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  • 海で起きた悲劇
    目ざめよ! 1978 | 6月8日
    • およびその夫妻の幼い娘の身に起きたことは非常に悲しみました。

      もしあなたがデイアの親族の方であるか,または彼の地方の人,あるいはこの事件に関心を持つだけの人であっても,すべてが失われたのでないことをお知りになって,心の慰めとしてください。三人の死は確かに大きな打撃でした。ダビデ王の息子の場合に言われた通り,死者を連れ戻すことはどの人間にもできません。(サムエル後 12:23)しかしジャックが言ったように,「私たちはエホバ神が死者を復活させてくださることを知っています」。(使徒 24:15)ジャックは,彼らが死の眠りについているだけであること,そして神が彼らを覚えていて,眠りから覚ましてくださることを知っています。―ヨハネ 11:11-13。

      愛するデイア,クルクルおよび娘さんの親族の方々,また同様の不幸を経験された他の方々も皆,啓示 20章13節の使徒ヨハネの言葉から慰めを得てください。その部分で彼は,復活の幻の中で自分が見た出来事を叙述しています。『そして海はその中の死者を出し,死とハデスもその中の死者を出した』。それが何を意味するかを考えてください! 彼らが海で死んだことも,全能者にとっては別にむずかしい問題とはならないのです。悲劇や不幸に遭うと絶望的な気持ちになりがちですが,聖書の約束はその代わりに次のような確かな期待で私たちの心を満たしてくれます。それはもし私たちが救いのための神の備えに信仰を働かせるなら,私たちは愛する者たちと再会できるということです。この再会こそジャックとウィリアムが,この海の悲劇で失った愛する友人たちのことを思いながら待ち望んでいるものなのです。

  • その風習の背後にあるもの
    目ざめよ! 1978 | 6月8日
    • その風習の背後にあるもの

      世界の様々な土地では埋葬式の際に,棺の下ろされた墓穴の中にシャベルに1杯または3杯の土を投げ入れることが習慣的な儀式になっています。この風習の背後には何がありますか。

      10巻からなる迷信に関するドイツの著作,ドイツの迷信に関する中辞典は,これが色々な理由で行なわれているとして次のように説明しています。「死人のことを忘れやすくなり,その結果死者の安息が増し加わるのかもしれないし,または死者が少しでも退屈しないようにするためかもしれない。ブルガリアでは親族が土を投げ入れることによって魂を買い戻す。司祭が一つかみの土を墓の中に投げ入れる時,魂は肉体を離れる」。(第一巻,984ページ)フンクとワグノールの民間伝承,神話,伝説の標準辞典はある北アメリカのインディアンの葬式の際,彼らが“死者の霊”をなだめるため墓穴の中に何かを投げ入れると注解しています。この辞典はこうつけ加えています。「土や泥,ほこりや灰を墓穴に投げ込む広範囲に及ぶ風習の背後には,恐らく同じ思想があるものと思われる」― 第一巻,427,428ページ。

      土を墓の中に投げ入れる習慣に聖書的な根拠はありません。聖書は死者についてこう述べています。「また,彼らの愛も憎しみもねたみもすでに滅びてしまっており,彼らは日の下で行なわれるべき何事についても,定めのない時に至るまでもはや何の分も持たない」(伝道 9:6,新)それで死人の霊をなだめる儀式には何の価値もありません。死人は文字通り死んでおり,神のご予定の時に起きる命への復活を待っています。聖書はわたしたちにこう保証しています。「義者と不義者との復活があるということです」― 使徒 24:15。

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