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  • 寝耳に水の大地震!
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目ざめよ! 1986
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寝耳に水の大地震!

メキシコから寄せられた,目撃者の報告

「建物が揺れ始めた時,私は10階で仕事をしていました。ドアに寄り掛かったのですが,そのドアが突然ガタガタ揺れるとこちらに倒れてきました。破壊の跡からはい出ようとした時,子供たちががれきのあちらこちらに埋まっているのが分かりました。長男のホセは血まみれでした。家族の者は死んでしまったに違いないと思いました」― 父親のホセ・メレンドレス。

昨年の9月19日,午前7時19分,人口1,800万人のメキシコ市は,マグニチュード8.1を記録した,今世紀最大級の地震に襲われました。

地震の起きた時刻が幸いして,難を免れた人は少なくありませんでした。1時間遅かったら,学校や職場は人であふれていたでしょうから,ビルは巨大な墓地と化してしまったことでしょう。メキシコ市で倒壊した700余りのビルのうち,少なくとも100は学校でした。

ヘリコプターから被災地を視察したジョン・ガビン米国大使は,「巨大な足が建物を踏んづけたかのような有り様だった」と語りました。それらの建物の中に,死者および生存者合わせて幾千人もの人が閉じ込められたのです。メキシコの日刊紙エル・ユニベルサルによれば,地震発生後の15日間に,8,000人余りの遺体が収容されたが,死者の合計は3万5,000人に上るものと見られるということです。

生き残った4万人余りの人々は病院や救急センターで手当てを受けました。死体の身元を確認するため,人々は幾つも長い列を作って待ちました。テレビやラジオを通じて,また新聞紙上で,犠牲者の名前が報道されました。男女子供が,絶望して街路をさまよいました。行く所もなかったのです。少なくとも40万人の人々が何らかの被害を受けました。

不思議にも生き残った

地震が起きた時,ホセ・メレンドレスの妻は,夫が働いていた階の一つ上の階,すなわち11階にある自宅にいました。その話は次のとおりです。「6歳になる娘のエリザベスが学校へ行く支度をするのを手伝っていた時のことです。突然,建物がごう音を立て始めました。私は息子のホセと嫁に危険を知らせに走ると同時に,二人の娘,ロウルデスとカルメラに向かって叫びました。二人はエリザベスを屋上に連れて行きました。建物が崩れたので,私は階段にしがみ付きました。地震が収まった時,11階は4階になっていました。

「私たちがなすすべもなく見ていると,息子夫婦のいた階が崩れ,二人は下のがれきの中へ放り出されてしまいました。6階でボイラーとガスタンクが同時に爆発する音を聞いてからはなおさら,二人は死んだに違いないと思いました。重さが1㌧半あるガスタンクが息子にぶつかりました。ところが,驚いたことに,息子夫婦は生きていたのです」。

息子のホセは重傷を負ったものの,驚くべきことにメレンドレス家の人々は全員生き残りました。「私たちにとって,それは非常に苦しい経験でしたが,クリスチャン兄弟たちから受けた愛ある援助すべてに対してエホバ神に感謝しています」と父親のホセは語っています。

グレゴリオ・モンテスとその家族は8階建てのビルの5階に住んでいました。グレゴリオは次のように説明しています。「妻のマリは,娘のルピタを学校へ連れて行くために早く起きるのが習慣になっていました。地震が起きるわずか数分前の午前7時15分ごろ,マリとルピタはビルを出ました。5歳と6歳の娘と私は,ビルが揺れるのに驚いて目を覚ましました。何もかもみな動いていました。しかし,私がエホバに祈り始めると,3人共すぐに冷静になるのを感じました。

「ちょうどその時です。窓という窓がみな壊れ,ガラスが飛び出し始めました。壁も倒れてきました。そのころには,恐怖にかられた女性や子供の悲鳴が聞こえました。私は,二人の幼い娘をベッドの上に静かに座らせ,ひざまずいてエホバに祈り続けました。

「突然,大きな悲鳴が上がり,ビルが揺れ,ほこりが舞い上がったかと思うと,ビルが崩れ落ちました。まるで,エレベーターで下っているような感じでした。その時,娘の一人は,『お父さん,ハルマゲドンよ』と小声で言いましたが,まだそうではないことを言って聞かせました。

「一瞬辺りが静まりかえりました。一面の暗闇で,ほこりが立ち込めていました。私たちのアパートの床と天井の間はわずか50㌢ほどになってしまっていました。がれきで身動きができませんでしたが,娘たちが砕石とガラスに覆われているのが見えました。ところが,二人は無傷だったのです。かすり傷一つありませんでした。

「通りにいた妻のマリとルピタはビルが倒れるのを見て,私たちはてっきり死んだものと思っていました。ところが,そのアパートに住んでいた32世帯のうち生き残ったごく少数の人々の中に私たちも含まれていたのです」。

16歳のジュディス・ラミレスは,地震が起きた時すでに学校にいました。この少女は次のように語っています。「先生がクラスで書き取りを始めたばかりの時でした。急に校舎が揺れるのを感じました。まるで,大海を行く船に乗っているような感じでした。パニック状態になって,生徒たちは窓ガラスを割ったりドアを壊したりして外に出ようとしました。

「3階の窓から,校舎の半分が倒壊してしまっているのが見えました。その中にはまだ500人ほどの生徒と学校の職員が入っていたのです。私は校舎のこちら側も崩れ落ちるのではないかと思いました。階段がなくなってしまっていたので,私たちのために作られたトンネルを通って学校から脱出しました。破壊した場所からやっと逃れて見てみると,ビルが幾つか火事になっていて,通りは混乱していました」。

救助に向かう

地震発生後間もなく,メキシコ政府は事態の収拾に乗り出しました。警官,消防署員,その他の公務員ができるだけ多くの人の命を救うために力を合わせました。約2,800人の海兵隊員に加えて幾万というほかの人々も救助作業に加わり,陸軍も,起きる可能性のある略奪行為の警戒に当たりました。救助センターと被災者収容所で世話を受けた犠牲者は2万2,000人を上回りました。

生活必需品や救助用装備を積んだ飛行機が50近くの国から到着しました。外国人の専門家が幾百人も自発的にやって来ました。何千人もの人が共同して救助作業に当たる様子は報道機関を通して世界中に伝えられました。このように人々が一丸となって努力した結果,地震発生後十日以内に3,266人が救い出され,最終的には行方不明者のうち少なくとも1万7,000人が発見されました。とはいえ,生存者の救出作業は容易なものではありませんでした。

危険の伴った救出作業

地震発生後1週間以上たってもまだ,破壊された建物の中から人の叫び声が聞こえました。自発的に救助に当たっていた一人の青年はただ腰を下ろして両腕を組み,その中に顔をうずめて泣きました。ふがいなさを痛感したのです。ビルの崩れる恐れがあったので救助者はがれきを取り除けないことが多く,そのために絶望感が一層深まりました。

一方,生存者が救出される度に喜びがわき起こりました。医療救急隊員のフアン・ラバスティダは,「私は9人の人を救出するという満足感を味わいました」と語っています。この人は米国のレスキュー隊と一緒にやって来た人で,「重要な装備を欠いていましたが,ともかくがれきの中に潜り込んで生存者を捜しました。容易なことではありませんでした」と語っています。

同隊員は,二人の人を救出した時の模様を,次のように話してくれました。「一部崩れずに残っていたレストランに到着してから,振動を探知する特別な電子装置を使いました。その装置は非常に感度が良く,人体から放出されるエネルギーによる振動さえ探知できます。もしその装置がなかったなら,4人の人が閉じ込められていることは決して分からなかったことでしょう。私たちは,長いホースを使い,二人の男性と二人の女性が数日間閉じ込められていたレストランの貯蔵室に水と酸素を送りました。

「レスキュー隊が倒壊した建物の外で待機し,フランスからやって来た一人の専門家と私が建物の中に入って行きました。進んで行く間,例の電子装置は壁や床から伝わる振動も探知しました。もっとも,その信号は弱いものでした。私たちは,手で壁や床を触るようにと言われました。建物が崩れる寸前には,壁の内部でほこりが落ちるので,触るともぞもぞした感じがするのです。生存者の所にたどり着くのに7時間かかりました。

「私たちが到着するまでに,二人の男性は亡くなっていました。二人の女性も臨床的には死んだ状態にありましたが,口対口人工呼吸と心臓マッサージを施したところ,15分たってついに息を吹き返したのです。確かに,私たちの努力は報われました」。

地震はそれで収まったか

ものみの塔協会のメキシコ支部の支部委員の一人は次のように語っています。「地震が発生した翌日の金曜日の夕方,私は2階にあったセルヒオ・モランの家を見せてもらいました。壁にはひびが入っており,重い天井と床は弱くなっていました。周囲では倒壊したビルが少なくなく,死者や負傷者がそのがれきの中に埋もれていたにもかかわらず,驚くべきことに,その建物は持ちこたえていました。

「辺りには緊張した暗い空気が漂い,救急車が一日じゅう慌ただしく行き交っていました。すぐ横丁では,友人や家族の遺体の身元を確認するため,人々が長い列を作って待っていました。私は丸1日を費やし,商業地区を歩いて視察しました。高いビルが傾いて今にも倒れそうになっているため,縄を張って立ち入り禁止にしてある通りがたくさんありました。廃きょの中にまだ閉じ込められている人々の,助けを求める叫びを聞いた時には,涙を抑えることができませんでした。

「セルヒオ・モランと話をしている時,突然,2度目の地震が起こりました。最初,辺りはしんと静まりかえっていました。『気のせいだったのかもしれない』と私は思いました。すると,電灯が消え,時計が午後7時38分で止まりました。最初の地震から約36時間後のことです。私のいたビルが前後に揺れ始めました。もう,疑う余地はありません。また地震が起きたのです。

「まだ2階にいた私たちは,はうようにして出入口の所へ行き,側柱の間で自分の体を支え,助けを求めてエホバに熱烈に祈りました。建物が揺れている間,屋根とそれを支える梁からキーキーきしむ音が聞こえました。家の状態を調べたあとだったので,その建物はつぶれるに違いないと思いました。ところが持ちこたえたのです。私たちは何とか無事,表に出ました。そこには混乱と悲鳴と不安がありました。

「幸い,2度目の地震の波の被害は最初のものほどひどくありませんでした。最初の地震が発生してから12日間に,マグニチュード3.5から7.3の振動が少なくとも73回起きたことが報告されました」。

『大きな地震があるでしょう』

キリスト・イエスは,わたしたちが「事物の体制の終結」の時に住んでいることを示す「しるし」の特色の一つとして,『そこからここへと地震がある』ことを挙げました。(マタイ 24:3,7)イエスは単に小さな地震のことを言っておられたのではありません。むしろ,『大きな地震があるでしょう』と語られました。(ルカ 21:11)したがって,メキシコで最近起きた災害は,1914年以来起こった600を超える大規模な地震と相まって,聖書預言が今日成就していることの真実性を一層増し加えています。

メキシコのエホバの証人たちは,不意を襲われて一瞬驚きましたが,「これらの事[しるしの特色となるさまざまな事柄]が起こり始めたら,あなた方は身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです」というキリスト・イエスの慰めとなる言葉を理解しています。(ルカ 21:28)そうです,エホバの証人たちはもっと明るい将来のあることを確信しています。神の来たるべき新しい事物の体制においては,神の民は地震や他のひどい災害から保護されるのです。―啓示 21:3,4。

少なくとも38人のエホバの証人および証人と交わっていた人がこの度の災害で命を失いました。かなりの物質的損害もあり,少なくとも146世帯のエホバの証人が家を失いました。聖書が述べているとおり,「時と予見しえない出来事」のために,だれにでも,悲惨な状況は臨み得ます。―伝道の書 9:11。

愛のある援助

しかし,エホバの証人は,被災地域の証人たちを全員見つけるため,直ちに措置を講じました。ビクトル・カステリャノスは,「すばらしいことに,たいへん愛のある関心を示していただきました」と語っています。5㌧以上の食糧が届き,被災した人々全員に配給されました。被害を受けなかった地域のエホバの証人の家族は,家のないクリスチャン兄弟たちに自分たちの家を開放したり,持ち物を共同で使ったりしました。

倒れた家から逃れて命の助かったフアン・チャベスは,妻と二人の子供を連れて,ほかの二人の子供を見つけるために車で地元の学校へ行きました。その家族が6人で家に帰ると,驚いたことに,家の周りには,旅行する監督一人と地元の長老数人を含むクリスチャン兄弟たちが大勢集まっていました。

「兄弟たちは私たちがまだ中に閉じ込められていると考え,助けたいと思ってくださっていたのです。本当にすばらしいことでした。助けに駆けつけてくださった証人の中には,それまで一度も会ったことのない人たちもいました」とチャベス夫人は伝えています。

確かに,この大地震はメキシコにつめ跡を残しましたが,その地域のエホバの証人の信仰と勇気には被害をもたらしませんでした。先に紹介したメレンドレス夫人もこう語っています。「私たちはみな,こういう状況を利用して,接する人々すべてに王国の希望を広めています。地震のために,エホバに仕えるよう努力することをあきらめてしまうことはありませんでした。かえって,これまでよりも信仰や決意が一層強くなったように感じます」。

[22ページの図版]

父親のホセ・メレンドレスとその妻,および二人が住んでいたビル

[23ページの図版]

ジュディス・ラミレスはコナレプ校の倒壊に生き残った

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