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その17 第二次世界大戦中のクリスチャン中立者たちものみの塔 1956 | 3月1日
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の御意を行つていると思つて,極端な苦しみにも甘じて耐えました。……この万国聖書研究者は聖書からその教理を説明し,ドイツ国内の各地に数多くの会員を有しているが,彼らは兵役を拒否するためナチス秘密警察によりつけ狙われている。これら不遇の民は,ユダヤ人と同様にひどい待遇をうけている。』
1939年11月15日に,協会のロンドン事務所は,議会,宗教指導者,地方行政官,新聞社などに次のような声明文を送りました。
『ヱホバの証者は,何処にすむものであろうと,その国の法律とか慣習を重じ,神に奉仕することを求め,万人に善意を抱いています。もし人がヱホバの証者を裁いて不忠の非難を浴せる場合は,人の作つた法律が聖書に反するものであり,また全能の神にだけ帰すべき崇拝を人に捧げさせようとしている場合です。現在起きている出来ごとについてのヱホバの証者の立場は,同封されている「ものみの塔」からの要約のパンフレットに明白にされています。またこのパンフレットは証者がつねに申立を保つている理由及びどんな種類の兵役をも拒否している理由とを明らかにしております。イギリス内の幾千というヱホバの証者のために,協会は証者の立場を明瞭にすることを希望しています。最高の神の僕として,私たちもドイツの兄弟たちと同じく,絶対の中立を保ちます。私たちの献身,奉仕,忠節はひとしくヱホバの神権政府に捧げられ,ヨハネ伝 17章16節の言葉「私が世のものでないように,彼らも世のものではありません。」に従つて行動します。』
この声明文は,兵役につかなかつたため迫害されているドイツの証者の実情を明らかにしたイギリス政府の白書にも言及しています。(つづく)
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発表ものみの塔 1956 | 3月1日
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発表
特別になぜ熱心になるか
ヱホバの証者は,大会の出席について熱心な態度を示します。今年の4月21,22,23日,日本にいる幾百人というヱホバの証者は,東京中野区公会堂で行われる大会に出席します。この時には,『ものみの塔聖書冊子協会』の会長,エヌ・エッチ・ノア氏が訪問いたします。大会で,一致は増し,愛は強められ,互いに励まし合つて熱心さは増大するでしょう。あなたも,この大会出席者の幸福な群に参加することができます。いま計画を立てて下さい! 宿舎請求書をできるだけ早く,東京都港区芝三田豊岡町1番地『ものみの塔』協会に送って下さい。なお,その際,封筒の上に,はつきり『大会用宿舎』と書いて下さい。
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読者よりの質問ものみの塔 1956 | 3月1日
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読者よりの質問
● 千年統治の終りに行われる最終の試験の後でも,人は罪を犯しますか? もし,罪を犯すなら,ヱホバはその人を死にいたらしめることができますか? 黙示録 20章14節と21章4節には,こう書かれています,『死も黄泉も火の池に投げこまれた。』そして『もはや,死もない。』― アメリカの一読者より
ここで云われている死は,アダムの罪による死です。千年統治の後に,アダムの罪による死は,人類になんらの影響をおよぼしません。むかしの影響も,死人の復活によつて消し去られてしまいます。永遠に死んでいる者,つまり第二の死の状態にいる者は,意識的な無関心か,悪を行つたために,その状態に入つています。新しい世に,アダムの罪による死はありません。
千年の終りにある最終の試験を通つたからとて,人間がロボットになるわけではありません。人間は自由な道徳人であって,自分の行動を選ぶことができます。それで,もし自分から欲してしようと思えば,人間は罪を犯すことができます。そして,罪を犯すなら,全能のヱホバはその者を死にいたらしめることができます。この死は,アダムの罪による死ではないため,前述の聖句と矛盾しません。創造主が無力で,反逆者を亡し得ない,ということはあり得ません。創造主は,全能の神です。第二の死を象徴する火の池は永遠に存在する。ということから,反逆者はみな亡ぼされてその中に投げこまれてしまうでしよう。
しかし,そのような事柄を予期する必要はありません。ヱホバは人間をつくられて,人間については何もかも御存知です。そして,人間が自分の自由を使って,どのような行をするか,ということを知るための試験の仕方も御存知です。それで,千年の終りに行われる試験は,非の打ちどころのない正しいものであるにちがいありません。この試験により,価値の無い者は,みなふるい分けられ,ただ忠実を示した信頼できる者だけが残るでしょう。ヨブの場合と同じです。ヨブについてのヱホバの判断は正しく,たとえサタンのひどい圧迫が加えられようと,ヨブは決して正道から離れないとヱホバは御存知でした。最終の試験を通つた後に罪を犯すということは,試験が不完全なものであり,またヱホバは十分正しく試験することができなかつた,ということを意味します。しかし,ヱホバの試験は,成功を収め,そして自分の自由を誤用して罪を犯す人々を取り除くという御目的をなしとげます。
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『ものみの塔』の研究ものみの塔 1956 | 3月1日
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『ものみの塔』の研究
4月1日 専心の献身 1-18 84頁
4月8日 同 19-21 及び「あなた方の仕える者を選べ」1-16 88頁
4月15日 「あなた方の仕える方を選べ 17-21 93頁 及び「私の荷は軽い」
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