えず吟味しなさい」。(コリント第二 13:5)パウロは「信仰」について疑うことを勧めているのではなく,自分が信仰にふさわしく生活しているかどうか自らを吟味してみるよう勧めているのです。そのようにして正直に自己吟味をしてみれば,慎みと謙遜さで満たされるはずです。そうすれば,独立の精神の表われであり,僣越な行為である背教に走らないよう保護されるでしょう。

16 (イ)他のどんな落とし穴を避けるべきですか。(ロ)ベレアのユダヤ人からどんな二重の教訓を学べますか。

16 信仰から離れ去らないようにするには,感謝の念が欠如しないよう自らを守ることも必要になります。「忠実で思慮深い奴隷」を通して与えられる豊かな霊的食物に感謝しなければなりません。(マタイ 24:45)とは言っても,物事を行なってゆくに際してそれを確かめるべきではないというわけではありません。この点で,ベレアのユダヤ人から二重の教訓を学ぶことができます。彼らは,確認する意味で,「それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べ」ましたが,同時に,「おうよう」でもありました。というのは,「きわめて意欲的な態度で[パウロとシラスによって宣べ伝えられた]みことばを受け入れ」たからです。―使徒 17:11。

17,18 わたしたちは何を識別できなければなりませんか。この点につきパウロはどんな助言を与えていますか。

17 学ぼうとする,そのような感謝の念に基づく意欲は,愛を培い,十分な識別力の伴った正確な知識を身につけるのに役立ちます。そして今度は,そうしたクリスチャンの特質によって,非常に重要な事柄と余り重要でない事柄を識別できるようになるのです。自分には理解しにくく思える幾つかの点は本当に重要な事柄でしょうか。それは,「奴隷」級の助けを得てわたしたちの学んできた真に重要な事柄に影響するものでしょうか。それは,わたしたちを,また他の人々をもつまずかせるほどの問題ですか。それはわたしたちがクリスチャンの実を結ぶのを妨げるでしょうか。

18 パウロは次のように助言しています。「わたしはこう祈りつづけています。あなたがたの愛が,正確な知識と十分な識別力に伴って,いよいよ満ちあふれるようにと。それは,あなたがたがより重要な事がらを見きわめるようになり,こうして,キリストの日に至るまできずなく,他の人をつまずかせることなく,また,イエス・キリストによる義の実に満たされて,神の栄光また賛美となるためです」― フィリピ 1:9-11。

『疑う者たちを火の中からつかみ出す』

19 (イ)そのほかにどんな区別をする必要がありますか。(ロ)人をさらに築き上げるどんな諭しをユダは与えていますか。

19 わたしたちは,『ある者たちが信仰から離れ去る』との警告を受けているのですから,「聖なる者たちに一度かぎり伝えられた信仰のために厳しい戦いをする」備えをしていなければなりません。(テモテ第一 4:1。ユダ 3)しかしここでペテロ第二 2章に挙げられている,問題を引き起こす背教者と,信仰の点で弱くなり,正確な知識が欠けているために疑いを抱いているクリスチャンとを区別する必要があります。ユダはそのような区別をしています。ユダは,『人物を賞賛する』『つぶやく者や不平を言う者』について,また,「分離を起こす者」である「あざける者たち」について警告したのち,こう述べています。「自分を神の愛のうちに保ちなさい。そして,永遠の命を目ざしつつわたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ちなさい。また,疑いをいだく者たちには引き続きあわれみを示しなさい。彼らを火の中からつかみ出して救いなさい」― ユダ 16-23。

20 疑いを抱く人をどのように助けるべきですか。彼らが援助を拒み『信仰から離れ去る』場合はどうですか。

20 そうです,そのような疑いを抱く人々には,破壊的な疑いによって焼き尽くされてしまう危険があることを示さなければなりません。彼らのクリスチャン兄弟たち,中でも特に長老たちは彼らを援助するよう努め,可能であれば,霊的にその人を滅ぼしかねない「火」の中から当人をつかみ出さなければなりません。そのような忍耐強い,愛ある援助を受け付けず,本当に『信仰から離れ去る』人のことで,不必要に動揺すべきではありません。わたしたちは使徒ヨハネ同様,「彼らはわたしたちから出て行きましたが,彼らはわたしたちの仲間ではありませんでした。わたしたちの仲間であったなら,わたしたちのもとにとどまっていたはずです」と言います。―ヨハネ第一 2:19。

最後の最後まで「堅い信仰」を保つ

21,22 (イ)信仰に強くあり続けるよう,ペテロはどんな励ましを与えていますか。(ロ)霊的イスラエルと「大群衆」は,それぞれの希望の実現を見るために何を行ない続けるべきですか。

21 わたしたちすべてが『信仰から離れ去る』ようサタンが望んでいることに疑問の余地はありません。それでペテロは次のように諭しています。

「堅い信仰をもって彼に立ち向かいなさい。苦しみを忍ぶ点での同じことが,世にいるあなたがたの仲間の兄弟全体の中で成し遂げられているのを,あなたがたは知っているからです。しかし,あなたがたがしばらくのあいだ苦しみに遭ったのち,キリストとの結びつきにおいてあなたがたをご自分の永遠の栄光に召された,あらゆる過分のご親切の神は,自らあなたがたの訓練を終え,あなたがたを確固とした者,強い者としてくださるでしょう」― ペテロ第一 5:8-10。

そうです,「永遠の栄光」のうちにキリストと共に統治するよう召された霊的イスラエルの人々は,『自分の冠をだれにも取られたくない』と思うなら,「試みの時」に忠実を保たなければなりません。―テモテ第二 2:10。啓示 3:10,11。

22 その仲間である大群衆の成員も,『大患難から出て来たい』と思うなら,「堅い信仰」を保たなければならないことに気付いています。(啓示 7:9,10,14)天への希望を持つクリスチャンと地上に回復された楽園で永遠に生きることを希望するその仲間たちは,いずれも,「王国のこの良いたより」を忠実に伝え続けることを決意しています。(マタイ 24:14)今年,1980年に至るまで,世界の数多くの土地で得られた優れた増加は,エホバの祝福がその組織の上にあり,行なわれるべき業がまだ残っていることの証拠です。ですから彼らは,パウロの次の助言に注意を払います。「りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです」― ガラテア 6:8,9。

23 「堅い信仰」を保ちつづけるための「強い励み」をわたしたちすべてに与えるものは何ですか。

23 わたしたちは「終わりの日」に関して予告されていた事柄が眼前で起きるのを見ているのですから,「大患難」と神の義の新秩序の幕開けが間近に迫っているという強い確信を抱くことができます。間近い将来に横たわる,天における,また地の楽園におけるすばらしい祝福は,「自分の前に置かれた希望をとらえる」ために最後の最後まで「堅い信仰」を保ち続ける上で,「強い励み」となります。―ヘブライ 6:17-19。

「しかし,愛する者よ,あなたがたは,自分のいだくきわめて聖なる信仰の上に自らを築き上げ,聖霊をもって祈ることにより,自分を神の愛のうちに保ちなさい。そして,永遠の命を目ざしつつわたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ちなさい」― ユダ 20,21。

[19ページの囲み記事]

原因

信仰の欠如

独立の精神

感謝の念の欠如

僣越さ

[19ページの囲み記事]

結果

喜びが失われる

反逆的な態度

霊的な栄養分の欠如

肉の業

[21ページの図版]

「彼らを火の中からつかみ出して救いなさい」

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