ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 「邪悪な世代」から救われる
    ものみの塔 1995 | 11月1日
    • 「邪悪な世代」から救われる

      「ああ,不信仰でねじけた世代よ,いつまでわたしはあなた方と共にいて,あなた方のことを忍ばねばならないのでしょう」― ルカ 9:41。

      1 (イ)今の災いの時代は何の前兆ですか。(ロ)聖書は,生き残る人たちについて何と述べていますか。

      今は災いの時代です。この20世紀の人類は,地震,洪水,飢きん,病気,不法,爆破事件,すさまじい戦闘 ― こうしたことや他の多くの災いに巻き込まれてきました。しかもなお,近い将来に,古今最大の災いが待ち受けているのです。その災いとは何ですか。それは,「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」です。(マタイ 24:21)しかし,わたしたちの多くは,喜ばしい将来を楽しみにして待つことができます。なぜでしょうか。なぜなら,神ご自身の言葉が,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆」のことを述べているからです。「これは大患難から出て来る者たちで,……彼らはもはや飢えることも渇くこともなく,……神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られる」のです。―啓示 7:1,9,14-17。

      2 マタイ 24章,マルコ 13章,およびルカ 21章の初めのほうの幾つかの節は,どのように最初の預言的成就を見ましたか。

      2 マタイ 24章3節から22節,マルコ 13章3節から20節,およびルカ 21章7節から24節の霊感による記録には,「事物の体制の終結」に関するイエスの預言の言葉が載せられています。a この預言は,最初に西暦1世紀の腐敗したユダヤ人の事物の体制に成就しました。その最高潮においてユダヤ人は前例のない「大患難」に見舞われました。エルサレムの神殿を中心にした,ユダヤ人の体制の宗教的また政治的機構全体は破壊され,再興されることはありませんでした。

      3 今日イエスの預言に留意することが急務なのはなぜですか。

      3 では,イエスの預言の1回目の成就の際に見られた状況について考えてみましょう。そうすることは,それに対応する今日の成就を理解するうえで,良い助けになるはずです。これにより,全人類の前に差し迫っている古今最大の患難を生き残るために今積極的な行動を取ることがいかに急務であるか,明らかになるでしょう。―ローマ 10:9-13; 15:4。コリント第一 10:11; 15:58。

      「終わり」― それはいつ来るか

      4,5 (イ)西暦1世紀のユダヤ人のうち神を恐れる人たちがダニエル 9章24-27節の預言に関心を抱いていたのはなぜですか。(ロ)その預言はどのように成就しましたか。

      4 西暦前539年ごろ,神の預言者ダニエルは,「七十週」年の期間の最後の「週」に起きる出来事の幻を与えられました。(ダニエル 9:24-27)その70「週」は,ペルシャのアルタクセルクセス王がエルサレムの都の再建を命じた西暦前455年に始まりました。その最後の「週」は,メシア,すなわちイエス・キリストが現われた時,つまりイエスが西暦29年にバプテスマを受けて油そそがれた時から始まりました。b 西暦1世紀のユダヤ人のうち神を恐れる人たちは,時に関するダニエルの預言のこの特色をよく知っていました。例えば,西暦29年に,バプテスマを施す人ヨハネの宣べ伝える音信を聞くために集まって来た群衆に関して,ルカ 3章15節はこう述べています。「民は待ち設けており,またすべての者がヨハネに関し,『あるいは彼がキリストではなかろうか』と心の中で考えを巡らしていた」。

      5 その70番目の「週」は,ユダヤ人に特別な恵みが差し伸べられる7年間でした。西暦29年に始まったその「週」には,イエスのバプテスマと宣教,「週の半ば」に当たる西暦33年のイエスの犠牲の死,そして西暦36年までのあと『半週』が含まれました。その「週」の間は専ら,神を恐れるユダヤ人とユダヤ教に改宗した人たちにだけ,イエスの油そそがれた弟子になる機会が差し伸べられました。その後,西暦70年,事前に知られてはいなかったその年に,ティツスの率いるローマ軍団が,背教したユダヤ人の体制を絶ち滅ぼしました。―ダニエル 9:26,27。

      6 「嫌悪すべきもの」は西暦66年にどのように行動を開始しましたか。クリスチャンたちはどのように反応しましたか。

      6 かねてからエルサレムの神殿を汚し,また共謀して神ご自身のみ子を殺害したユダヤ教の祭司団は,こうしてぬぐい去られました。国家の記録や部族の記録も消滅しました。その後はユダヤ人のだれも合法的に,自分は祭司職の継承者だとか王位継承者だとか主張することはできなくなりました。しかし,幸いなことに,油そそがれた霊的ユダヤ人たちがすでに王なる祭司として取り分けられて,エホバ神の『卓越性を広く宣明して』いました。(ペテロ第一 2:9)西暦66年にローマの軍隊が初めてエルサレムを攻め囲み,神殿域の土台を崩すことまでした時,クリスチャンたちは,その軍勢が『預言者ダニエルを通して語られた,聖なる場所に立っている,荒廃をもたらす嫌悪すべきもの』であることを認めました。エルサレムやユダヤにいたクリスチャンは,イエスの預言的な命令に従順に従い,保護を求めて山地へ逃げました。―マタイ 24:15,16。ルカ 21:20,21。

      7,8 クリスチャンたちはどんな「しるし」を見ましたか。しかし,何については知りませんでしたか。

      7 それら忠実なユダヤ人のクリスチャンは,ダニエルの預言が成就するのを見,「事物の体制の終結のしるし」の一部としてイエスの予告しておられた,悲惨な戦争や,飢きん,疫病,地震,不法などを目撃しました。(マタイ 24:3)しかし,イエスは彼らに,エホバがその腐敗した体制に対する裁きをいつ実際に執行されるかについて告げておられたでしょうか。いいえ。ご自分の将来の王としての臨在の最高潮についてイエスが預言された事柄,すなわち,「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます」という言葉は,確かに,1世紀の「大患難」にも当てはまったのです。―マタイ 24:36。

      8 ユダヤ人はダニエルの預言から,イエスがメシアとして現われる時期を算定することができたはずです。(ダニエル 9:25)それでも,背教したユダヤ人の事物の体制を最終的に荒廃させる「大患難」の期日については何も知らされていませんでした。彼らはエルサレムとその神殿が滅びた後に初めて,その日が西暦70年であったことを悟ったのです。とはいえ,「これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」というイエスの預言の言葉は知っていました。(マタイ 24:34)明らかに,この場合の「世代」という語の用い方は,伝道の書 1章4節の場合とは異なっています。後者は,次々と一定期間存在しては去ってゆく世代のことを述べています。

      「この世代」― それは何か

      9 種々の辞書はギリシャ語のゲネアという言葉をどのように定義していますか。

      9 オリーブ山でイエスと共に腰を下ろしていた4人の使徒たちは,「事物の体制の終結」についてのイエスの預言を聞いた時,「この世代」という表現をどのように理解したのでしょうか。福音書の中の「世代」という言葉は,ギリシャ語のゲネアという言葉を翻訳したものです。現代の種々の辞書はゲネアを次のように定義しています。「字義的には,共通の先祖から出た人たち」。(ウォルター・バウアー編「新約聖書希英辞典」)「生み出されたもの,一族; ……一つの系図上の代々の人々,……または……一種族の人々,……または同じ時に生きている人々の集団全体,マタイ 24:34; マルコ 13:30; ルカ 1:48; 21:32; フィリピ 2:15,とりわけ同一の期間に生きているユダヤ民族の人々」。(W・E・バイン編「新約聖書用語解説辞典」)「生み出されたもの,同じ系統の人々,一族; ……同じ時に生きている人々の集団全体:マタイ 24:34; マルコ 13:30; ルカ 1:48; ……とりわけ同一の期間に生きているユダヤ民族について用いられる」― J・H・セア編「新約聖書希英辞典」。

      10 (イ)二人の権威者は,マタイ 24章34節を引き合いに出して,全く同一のどんな定義を述べていますか。(ロ)ある神学辞典や幾つかの聖書翻訳は,この定義をどのように支持していますか。

      10 このように,バインとセアはどちらもマタイ 24章34節を引き合いに出し,「この世代」(ヘー・ゲネア・ハウテー)を「同じ時に生きている人々の集団全体」と定義しています。「新約聖書神学辞典」(1964年)はこの定義を支持し,「イエスが『世代』という言葉を使ったことには,包括的に言おうという意図が表われている。イエスは民全体を対象とし,罪における彼らの連帯責任を意識しているのである」と述べています。確かに,イエスが地上におられた時のユダヤ国民に『罪における連帯責任』があったことは明らかでした。今日の世の体制もそれを特徴としています。c

      11 (イ)ヘー・ゲネア・ハウテーの適用の仕方を見定めるに当たっては,おもにどんな権威を導きにすべきですか。(ロ)この権威者はその表現をどのように用いましたか。

      11 もちろん,この点を研究するクリスチャンは,霊感を受けた福音書筆者たちが,イエスの言葉を記録する際に,ギリシャ語のヘー・ゲネア・ハウテーすなわち「この世代」という表現をどのように用いたかを自分の考えのおもな導きとします。その表現は,終始一貫して否定的な意味で使われました。例えば,イエスはユダヤ人の宗教指導者たちを「蛇よ,まむしらの子孫よ」と呼び,続けて「この世代」にゲヘナの裁きが執行されるであろうと言われました。(マタイ 23:33,36)しかし,その裁きは偽善的な僧職者だけに限定されていたのでしょうか。決してそうではありません。イエスの弟子たちは,いろいろな機会に,イエスが「この世代」に言及し,その表現をはるかに広い意味で一律に適用されるのを聞きました。それは何のことだったのでしょうか。

      「この邪悪な世代」

      12 イエスは,弟子たちが聞いているところで,「群衆」を「この世代」とどのように関連づけて話されましたか。

      12 西暦31年,イエスの大々的なガリラヤでの宣教期間中,過ぎ越しのすぐ後に,弟子たちはイエスが「群衆」に向かって次のように言われるのを聞きました。「わたしはこの世代をだれになぞらえましょうか。それは,幼子たちが市の立つ広場に座って,自分の遊び仲間に叫ぶのに似ています。こう言うのです。『あなたたちのためにフルートを吹いたのに,あなたたちは踊らなかった。わたしたちが泣き叫んだのに,あなたたちは身をたたいて悲しまなかった』。これと同じように,ヨハネが来て食べたり飲んだりしないと,『彼には悪霊がいる』と人々は言い,人の子が来て食べたり飲んだりすると,『見よ,食い意地の張った,ぶどう酒にふける男,収税人や罪人たちの友』と言います」。何をしても,それら無節操な「群衆」を喜ばせることはできなかったのです。―マタイ 11:7,16-19。

      13 イエスは弟子たちの居合わせているところで,だれのことを「この邪悪な世代」と同定して非難されましたか。

      13 西暦31年の後期に,イエスと弟子たちがガリラヤでの二度目の伝道旅行を始めた時,「書士とパリサイ人の幾人かが」イエスにしるしを求めました。イエスは,彼らとその場に居合わせた「群衆」に,こうお告げになりました。「邪悪な姦淫の世代はしきりにしるしを求めますが,預言者ヨナのしるし以外には何のしるしも与えられないでしょう。ヨナが巨大な魚の腹の中に三日三晩いたように,人の子もまた地の心に三日三晩いるのです。……この邪悪な世代もそのようになるでしょう」。(マタイ 12:38-46)明らかに,「この邪悪な世代」には宗教指導者たちと「群衆」の両方が含まれていました。彼らは,イエスの死と復活という形で成就するしるしを決して認識するようにならなかったのです。d

      14 イエスの弟子たちは,イエスがサドカイ人とパリサイ人たちをどのように非難するのを聞きましたか。

      14 西暦32年の過ぎ越しの後,イエスと弟子たちがガリラヤのマガダン地方にやって来た時,サドカイ人とパリサイ人たちがまたもイエスにしるしを求めました。イエスは彼らに対して同じ言葉でこう言われました。「邪悪な姦淫の世代はしきりにしるしを求めます。しかしヨナのしるし以外には何のしるしも与えられないでしょう」。(マタイ 16:1-4)それら宗教上の偽善者たちは,確かに,イエスが「この邪悪な世代」と呼んで非難した不忠実な「群衆」の中の指導者として特に責められるべき存在でした。

      15 変ぼうの少し前と,またそのすぐ後に,イエスと弟子たちはどんな場面で「この世代」に遭遇しましたか。

      15 イエスは,ガリラヤでの宣教の終わりごろ,群衆と弟子たちを自分のもとに呼んで,「だれでも,この罪深い姦淫の世代にあってわたしとわたしの言葉を恥じるようになる者は,人の子も……その者を恥じるのです」と言われました。(マルコ 8:34,38)ですから,「この罪深い姦淫の世代」を成していたのは,明らかに,当時の悔い改めないユダヤ人の民衆でした。それから幾日かたって,イエスの変ぼうの後,イエスと弟子たちが「群衆のほうに来ると」,一人の男の人がイエスに,自分の息子をいやしてくれるよう求めました。それに対してイエスはこう言われました。「ああ,不信仰でねじけた世代よ,いつまでわたしはあなた方と共にいなければならないのでしょう。いつまであなた方のことを忍ばねばならないのでしょう」。―マタイ 17:14-17。ルカ 9:37-41。

      16 (イ)イエスはユダヤで「群衆」に対するどんな非難の言葉を繰り返されましたか。(ロ)「この世代」はどのように,犯し得る最も悪らつな罪を犯しましたか。

      16 西暦32年の仮小屋の祭りの後,ユダヤでのことと思われますが,イエスの周りに「群衆が寄り集まって来た時」,イエスは彼らに対する非難の言葉を繰り返し,「この世代は邪悪な世代です。それはしるしを求めています。しかし,ヨナのしるし以外には,何のしるしも与えられないでしょう」と言われました。(ルカ 11:29)最後に,宗教指導者たちがイエスを裁判にかけた時,ピラトはイエスを釈放してもいいと言いました。記録にはこう述べられています。「祭司長と年長者たちは,群衆がバラバを求め,イエスのほうを滅ぼさせるように説きつけた。……ピラトは言った,『では,キリストと言われるイエスはどうするのか』。彼らは皆,『杭につけろ!』と言った。ピラトは言った,『彼がどんな悪事をしたというのか』。それでも彼らは,『杭につけろ!』と,いよいよ叫びつづけた」。その「邪悪な世代」はイエスの血を要求していたのです。―マタイ 27:20-25。

      17 『このねじけた世代』の一部の人々は,ペンテコステの日にペテロの宣べ伝えた言葉にどのようにこたえ応じましたか。

      17 そのようにして,「不信仰でねじけた世代」は宗教指導者たちにそそのかされ,主イエス・キリストの死をもたらす点で重要な役割を演じました。それから50日後,西暦33年のペンテコステの日に,弟子たちは聖霊を受け,様々な言語で話し始めました。その物音を聞きつけて「大勢の人が共にやって来(る)」と,使徒ペテロは彼らに対して,「ユダヤの皆さん,そしてエルサレムの住民のすべての方たち」と呼びかけ,「あなた方はこの人[イエス]……を,不法な人々の手により杭に打ち付けて除き去りました」と言いました。それら聴衆の一部はどのように反応したでしょうか。「彼らは心を刺され」ました。そこで,ペテロは彼らに,悔い改めるようにと言いました。そして,『徹底的な証しをし,しきりに説き勧めて,「この曲がった世代から救われなさい」と言いました』。それにこたえて,約3,000人が「彼の言葉を心から受け入れ[て]バプテスマを受け」ました。―使徒 2:6,14,23,37,40,41。

      実体が明らかになった「この世代」

      18 イエスの使われた「この世代」という表現は,終始一貫して何を指していますか。

      18 では,イエスが弟子たちの居合わせるところで頻繁に言及された「世代」とは何のことでしょうか。弟子たちは,「これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」というイエスの言葉を,どのように理解したでしょうか。イエスが「この世代」という表現をいつもとは違った意味で使っておられたのでないことは確かです。イエスは終始一貫してその表現を,共にユダヤ国民を構成していた同時代の民衆と彼らの「盲目の案内人」を指して用いられたのです。(マタイ 15:14)「この世代」は,イエスの予告した苦難をすべて経験したあと,エルサレムを襲った空前の「大患難」に見舞われて過ぎ去りました。―マタイ 24:21,34。

      19 ユダヤ人の体制の「天と地」は,いつ,どのように過ぎ去りましたか。

      19 1世紀当時,エホバは民としてのユダヤ人を裁いておられました。悔い改めた者たち,すなわちキリストによるエホバの憐れみ深い備えに信仰を働かせるようになった人は,その「大患難」から救い出されました。イエスの言葉どおり,預言された事がすべて起こったあと,ユダヤ人の事物の体制の「天と地」― 宗教指導者たちと人々の邪悪な社会を含む国家全体 ― が過ぎ去りました。エホバが裁きを執行されたのです。―マタイ 24:35。ペテロ第二 3:7と比較してください。

      20 緊急なこととして,クリスチャンすべてに,時宜にかなったどんな訓戒が当てはまりますか。

      20 イエスの預言の言葉に注意を払っていたそれらユダヤ人は,自分たちの救いが,一「世代」や何らかの定められた「時また時期」の長さを算定しようとすることにではなく,当時のよこしまな世代からいつも離れて熱心に神のご意志を行なうことにかかっていたことを悟りました。イエスの預言の最後の言葉は今日における主要な成就に当てはまるとはいえ,1世紀当時のユダヤ人のクリスチャンも,「それで,起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」という訓戒に留意しなければならなかったのです。―ルカ 21:32-36。使徒 1:6-8。

      21 わたしたちは,近い将来に物事のどんな突然の進展があることを予期できますか。

      21 今日,『エホバの大いなる日は近づいています。しかも非常に急いでやって来ます』。(ゼパニヤ 1:14-18。イザヤ 13:9,13)突然,エホバご自身のあらかじめ決めておられる「日と時刻」に,神の憤怒は,この世の宗教的,政治的,商業的要素,ならびに今の「邪悪な姦淫の世代」を成す頑迷な人々の上に解き放たれます。(マタイ 12:39; 24:36。啓示 7:1-3,9,14)あなたはどのようにして「大患難」から救い出されるでしょうか。次の記事ではその答えと,将来の壮大な希望について知ることができます。

      [脚注]

      a この預言の細目を概括したものに関しては,「ものみの塔」誌,1994年2月15日号,14,15ページの表をご覧ください。

      b 70「週」年に関するさらに詳しい情報については,ものみの塔聖書冊子協会発行の「聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?」という本の130-132ページをご覧ください。

      c 幾つかの聖書には,マタイ 24章34節のヘー・ゲネア・ハウテーが次のように訳出されています。「これらの人々」(「今日の言葉による聖書」[1976年],W・F・ベック訳),「この国民」(「新約聖書 ― 拡張訳」[1961年],K・S・ウェスト訳),「この民」(「ユダヤ人の新約聖書」[1979年],D・H・スターン訳)。

      d それら不忠実な「群衆」をアム・ハーアーレツ,すなわち「地の民」と同一視すべきではありません。誇り高い宗教指導者たちは「地の民」と交わろうとしませんでしたが,イエスは彼らに「哀れみをお感じになった」のです。―マタイ 9:36。ヨハネ 7:49。

  • いつも目ざめているべき時
    ものみの塔 1995 | 11月1日
    • いつも目ざめているべき時

      「あらゆる国民の中で,良いたよりがまず宣べ伝えられねばなりません。……しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」― マルコ 13:10,13。

      1 わたしたちはなぜ耐え忍び,勇気を出さなければなりませんか。

      わたしたちは耐え忍ばなければなりません。それも,不信仰なねじけた世代のただ中でそうしなければなりません。ちょうどイエスの時代に見られたように,1914年以来,一世代の人々が腐敗しました。そして今日,その腐敗は世界的な規模のものになっています。この「終わりの日」の人類は,使徒パウロの描写した「対処しにくい危機の時代」にあって苦悩しています。『邪悪な者とかたりを働く者とはいよいよ悪に進んでゆきます』。「全世界が邪悪な者[悪魔サタン]の配下にある」ことは明らかです。サタンは今,地を滅ぼそうと最後の奮闘をしているのです。しかし,勇気を出してください。義を愛する人すべてに恒久的な救済をもたらす「大患難」が近づいているのです。―テモテ第二 3:1-5,13。ヨハネ第一 5:19。啓示 7:14。

      2 預言は1914年にどのように成就しましたか。

      2 幸いなことに,エホバは今や人類の圧制的な敵たちを除き去るのに先立って天で主イエス・キリストを即位させておられます。(啓示 11:15)メシアの最初の降臨の場合と同じように,今世紀にもダニエルの記した顕著な預言が成就してきました。ダニエル 4章16節,17節,32節では,「七つの時」の間,地に対する正当な王権の中断されたことが述べられています。その主要な成就において,この七つの時は,各々360“日”から成る七つの聖書的な年,すなわち合計2,520年に相当します。a その期間は,バビロンがイスラエル王国を踏みにじり始めた西暦前607年から,イエスが人類の正当な王として天で即位した年,西暦1914年にまで及びました。その年に,「諸国民の定められた時」が終わったのです。(ルカ 21:24)ところが諸国民は,統治し始めるメシアによる王国に道を譲ろうとしませんでした。―詩編 2:1-6,10-12; 110:1,2。

      3,4 (イ)1世紀当時の出来事を現代の出来事と照らし合わせてみると,どんな類似点が分かりますか。(ロ)今考慮している事柄に関連して,どんな質問をすることができますか。

      3 7年を1週とする70番目の週(西暦29年から36年)が近づいたころ,そしてまた1914年が近づいたころ,神を恐れる人々はメシアの来臨を期待していました。果たせるかな,メシアは来臨しました。しかし,どちらの場合にも,メシアの登場する有様は,期待されたものとは異なっていました。またどちらの場合にも,比較的短い期間を経た後に,結局,よこしまな「世代」が神の布告によって処刑されます。―マタイ 24:34。

      4 前の記事でわたしたちは,イエスの血を要求した邪悪なユダヤ人の世代がどのように終わりを迎えたかに注目しました。では,今でさえイエスに反対している,もしくはイエスを無視している,人類の破滅的な世代についてはどうでしょうか。この不信仰な世代に対する裁きは,いつ執行されるのでしょうか。

      「ずっと見張っていなさい」

      5 (イ)わたしたちはどんな正当な理由のゆえに,エホバの「日と時刻」の到来する時を知る必要はありませんか。(ロ)マルコによれば,イエスはその預言の締めくくりとしてどんな健全な助言を述べられましたか。

      5 イエスは,「大患難」の時へとつながる数々の出来事を預言したあと,言葉を加えて,「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます」と言われました。(マタイ 24:3-36。マルコ 13:3-32)わたしたちは,種々の出来事の起きる正確な時を知る必要はありません。むしろ,油断なく見張り,強い信仰を培い,いつもエホバへの奉仕に励むことに注意を集中しなければなりません。ある期日を算定しようとそればかり考えていてはならないのです。イエスはその大預言の締めくくりとしてこう言われました。「ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。あなた方は,定められた時がいつかを知らないからです。……ずっと見張っていなさい。……わたしがあなた方に言うことは,すべての者に言うのです。ずっと見張っていなさい」。(マルコ 13:33-37)今日の世界は背後に危険が迫っています。わたしたちはいつも目ざめていなければなりません。―ローマ 13:11-13。

      6 (イ)わたしたちの信仰は何にしっかり根ざしたものであるべきですか。(ロ)わたしたちはどのように「自分の日を数える」ことができますか。(ハ)イエスは「世代」という言葉で基本的に何を言わんとしておられますか。

      6 わたしたちは,邪悪な体制のこの末の日に関する,霊感を受けて記された預言に注意を払うだけでなく,自分の信仰をおもにキリスト・イエスの貴重な犠牲とそれに基づく神の数々のすばらしい約束にしっかり根ざしたものにしなければなりません。(ヘブライ 6:17-19; 9:14。ペテロ第一 1:18,19。ペテロ第二 1:16-19)これまでにエホバの民は,このよこしまな体制の終わりを見たいと切に願うあまり,「大患難」の始まる時を推測することがあり,1914年以降の一世代の長さを算定しようとしたこともあります。しかし,わたしたちは,一世代が何年あるいは何日に及ぶのかを推測することによってではなく,喜びにあふれてエホバを賛美する点でどのように「自分の日を数える」かについて考えることにより,『知恵の心をもたらし』ます。(詩編 90:12)イエスの用いた「世代」という表現は,時を計るための定規というよりはむしろ,歴史上のある時期に住み,他と異なる一定の特徴を備えた同時代の人々をおもに指しています。b

      7 ある歴史学の教授は,「1914年の世代」について何と書いていますか。これはどのようにイエスの預言と一致していますか。

      7 こうした理解と一致して,歴史学の教授ロバート・ボールは,自分の著わした「1914年の世代」という本にこう書いています。「歴史上の一世代は,年代学上の範囲によって定められるものではない。……それは,日付で区切られる期間ではない」。しかし,同教授は,第一次世界大戦を境に「何もかも昔とは変わってしまったという拭い難い印象」を持つ人が増えたことを指摘し,こう付け加えています。「その戦争を生き延びた人たちは,1914年8月に一つの世界が終わって別の世界が始まったのだと考え,その考えがどうしても頭から離れない」。全くそのとおりです。この言葉は問題の核心に触れています。1914年以降の人類の「この世代」は,数々のぞっとするような変化を経験してきました。この地が幾百幾千万という人々の血でずぶぬれになるのを見てきました。世界中で戦闘,集団虐殺,テロ行為,犯罪,不法などが激増しました。飢きん,病気,不道徳なども全地にはびこりました。イエスはこう預言されました。「あなた方[イエスの弟子たち]はまた,これらの事が起きているのを見たなら,神の王国の近いことを知りなさい。あなた方に真実に言いますが,すべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」― ルカ 21:31,32。

      8 エホバの預言者たちは,いつも目ざめていなければならないことをどのように強調していますか。

      8 そうです,メシアによる王国が完全な勝利を収める時は近づいています。では,種々の日時を探求する,あるいは一「世代」の文字どおりの長さを算定することによって何か得られるのでしょうか。いいえ,何も得るものはありません。ハバクク 2章3節は,はっきりこう述べています。「この幻はなお定めの時のためのものであり,終わりに向かって息をはずませてゆくからである。それは偽ることはない。たとえ遅れようとも,それを待ちつづけよ。それは必ず起きるからである。遅くなることはない」。エホバの清算の日はかつてなく近づいています。―エレミヤ 25:31-33。マラキ 4:1。

      9 1914年以来のどんな物事の進展は,残されている期間の短いことを示していますか。

      9 1914年にキリストの王国支配が始まった時,サタンは地に投げ落とされました。これは「地……にとっては災い」となりました。「悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったから」です。(啓示 12:12)その期間は,サタンのこれまでの何千年という支配期間に比べれば,確かに短いものです。王国は近づいており,この邪悪な世代に裁きを執行するエホバの日と時刻も迫っています。―箴言 3:25; 10:24,25。

      過ぎ去る「世代」

      10 「この世代」はどのようにノアの日の世代と似ていますか。

      10 マタイ 24章34,35節のイエスの言葉をもう少し綿密に調べましょう。イエスは,「あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません。天と地は過ぎ去るでしょう。しかしわたしの言葉は決して過ぎ去らないのです」と言われました。これに続くイエスの言葉によれば,『その日と時刻はだれも知りません』。さらに重要なこととして,イエスは,わたしたちがこの世代のわたしたちの身の回りにある様々なわなを避けなければならないことを示しています。例えば,イエスはこう付け加えておられます。「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在の時もそのようになるのです」。(マタイ 24:36-39)イエスはここで,ご自分の日の世代をノアの日の世代になぞらえておられます。―創世記 6:5,9,脚注。

      11 マタイとルカが伝えているように,イエスは「世代」に関してどんな比較をされましたか。

      11 イエスがこのように「世代」を比較されるのを使徒たちが聞いたのは,それが初めてではありませんでした。イエスは何日か前に,ご自身に関してこう述べておられたからです。「人の子……はまず多くの苦しみに遭い,この世代から退けられねばなりません。また,ノアの日に起きたとおり,人の子の日にもまたそうなるでしょう」。(ルカ 17:24-26)ですから,マタイ 24章とルカ 17章は,同じ比較をしています。ノアの日には「地でその道を損なっていた」,そして大洪水で滅ぼされた「肉なるものがみな」「この世代」でした。イエスの日には,イエスを退けた,背教したユダヤ民族が「この世代」だったのです。―創世記 6:11,12; 7:1。

      12,13 (イ)今日,必ず過ぎ去る「この世代」とは何のことですか。(ロ)エホバの民は今この「曲がってねじけた世代」にどのように対処していますか。

      12 そのようなわけで,今日イエスの預言の最終的な成就において,「この世代」とは,キリストの臨在のしるしを見ながらも自分たちの道を改めない,地のもろもろの民のことであると考えられます。これとは対照的に,イエスの弟子であるわたしたちは,「この世代」の生活様式によって形作られたりはしません。世にはいても,世のものではありません。「定められた時が近いから」です。(啓示 1:3。ヨハネ 17:16)使徒パウロはわたしたちをこう訓戒しています。「すべての事を,つぶやかずに,また議論することなく行なってゆきなさい。それはあなた方が,とがめのない純真な者,また,曲がってねじけた世代の中にあってきずのない神の子供となるためです。その中にあって,あなた方は世を照らす者として輝(いているのです)」― フィリピ 2:14,15。コロサイ 3:5-10。ヨハネ第一 2:15-17。

      13 わたしたちが『照らす者として輝く』ということには,清いクリスチャン人格を表わすことだけでなく,とりわけイエスから与えられた預言的な任務を果たすことが含まれます。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」と,イエスは預言されたのです。(マタイ 24:14)その終わりがいつ来るかはだれにも分かりませんが,邪悪な人々から成る「この世代」の終わりは,この証しが神の望まれる程度に「地の最も遠い所にまで」なされた時に到来する,ということをわたしたちは知っています。―使徒 1:8。

      「その日と時刻」

      14 イエスとパウロはどちらも,「時と時期」に関してどんな訓戒を与えましたか。わたしたちはどのように反応すべきですか。

      14 この地球的規模の証しがエホバの意図された程度に成し遂げられたなら,その時が,この世界の体制を除き去るエホバの「日と時刻」になります。わたしたちにはその日時を前もって知る必要はありません。使徒パウロがイエスの手本に従って,次のように訓戒したのはそのためです。「さて,兄弟たち,時と時期については,あなた方は何も書き送ってもらう必要がありません。エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなた方自身がよく知っているからです。人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決して逃れられません」。パウロが焦点を合わせているのが,『それは人々が言っているその時である』という点に注目してください。そうです,「平和だ,安全だ」と言われている時,つまり最もありそうにない時に,突然,神の裁きが執行されるのです。パウロの次の助言は,なんと適切なのでしょう。「ですからわたしたちは,ほかの人々のように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめていて,冷静さを保ちましょう」。―テサロニケ第一 5:1-3,6。テサロニケ第一 5:7-11; 使徒 1:7もご覧ください。

      15,16 (イ)わたしたちはなぜ,ハルマゲドンが思っていたよりも先のことである,と考えるべきではありませんか。(ロ)エホバの主権は,近い将来,必ずどのように大いなるものとされますか。

      15 「この世代」についてのより厳密なこの見方は,ハルマゲドンはわたしたちがかつて考えていた時期より先のことである,という意味でしょうか。いいえ,決してそうではありません。わたしたちはこれまで一度もその「日と時刻」を知ることはありませんでしたが,エホバ神は前々から知っておられ,変更されることはありません。(マラキ 3:6)明らかに,この世界は最終的な破滅に向かってどんどん下降しています。いつも目ざめていることの必要性は,これまで以上に大きくなっています。エホバは「ほどなくして必ず起きる事柄」を啓示してくださっているのですから,わたしたちは真の緊急感を抱いてこたえ応じるべきです。―啓示 1:1; 11:18; 16:14,16。

      16 その時が近づいている今,いつも目ざめていてください。エホバはサタンの体制すべての上に災いをもたらそうとしておられるのです。(エレミヤ 25:29-31)エホバはこう言っておられます。「わたしは必ずわたしを大いなるものとし,わたしを神聖なものとし,多くの国々の民の目の前でわたしを知らせるであろう。そして彼らはわたしがエホバであることを知らなければならなくなる」。(エゼキエル 38:23)その決定的な「エホバの日」は近づいています。―ヨエル 1:15; 2:1,2。アモス 5:18-20。ゼパニヤ 2:2,3。

      義にかなった「新しい天と新しい地」

      17,18 (イ)イエスとペテロによれば,「この世代」はどのように過ぎ去りますか。(ロ)わたしたちはなぜ,行状や敬虔な専心の行ないに関してずっと見張っているべきですか。

      17 『必ず起こるこれらのすべての事』に関して,イエスは,「天と地は過ぎ去るでしょう。しかしわたしの言葉は決して過ぎ去らないのです」と言われました。(マタイ 24:34,35)恐らく,イエスは「この世代」の「天と地」― 支配者たちと被支配者たち ― を念頭に置いて言われたのでしょう。使徒ペテロも同様の言葉を用いて,「火のために蓄え置かれており,不敬虔な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれている」「今ある天と地」に言及しました。次いでペテロは,『エホバの日が盗人のように来,そのとき[政府である]天が』「地」すなわち腐敗した人間社会,およびその罪深い業もろともにどのように『過ぎ去る』かを描いています。そのあと,同使徒はわたしたちに,「聖なる行状と敬虔な専心」を保ちながら「エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める」よう勧めています。「その日に天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶けるのです」。それからどうなるのでしょうか。ペテロは『義の宿る新しい天と新しい地』にわたしたちの注意を向けています。―ペテロ第二 3:7,10-13。c

      18 その「新しい天」,すなわちキリスト・イエスとその共同の王たちによる王国支配は,義にかなった「新しい地」という人類社会に祝福を豊かに注ぐことでしょう。あなたはその社会の一員になる見込みを持つ方ですか。もしそうなら,あなたには,待ち受けている壮大な将来について歓喜すべき理由があります。―イザヤ 65:17-19。啓示 21:1-5。

      19 わたしたちは今どんな大きな特権にあずかることができますか。

      19 そうです,人類の義にかなった「世代」は今でも集められているのです。今日,油そそがれた「忠実で思慮深い奴隷」は,詩編 78編1節と4節の次の言葉に調和して神からの教育を施しています。「わたしの民よ,わたしの律法に耳を向けよ。わたしの口の語ることに耳を傾けよ。……それを……来たるべき世代にも語り伝え(よ)。エホバの賛美と力と,神の行なわれたくすしい事柄を」。(マタイ 24:45-47)今年の4月14日には,全地の230ほどの国や地域の7万5,500余りの会衆で,1,200万人を上回る人々がキリストの死の記念式に出席しました。あなたもその一人でしたか。あなたもキリスト・イエスに信仰を置き,『救いを求めてエホバの名を呼び求め』られますように。―ローマ 10:10-13。

      20 「残された時は少なくなっている」ゆえに,わたしたちはどのように,またどんな見込みを抱いて,いつも目ざめていなければなりませんか。

      20 「残された時は少なくなっている」と,使徒パウロは言いました。したがって,わたしたちにとって今は,常に目ざめていてエホバの業に励みながら,人類の邪悪な世代によってもたらされる試練や憎しみを耐え忍ぶべき時です。(コリント第一 7:29。マタイ 10:22; 24:13,14)ずっと見張っていて,聖書の予告している事柄がすべて「この世代」に臨むのを見守るようにしましょう。(ルカ 21:31-33)わたしたちはこれらの事を逃れ,人の子の前に神の是認を得て立つことにより,ついには永遠の命の賞を得ることができるのです。

      [脚注]

      a 「七つの時」について詳しくは,ものみの塔聖書冊子協会発行の「あなたの王国が来ますように」という本の127-138,185-189ページをご覧ください。

      b ものみの塔聖書冊子協会発行,「聖書に対する洞察」,第2巻,31ページをご覧ください。

      c ものみの塔聖書冊子協会発行の「来たるべきわたしたちの世界政府 ― 神の王国」という本の151-155ページおよび179-181ページもご覧ください。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする