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  • 腹を立てる正当な理由があるか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2005
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2005
塔05 8/1 13–15ページ

腹を立てる正当な理由があるか

伝道の書 7章9節で,聖書はこう述べています。「腹立ちは愚鈍な者たちの胸に宿る」。この節では,腹立たしいことをされた時,過敏に反応するのではなく,むしろ許そうとする態度を持つべきことが示されています。

しかし,伝道の書 7章9節が述べているのは,どんなことがあっても,まただれに対しても決して腹を立てるべきではない,ということでしょうか。つまり,程度や頻度にかかわらず,どんな罪も許して何も行なわないように,という意味でしょうか。一方,許してもらえるはずだから,相手が腹を立てるような言動をしても構わない,と考えてもよいのでしょうか。そんなことは決してありません。

エホバ神は,愛と憐れみ,そして許すことや辛抱強さの点で最大の模範ですが,聖書にはエホバが怒りを覚えられたという事例が幾度も出ています。重い罪の場合には,違反者に対して行動を取られました。幾つかの例を見てみましょう。

エホバに対する罪

列王第一 15章30節には,ヤラベアムが犯した罪に関連して,「彼がイスラエルに犯させたその罪のためであり,また彼が……エホバを怒らせたその怒りによるのであった」と述べられています。また,歴代第二 28章25節で,聖書はユダのアハズ王に関して,次のように述べています。「彼はほかの神々に犠牲の煙を立ち上らせるために高き所を造ったので,彼はその父祖たちの神エホバを怒らせた」。さらに別の例が裁き人 2章11-14節にあります。「イスラエル……はエホバの目に悪とされることを行なって,もろもろのバアルに仕えるようになった。……それによってエホバを怒らせた。……そのためエホバの怒りはイスラエルに対して燃え,彼らを略奪者たちの手に渡された」。

エホバを怒らせ,断固たる処置が必要とされた事柄はほかにもあります。一例として,出エジプト記 22章18-20節にはこうあります。「女呪術者を生かしておいてはならない。だれでも獣と寝る者は必ず死に処せられる。ただひとりエホバ以外の神に犠牲をささげる者は滅びのためにささげられる」。

古代イスラエルがエホバを絶えず怒らせ,真の悔い改めを示さない場合,エホバは彼らの重大な罪をいつまでも許すことはされませんでした。真の悔い改めが少しも示されず,身を転じてエホバに従うようになったことを示す行動も全く見られない場合には,罪を犯す者たちを最終的に滅びに渡されました。そのような滅びが国家全体に臨んだこともあり,西暦前607年にはバビロニア人によって,また西暦70年にはローマ人によってもたらされました。

ですから,エホバは人々の悪い言動に怒りを覚え,由々しい罪を犯して悔い改めない違反者たちを死に処することさえなさるのです。では,エホバは伝道の書 7章9節で述べられている者たちのうちに数えられるのでしょうか。そのようなことはありません。エホバが由々しい罪に対して怒りを覚えるのは正しいことであり,その裁きはいつも正当です。聖書はエホバについてこう述べています。「そのみ業は完全,そのすべての道は公正である。忠実の神,不正なところは少しもない。義であり,廉直であられる」。―申命記 32:4。

人に対する重大な罪

神が古代イスラエルに与えた律法のもとでは,人に害を与える重大な罪は深刻な結果を招きました。例えば,夜中に家に侵入してきた盗人を家の人が殺したとしても,家の人の側に血の罪はありませんでした。家の人は,重大な犯罪の被害者で,悪意はなかったからです。それで,こう述べられています。「もし盗人が押し入るところを見つけられ,打たれて死ぬことがあっても,その者に対する血の罪はない」。―出エジプト記 22:2。

また,強姦は神の目から見て重大な犯罪で,被害者の女性は当然,激しい怒りを抱きます。モーセの律法下では,女性を強姦した男性は,『人が仲間の者に立ち向かい,これを殺害した場合と同じく』死に処せられました。(申命記 22:25,26)わたしたちは,もはやその律法のもとにはありませんが,強姦というひどい悪行についてエホバがどうお感じになるかをその律法から洞察することができます。

現代でも,強姦は重大な犯罪で,重い刑罰が科されます。被害者には,警察に届け出る当然の権利があります。そのようにすれば,関係当局が加害者を処罰することができます。被害者が未成年であれば,親が行動を起こすこともあるでしょう。

比較的小さな罪

とはいえ,罪によっては,当局が行動を起こす必要のないものもあります。それで,わたしたちは他の人の比較的小さな過ちに対してむやみに腹を立てるのではなく,許そうとする態度を持つべきです。どれほど頻繁に許すべきでしょうか。使徒ペテロはイエスに次のように尋ねました。「主よ,兄弟がわたしに罪をおかすとき,わたしはその人を何回許すべきでしょうか。七回までですか」。イエスは,「あなたに言いますが,七回までではなく,七十七回までです」とお答えになりました。―マタイ 18:21,22。

一方,なるべく他の人に腹立たしい思いをさせないために引き続きクリスチャン人格を磨くよう努力する必要があります。例えば,他の人と接する際,時にぶっきらぼうで無礼になったり,傷つけるような言動をしたりすることがありますか。そのようなことをすれば,相手は腹立たしく思うでしょう。そのような時に,腹を立てるほうが悪い,相手のほうが許すべきだと考えたりするのではなく,自分に原因があることを認めなければなりません。そもそも自分のほうが最初から言動を制御して相手を怒らせないように努める必要があるのです。そのように努力すれば,人の感情を傷つけることは少なくなるでしょう。聖書は次のように述べています。「剣で突き刺すかのように無思慮に話す者がいる。しかし,賢い者たちの舌は人をいやす」。(箴言 12:18)他の人を怒らせてしまった時には,わざとではなかったとしても謝るなら,状況はきっと良くなるでしょう。

神の言葉は,「平和に役だつ事柄や互いを築き上げる事柄を追い求め(る)」べきことを示しています。(ローマ 14:19)よく気を配って親切であるなら,箴言の次の言葉が当てはまります。「適切な時に話される言葉は,銀の彫り物の中の金のりんごのようだ」。(箴言 25:11)それは,本当に快く感じのよい印象を残します。よく気を配って穏やかな話し方をするなら,相手のかたくなな態度でさえ変化するかもしれません。「温和な舌は骨をも砕く」のです。―箴言 25:15。

それで,神の言葉は次のような助言を与えています。「あなた方の発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけされたものとし,一人一人にどのように答えるべきかが分かるようになりなさい」。(コロサイ 4:6)『塩で味つけされたものとする』というのは,話し方を他の人にとって快いものとするという意味です。そのようにして,なるべく他の人に腹立たしい思いをさせないようにするのです。クリスチャンは言行の両面において,「平和を求めてそれを追い求めよ」という聖書の諭しを当てはめるように努めます。―ペテロ第一 3:11。

ですから,伝道の書 7章9節は,わたしたちが他の人の比較的小さな罪に腹を立てるべきではないということを言っているに違いありません。そうした罪は人間の不完全さによるものかもしれませんし,仮に意図的なものだとしても,由々しいものではありません。とはいえ,罪が重大なものであるなら,被害者が怒りを覚えて適切な行動を起こすのももっともなことです。―マタイ 18:15-17。

[14ページの図版]

エホバは,悔い改めないイスラエルが西暦70年にローマ人によって滅ぼされるようにされた

[15ページの図版]

『適切な時に話される言葉は金のりんごのよう』

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