-
見知らぬ人のいない世界ものみの塔 1961 | 7月15日
-
-
と誓いました。したがって,彼らの平和は豊かなものです。―イザヤ 2:3,4。
見知らぬ者の現代の意味を取りのぞくのに貢献する別の要素は,「死もない」という事実です。(黙示 21:4,新口)死がなくなると,人々が互いに知り合う時間は十分あるでしょう。「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである」。―ヨハネ 3:16; 10:28,新口。
しかし,人が死なないなら,地は間もない中に人口過剰になるのではないでしょうか。そのようなことはありません。この悪い世を終わらせる神の戦争ハルマゲドンは,この地上の人口を激減させるでしょう。聖書によると「わずかの者」がその戦争に生き残ります。(イザヤ 24:6。黙示 16:14,16)しかし,生き残るわずかの者は,結婚して子供を産むでしょう。また,「義者と不義者」の復活もあります。(使行 24:15)地が適当な数の人間でいっぱいになるとき,おそらく子供を産むことがなくなるでしょう。地上の住民は,この地を永遠の楽園にする平和的な仕事をするのに忙しいでしょう。
預言者や使徒たちが預言した新しい地では,人類は心身ともに完全にされます。人間家族は完全な頭脳の力が与えられるので,会うすべての兄弟姉妹の名前を記憶することができます。各人は他の者に興味を持ち,互いの福祉を求めるでしょう。時たつうちにいちばん遠くに住む人も知られるようになります。彼はもはや見知らぬ人ではないでしょう。「永遠の父」の指導の下に,人間家族は,平和と幸福のうちに繁栄します。それこそ,この地に対する神の変わらざる目的であります。―イザヤ 9:6。詩 72:1-8。
したがって,この地は必ず変化します。変化が来るということに疑いをさしはさむ余地はすこしもありません。その変化の来ることは,人間の空想や無私の精神に依存するのでなく,むしろ神の知恵と力に依存します。神のつくりたまう新しい地で人々が繁栄するにつれて,人間種族の保護者は神であって人間でないということが明白になるでしょう。「見よ,神の幕屋が人と共にあり,神が人と共に住み,人は神の民となり,神自ら人と共にいまして……」とは,霊感された約束です。残されているただひとつの質問は,私たちはそこにいてそれを楽しむか,ということです。私たちがいるかどうかは,「すべてのものを新しく」すると誓われた神と私たちの関係如何によります。―黙示 21:3-5,新口。
-
-
真の開拓者 ― ドミニカにてものみの塔 1961 | 7月15日
-
-
真の開拓者 ― ドミニカにて
ドミニカは,山や谷や,川の多い島で,まともな道路を通っては行けない村がたくさんあります。この島の兄弟たちは,歩くことはよくきたえられていて,多くの場所に行くことができます。巡回の僕が訪問した週,伝道者たちは,伝道の楽しい一日を終えて徒歩で家に帰る途中,その日の朝伝道した村を通りました。その時,若い女の人が,その朝配布した「御国のこの良いたより」を読んでいたのを見ました。昨年中,聖書研究の合計数は32パーセント増加しました。ふたりの姉妹は,休暇をとって,孤立した地域で開拓奉仕をしました。最初の週はうまくいったのですが,2週間目に,怒った司祭たちが彼女らに反対し,2回も女家主に彼女たちを追い出させようとしました。ところが,最初の週の間に,暖かい友情と,家主の親切なもてなしに対するふかい感謝とで堅い基礎ができていたので,これが司祭たちの攻撃に対して防波堤となり,その親切な婦人は彼女たちを追い出しませんでした。かんかんに怒った司祭たちは,多くの村人を集めて一つの巡礼団をつくり,ロザリオをくりながら,彼らの女神処女マリヤを大声にたたえつつ町をねり歩きました。それから彼らはチャペルの広場に集まり,ひとりの司祭が,その二人の姉妹をとめた婦人と,エホバの証者から書籍を求めた人々にのろいの言葉をはきかけました。しかしながら,そののろいは祝福に変わったようでした。なぜかというと,その姉妹たちは,全部の人がカトリック教徒の区域で,多くの人々が文盲で文なしの区域で,24冊の書籍と多数の雑誌を配布したからです。―1961年のエホバの証者の年鑑より
-