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アフリカに見る現代の変わりゆく価値基準目ざめよ! 1980 | 10月8日
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アフリカに見る現代の変わりゆく価値基準
『兄たちの持ち帰った服を見,兄たちが行く末の給料のことを話し合っているのを耳にしていました。街燈や映画館,ダンスホール,女の人,頭の切れる都会人のことも聞いていました。父はわたしが町に行くことを望んでいませんでしたが,わたしは父母に別れも告げずにバスに乗り,大都会へ出ました。
『そこで目にしたものには本当に驚かされました。どうしてもっと早く来なかったのかと残念に思いました。郷里ではこうした光景を何一つ見ることはありませんでした。どの家も明かるく輝いています。胸を高鳴らせる,信じられないような活気,興奮,華やかさがあります。だれもが財をなして自信に満ち,成功しているように見えます。町の生活は楽であるに違いありません。報いは大きく,すぐにでもそれをこの手でつかむことができそうです。父の暗くて活気のないあばら家を後にして本当にうれしく思いました。そこでは,わたしは一介の少年,使い走り,雑役夫,労働者にすぎなかったのです。今のこれこそ本当の生活です』。
別の世界の喜び,つまり大都会の生活を味わおうと冒険に出たあるアフリカ人は,自分の経験の冒頭でこう語りました。
都会へ行き,より多くの物質を手に入れる見込みができれば,それが跳躍台になって幸せをつかめると思ったのです。同様に感じている人はほかにも大勢います。あなたもそう考えておられるかもしれません。アフリカで生じつつある事柄は,世界の他の土地でも既に生じたか現在生じつつあります。
思いと心に影響を及ぼす変化
きわめて質素な生活様式に満足していた思いと心が,魅力的な品々が数限りなくある生活の味を知るようになりました。その影響は,アフリカの詩集“ラウィノの歌”の詩の一つに描かれています。最近教育を受けたある男が,時計を土産に村にいる妻のところに戻って来ました。時計を見たことのなかった妻はこう言います。「この時計のおかげでわたしも鼻高々。見た目もきれい。お客が来れば,これを見て舌を巻く」。そうです,この新しい“おもちゃ”はその婦人の生活に輝きと興奮を加えただけでなく,箔を付けることにもなったのです。生活を楽にする新製品を目にして,それを望ましく思わない人がいるでしょうか。
しかし,現代の科学技術の恩恵にはいずれも“値札”が付いています。その恩恵に浴するにはお金が,それもときには多額のお金が要るのです。その物品を入手するためにどれほどの犠牲を払うつもりでいるだろうかという問題にだれもが直面します。現代の恩恵の中には,自分の価値基準をさえ犠牲にしなければそれにあずかれないものもあります。このことは,アフリカのみならず,全世界で生じてきました。
どんな貴重な価値基準が失われつつあるかをよく理解するために,幾千年にもわたってアフリカ社会の主たる特徴をなしてきた“伝統的生活様式”について簡単に調べてみることにしましょう。
伝統的な価値基準
昔のアフリカ人が数多くの傑出した工学的偉業を成し遂げてきたことは明らかです。しかし,アフリカ文化が真に成し遂げてきた事柄は別の分野に認められます。
ベイズル・デービッドソンは「アフリカの諸王国」の中でこう述べています。「華やかさや輝かしさの陰に隠れているが,アフリカの村落の単位に,つつましいながらも感銘を与えずにはおかないすばらしい業績が認められる。互いが同等の兄弟関係にあるとみなす村全体の気風,社会における行動を律する道徳基準,物質よりも生活の精神的側面を高く評価する考えなどの点において,アフリカの村落はある種の社会的調和を作り上げてきた。この社会的調和を維持するのに多くの場合,中央集権を必要としない。アフリカの真髄はまさしくこの点,すなわち社会的組織力に示されていた。……物質面の進歩よりも,人間関係における礼儀に一層の注意が払われた」。
家族生活: 外人記者向けの新聞発表の中で,伝統的なアフリカ人社会のことが次のように取り上げられていました。「若者も老人も病弱な者も,親族や同じ部族の人が一人でもいる限り,食物,住居,その他の世話を受けずに放置されることは決してない」。家族で一緒に働き,村々は基本的に言って,幾つかの“拡大”家族から成る緊密に結び合わされた一つの集団を成していました。今でもそのような村は少なくありません。子供たちは家族の関心を受けながら成長しました。
もてなし: 昔のアフリカでもてなしはごく普通の習慣でした。不意に客が訪れても歓迎されました。米国の二人の白人ジャーナリストがアフリカでも特に遅れた幾つかの部族民の間でしばらくの間生活したことがありますが,そのうちの一人は,「ヌバ族のもてなしは実にすばらしい。一度,体験してみるとよい」と書きました。他の一人はこう報告しました。『マサイ族は精神面で進んでいる。人間を重んじ,温かくてユーモアがあり,家族愛や友愛といったものを培っている。マサイ族は極めて特異なものを身に着けているように思う』。
法規範: 村にはそれぞれ首長や村の長老たちがおり,独自の司法制度が整っていました。犯罪は処罰の対象となり,犯罪者は地域社会から追放されました。安全が行き渡り,村の生活は全体として穏やかで温かみのあるものでした。
家族に対する愛,もてなしの精神,法規範 ― このすべてには確かに価値があるのではありませんか。固いきずなで結ばれた家族や友人がますます少なくなり,不法が増し加わっている冷淡な世界においてはなおのことそう言えます。アフリカの伝統的な生活では貴重なものとされてきたこれらの価値基準には何が生じつつありますか。
何が変わりつつあるのか
家族生活: 「豊かな社会に伴う諸問題が我々の戸口に迫って来ている。麻薬中毒,青少年問題,急増する離婚率などがそれである」― アフリカ人著述家,エボムヘ・オグーイベ。
「親は務めを怠っている。……アフリカ人家族の特徴であった,互いを見守り,極端に走らないよう抑制する体制は今日,全く見られない」― アフリカ人学生,フランシス・ウゾエシ。
もてなし: 「見知らぬ訪問者を信頼できない[ため],もてなしの風習は廃れつつある。訪問者は泥棒であるかもしれないのだ」。(「バンツー族の習慣」)また,現在の生活水準を維持し,自分の扶養家族の必要を賄うことに精一杯で,盛んに人をもてなす余裕などない人も少なくありません。
法規範: 「犯罪と闘う時」「この野蛮な土地」「腐敗に対する闘い」― アフリカの新聞に載った見出し。
「人々はかつてなく冷淡で利己的になりつつある。隣の家で何が起ころうと気にかけないほどである。人間は兄弟であるというアフリカの伝統的な信念とは何という違いであろう」― アフリカ人著述家,オグーイベ。
何が変化を引き起こしているのか
アフリカの南部に住む若い母親のグループに,「ビールとお金では,どちらが多くの問題を引き起こしているか」と尋ねたところ,母親たちは例外なく,その原因に「お金」を挙げました。もちろん,金銭そのものではなく,それを得る方法,またその用い方に問題があるのです。
例えば,多くのお金を得ようとして,畑の耕作と子供の養育を妻に託して,自分は遠くの町に行く人がいます。長い時間独りで過ごすため,過度の飲酒や不道徳の誘惑にさらされることになります。男性の中には,“タウンワイフ”,つまり正式な結婚関係にない女性と同棲するようになる人さえいます。こうしたことが新たな圧力となって,夫は家に仕送りできなくなるでしょう。その結果,既に崩壊状態にある家族の生活に一層の重荷が加わることになります。
夫婦そろって町で生活している場合でさえ,妻は夫の収入を補うためにしばしば働きに出ます。幼い子供は家に残され,女中がその世話をするという場合が少なくありません。しかもその女中も大抵は年若い娘なのです。このように適切なしつけがなされないことは,アフリカの数々の都市における年少者の犯罪と不道徳の急激な増加の一因となってきました。これはアフリカではとりわけ深刻な問題と言えます。というのは,人口の半数近くが16歳以下の人で占められているからです。
ヌバ族の一部の人々の身に生じたことは,富を追い求めるとどんな有害な影響が及ぶかを如実に物語っています。ヌバ族と生活していた作家のレニ・リーフェンスタールは,幾年も前には自分の写真機材をわく箱の中に入れて鍵を掛けずに何か月も置いてくることができたが,最近になってそうするのをやめざるをえなくなった,と語りました。盗まれてしまうためです。リーフェンスタールはこう書いています。「不作に見舞われたため,ヌバ族のある人々は町に働きに行って一頭の牛と数頭のやぎを買うお金を手に入れなければならなくなった。町では何でもお金で買うことができるのを見て,ヌバ族の人々は有害な影響を受けた」。
近代化の波に洗われる前,ヌバ族の人々は基本的には自給自足の生活を送っていました。リーフェンスタールはこう言葉を加えています。「ヌバ族は外の生活について何も知らず,幸福で,満ち足りた生活を送っていた。お金を持つことなど彼らには無縁のことであった。早晩,メサキン・ヌバ族のところにも文明化の波が押し寄せるに違いない。彼らも変わってゆくのであろう」。
様々な物を追い求めるあまり,知らぬ間に別のわなに捕らわれた人も少なくありません。
人を奴隷にするクレジット
アフリカ人のある夫婦は次のように書きました。「このようにクレジットを容易に利用できることは実に恐ろしいわなとなります。これを利用すれば手ごろな値段でいともたやすく買えるように思えますが,現実は違うのです。店に入って行き,その場で現金を支払わずに服を買うのは確かに魅力的です。しかも,支払いについては,後で考えればよいのです。その“後”の時が訪れ,請求書を手にして初めて,自分には支払う資力がないことに気付き,それから『綱渡り』が始まります。新しい物を求める欲望は非常に強いので,人々はまさしくこうした月賦販売店の奴隷となってゆきます。新型のハイファイセットや新しい車,美しい家具などのある家庭を訪ねたことがあります。しかし,家の人はその支払いに追われて,食費にさえ事欠く有様です。夫婦は共に働きに出ており,子供たちはしたい放題のことをしています」。
クレジット買いによる負債は他の国でも大きな問題となっています。例えば,アメリカ人の20人に一人はクレジット買いによる負債の返済に全収入の6割以上を当てています。
このため人は,精神的にも感情的にも疲弊してしまいます。クレジットで大きな負債を抱え込んだある人はこう書きました。「わたしは職を失い,失業補償では家賃や食費はおろか,最低限の支払いさえままなりません。仕方なく売血をしたり,臨時雇いの仕事に就いたりしてきました。取り立てを逃れるので気も狂わんばかりです。神経がすっかり参ってしまいました」。
すべての人が変化しているわけではない
もちろん,現代の科学技術から得られる益を享受したいと願うに当たって,アフリカ人のすべてが健全な判断力や正しい価値規準を見失っているわけではありません。アフリカの各地に正直で方正な人が大勢います。
アフリカに短期間滞在した外国のある通信員は,何人かの不正直な者たちのことを報道しましたが,その際率直に次のようにも伝えました。「しかし,一人の青年のことについても……語らずにはいられない。この青年は,幾時間もかけて灌漑工事の現場を案内してくれたが,どうしてもお金を受け取ろうとしなかった。クリーニング屋の婦人従業員は,わたしがシャツのポケットに入れたまま忘れていた80ナイラを返してくれた。また,わたしが愚か者と呼んだ男性から示された親切についても語らないわけにはいかない」― ナショナル・ジオグラフィック誌,1979年3月号。
大都市に移ると,だれもが自分の価値基準を一変させてしまうわけではありません。必要にかられて移転しながらも,良い原則を保ち,一致した家族生活を送っている人もいます。そうした人々は,金銭を求めることや生活を楽にする物品を中心に生活を築くことはせずに,現実的な見方を持っています。もっと価値のあるものが外にあることを知っているのです。
良い生活か
この記事の冒頭で触れたある青年のことを覚えておられますか。その人は,自分の新しい人生の歩みが真の幸福をもたらすものと考えていました。その青年の話はさらにこう続きます。
『都会に出て6か月になります。最初の仕事は,いつ終わるとも知れない仕事を毎日長時間行なわなければならないので,別の仕事に鞍替えしました。今ではそれもやめ,3番目の仕事をしています。仕事の条件はほとんど変わらず,給料は少し下がりました。給料日の前には文無しになり,毎月の月末には派手にお金を使うという都市の生活のリズムが身に着いてしまいました。そうこうしているうちに,身の回りのものはすべて質ぐさになり,以前に家で送っていたような単調な生活を送るようになりました。
『毎晩,仕事から帰ると,わたしは通りに出てたたずみ,周囲をながめたものです。車の列,タクシーの中の着飾った女性,はつらつとした少年たちなどそこの光景は何一つ変わっていません。どこでそれを手に入れるのでしょう。これまでにないほどこき使われていますが,手にするお金は想像もできないほど少額です。しかもそのお金は瞬く間になくなってしまいます。わたしのような者には,チャンスなど決して巡って来ないことが次第に分かってきました』。
“大都会”に出るすべての人がこのように感じることになるというわけではありませんが,物質だけで幸福になろうとするのは全くむなしいということに気付いている人は少なくありません。そうした人々は以前の簡素な生活を懐かしく思います。以前に貧しい生活を送っていた人もいますが,もう一度貧乏をしたいというのではありません。また,昔の文化すべてを復興させたいと考えているわけでもありません。ただ,固いきずなで結ばれた家族,もてなしの精神,法規範といった価値あるものがこの時代に次第にむしばまれていることをとても残念に思っているのです。
あなたも,自分の生活が物質主義の影響を受けてきたことを憂え,この点で変化したいと望んでおられるかもしれません。ではどのようにして変化できますか。これまでにアフリカの各地で幾千幾万もの人々の役に立ってきた実際的な解決策が次の記事の中で取り上げられています。
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多くの益をもたらす教育目ざめよ! 1980 | 10月8日
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多くの益をもたらす教育
アフリカでは,特に若い人々を対象にした教育の気運が非常に高まっています。国家財源のかなりの部分をこれに当てていると伝えられている国々もあります。
しかし,そうした教育だけでは十分ではありません。アフリカ東部のある大都市の黒人市長は,教育を受けた大勢の人がちまたにあふれている光景に注意を向け,「人生の現実に立ち向かう備えをさせ,そのための訓練を施す実際的な教育を子供たちに施していく必要がある」と訴えました。
そのような教育はとりわけ,人生における真に価値あるものを見分け,それに対して確固とした信念を抱けるよう,人を助けるものであるべきです。しかし,そうしたことを成し遂げる教科書があるでしょうか。
「生活の術に関する至高の導き」
長年にわたって,聖書はアフリカで広く配布されてきました。これほど広く配布された書物はほかにありません。作家のトマス・ティプレディはかつて聖書についてこう書きました。「あらゆる崇高な書物の中でも聖書こそ生活の術に関する至高の導きであることは人間の良識が明らかにしているところである」。なぜ聖書はこの点で際立っているのでしょうか。聖書そのものが説明しているように,聖書は神の言葉なのです。
聖書は生活の事柄を扱った書物です。聖書を読み進むと分かることですが,聖書には実在した人々のことが数多く記されています。ある人々がどのように幸福な生活を送ったか。また他の人がなぜそれに失敗したかが分かります。聖書を読めば読むほど,価値ある物事とそうでない物事がいっそうはっきりしてきます。聖書を読んだ鋭い理解力を持つ人が語ったように,あなたは,「心を養い,幸福をつかみ,自分の務めを果たすための秘訣」を見いだすでしょう。
アフリカをはじめ全世界で,エホバの証人は幾十年にもわたり,聖書の原則を生活に適用するよう幾百万もの人々を助けてきました。それは著しい成果を上げています。次に挙げるのは,その教育が成し遂げてきた事柄のほんの数例です。これを読む際,アフリカ,いや全世界のすべての人がこうした価値基準に従って生活したならどうなるだろうか,と自問してみてください。
家族の一致を保つ
「さて,決心はついたかね。昇進すれば収入が増えることになる。君は正直で信頼の置ける職員だ。昇給に値する人物だよ」。アフリカのある大きな鉄道会社の一役員は4人の子供を持つある職員にこう語りました。これは別段,難しい決定のようには思えません。しかし,一つ気懸かりなことがありました。その新しい仕事を引き受けると,長期間家族と離れて生活しなければならないのです。
しばらくの間エホバの証人と聖書を研究していたその人はこう答えました。「申し訳ありませんが,辞退させていただきます。ご存じのように,私は自分の家族をとても愛しておりますので,そのように家族と別れて生活することはできません」。上役たちは自分の耳を疑いました。しかし,生活の中で大切な事柄を優先させるその考え方に感銘を受け,家の近くで引き続き働きたいというその人の願いを認めました。
その決定は正しいものでしたか。その人は,地域社会でもひときわ温かく,一致していて,幸福な家族を持つという祝福を味わってきました。子供たちの良い行状は近所の人の話題となっています。こうしたものを金銭で買うことはできません。
正直は自尊心を生む
「拝啓
「お手紙をありがとうございました。お返しいただいた診療所の時計を確かに受け取りました。あなたが新たな信仰を見いだし,それによって,盗みがエホバ神の律法に反するものであることを学ばれたということをお聞きし,うれしく思います」。
最近エホバの証人になったある人に宛てられたこの手紙は,その人の身に普通では考えられない大きな変化が生じたことを物語っています。この手紙を受け取った人はかつて,マリファナを大量に吸い,性的に乱れた生活を送り,盗みその他の犯罪に関係していました。こうした生活に災いされて,精神がひどく乱れ,精神病院に入れられることになりました。何週間か治療を受けたものの良くならないため,精神異常者であると言い渡されて家に帰されました。
そのすぐ後に,この人は自分の住むナイジェリアの村でエホバの証人と聖書の研究を始めました。この教育によって,その人は生活を変化させていきました。“人生の現実”に対処できるようになるにつれ,精神もしだいに健全になっていきました。村人たちはこれに驚き,まさに奇跡が起きたと考えました。その人は,「これは聖書の働きの結果であり,神の祝福と神の民の助けがあったからこそできたのです」と語りました。やがて仕事に就いて自活できるようになりました。そして,以前の雇い主の所から時計を盗み出したことを思いだし,それを返したのです。こうしてこの人は,人生において初めて自尊心を持てるようになりました。―エフェソス 4:28。
富んでいるふりをしない
ナミビアつまり南西アフリカに住む,一家の頭であるエホバの証人が職を失いました。その人の家族はそれまで高い水準の生活を送っていましたが,新たな就職口の賃金は以前のそれと比べるとかなり低いものでした。夫婦で話し合った後,その仕事に就いて最善を尽くすことに決めました。
この家族は,お金のあるふりをして以前の生活水準を保とうとせずに,出費を切り詰めることにしました。線路沿いのあばら家に移りました。ペンキを塗って簡単な修理をした後,安い家賃でそこに住むことができました。野菜は庭からとれるものでほとんど間に合いました。釣をして食費を節約することもできました。妻は編み物をして衣料費の大半をまかないました。つつましい生活でしたが,必要なものが備わっていることに家族は満足していました。―テモテ第一 6:7,8。
このエホバの証人の勤勉で正直な態度が見過ごされることはありませんでした。1年たたないうちに賃金があがり,その立派な評判ゆえに,他の人からも仕事が紹介されるまでになりました。
暮らし方
聖書は貧しい生活を勧めているわけではありません。(箴 30:8,9)しかし,重要な原則を曲げない限りどうすることもできないような状況に直面することがあるものです。そのような状況の下で,物質を中心にした生活を送ることなく,暮らしを立てていくにはどうしたらよいでしょうか。
まず,聖書は,賭事(給料の全額をこれにつぎ込む人も少なくない),麻薬中毒,喫煙,性の不道徳,酔酒といった悪い習慣を断つ上で助けとなります。それにより,正しい良心を保てるだけでなく,家計も助かります。―コリント第一 6:9,10。コリント第二 7:1。
聖書の原則を正しく適用する人はまた,互いに対して真実の愛を抱く兄弟同士の交わりから益を得ます。(ヨハネ 13:35。ヨハネ第一 3:17,18)例えば,ガーナのあるエホバの証人は一時解雇を言い渡されました。彼は一人の娘と身重の妻を扶養する立場にありました。会衆の集会で自分の窮状を別のエホバの証人に話したところ,その人は励ましの言葉を掛けてくれただけでなく,売り物になる地元の石けんの製法も教えてくれました。以前の雇い主から復職の連絡があるまで,それによってなんとか生活していくことができました。
『愛のほかは,だれにも何も負ってはなりません』という聖書の助言を適用するために,お金を計画的に注意深く用いられるようになります。(ローマ 13:8)様々なエホバの証人の家庭を訪問する機会のある一人の旅行する奉仕者は,アフリカの一夫婦がこれをどのように行なっているかについて次のように語っています。『この夫婦は毎月収支を調べています。夫はテーブルの上に給料を置き,様々な出費や必要に応じた額を分けます。月末になってお金がなくなるまで待つのではなく,お金がある間にまず出費を考慮しています』。
この夫婦はクレジットで買い物をしないようにしています。それはもっともなことです。一つの点として,クレジットで買い物をする人は実際の値段よりもかなり多くの額のお金を払わなければならないのが普通だからです。また聖書には,「借りる者は貸す者の奴隷となる」という現実を言い当てた言葉があります。(箴 22:7,新英訳聖書)他の人の奴隷となることを望む人がいるでしょうか。その品物を購入する十分の余裕ができるようになるまでお金をためるほうが,生活はずっと安定したものになります。もちろん,何かが急に必要になって,クレジット買い以外に方法がないということもあることでしょう。しかし,そうしたことがひんぱんに起きる場合,それは必要に迫られた上でのことでしょうか,それとも欲望に駆られてのことでしょうか。―伝道 6:9
すばらしい将来が目前にある
聖書は間近な将来に関する明るい希望を差し伸べています。その希望について学ぶことは現在の問題に対処する上で役立ちます。なぜなら,それが一時的なものであることが分かるからです。聖書の最後に収められている啓示の書は,アフリカだけでなく全世界の人々に間もなく影響を及ぼすことになる出来事を明らかにしています。
その19章(11-21節)と20章(1-3節)には,正しい原則に即して生活しようとしない邪悪な者は見える者も見えない者も凄惨な最期を遂げることが記されています。啓示 21章3,4節には,神がわたしたちの住む地球に個人的な深い関心を示してくださる様が次のように記されています。「わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ! 神の天幕が人とともにあり,神は彼らとともに住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである』」。
考えてみてください。ほとんどの人にとって日常的な問題になっている病気が永久になくなるのです。病弱な子供も,体の活力を奪い取る恐ろしい病気も,刺すような痛みももはやありません。
落胆や失望,悲嘆をもたらす状態は変化するか取り除かれるため,それに起因する涙は消え去ります。意識的に悪を働く者たちは神のみ使いの手によって滅ぼされてしまいますから,泥棒,人殺し,偽り者など,生活を脅かす者は一人もいなくなります。泥棒に家財を『根こそぎ持って行かれる』ことを心配する必要はありません。
このような将来は好ましいものに思えますか。現在と将来においてあなたに益となるような仕方で聖書の原則を適用する方法をさらに学びたいと思われますか。どうぞエホバの証人と連絡をお取りください。エホバの証人は無償で喜んでご援助いたします。
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