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  • 第23部 ― 1945年以降 ― 清算の時は近い

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  • 第23部 ― 1945年以降 ― 清算の時は近い
  • 目ざめよ! 1989
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    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1986
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目ざめよ! 1989
目89 12/8 23–27ページ

過去の歩みに照らして見た宗教の将来

第23部 ― 1945年以降 ― 清算の時は近い

「民が幸福になるための第一条件は,宗教を廃止することである」。―19世紀ドイツの社会学者で経済学者のカール・マルクス

カール・マルクスは,母方と父方双方の家系にユダヤ教のラビが大勢いたにもかかわらず,6歳の時にプロテスタント信者としてバプテスマを受けました。ところが,年若くして宗教と政治に幻滅を感じるようになり,人類が本当に幸福を手に入れたいなら,宗教と政治の両方が徹底的に変化しなければならないと論じました。

聖書も同じ見方をしています。しかし,マルクスの言う徹底的な変化が真の改善をもたらさなかったのに対して,わたしたちの世代のうちに生じると聖書に予告されている変化は,最終的に永続する幸福をもたらすことになっています。その点に関して疑問の余地はありません。

とりわけ1914年以降,偽りの宗教の血の罪は頂点に達しました。その時以来,偽りの宗教は,人々の無関心な態度が強まり,人々からの支持が弱まるという事態に見舞われてきました。(この連載記事の,前の二つの記事をご覧ください。)それとは際立った対照を成す現象ですが,真の宗教の繁栄は年々目立ってきています。

しかし,これからどんなことが起こることになっていますか。今は,過去の歩みに照らして見た宗教の将来はどうなるかと問いかけるのに,かつてなくふさわしい時です。

聖書は何と述べているか

この問題に光を投げかけているのは,西暦1世紀に生じた様々な出来事です。イスラエルは偽りの宗教を取り入れたので,将来の頂点をなす出来事として,同国民には神の裁きが執行されることが予告されていました。しかし,真の宗教を実践する人々がユダヤ人の事物の体制の滅びから逃れるための備えも設けられました。イエスは弟子たちにこう言われました。「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい。田舎にいる者は都の中に入ってはなりません」― ルカ 21:20,21。

西暦66年にローマ軍がエルサレムを包囲しました。同市は必ず滅びるかに見えましたが,軍隊が突如として撤退したため,クリスチャンは安全な場所に逃れることができました。とはいえ,背教したイスラエルが罰を免れたという考えは,その4年後,ローマ人が戻ってきて同市を再び攻囲し,ついにはエルサレムを攻略して,市内にいたおびただしい数の人を殺すに及んで拭い去られました。ユダヤ人最後の要塞であったマサダはその3年後に陥落しました。しかし,忠実なクリスチャンが実践していた真の宗教は生き残りました。

今,わたしたちの世代において,偽りの宗教の世界帝国全体が災いに直面しています。「野営を張った軍隊」は再度,神の裁きを執行するために身構えています。パックス・ロマーナ(ローマの平和)を維持することを目的とした1世紀のローマ軍のように,今日の野営を張った軍隊も,平和を維持するための機関です。聖書預言の示すところによると,国際連合の成員国のうちの軍国化した勢力は,現代のエルサレムであるキリスト教世界,および大いなるバビロンの残りの部分と最終的な清算を行なうためのエホバの道具となります。―啓示 17:7,16。

それはいつ起こるのでしょうか。テサロニケ第一 5章3節は,次のように答えています。「人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決して逃れられません」。

「流行病のような平和」

1988年に米国の元国務長官ジョージ・シュルツは,「あらゆる場所で平和が生まれている」と語りました。外交政策の専門家は「流行病のような平和」について述べました。有名なドイツの雑誌「ディー・ツァイト」は,「これほどの災難に見舞われた世紀の最後の十年に,滅びがとどめられ,平和な建設の時代の幕が開くなどということがあり得るだろうか」と問いかけています。また,タイム誌は,「イラン-イラク,カンプチア,アフガニスタン,アフリカ南部で,さらに中央アメリカでも,平和が実現されようとしている」と述べました。

すでに終わりに近づいている1989年にも,平和に関する話がたくさん聞かれました。2月にドイツの「南ドイツ新聞」は,社説で次のように論じました。「1985年あたりから今まで,超大国は自分の爪を引っこめるにとどまらず,それ以上のことを行なってきた。……今日,地上には,二超大国が歩み寄りを見せていない場所はほとんどない。……ともかく,これほど好ましい兆候が見られたことは,かつて一度もなく,両陣営がこれほど真剣な態度になり,正しい方向を目ざしてこれほど多くの措置が一斉に取られるようなことはなかった」。

わずか6年前には,これほど明るい材料はありませんでした。ジャーナリストのロイ・ラーソンは,「1983年中,世界中の宗教指導者が『平和,平和』と叫んだが,平和はなかった」と述べました。それ以後の世界の驚くべき出来事は,テサロニケ第一 5章3節の成就でしょうか。それは分かりません。それでも,今日,つまり1989年12月現在,以前よりも『平和と安全』の実現が近づいていることは明らかです。

懸命に働く宗教指導者 ― 何のために?

ラーソンが示しているように,宗教指導者は平和の追求に関して怠惰ではありませんでした。ラーソンは1983年の評価を変えず,ヨハネ・パウロ2世が行なった中央アメリカおよびカリブ海諸島への訪問を,「平和を希求する巡礼」と呼んでいます。また,その年に,米国カトリック司教会議は「平和の挑戦」と題する司教教書を採択しています。その後まもなく開かれた,第6回世界教会協議会の総会には100か国から300余りの教会の代表者たちが集まり,同様の決議を採択しました。プロテスタントの多くの福音主義者たちも,「平和に対する世界的規模の傾倒」とラーソンが呼んだものに関与しました。

世界教会協議会は,1948年の創設時にも,1966年に開かれた会議でも,現代の絶滅の武器の使用に対する強烈な反対意見を公にしました。その結果,ドイツのプロテスタントの神学者,ヘルムート・ゴルウィツァーのような幾十人もの僧職者と神学者が平和のための武器を取りました。スイスのプロテスタント系の一週刊誌は今年の初め,ゴルウィツァーが80回目の誕生日を迎えた際に彼を称賛し,「常に平和のために闘う,政治に関与した神学者」であり,「その教えと政治的コミットメントにより,数多くの神学者と教会内の平和運動に多大の影響を与えた」と述べました。

ですから,大いなるバビロンが,1986年の国際平和年を積極的に支持したのも不思議ではありません。その年の名称を考え出したのは国際連合機構であり,同機構の憲章は国際連合の目的を,「国際の平和及び安全を維持する」こととしています。その年,カトリックの法王,英国国教会のカンタベリー大主教,それに,キリスト教徒,仏教徒,ヒンズー教徒,イスラム教徒,アフリカの精霊崇拝者,アメリカ原住民(インディアン),ユダヤ教徒,シーク教徒,ゾロアスター教徒,神道信者,ジャイナ教徒などを自任する他の700人の宗教指導者がローマに近いアッシジに集まり,平和のために祈りました。

それよりも最近のことですが,1989年1月にオーストラリア,シドニーのサンデー・テレグラフ紙は,「仏教徒,キリスト教徒,ヒンズー教徒,ユダヤ教徒,イスラム教徒,シーク教徒,ユニテリアン派信者,バハーイ教徒,儒教徒,ジャイナ教徒,神道信者,道教徒,ラージャ・ヨーガ,ゾロアスター教徒」が,第5回「宗教と平和に関する世界会議」のためにメルボルンに集まったことについて書きました。重要なこととして,「85ほどの国々から集まった600人余りの代表者たちは,……宗教上の相違に起因する緊張関係が,戦争の主要な動機の一つとして長い間誤って用いられてきたことを認めた」とされています。

宗教の平和運動への関与は,かつて国際連合の元事務総長ダグ・ハマーショルドが述べた,「[国連]機構と諸教会は肩を並べ,自らの信条や崇拝の形式には関係なく,地に平和を樹立するための善意の人々すべての努力に加わるものである」という言葉を裏書きしています。

にもかかわらず,大いなるバビロンの抗議の行進や,公のデモ,さらには宗教と政治のより巧妙な形の結合のために,大いなるバビロンは破滅させられます。a それはすでに,かなりの摩擦を引き起こしています。南アフリカのドミニコ会士,アルバート・ノーランが最近述べたとおりです。「神のご意志に調和して平和を実現するための唯一の効果的な方法は,闘いを始めることである。……軍縮を達成するには,政府との衝突はまず避け難い」。

大いなるバビロンには,平和を求める叫びを上げさせておきましょう。法王には,クリスマスとイースターの時に伝統的な「ウールビ・エッツ・オールビ」(ローマ内外の信徒に,の意)の祝福を語らせておきましょう。また,今年の5月に法王が述べたように,現在の政治的な緊張緩和は“クリスチャン”の祈りに対する答えであると言わせておきましょう。大げさに平和を口にしようとも,正当な根拠もなく自分は神の祝福を受けていると言おうとも,大いなるバビロンが血生臭い過去の歴史から自分を解放することはできません。過去の歴史ゆえに大いなるバビロンには,人間同士の平和,また人間と神との間の平和をこれまで妨害してきた者のうち最も悪質な者という烙印が押されています。人類が抱える問題の原因はすべて,直接間接に,このバビロンの門口にまでたどることができます。

偽りの宗教は国連と共に,ほかでもない自らの滅びに先立つ『平和と安全』を実現させるため一生懸命に活動を続けているのですから皮肉なことです。偽りの宗教が終わることにより,「惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです」と述べる,真の宗教の神の正しさが立証されます。―ガラテア 6:7。

時間を浪費せず,命を求めて逃れなさい

偽りの宗教が言い開きを求められる時は近づいています。命を失わないようにするための唯一の方法は,ぐずぐずせずに大いなるバビロンを捨てることです。(啓示 18:4)大いなるバビロンの滅びの秒読みはすでに始まっています。

神が創造された美しい地球から,まがいの宗教と宗教もどきの国家主義が除き去られた後は,神の政府のもとにある真の宗教だけが残ります。それら劇的な変化を生き残る人たちには,大きな興奮を誘う将来の見込みがあります。あなたもその中の一人になりますか。「真の宗教のとこしえに続く美しさ」をいつまでも歓びたいと思いますか。もしそうなら,「目ざめよ!」誌,1989年12月22日号に掲載されるこのシリーズ最後の記事を読み,そうするための方法について学んでください。

[脚注]

a ものみの塔聖書冊子協会が1988年に発行した,「啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!」という本には,それがどのように生じるかが説明されています。

[25ページの図版]

ニューヨークの国連本部と,世界平和の像 ― 人間が剣をすきに打ち変えている

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